236話:存在を定める名
「グリフォンどの! いったい何があったと言うんだ!」
「騒がしいぞ、小娘」
いい匂いのする人間にグリフォンはぞんざいな答えを返す。
いい匂いのする人間は不服そうな顔だけれど動かない。
「ふん、欲に翻弄されるだけの人間の割に賢いではないか。二度も同じ過ちは繰り返さぬようだな。敵わぬ相手には敵対せぬことよ」
「あなたが来たということは…………やはり、このユニコーンは、そう、なのか?」
「わからぬほど鈍いのであれば余計なことを考えるな。剣を抜かず敵対せぬことを選んだのならば大人しくしていろ」
いい匂いの人間は敵対しない?
だったら気にしなくていいのかな。
でもこのグリフォンはどうなんだろう?
もしかしてこのグリフォンが窓に前足をかけただけで外にいるのは、いつでも飛べるように?
あぁ、そうか。
ここは飛びにくいから羽根はいらないんだ。
「む? …………なんだ俺の言葉を理解しているのか」
羽根を消したらグリフォンはそんなことを言った。
どうでもいい。
僕はこの怒りをどうにかしたいだけだ。
このグリフォンを相手にしたら怒り収まるのかな?
だったら羽根はあったほうがいい?
でも、羽根ってどうやって出すんだっけ。
よくわからないや。
「ふむ…………。その気配、また余計な物を拾ったようだな。動かぬのはそういうことか?」
なんのことだろう?
色々言ってるけど僕が聞きたいのはそう言うことじゃないんだけど。
あ、そうか聞けばいいんだ。
このグリフォンなら怒りの収め方知っていそうだ。
でもなんて聞けばいい?
考えるのも面倒で腹立たしいんだ。
「フォーレン」
突然グリフォンに呼ばれた。
瞬間、僕の中で何かが噛み合う。
ひどくぼやけていたピントがあったような変化だった。
「グ、ライ…………フ…………」
そうだグライフだ。
なんで今まで名前出てこなかったんだろう?
それにあっちにいるのはシェーリエ姫騎士団で、話しかけて来たツインドリルはランシェリスだ。
今まで噛み合っていなかった何かが正常になると、そう考えられた。
なのに、すぐまた怒りが思考を埋め始める。
「ふむ、羽虫の制御がなければこんなものか。返事をするだけ貴様らしいと言えるだろうな」
僕を観察するグライフは偉そうに笑う。
何故か無性にその傲慢な態度が腹に据えかねた。
これはおかしい。
グライフが傲慢だなんて今さらすぎる。
こんなことで腹を立てていたら一緒になんていられるわけがない。
僕は何かおかしくなってる。
そう思って頭を振る。
血の臭いが立ち込めて嫌な気分だ。
余計に怒りが沸くけど、たぶんこの嫌な気分を投げ出したら怒りに呑まれる気がする。
「グリフォンどの、妖精王はどうされた? 何故このようなことになったのだ?」
ランシェリスが声を押さえてそう聞くと、グライフは一度目を向けるだけ。
それ以外はずっと僕を見てる。
あ、これ警戒してる。
傲慢な余裕のあるグライフにしては珍しいことだ。
「仔馬がここに来たのならこの国の人間が仕掛けたことなのだろうよ。欲によって無謀を働き、その報いを受けたにすぎん」
「シィグダム王国がいったい何をしたというのだ。妖精王の制御がないとはいったい何があった?」
ランシェリスは不安げに僕を横目に見ながらグライフへ疑問をぶつける。
なんでか僕もその答えを聞きたい気がした。
グライフは僕がまだ動かないことを確かめて手短に答える。
「人間の思惑など知らん。聞くべき相手ももはやおるまい?」
ランシェリスは辺りを見回して苦い顔で黙ってしまう。
「俺もその場にはいなかった。エルフを一匹連れ帰った時にはすでに森が見渡す範囲で戦火に焼かれたようになっていた」
「そ、それをシィグダム王国がやったと言うのか?」
ありえないと言いたげなランシェリスに、グライフもちょっと考える。
「森を荒らしたのは受肉した悪魔と聞いたが、アシュトルを打ち倒すほどの実力。そんな相手が理性を手放した仔馬に倒されるとは思えんな」
「悪魔の名を聞いてもいいかしら?」
ローズも僕を見据えて聞く。
片手がずっと腰に置いてあるのは、そこにある鞭をいつでも抜けるようにしてるからだ。
つまり…………敵?
いや、違う敵じゃない。
攻撃しちゃ駄目だ。
「確かライレフと言っていたな」
「不正の器…………!?」
ローズが驚くとランシェリスは視線だけで説明を求めた。
「人々を憎しみ合わせ争わせることを喜ぶ悪魔の将軍よ。ライレフがいるだけでどんな不正も罷り通る。どんな正しき心も捻じ曲げる。そして不正を行う者たちを呼び集め、さらなる争いを生み出し満たす悪魔がライレフ」
「そんな悪魔が、受肉しただと? あのアシュトルを退けたというなら、大変な厄災が世に放たれていることになる…………!」
ランシェリスの緊迫した声に姫騎士団がざわめく。
動けばいい匂いが漂って、息まで香るようだ。
あ、これも駄目だ。
なんでかわからないけどこの考えは駄目だと思う。
何か危ない気がする。
足を折っちゃいけないって考えが浮かんだ。
「悪魔には手出しをせぬことだな。仔馬の怒りが貴様らに向くことになるぞ」
「それはつまり、妖精王が悪魔の手にかかったということか?」
手に、かかった?
どういう意味だろう?
理解するより怒りが暴走し始める。
気づけば僕は全方位に威圧を放っていた。
「愚か者。この俺が言わずにいたことを」
「ふ、ぅう…………!?」
姫騎士団は苦しげに呻くと膝を突く。
なんでか頭のヴェールが破けてた。
「くっ、一度の威圧で聖鎧布が破けるとは…………!?」
「どういう精神力をしているの? 下級悪魔よりずっと上だなんて」
「たわけ。これは妖精王の加護を誰よりも厚く受けたのだぞ。その辺りも強化されているに決まっているだろう」
ランシェリスとローズの苦悶にグライフは吐き捨てる。
背中の毛は逆立って、羽根は威嚇するように大きく広げられていた。
このままここにいてはいけない気がする。
何処か別の場所に行かなきゃ、何か嫌なことをしそうだ。
「何処へ行く、仔馬?」
グライフは足を動かす僕の意図を察して聞いて来た。
「もう終いだ」
何が?
ずっとグライフは戦える準備をしたまま僕と距離を取ってる。
何も始まってさえいないのに?
まだ何もしてないのに何が終いなんだろう?
「帰るぞ」
「え…………?」
グライフの口から出た似合わない言葉に一瞬怒りが揺らいだ。
「まだすることがあるのだろう?」
「する、こと…………」
なんだろう?
何かあった気がするけど思い出させない。
「妖精の守護者と呼ばれる者が妖精をこれほど狂乱させてどうする?」
妖精?
そう言えばいない。
いや、僕から隠れてるだけだ。
怯える声がする。
戸惑う声がする。
怒って叫ぶ声も、これは全部僕のせい?
「一度帰るぞ。話はそれからだ」
「何、処…………?」
「帰る場所も忘れたか。貴様が居を据えたのは妖精王の森だろう」
呆れるグライフに怒るより、妖精王という言葉が気にかかった。
妖精王…………アルフの所へ帰る?
そうだ、僕は帰りたい。
そう思った途端、血も乙女の匂いも全てを無視して全く別の匂いが香った。
それはプーカの金の杯を満たした中身と同じ匂いだ。
「帰る…………」
誘われるように足が動いて、グライフのほうへ進む。
同時に羽根で空気を打つグライフに、このまま帰るには羽根が必要だと理解した。
「む、小賢しい奴め」
羽根を生やしたら文句を言われたけれど、今は気にせず窓に足をかける。
先に飛び立つグライフの羽根の動きを真似て、僕は後を追って窓の桟を蹴った。
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