187話:長風呂
悪魔の大魔堂から戻った僕は、仔馬の館でお風呂に入っていた。
傷物の館ほどではないけど、広い浴槽は足を伸ばしてもまだ余裕の湯船だ。
「はぁ…………なんだか静か」
思えばユニコーンに生まれてこの方、一人になることがなかった。
母馬が死んだ後はアルフと一緒で、森に来てからは必ず近くに誰かがいる。
「それでもまだ一年経ってないんだ。濃すぎじゃない、僕のユニコーン生?」
相変わらず人生思い出せないけど、たぶんここまで色々なかったと思う。
日本人で、たぶん男で、たぶん高校生よりは上? けど社会人してたかはわからない。
思えば不思議な状況だ。
どうして転生したのかも、僕以外に転生者がいるかもわからないまま。
「神さまに聞いたらわかるのかな? 神さまってどうやったら会えるんだろう?」
湯船の縁に腕を突いてぼんやり考える。
悪魔の問いが脳裏に浮かんだ。
「幻象種で…………僕、ユニコーンなんだなぁ」
自分で言っててなんだか笑ってしまう。
人間の前世を自覚した僕の意識は人間だと思っていた。
けれど実際は、人間だったことを覚えているだけのユニコーンでしかないんだと、悪魔に聞かれて改めて思ったんだ。
「人化してもなんか違和感あるし、結局本能には逆らえないみたいだし」
美的感覚はきっと経験の多い人間に寄っていて、手を使う便利さも知ってる。
考えも人間として生きた経験を基準にしてるけど、結局体はユニコーンで考えの基本もユニコーンだ。
だって力で解決するほうが早いと思ってるし、エルフよりグライフのほうがわかりやすいといつの間にか当たり前に思っていた。
獣王に威嚇された時も、感情が先に行くと人間としては思わないことをする。
「なんだっけ、心技体? 三位一体? ともかく体って大事って何か、言葉が…………」
僕の精神が人間でも、きっとユニコーンの体を基本に今を生きている。
シアナスとブラウウェルの相性を考えるとわかりやすい。
幻象種同士だけど、僕はブラウウェルとは合わなかったのに、人間のシアナスとは気が合うようだ。
「やっぱり基本的な生活が違うと難しいんだなぁ」
そう呟いた途端、久しぶりに前世の知識が浮かんで来た。
「海外で感じた宗教の違い、善悪の違い、歴史の違い、言語の違い、感性の違いって、僕もしかして留学経験でもあるの?」
これはちょっと発見だ。
ただの日本人だと思っていたのに、どうやら海外生活の経験があったらしい。
そう言えばランシェリスたちを見ても外人とは思わなかった。
もしかしたら外国人に囲まれた生活に慣れていたのかもしれない。
「前世の経験って実は生きてる?」
そうなるとなんで転生したのかがやっぱり気になる。
そしてこれは最初の疑問に戻る考えでしかない上に、僕は答えを知る由もない。
「気にはなるけどなんのためにとか、ここは何処とか今を生きることには必要ないんだよね」
日本ではないし、地球だとも思えない。
この世界の歴史があって、特有の生き物がいる異世界だ。
いつまでも戻れない前世を引き摺るほうが生きにくい。
「けどたまに気になるんだよね。使徒の話聞いたりすると」
この世界で転生者かもしれないのは、僕の前世の知識に近いことをしている使徒。
けどアルフは前世の高度な社会を知らないみたいだし、そういう知識は出てこない。
アルフから与えられた知識は神について隠していても漏れがある。
知ってるならそれらしいことが知識にあるはずなのに、転生については何もなかった。
「あ、けど生まれ変わってるんだっけ」
妖精王は生まれ変わる。
それはつまり転生のようなものじゃないのかな?
同じ妖精王という妖精だけど、記憶は受け継いでも別人だから違うのかな?
「うん、きっと別人だよね。僕も、たぶん…………」
前世とはきっと別人だ。
だって人間だったんだから、ユニコーンの僕とは違う。
「流されやすいのは日本人だからじゃなくて、グライフが言うようにアルフから影響されてるんだったりして」
だったら本来のユニコーンという生き物は、どんな幻象種なんだろう。
僕が知っているのは、憤怒の化身と呼ばれることと、本能に抗えなかった母馬の姿。
そして命の危険を感じると突き進む恐れを知らない猛々しさ。
「今になって思うと、逃げたほうがいいと思うんだけどな」
その時には理性や知性なんて関係ない。
ただ足が動く。ただ前にと。
「これって生き残るためには改善したほうがいいよね?」
この世界には石ころのような頻度で危険が転がってるんだから、よく考えなきゃいけない。
今のところ本能には抗えてないんだ。
このままだといつか母馬のように死ぬとわかっていて突っ込んでいくことになりかねない。
僕が僕であるためには、人間とユニコーン、前世と現世、その境を明確にしておかなきゃいけない気がする。
悪魔に幻象種として何故、なんて聞かれて答えられないようじゃ、いずれ選択に困った時僕は本能に従うしかなくなるだろう。
「僕は…………僕…………」
気づけば辺りは真っ暗だった。
「あれ? お風呂の灯り、消えたとかじゃないよね?」
顔を上げると灯りが見えた。
いつの間にか立っていた僕は、歩くことでお風呂じゃないと確信する。
「これって、心象風景?」
辿り着いたのは白い壁のワンルームだった。
「ここもだいぶ変わってるね。もしかして僕、野性味が強くなってる?」
フローリングだったはずの床が芝生になってるし、プラスチックなんかの人工物の家具は少なくなってる。
木製のテーブルや棚が並ぶ中に、唯一残った科学の結晶パソコンがすごく違和感だった。
「これアルフの知識見れるんだよね。僕が検索エンジンみたいだと思ったからこれなのかな?」
室内には色んな形の灯りがあった。
けれど天井に照明がないのは、相変わらず上には夜空が広がってるからだ。
全体を照らす灯りのない部屋は暗いけど、大小さまざまな灯りが頼りになる。
「あの殺風景なワンルームが前世の部屋だとしたら、僕はそうとう寂しい人間だったんだなぁ」
今思えば何もなかった。
趣味の物も思い出の品も。
もしかしたらそれは、僕が人間としての記憶があいまいだからかもしれないけど。
「でもユニコーンとして生きた時間より長いから、心象風景影響されてた? ってことは、その内このワンルームも草原になったりするのかな?」
それはちょっと楽しそうだ。
「そう言えばいつも夜なのはなんでだろう? 前世、夜型人間だったの? 草原になる頃には日が昇ってるかな?」
夜空を見上げると、満天の星空。
星が多すぎて星座や一等星の見分けもつかない。
「そう言えば、月を見てない。雲がないのはいいけど、夜なら月を見たいなぁ」
なんて思ったら、空耳のようにぼんやりと音がする。
「あれ? アルフが呼んでる?」
振り返ってみると、そこには闇が広がっていた。
「おかしいなぁ。最初はアルフの所に繋がってたのに」
魔王石のダイヤを触ってからこうなったけど、精神の繋がりの不具合が続いているのかもしれない。
考えてる内に視界が狭くなる。
背後で気配が立った気がしてワンルームを振り返ると、何か見た気がした。
けれどすぐに視界は暗転し、体の感覚が蘇る。
「…………フォーレン! 風呂で寝るなよ!」
「うん、あれ? 僕、寝てた?」
「おう、ぐっすりな」
小妖精のアルフがひらひら湯気の中を飛んでいる。
「悪魔の所行って疲れたんだろうけど、溺れちまうぜ」
「うん、うん? 幻象種って疲れるの? 僕は走り回っても疲れないんだけど」
「そりゃな。どっちかって言うと疲れやすいぜ。なんせ物質的にも精神的にも影響がもろに出るんだ。ま、逆に夢中になってると疲れとか無関係だけどな」
つまり僕、楽しく走り続けたらいつまでも疲れないの?
何それ、ランナーズハイってやつ?
「そういうものなんだ? …………もしかしてグライフ怪我しても元気なのって、戦うことが好きで毒があんまり効いてなかったとか?」
「うーん、逆かな。解毒してるのに治りが遅いのは、本人に毒を受けたって気分が強いからだ。それだけ毒に侵されたって精神面も傷つけられてんだよ」
あ、本当に気分なんだ。
っていうか、その言い方だとすごくグライフが繊細なひとみたいに聞こえる。
「もしかして、楽しいことあったら治りが早くなるとか?」
「当分大人しいままでいいと思うぜ」
「だよね」
アルフの否定しない肯定に、僕も深く聞かずに頷いた。
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