104話:ドラゴンの名前
他視点入り
私は尼僧に身をやつす間諜、名前はヴァシリッサ。
ビーンセイズ王国を中心に動いていたのだけれど、魔王石の害で教会も王城も大混乱。
それはそれで面白かったのだけれど、無用な被害を避けるためビーンセイズを離れたのに、すぐに新しい命令が下された。
「人使いが荒くってよ。怪しまれずに女一人が山を越えるなんてどれだけ難しいかわかっていらっしゃるのかしら?」
いない上司への愚痴をこぼしつつ、紅の発色を鏡で確認する。
私がいるのは人間の国々から離れたエルフの王国。
その屋敷の一室で、派手すぎず地味すぎず、蠱惑的な僧形を装って一人頷いた。
そして視線を向けるのは、あまりの内容に一度放り出した手紙。
いえ、暗号化されたこれは、密書というほうが相応しい物。
「五種の古代兵器に低位悪魔。さらに魔王の悪魔までを召喚するほどの準備を考えると、あのブラオンという魔術師長が捨て駒とは思えませんわね」
城に常駐し、ビーンセイズで国王周辺を調べていた私は、ブラオンを捨て駒だと考えていた。
何故なら、流浪の民はブラオンのいる教会周辺にはおらず、城を窺っていたからだ。
「商談の後帰ったふりをして王都に潜み、少数ずつ芸人や商人として紛れ込み、ざっと百五十ほどは集まっていたのは確か。あれらはダイヤに釘づけになっている内に、トルマリンを奪う算段だとばかり…………」
今になってわかる教会での恐ろしい戦いの様相に、私は身を震わせた。
教会に所属していたため、その場にいた可能性もあったと思うと、嫌な汗が浮かぶ。
「まさか…………ユニコーンなんて」
私のような生業の女にとって、生きた心地がしなかった。
「魔物を狩る側であるはずの姫騎士団が、何をトチ狂って魔物と手を結ぶなんて判断を下したのでしょうね?」
文面は短くとも上司の言いそうなことわかる。
「さっさとビーンセイズを離れて、こちらに来ておいて良かった」
どうせそのユニコーンかグリフォン、もしくはそれらを従えた妖精を探れと言われるに決まっている。
私は城や貴族間の情報や動きを盗み見ることに特化した間諜であって、そんな野生動物など管轄外だ。
「最近いい拾い物をしたじゃないか。あれを使えば行けると思う、だとか」
口にしてみると余計に言いそうな気がして嫌になる。
意味もなく拾い物をするわけがない。使い道はもう決まっているというのに。
「全く、流浪の民の族長を追えと仰ったのはあなたではありませんか。これでもエルフの国に入るための事前準備も終わらせておりますのよ。例え北に戻る道中に暗踞の森近くを行くとしても、余計な寄り道はいたしません」
手紙を見据えていない相手に告げる。
途端に、残念がりながらも次の謀に頭を回転させる上司の横顔が浮かんだ。
面倒ごとを持ち込むことの多い上司だけれど、感謝してあげてもいいとは思っている。
私にこの道を示してくれたのは上司だ。
正直、貴族の後妻にただ収まるよりも性に合っている。
「わたくし、くだらない謀を眺めるのが大好きですから」
趣味が実益に繋がるのだから、天職を得たと言える。
くれぐれも引っ掻き回すことはするなと書かれていたけれど、所詮ただの文字だ。
「私をこの仕事に誘ったのはあなたではありませんの。この性格を知っていて雇ったのなら、最後まで面倒を見てくださいな」
手紙を手に取り、火にくべながら微笑む。
もちろん、いざとなれば上司を捨てて保身に走る所存だ。
それが私。
しなを作って騙される男を手玉に取ることが仕事なら、やることはエルフの国でも同じこと。
私の鋭い聴覚がすでに捕らえていた足音の後、扉が外から叩かれる。
「ヴァシリッサ、準備はいいかい?」
「はい、もちろん」
扉を開けると、そこにはエルフの青年が待ち受けていた。
白金の髪に翡翠に似た瞳、細身ながら精悍さを窺わせる白皙は、獲物として十分だ。
「さ、行こう。先生がお待ちかねだ」
青年が用意した馬車に乗り、私はエルフの王都へ繰り出した。
白い街並みは大通りを離れた後も続き、谷間の王都から坂を上って住宅街へ。
エルフの青年の案内で辿り着いたのは、大通りから離れ、さらに奥まった路地の突き当りに建つ家だった。
「先生、紹介します。美しくも見識の広いこの賢女、名をヴァシリッサと申します」
私と一緒に訪ねた青年は、エルフの中でも若手で将来権力者となることを約束された生まれ。
そんな青年が嬉々として紹介するのは、西の賢人と言われるエルフだった。
青年に取り入ることで、上手く繋ぎが取れた。今後のためにも大陸西のことも聞いておきたい。
…………そう思ったのに。
「はい、初めまして。お噂は聞いていますよ」
私の目の前にいるのは、垢抜けないエルフ。
基本的に顔はいいエルフなので見た目は許容できるけれど、善人面で面白みもないのは見た目と一言だけで十分推し量れた。
この手の相手は騙すにはいいけど、欲がないから使いにくい。
「北から亡命なさっと聞いています。大変でしたね」
「ヴァシリッサ、先生はすごい方だ。西からその足でこのニーオストまで見聞を広めながら旅をなさって」
勝手に喋り出す青年に、西の賢人は困ったように笑うだけ。この程度ならつけいる隙はあるだろう。
私が与えられた今回の仕事は、流浪の民と繋ぎをとること。
私のような間諜が直接出向いて繋ぎを取れと言われた時、やるべきことは上司が会う前に、相手の弱みと信用を得るようにという命令だ。
そのためには餌として流浪の民が狙うエルフに内側から潜り情報を得る必要があった。
「お一人で西からいらしたの? いったいどのような方法でしょう?」
「いえ、運よく出会った方に守っていただいてここまで来れただけでして」
「まぁ、つまりその方も西から東を旅したと? いったいどなたが?」
それだけの実力者がいるなら知っておいて損はない。
興味深そうな表情を作って話を促すと、懐かしむように西の賢人は眼鏡を触った。
「とある、変わり者のグリフォンに…………」
そこから、西から東に向かおうと思った理由などの思い出話が始まる。正直あまり興味がない。
その上グリフォンの行方を聞いても知らないという、なんとも期待外れの答えだった。そこに来て学術とか文化とかどうでもいい話をされて、私の中でこの西の賢人に対する印象は地を這う。
私がこのエルフの国でやることは騒乱を生むこと。
そんなお遣いついでに、誰かが苦しむさまを見るのが大好きだった。
狙いは教え子の坊ちゃんだったけれど、この西の賢人も騒乱に放り込んでしまおうか。
賢しらぶっても所詮命の危機の前では醜態をさらすのが生き物だ。私の手で、上手く踊り狂って死んでくれると嬉しいけれど。
「ユニコーン、フォーレン! あたしを名づけさせてあげるなのよ!」
「え、名前? 僕がつけるの?」
「何を偉そうに。蜥蜴以下のモグラが」
黒いドラゴンは幼女姿でも容赦なく、グライフの前足に潰された。
「名づけも何も、普通に本名明かせよ。それか帰れ。いつまで居座るんだ」
アルフも呆れて雑な扱いをする。
「言えないのよ! でも名前欲しいのよ! このユニコーンならできるかもしれないのよ!」
「僕のそれって妖精限定じゃないの、アルフ?」
「だと思うけどなぁ。ま、呼び名がないのも面倒だしいいんじゃないか」
「本当に適当だね。えーと何か名前つける決まりって、ドラゴンはあるの?」
「なんでもいいのよ。けど、ちゃんと由来があるといいのよ」
とか言って、ドラ子とかは駄目だろうし。クロとかもなぁ。
「黒、玄、玄人? って柄でもないし、女の子っぽくないし」
「クロート? 女っぽくするならクローテとかクローティアとか?」
僕の呟きにアルフがまた適当に口を挟む。けど、今回はちょっと役立つ。
西洋っぽいこの世界だと、確かにそんな感じが女の子っぽいよね。
「クローテ? テ、ティ、テイア? テリア? あれ? クローテリアってなんか」
「あたしに似合う美しさなのよ!」
え、いいの?
犬っぽいって言おうとしたんだけど?
っていうか、テリアって確か中型犬の犬種じゃなかったっけ?
何が琴線に触れたんだろう?
まぁ、そんな流れで黒い幼女に変身するドラゴンは、クローテリアになった。
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