388話:ヘイリンペリアムの内情
ジッテルライヒの副都。その手前で魔王は空から降りた。
ヴァシリッサが羽根を生やして迎えに来たからだ。
さすがに使い魔の大鳥では悪目立ちしすぎるということらしい。
その上で、ヴァシリッサは副都の郊外から地下道へと魔王たちを誘った。
「ずいぶん下りますね。そう言えばこの辺りで以前大規模な戦いをしたのではなかったですか? このような地下深くに住処を構えて抗戦した者がいたような」
「わたくしそれには参加しておりませんが覚えております。この東の地平定に乗り出した際、先住していた才気あふれる魔術師を敵に回した大魔法乱れ飛ぶそれは派手な戦いであったと」
暗く不穏な空気の満ちる地下で、悪魔たちが楽しげにお喋りをする。
っていうかそれってヴィドランドルのことだよね?
ライレフ相手にして地下を守り切ったんだね。
「つい先頃、未だ生きていたその魔術師をご主人さまが追い出したそうですよ」
誇らしげに話すウェベンなんて気にせず、僕の体を乗っ取った魔王は通路をじっくり見ながら歩いていた。
「あそことは意匠が違う。ここは古代の遺跡ではない。もっと近い時代に作られたものだ」
「ご明察にございます」
先を歩くヴァシリッサが魔王を振り返る。
「ここは教会が恐るべき魔を監視するために作った地下道。魔王さまがお隠れになってから作られました」
「いったいここに何があるんだ?」
今も使い魔に乗ってるトラウエンが聞く。
というかもう子供の体力では限界みたいで、ヴェラットのほうもぐったりしてた。
飲まず食わずで国を股にかけて移動したんだから当たり前だけど。
「ほほ、重大な秘密事項なのでわたくしの口からはとても」
知ってるらしいヴァシリッサが得意げにはぐらかすと、ヴェラットが身を起こして睨む。
「それは、魔王さまに対して不敬というものでしょう」
けれど魔王はなんでか、次に足元を見て歩いてた。
「まさか冥府の穴を放棄して逃げ出すとはな」
その言葉に双子はびっくりして下を向く。
けど見えるのは地下道を形作る石ばかり。
ヴァシリッサはちょっと面白くなさそうに肯定した。
「えぇ、そのとおりにございます」
「あぁ、思い出しました。あれはあまり面白くない争いでしたから」
ライレフがようやくヴィドランドルとの戦いの仔細を思い出したようだ。
まぁ、人間同士が争うのが好きなら、人間やめたヴィドランドル相手じゃそういう感想になるのかな?
「あれとの相性が良すぎて穴ごとこの地下を封じるしかなかった。冥府がなんであるかを調べたかったのに。結局森にも手が回らなかった」
「あ、ご主人さま。森の冥府の穴は塞がれておりますよ」
ウェベンが気軽に教えると、魔王は残念そうに溜め息を吐いた。
「妖精女王さえ未踏の地であるのに、何故冥府とは何であるかをつまびらかにすることを拒絶するのか? 知らぬままでいて得るものなどないというのに」
「命さえ失った者が行きつく地から得ようとは、なるほど魔王さまの崇高なるお心に曇りはないご様子」
ヴァシリッサがおべっかをいいながら笑う。
けど魔王は気にしない。
たぶんヴァシリッサに興味がないんだ。
「魔王さま、お名前についてはいかがいたしましょう?」
「この地に障害がないのでしたら、取り戻す手立てを早急に立案いたします」
トラウエンとヴェラッドが功を焦った様子で伺いを立てる。
けど魔王に睨まれて萎んでしまった。
そんな二人にライレフが諌めるように教える。
「冥府は死せる者に絶対の服従を強い、生ける者に理からの離脱を強いる地。魂ある者が軽々しく踏み込むべきではないのですよ、契約者」
「そう言えば、森の冥府の入り口を押さえようとしたのもわたくしども悪魔が軍単位でいたためでしたね」
どうやら魔王は悪魔という手駒があったからこそ冥府への侵攻を考えていたようだ。
ウェベンの言葉にヴァシリッサは感心したように息を吐いた。
「素晴らしい知啓を得ましたわ。魂なき精神体であるならなるほど、冥府の理さえ踏み越えられると。どれほど冥府の穴を見張っていようと、人間ではそこまでの大胆さは得られません」
よくわからない話だなぁ。
名前って魔王の名前を前の妖精王が封印したって話でしょ。
それを取り戻すつもりは今のところ魔王にはない?
で、その理由は冥府に行くには戦力が足りないから。
そして人間では冥府での戦力にはならない。
精神体の悪魔がいいなら妖精もいいのかな?
「こちらです」
そしてヴァシリッサが案内した先に一人の男が跪いていた。
魔王は王さまらしく無言で構えてる。
そんな魔王に顔も上げず名乗って復活を祝う言葉を向けるのは、僕も知る相手。
ビーンセイズで出会った魔学生の知り合いの司祭、ヴァーンジーンだった。
って、本気?
いや、善意だけの人だとは思わなかったけどやってることは世間的にいい目的のためだと思ってたのにな。
うーん、これヴァシリッサをエルフの国や森に送り込んだのもヴァーンジーンってことだよね?
別に信用するほどの付き合いなかったけどなんか騙された気分だ。
「面を上げよ」
魔王が偉そうに命令する。
その堂に入った対応に、ヴァーンジーンも素直に応じた。
あ、もしかして大グリフォンを前にしなきゃいけなかったのってこういうことだった?
定型句ってあったらしいけど、言われないと全く思いつきもしないよ。
こんな古典的な王さまののりなんて。
いや、僕にとっては古典でも、この世界では今も通用する礼儀なんだよね。
「世辞はいらん。見え透いた美辞もいらん。貴様は俺に這い寄り何をする気だ?」
双子相手とは違う魔王の対応は、警戒かな。
魔王の視線はヴァーンジーンの動きを観察し、左手に怪我をしているらしいことに気づく。
ゆったりした袖で隠してるけど、何か嫌な感じがする傷だ。
表情を見た感じ、双子みたいな怯えとか焦りはない。
だからこそヴァーンジーンは腹に何かありそうだと魔王も思ったんじゃないかな。
「…………その体の持ち主とは以前言葉を交わす機会がありました。その記憶はありましょうや?」
ヴァーンジーンとはビーンセイズで出会ったけど、魔学生を介して偶然の出会いだと思ってる。
けどこうなると、何かの策謀だったのかな?
「知らんな」
魔王って僕が何してたか知らないことのほうが多いのかな?
記憶探るようなことはしてたけど今はない。
「以前、神はいるかと聞かれましたので、あれは使徒である魔王さまのご意思であったかと愚考しましたが。なるほど、私の深読みでしたか」
「あぁ、今代の妖精王が雑に神の知識を抜いていたため逆に興味を持ったか」
それってアルフの知識を魔王は見てたってこと?
あー、だから心象風景の中でちょくちょく物音してたんだぁ。
僕が何してるかよくわかってない状態でアルフの知識あったらそりゃ触るよね。
情報あったら集めるよね、この魔王ならさ。
っていうか僕の心象風景ドアなかったし。
今さらだけどやりたい放題だったんだなぁ。
「この身は神に仕える者。神の意思により降された使徒を人間の都合で除外するなど過ち以外の何ものでもない。魔王さまが正しく使徒たる者として奉じられることを私は望みます」
笑顔のヴァーンジーンに魔王は魔法を放つ。
わざと外した一撃だけど、余波だけでヴァーンジーンの裾の長い司祭服が傷んだ。
「本心を語らぬのならば、死ね」
「…………それでは、お耳汚しではありますが。現在神を奉じることを国是としておりますヘイリンペリアムは腐敗の一途を辿っております。非才の身では止めることも改善もできず、私はヘイリンペリアムを後にした落伍者です」
自分を卑下してるようなヴァーンジーンだけど、自信さえ感じられる声で語った。
魔王の攻撃跡を冷めた目で見ていたのに、今は何処か熱を感じる視線を魔王に向けてる。
「あの汚わいの中から抜け出せば、私の死んだ信仰心も息を吹き返すと夢見ておりましたが、今なおこの身の信仰は取り戻せず。何故神はヘイリンペリアムの腐敗を見過ごされるのか、何故神は真に清きものをお取り上げにならないのか、常疑問を抱き、懐疑を捨てきれず、神への信仰を思い出せもしないのです」
喋るごとに淡々としていってるのに、何処か怒りをにじませる魔王の声を思い出した。
「ヘイリンペリアムはこのままでは信仰心と共に腐り落ちる。しかし腐敗の温床と化したかの国に私個人でてこを入れる術はない。考えた末に人間が神に縋る時とは何かと問いました。それは自らの全てを剥ぎ盗られ己の矮小さを心から実感した時。で、あるなら…………」
ヴァーンジーンは至極真面目にとんでもないことを言った。
「危機に陥れば、ヘイリンペリアムも信心を取り戻しましょう」
協力関係のようであったのに、双子は絶句している。
当たり前だ。とんだ暴論なんだから。
それを真面目に冷静そうなヴァーンジーンが言うギャップがすごい。
そこに悪魔の笑い声が聞こえた。
「このような方、以前にもいましたね。もう死に絶えたと思っておりました」
「狂信者。吾は争いを厭わぬその心、汲みたいですね」
ウェベンは昔話的に、ライレフは明らかに争いの発端になりそうだと喜んで受け入れる様子だ。
うーん、これってヴァーンジーンは魔王に戦争しろって言ってるよね?
しかもヘイリンペリアムって国を名指しで。
その理由が信仰のため?
訳がわからないよ。
「俺が求めるのは俺が所有すべき宝玉。抗うのならば排除するのみ。その後の面倒を見る気はない。好きにしろ」
どうやら魔王はヴァーンジーンの正気を疑うような理由も気にしないようだ。
ヴァーンジーンは笑顔で頭を下げた。
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