233話:悪魔の言い訳
他視点入り
天幕の中に冷えた風が吹いた。
言い知れない違和感を感じて、私は無二の片割れを見る。
「ヴェラット今の?」
トラウエンも感じたようだ。
同時に天幕の出入り口を見ると、いつの間にか族長が立っていた。
いやその肉体に宿った悪魔ライレフだ。
よろめく悪魔は苦しげに首を押さえている。
その思わぬ弱りように瞠目していると、入って来て数歩歩いた。
それだけで耐え切れない様子で膝を突く。
「いったい何があったの!?」
悪魔が苦しむなんて予想外すぎる。
ライレフは激しい息の下から言葉を絞り出した。
「まずは、謝りましょう、契約者…………。ダイヤモンドを、奪うことは、できませんでした」
数度息を吐くと、ライレフは体勢を立て直して謝罪する。
族長の顔でそれをされると違和感がすごいけれど、もっと気になることを悪魔は言った。
「妖精王はそれほどの強敵だったのかい?」
「以前ダイヤを奪還した時には、抵抗らしい抵抗もなかったと聞いているのよ?」
「えぇ、妖精王らしい甘さで対面するまでは簡単すぎるほどでした」
妖精王に会ったと言うライレフは首から手を放す。
そこには蛇の痣が浮かび、今も首を絞めつけるために動いているように見えた。
そんなもの、ここを出て行く時にはなかったはずだ。
「大公がこのような呪いを打つほど執心したのも予想外なら、誰が入れ知恵したのかとんでもない結界を用意していたのも想像を超えていましたね」
詳しく聞くと、森には真新しくしっかりした館が建っていたそうだ。
さらに妖精王は建造途中の城へと逃げ込んだと言う。
その時点で守りを固めていると気づくべきだった。
そうライレフは悔悟の言葉を口にした。
そして妖精王へ肩入れする理由がないはずの悪魔の大公が現われ、悪魔の軍団が出るだけならまだ想定内だったらしい。
けれど予想外は、大公本人が妖精王を守ってライレフに対抗したこと。
「まだ城の結界が未完成で良かったと言えますね。逃走の際上から全体を見ましたが、城の土台から建設予定の建物全てが魔法陣を形作る大掛かりな装置でした」
「複数の建物を魔法陣の一部に? まさか。そんな魔法を組むなんてどれだけ精密な造形と魔法への理解が必要か」
「それに大掛かりな装置を作ったところで動力がなければ使えないでしょう? それとも妖精王は魔王石を使ってそんな結界を?」
私たちの驚きにライレフは微笑む。
逃走とはっきり言ったのに、楽しげにさえ見えるのは悪魔ゆえの感性だろうか。
「あれはあの広大な森全てを動力として、あの場に生きる全てが日々の生活を繰り返す限り稼働し続ける遠大な動力を持っていましたよ」
生きる全て?
森には物質体から精神体まで全てが揃っていて、力を得るにはあまりにも雑多だ。
私たちの技術では決してそんなことはできないはずなのに、契約で嘘を吐けない悪魔が断言するなんて、本当にできると言うの?
「あれが完成してからでは逃げ出せなかったでしょう。結界の中に閉じ込められれば動力として力を吸い上げられるだけです。実際あの場で吾は能力に制限を受けました。軍団とも使い魔とも分断され、逃げるべきである状況に追い込まれましたね」
戦うことが本分のライレフが優位であり、妖精王によって強化された妖精は厄介ではあったものの倒せた。
けれど毒のように時間と共に染みる呪いを悪魔の大公から受け、守られながらも結界の完成を目指した妖精王の動きに逃げるだけで手いっぱいだったと語る。
「これは予想外でしたね。せっかく受肉をしたというのに、吾はこの肉体の寿命と共に受肉を解かれることになるでしょう。本当に大公の呪いは執念深い」
精神体は物質体で満ちるこの世界では不安定だ。
受肉することで安定して強力な力を振るえ、顕現した強力な力により受肉したなら寿命はないも同然となる。
なのにその期間が五十の族長の余命しかないように固定されてしまったと言う。
「…………妖精王はどうしたの?」
「いいですね。そう、諦めず足掻きなさい。答えましょう。あなた方が用意した封印の中だと」
魔王時代に生み出された精神体を封印する金属を元にした封印。
それをより強固に我が族が手を加えたものをライレフには持たせていた。
呼吸が必要な物質体なら即死。
幻象種や怪物でも身動きできずに力を振るえる者しか脱出は不可能。
精神体なら魔法が使えず囚われたまま抜け出すことはできない。
時はかかるが幻象種なら飲食できず死ぬし、精神体なら動けず周囲と遮断されることで存在義を失って消えるはずの封印だ。
「もろもろを遮断する以外はただ硬いだけの金属。どれほどのものかと思っていましたが、まさかあのような毒が仕込まれているとは。人間の発想というものも馬鹿にできませんね」
「つまり、妖精王をきちんと封印できたんだね?」
確認するトラウエンにライレフが頷く。
「それならダイヤ奪還の目途は立つ。妖精王ももう終わりだ」
「すでにアイベルクス軍も動いているわ。後はシィグダム王国のオニキスをバーバーアスが上手く掠め取れれば」
「それはどうでしょうね」
喜色を浮かべる私たちに、ライレフもまた楽しげに水を差した。
「実は戻る時にとんでもないものを見ました。聞いた話を元にするなら、妖精王を封じたことで軛から逃れたのかもしれませんね」
「何を見たというの?」
「血のように赤い瞳をした、小さなユニコーンを。敵意を操作してシィグダムへ行くようにしましたが、バーバーアスには荷の重い相手でしょう」
ライレフに劣るとは言え、バーバーアスも悪魔の軍団を従える悪魔の将のはず。
信じがたいけれどトラウエンから得た記憶で、私もそのユニコーンの厄介そうな性質は知っている。
妖精を操り砲台型をたった一人で倒した凶悪な角を持つ。
あの角を防ぐ術をバーバーアスは持っていないのかもしれない。
「さぁ、それでは次の策を考えましょうか。どうぞしっかり考えて己の願うところを叶えられるよう頑張ってください。できれば吾を楽しませていただけるなら幸いですね」
苦しんでいたはずの悪魔は、結局楽しげに笑っていた。
「…………なんなんだろう?」
正直、突然聞こえる声は邪魔だ。
瞬間的に意識が途切れるし、今も気づいたら終わっていた。
見渡す限り黒い靄に覆われた周囲は、僕に向かって来た悪魔の慣れの果てだ。
「ったく、やってくれるな。俺の軍団が壊滅じゃないか」
ようやく巨大な鳥から降りて来た狩人は僕の進路を邪魔するつもりのようだ。
「せっかく用意した罠も完全に動く前に全部ぶっちぎるなんて力尽くが過ぎませんかね?」
冗談めかすように言いながら、狩人は戦意の籠った目をして弓を持ってる。
嫌な感じの弓と矢だ。
「シィグダムの軍も置いて来ちまうし。足止めしても時間が立つほど妖精たちが群がってくるとかどういうことだよ?」
そう言えば僕の足はいつの間にか止まってる。
声に邪魔されていた間、確か軍団が厚い壁になって避けようにも立ち塞がるように動いたからだ。
正面からぶつかれば包まれるから、走り回って倒して、数が多いなって苛々してたら妖精が来たような気もする。
「なぁ、俺の言葉わかってるか? それとも憤怒に侵されて考えられないか?」
「どうでもいい」
「あ、わかっちゃいたのか。ま、確かにどうでもいいな。これは俺の愚痴だよ」
笑った狩人は弓を構える。
それは流れるように自然な動きだったけれど明らかな敵対行動だった。
僕も角を構えて地面を掻く。
「こうして引きずり出されたからには真っ向勝負だ。この一矢に俺の全霊を込める!」
狩人の力が膨れ上がると、爆発しそうな力は矢へと流れ込んで発光した。
嘆きの声が上がり、あれは撃たせると駄目だとわかる。
僕は角を上へと向け直した。
すると瞬く間に黒雲が湧いてゴロゴロと轟音が響く。
「雷霆を操るのか!?」
狩人は焦りを見せるけど、狙いを定めてぶれずに弦を引き絞った。
後から雷を呼んだ僕と、放ったのはほぼ同時。
物を言ったのは攻撃の早さだった。
「ぐぅ…………!? 雷霆なんて、避けられる、かよ…………」
雷を受けた矢は途中で僕から逸れた。
一直線に走った雷に貫かれて、狩人の全身が燃え上がる。
「言葉が通じるなら、覚えておけ。バーバーアスの名において、俺は、大公の縄張りを、荒らすようなことは、していない、と」
何か言ってるけど、どう見てももう動けない。
だったら放っておこう。
「聞けよ…………こっちとしては、言い訳くらい、させて、ほし、い…………ぜ」
燃え尽きて崩れる黒い死体。
そこから黒い靄が宙に浮き出す。
横を通り過ぎようとして、僕は身構える。
靄は目のように光るものを歪めた。
笑ったようだ。
「まだあと一軍俺の軍団は残ってる。俺は人間に勇気を与える能力もあってな。突っ込むなら相応の反撃ってものを覚悟しろよ」
何もしてこないんだったらいいや。
「ま、勇気と称されるか無謀と笑われるかは、結果次第だけどな」
嘲笑うように忠告する悪魔を振り返ることなく、僕は逃げた馬車を追って走り出した。
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