271話:海の馬
他視点入り
「ヴァシリッサ、少々いいですか?」
私はそう声をかけられて思わず真顔になる。
ヴァーンジーンがこう声をかけてくる時、少しでは終わらないからだ。
その上面倒ごとである可能性が高い。
けれど聞かないと後悔するような話であることも多く、私は今の感情と後の面倒を天秤にかけて話を聞くことにした。
「シィグダム王国の様子がわかりました。なんとユニコーンの襲撃により当時城にいた人間は一人残らず殺されています」
「いったい何をしてあの呑気なユニコーンを憤怒に染めたのかしら?」
「おや、私は仔馬とは言ってないのですが」
「他に人間の街や個人ではなく城を狙って、しかも包囲殲滅戦のように一人も生かさず殺すなんて頭の使い方するユニコーンがいるのでしたらお教え願いたいところですね」
どう考えても確実に妖精王のユニコーンじゃない。
私の指摘にヴァーンジーンは否定せず、悪魔やシィグダムとアイベルクスの軍事行動について詳しく告げた。
この離れたジッテルライヒで一番詳しい内情を知っているのは、確実にこのヴァーンジーンだろう。
「本当に長い耳をお持ちですこと。…………流浪の民の悪魔召喚は聞いていましたが、違和感がありますわね」
「違和感ですか?」
声の調子や表情の保ち方、そんなごく小さな機微を読むのが私の仕事。
それで言えばこのヴァーンジーンは何かを知っているようだ。
「…………やり方が族長にしては雑です。後始末が全くなっていません。何より魔王石を奪還するのだというあの執着を感じられませんわ」
「高位の悪魔を呼び出すことに成功し、力に溺れたのかもしれませんよ?」
「であればあの族長の自己顕示欲の強さから、自らの側から離すことはないでしょう」
私の推測にヴァーンジーンは笑う。
まるで私の正答に満足した教師のようだ。
「思うに、族長の子女の策でしょう」
確かに悪魔を召喚するのはあの双子とは聞いた。
けれど双子の片割れが森で失敗している。
あの族長が悪魔召喚の成功くらいで双子に裁量権を渡すとは思えない。
まして失敗した子に任せるような度量はないと私は見ている。
するにしても自らの手柄とするため綺麗に終わらせるはずで、やはり違和感が拭えない。
そして訳知り顔のヴァーンジーンが気になる。
「胡乱な顔をしないでください。少々呼び水を仕かけただけです」
「あの短い滞在で良くも」
「私もこれほどのことになるとは思っていませんでしたよ」
一国が崩壊寸前になるほどの呼び水を用意したと言っておいて良く言う。
その上ヴァーンジーンには事の結果に対して全く恐れも憐憫もない。
こんな人間が司祭だなんて、そう思っていたけれど逆かもしれない。
信仰という目指す先があるからこそ、俗世の盛衰には微塵も心動かされないのだろう。
この状況は一種僥倖なのではないだろうか?
ヴァーンジーンが無軌道であったならどれだけのことになるか考えたくもない。
「とは言え、その辺りを探るために」
「嫌、です」
先を言わせず、私は否定の言葉を叩きつけた。
何が楽しくてあんな何もない荒野へ行けと?
そう思ったけれど、ヴァーンジーンが楽しげに笑う様子にすごく嫌な予感を覚える。
ただでさえ地下のことで気が重いというのに。
「探りを入れるならあの姫騎士でよろしいではないですか。ユニコーンにも気に入られているようですし」
「それが、そのユニコーンから妖精王への取り次ぎを断られたようです」
意外だ。
いや、襲われてすぐだから当たり前か。
妖精の考えの足りなさやユニコーンの呑気さを加味しても、それだけ警戒に値する被害を出されたのだろう。
味方と思っている人間を入れない警戒心が働くほどの痛手とはいったい。
「もう森の中で自由には動けないということですのね」
影に潜るのも内通者いてこそできたことだ。
森は妖精の目がありすぎる。
内通者も動けない状況なら今後森に行けと無茶ぶりはされないだろう。
「あぁ、そう言えば」
ヴァーンジーンがわざとらしい笑顔で不穏に言葉を途切れさせた。
今度はなんだというの?
「シェーリエ姫騎士団の副団長が一度こちらへ戻るそうです」
「そうですか。随分なことがありましたようですし、副団長が直々に、いえ、何か要請があってその人物が?」
ビーンセイズで会った団長は堅物で御しにくそうだったけれど、副団長は団長よりも警戒心が強くてより使いにくそうな人物だった。
「ユニコーンからの情報でダンピールのヴァシリッサを捜しているかもしれません」
思わず私は鼻で笑う。
「ビーンセイズでのこともありますから、ご挨拶したいですわ」
「ふふ、あなたならそう言うと思いました。くれぐれも尻尾を掴まれることのないよう」
まったく意地が悪い。
姫騎士を使って流浪の民の思惑を砕き、その上で流浪の民の味方を名乗る。
そんなヴァーンジーンが次は副団長を一体どう弄ぶつもりなのか。
「特等席じゃない」
ヴァーンジーンの元を辞して、私は思わず嗜虐的に笑っていた。
「あの競争してる馬たちって何?」
「あ、あれは、海馬と呼ばれる、半馬半魚の…………うっぷ」
エルフ先生が吐き気を堪えて口を覆う。
魔学生たちも甲板に座り込んで、喘いでいた。
船乗り以外はみんな船酔いでグロッキーだ。
「鰭のある馬とない馬がいるね。クローテリア、あれは幻象種なの?」
「あたしも聞きかじりなのよ。たぶん、鰭がないほうは海に住むケルピーなのよ」
「アハイシュケ…………と、いう…………」
エルフ先生が息も絶え絶えに教えてくれた。
船は大揺れなのに頑張るなぁ。
僕はなんか平気だ。
アルフの加護かな?
クローテリアは飛んでるから揺れ自体が関係ない。
「集団で競争して大波立てるって、この辺りじゃ普通なの? 人魚はシィグダム沖は別の幻象種の縄張りって言ってたけど」
「知らないのよ。その辺りにいる海の妖精にでも聞けばいいのよ」
海馬とアハイシュケのせいで荒れ模様の海をクローテリアが指した。
二種類の馬は、上半身だけ見れば馬で同じだけど競争する半数は鬣が鰭だ。
たぶん鰭の鬣を持つほうが海馬だろう。
乗客はほぼダウンする中、船員は転覆しないよう大声で作業中をしている。
「まずいぞ! このままだと岩だなにぶつかる!」
「これ以上は無理だ! 横殴りの波に負けて押され続けてる!」
船員の声から察するに、どうやら海馬たちの波で危険な方向に船が流されているらしい。
波の力が強くて抗えないみたいだ。
「これはさすがにまずいね。ちょっと止めようか」
「異論はないけど場所は選ぶのよ。ここは奴らの得意とする地形なはずなのよ」
ケルピーと競争した時も水の有利を使おうとしてたし、海に入るのは悪手だ。
だったらもう競争しようなんて意欲を失くすようにしてみよう。
「本気ってどうやるんだろう? 目が赤くなった時のことを考えればいいかな? それより角触られた時の嫌な感じを元に…………よし」
僕が呟いて集中する間に、クローテリアはエルフ先生を盾にするように下がった。
「危ないことを、するなー!」
声をかけると同時に威圧を飛ばす。
届くか微妙な距離があるので、全力でやってみた。
ちょっとタイムラグあったけど、威圧を感じた途端海馬たちは悲鳴のような嘶きを上げる。
「おい! やっべーのいるぞ!?」
「っべーぞ! っべーぞ! 逃げろ!」
うーん、騒がしい。
もう一発威圧を放とうかとすると、背後で重い音がした。
「あれ? なんか今後ろで音が」
「エルフが気絶して床にぶつかったのよ」
「え、なんで?」
振り返ると本当にエルフ先生が目を回して倒れている。
クローテリアは遠慮なく横たわるエルフ先生の胸の上に着陸した。
「幻象種だから精神的に感じやすいのよ。なのに弱ってるところに威圧の余波食らって意識がなくなったのよ」
「魔学生たちは起きてるのに?」
「人間は弱ると鋭くなるか鈍くかはそれぞれなのよ」
「へー、クローテリアって物知りだね」
「ふふん、あたしのほうが長生きなのよ!」
そこは否定しない。
僕はクローテリアを褒めて海を見る。
まだ波は白く立って船に打ちつけていた。
けれどもう嘶きは聞こえない。
すでに海馬たちは海の中に逃げ込んで波は収まり始めていたのだった。
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