235話:本能のまま
他視点入り
シィグダム王国の城へ駆けつけた私の目の前には、惨状が広がっていた。
「ランシェリス、駄目よ」
思わず確かめるため前に出ようとした私をローズが止める。
その片手は腰の鞭に据えられていた。
シィグダム王国の異変は王都に入ってすぐ知らされた。
ユニコーンの襲撃を受けていると。
「これを、やったのか…………?」
誰も状況がわかっておらず、私たちは城へ入ったが何処へ行っても生存者はなく。
血の跡を追って辿り着いた広間は血の海と化していた。
そしてその中に一頭、佇むユニコーンは返り血で真っ赤に染まり元の色もわからない。
羽根が生えているのも見慣れず、赤い目も初めて見た。
ただ角にかかった真っ黒な宝石が赤以外の色味だ。
「ブランカを連れてくれば妖精にでも話を聞けたでしょうにね」
「こんな惨状見せたくはないが」
誰も生きていないため、事情を聞ける者がいない。
だからと言って今、あのユニコーンに話しかけていいものか。
服の残骸らしきものがまとわりついていて、体格も小さいまだ仔馬。
けれど断定するにはあまりにも知った相手とは纏う雰囲気が違った。
作り物のように微動だにしない姿は、赤い夕日と相まってたちの悪い悪夢のようだ。
「こちらを見ているのなら、私たちも視界に収めているはずだが。あれは…………」
血に染まってわかりにくいが、首にかけた木彫りが見えた。
あれは以前森で見たことがある。
その時は人化したグリフォンが妖精王との連絡手段として持っていた物だ。
「く…………、妖精王と通信できる物を持っている。確定だ」
私の言葉に姫騎士たちが息を呑む。
ここにいるのは腕の確かな者たちであり、森へ行った者がほぼ揃っているのだ。
誰も言葉にはしないけれど、目の前の現実が信じられない。
どうしてこうなったか、考えられるのは妖精王に異変があったことくらいか。
「どう包囲する?」
ローズはいち早く切り替えて、私に指示を仰ぐ。
いつもこの冷静さに助けられて来た。
そうだ、今は何故などと悠長に考えている場合ではない。
これ以上の犠牲を出すわけにはいかないのだ。
「あの羽根は、機能していると思うか?」
感情を抑えて冷徹に考えだけを口にし、荒ぶる内心を部下に悟らせないように努める。
私が判断を間違えば全員が死ぬのだから。
「人に変身してなんら支障がなかったもの。羽根が生えたならより厄介になったと思うべきね」
「彼であるなら身近にいる者を見て学んでいるはず。空中戦をさせるわけにはいかないな」
「もっと狭い場所へ誘き出すべきね。動かないのはこちらを警戒していると見ていいかしら?」
「わからない。警戒しているのなら私たちを認識しているはずだが、あれほどまでに反応がないと」
真っ赤なユニコーンは私たちが来てから一言も喋らない。
同時に赤い瞳に親しみは浮かばず、けれど敵意も見当たらないのが不思議だ。
ユニコーン討伐の経験は一度。
私たちを見て足を折ったユニコーンに一撃で致命傷を与えたが命尽きるまでが文字通り死闘だった。
あまりの猛々しさにこちらが死を覚悟したほど、ユニコーンは瀕死であってもその獰猛さはいささかも翳らなかったのだ。
「場所を確保しよう。第三隊、音を立てないよう城から離脱。城に人を入れるな」
「第四隊はユニコーンを誘い込むための部屋を探して」
私とローズの命令に姫騎士は金具が鳴らないよう剣を押さえて動く。
赤いユニコーンはじっとこちらを見つめながら止める気配はない。
いっそ何かを待つような沈黙が恐ろしい。
「聞こえて、いるはずだが…………」
「私たちなんて敵じゃないと思っているのかしらね」
ローズの強がりに、実際その可能性があるから笑えない。
何せユニコーン唯一の弱点を克服した個体なのだ。
動きにくい部屋に誘い込んだとして、致命傷を負わせられるか?
ユニコーン討伐の基本が通じないのだら、致命傷を負わせて命尽きるまで凌ぐという戦法は使えないと思うべきだ。
「ランシェリス、あなたが思うようにしなさい」
「ローズ?」
「あのユニコーンと命をかけて対峙したのはこれで二度目。今さらあの時の覚悟がなかったことにならないわよ」
かつてビーンセイズで私が負け、それでも戦うと言ったローズ。
振り返ると姫騎士たちが頷く。
離脱組は順調に廊下を後退し、残る姫騎士は不退転の姿勢で覚悟を決めた顔をしていた。
今さらその覚悟を改めて聞くなど野暮どころか侮辱にさえ思える。
「…………わかった。第三隊が十分に距離を取ったら、まず説得を試みよう」
ユニコーン討伐の基本からは大きく外れる提案に、誰もが頷いた。
「ただのユニコーンになり果てたとわかったなら、その時には私たちも己の本分を全うするまでだ」
この手で討伐も辞さない。
そんな私の言葉に、やはり姫騎士たちからは反対の声は出なかった。
近づいてきた白い何かはいい匂いがした。
人間?
誰だろう?
考えるのも面倒だ。
面倒なことさえ腹立たしい。
けれどいい匂いも気になる。
「聞こえているだろうか。私がわかるだろうか?」
白い、いい匂いが声をかけて来た。
左右に高く結い上げた髪に、見覚えがある気がする。
でも思い出すのも面倒で、考えようとしてもむかむかするような怒りが思考を邪魔する。
そんな不快がさらに怒りを煽る。
「私だ、ランシェリスだ」
うるさい。
いらいらするのに話しかけないでほしい。
収まらない怒りが行先を定めようとする。
収まると思ったのに、どうしてこんなに怒ってなきゃいけないんだろう。
あれ、怒ってるのはなんでだっけ?
確かなのは怒りが消えないこと。
ずっと新たに湧いてくる。
二度と塞がらない傷口から流れ出る血のように、ずっとずっと。
「何があった? 答えてはくれないか?」
あぁ、うるさい。
そう思って見ると相手は身構える。
この程度で警戒するくらいなら敵じゃない?
邪魔だけど、何もしないならいい匂いだけで敵にはならない?
「教えてくれ。訳もなくこんなことをしたとは思えない」
教えることなんてないのに、どうして話しかけてくるんだろう?
僕が何をした?
そんなのどうでもいい。
ただ怒りに突き動かされてたのに、今はもうやり場がない。
あったはずなのになくなった。
だったらこの怒りをどうしよう?
いい匂いのするこの人間に叩きつけるのは違う気がする。
でも、血腥くていい匂いが霞む。
そんなことも怒りに繋がる。
「ランシェリス! この音!?」
赤毛の誰かがそう声を上げた時、僕も迫る羽根の音に気づく。
鳥よりもずっと大きな羽根が空気を打つ音だ。
僕はこの音を知ってる気がする。
「やれやれ、またずいぶんな暴れぶりだな」
近づいた羽根の音は独り言のようにそう言った。
僕を窺うような目の前の人間とは違う傲慢さに溢れた声だ。
同時に、なんか怒りとは別の本能的な部分が刺激される。
この相手は、敵?
「なるほど、確かに赤くなっている。しかしなんだその背の羽根は。不遜だぞ、仔馬」
現われたのは顔に目立つ傷のあるグリフォン。
広間の大きな窓に猛禽の前足をかけて僕を見ていた。
その窓は確か、適当な人間を蹴った時に破れた気がする。
暴れた? そうだ、僕は怒りのままにここで暴れた。
「はん、小娘どももいるのか」
このグリフォンは誰だろう?
敵? 敵のはずだと思う。
僕の中の何かがそう言ってる。
言ってるんだけど、でも違う気もする。
「うん? 何か見慣れぬ物を引っ掛けているな? おい、答えろ仔馬」
たぶん僕に言ってるんだよね?
でも僕も答えてほしいことがある。
なんだかこのグリフォンなら答えてくれる気がする。
僕はこの怒りをどうすればいいのか教えてほしかった。
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