348話:野望の終わり
他視点入り
「まったく! とんだことになったもんだ!?」
息子が拙速に事を運んだせいで私は逃亡を余儀なくされた。
コロッセオを騒がせた妖精王の使者を招き入れるなんて!
確かに殺して族長への貸にするようなことは言ったけれど、家に招くなんて馬鹿なことを。
どんな堅牢な砦も内から門を開かれれば無防備も一緒なのに。
「しかしどうしてドラゴンも舐めるのを嫌がる毒が効かなかった? 冒険者にも盛ったはずなのに全員が生きていると報告があったなんて、なんの絡繰りがあるっていうんだい」
「マローネおばあさま、こんな所にいたのね。ここは暗くて気が滅入ってしまうわ」
隠し扉から、孫娘が身一つで不安そうに現れる。
私は今、この国から逃げるための地下道を歩いている最中だ。
どうやら孫娘は私とは違う隠し扉を使ってやってきたらしかった。
「おぉ、取る物もとりあえず逃げてきたかい。いい判断だ」
「逃げるの? どうして?」
「誘い込むなら捨てることを念頭にしなきゃいけない。本拠なんて玉砕覚悟でもない限り招き入れるもんじゃないよ。最後の砦だ」
「ここ以上にどうにかできる場所なんてないでしょう?」
「自分の命を守る壁の内側に敵を招き入れるなんて、裏切りに等しい愚策だよ。命さえあれば再起はあるってのに」
先を急ごうと足を出すけれど、私の前に立った孫娘は動かない。
「そう、まだ諦めていないのね」
「残念だ。賢いあなたなら無駄なことはしないと思ったのに」
「な!?」
いつの間にか私の後ろに迫っていた息子が呆れた様子で話しかけて来た。
そして息子は私の杖を奪う。
弱った体の歩行を助けると同時に、攻撃手段でもあった物を。
「何をするんだい、お前たち」
これは正面に立って私の気を引いた孫娘も敵だ。
叱責すると息子と孫娘は困ったように顔を見合わせた。
その様子はどうも私に反乱をするという雰囲気ではない。
「…………いったい何があった?」
「いいじゃないか、この国に骨を埋めたって。勝てもしない相手を前に、私は、そう、思って…………」
「そうよ、マローネおばあさま。あんな小さな体で使徒の遺産を破壊するような相手、死んでしまうわ」
呆れた。
この絶対的な優位な状況でやられたせいで心が折れてしまったのだ。
普段強気な孫娘でさえも、コロッセオで目の当たりにした妖精王の使者に気圧されてしまっている。
「確かに、コロッセオでのことは私も度肝を抜かれたよ。なんの魔法かもなんの仕掛けかもこの私でさえわからなかった。正体のわからない者に恐怖するのはわかる。だが、恐怖に呑まれてその場に留まれば、そこは安住の地ではなく苦渋の墓場に変貌する。私はそのことを良く知っているんだ」
仕かけはあるはずだ。
エルフなんかが生身で壊せるものではない。
それにコロッセオで見せた異常な身体能力、あれはエルフではありえない。
エルフでは…………まさか?
「うん? お前たち、護符はどうしたんだい? どうして心の守りを」
息子と孫娘が身に着けていないことに気づいてわかった。
「すでに、妖精の手に落ちていたか!?」
説得を放棄して身構えると、孫娘が頬を膨らませる。
「マローネおばあさまは嘘吐きだわ。妖精なんて碌でもない裏切り者だなんて。こんな素敵な気持ちを教えてくれたのに、ねぇ?」
孫娘が愛おしげに振り返るそこには、忽然と完璧な美貌を持つ男が現われていた。
美しい。けれどとてつもなく気持ち悪い。
良くできた人形が動いているような違和感が私の胸に湧き上がる。
「王女に憑いていた、ガンコナーか」
「あら、今はもう私の愛しい人よ。妖精王の使者さまのお蔭で円満に別れたそうなの。だから今は私の、私だけのもの」
はしゃぐ孫娘をガンコナーが美しい笑顔で応じて後ろから抱き締める。
息子の傍らにも寄り添う人影が現われており、そちらは女、リャナンシーだった。
「敵うはずもない相手とも知らず挑む愚かな族に、これ以上身を捧げる必要はないだろう? あなたは十分一族に貢献した。春にはアイベルクスを落としてこの国はもっと大きくなる。矮小で偏狭な族に囚われることはない」
「私を嗜めようなんて、百年早いよ!」
温いことを言う息子に魔法を込めた金貨を投げつける。
上手くすればリャナンシーを倒せると思ったけれど、途端に恋の妖精は悲鳴を上げて弱弱しく座り込む。
けれどそれは演技だ。大した怪我なんて負っていない。
なのに息子はそんなあからさまなしなに騙される。
「なんてことをするんだ! そんなに世界を騒がせたいのか!? 自分や家族を危険にさらしてまで!?」
「馬鹿なことをお言いでないよ! 人間同士の小競り合いと、神のご意思を今一度地上に広めようという一族の崇高な使命を同列にするなんて!」
「そんなのマローネおばあさまが自分を遠ざけた族長を見返したいだけの言い訳じゃない!」
孫娘まで私に口答えをして反抗の意思を鮮明にする。
もうだめだ。この二人は切り捨てなければ。
私にはもう不要だ。
「そこで見切りをつけるんだね。やっぱり簡単に自殺したり仲間を見殺しにする流浪の民って怖いなぁ」
危機感のない様子でそう声をかけてくるのはコロッセオを恐怖に陥れたエルフの子供。
薄暗い地下道でも、その瞳がエルフにあるまじき色をしているのは見て取れた。
貴族の流浪の民から情報を引き出し、どうも族長とは別勢力だと知った。
そしてここの首領が貴族の母親のお婆さんだとも。
説得してみてくれるよう言ったけど無理だった。
完全に敵の手に落ちた身内を切り捨てる判断をしたのがわかる。
「…………エルフじゃないね」
「すごいね、わかるんだ? 人間に一目で見抜かれたの初めてかも」
「舐めるんじゃないよ。…………その頭の飾り、何かを誤魔化す強力な魔法がかかってるね? その位置で術が…………く、術を見抜いたはずなのに捉えられないだなんて」
マローネと呼ばれた流浪の民のお婆さんは苦み走った顔で僕の額を睨む。
けれど突然何かに気づいたみたいに皺の深い目元を見開いた。
「ま、まさか…………、ありえるのか? だがコロッセオでのあれは、考えれば四足の幻象種が行う、威圧? そそ、その位置に、角が、ある、幻象種なんて…………」
「本当にすごいね、君。うん、僕はユニコーンのフォーレン。エルフじゃないよ」
僕が認めるとお婆さんは絶句してしまった。
あとさすがに息子と孫娘も教えてなかったから、びっくりして僕を見る。
「おや、何を怖がることがあるのかな、愛らしい人」
「そうよ。私たちの守護者なのだもの。恐れる必要はないわ」
ガンコナーとリャナンシーが一撫ですると、まるで催眠術にでもかかったようなとろんとした表情になって僕への興味を失くしたようだ。
本人たち幸せそうだからいいのかもしれないけど、ちょっと怖いなぁ。
いきなり目の前で自殺されるよりはいいんだろうけど。
「ありえない、ありえない…………」
「あれ? 信じてない?」
うわ言のようにお婆さんが繰り返す言葉は地下道に反響する。
たぶん経験豊富な人で、息子も各地を回ったやり手だったって言ってた。
ジェルガエに左遷されてから流浪の民が無視できない強国にしようと色々やった女傑らしいし。
知識がある分、ユニコーンとして変な僕を受け入れがたいのかな?
「僕はユニコーンだよ。ちょっと本能薄いほうだけど。ほら」
他に人のいない地下道だから、僕はユニコーン姿に戻ってみせる。
あ、新しい額飾りって房飾りの重みで耳回りに固定されるんだ。
ゆったりした紐だったのがユニコーンに戻るとぴったりになる。
これなら走る時も邪魔にならなさそう。
「ひぃ…………も、猛獣に理性だとぉ…………」
なんか酷いこと言いながらお婆さんはへたり込む。
うん、まぁ。
この距離なら逃げられないし、ここ一本道みたいだし、諦めがいいのはいいことだと思っておこう。
「は、はは、これでわかった。族長が森への侵略を失敗し続ける理由が。なぁ、ほら。無駄なことはやめよう? もう終わったんだ」
貴族の流浪の民が声を引きつらせながら、母親を説得にかかる。
すると貴族の娘もいっそさっぱりとした笑顔で続けた。
「そうよ、マローネおばあさま。ビーンセイズやエフェンデルラント、シィグダムに現れたユニコーンってこの方でしょう? 野望なんて抱いたって無駄よ」
「あ、知ってるんだ? そう、僕だよ」
「全て、す、全て、一人で、森の周辺の国々を、混乱に陥れたというのかい…………」
あー、否定できないなぁ。
いや、エフェンデルラントはグライフのせいもあると主張したい。
「僕だけじゃないよ。森のみんなの手も借りてるし、森の住人が暴れることもあるから」
って言ったら、もうマローネは聞いてないようだ。
「魔王さまでさえ切り開けなかった森の猛獣どもだって? なんで今さら? 魔王さまの支配下に入らずとも森を出てくるなんてことなかったはず。妖精王か? 妖精王のせいで…………?」
答えのない疑問を並べながら、皺深い手で顔を覆ってしまっていた。
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