血の海を降らせる
太陽が昇って間もない頃、ウェンは出発の準備を淡々と進めていた。
馬車に荷物を置く前に、日本の手がかりを探す。
酒場や通り掛かる適当な人物に聞き込むが、成果は全く無かった。
ウェン自身もそう簡単に見付かるとは思っておらず、やはり帝国に戻るのが先決だと馬車を取りに戻る。
「結局、誰一人としてニホンを知ってる人物は居なかったか……」
慧の妻と娘の聞き込みもしたみたいだが、全くの徒労に終わった。
彼のように目立つ格好をしているなら、少なくとも目撃はされると思ったのだが、どうやら宛が違った。
馬車の荷台を開ける前に何者かの気配を感じる。
微妙に動く車体に忙しない馬。それは荷台の中に何者かが侵入しているという裏付けになった。
「……こんな朝っぱらから、ド素人が」
溜め息ひとつ吐いて剣を抜く。
それを見て周りの人間が蜘蛛の子を散らしたように逃げて行く。
中にいるのは泥棒か、昨日の報復をしに来た恐れ知らずの荒くれ者か。なんにせよ警戒するに越したことはない。
「動くな」
静かに荷台を開け、中にいる人物に剣を突きつけた。
「ひっ、ヒィッー! お、お助けー!」
荷台の中で三角座りをしていたアリアは恐怖で顔を青くして手を上にあげた。
「……お前馬鹿だろ。やっぱり」
「こっ、これには理由があるの! って言うか剣下ろして!」
降参ポーズを取りながら涙目で訴えかけるアリアへ更に剣を近付けるともう一つ高い声で鳴く。
それを二回ほど繰り返してから剣を下ろすと、アリアはへにゃへにゃと座り込む。
「ひどい……遊ばれた……」
「で、理由って?」
「あなた帝国の人でしょ? 私帝国の魔導院って言う所に行きたくて……帰る途中なら連れてってくれないかなって」
アリアの言葉を聞いて、ウェンは首を傾げる。
「お前馬鹿なのか?」
「ばっ、馬鹿じゃないし! 確かにおっちょこちょいとは言われるけど……それ流石に失礼だよ!」
「貶した訳じゃねぇよ。ただ、お前は俺が怖くないのか?」
ウェンは辺りを見回した。
街の住人は彼をまるで疫病神のように白い目で見ていた。
早く出て行け、街の人間全員そう言いたいのだろう、しかし権力を前に口を潰されている。
「帝国は嫌われ者だ。横暴で横柄で、自分勝手……でも必要な嫌われ者なんだ。魔物や賊を殺すのは帝国兵の仕事だ。例えるならそう、毒を以て毒を制すってヤツ」
彼は疎まれる事は慣れていた。自分にこの仕事を押し付けたのは危険だからってだけでは無い。
守るべき者から感謝されない、報われない仕事だからだ。
それを聞いてアリアはキョトンとして言う。
「何で? 私はあなたを嫌ってなんかいないよ。だって助けてくれたし、毛布も貸してくれたし……あっ、ちょっと怖いけど!」
アリアは無邪気な顔で答えた。
ウェンは虚をつかれた表情をすると、それを鼻で笑った。
「……まぁいい。ついでだから連れてってやるよ。そのまま乗っとけ」
「ほんと!? やった、ありがとう!」
さっきとは違う意味で手を上げて喜ぶアリアを乗せ、馬車を走らせる。
街の門を出て、整備されていない地面を走る。
揺れる度にアリアの苦しむ声が聞こえるが、ウェンは無視し続けた。
整備されていない道では馬車は思った以上に揺れる。あまり乗ったことの無い人間であれば、腰なんてあっという間に痛めてしまうほどに。
暫く走った時、馬車の前方から人型の影が四人躍り出るのが見えた。
その内の一人は弓矢を引き、なんの躊躇も無く放った。
「っ!」
とっさに頭を下げて危険を回避する。
風切り音と共に通り過ぎた矢は頭を掠めて荷台へ突っ込む。
「んぎゃァーッ!」
「やべ……おい生きてるか!」
荷台の壁を叩いてアリアの生存を確認する。
「め、目の前を掠めた……」
腰を抜かしてガクガク震えているアリアを見て、ウェンは馬車から降りた。
「おい、外してんじゃねぇか下手くそが!」
「しょーがねぇだろ。生きてる人間に撃った事なんてねぇんだからよ」
ノロノロと近付いてくるのは昨日酒場で倒した大男。
それとその仲間と思われる三人。ニヤニヤと笑いながらこちらを指さして笑っている。
「またかよ……お前がアイツらを連れて来たのか? もしかして仲間だったりする?」
「んな訳ないじゃん!」
激昂するアリアは荷台から顔を出すも、ウェンに押し込まれて帰って行く。
「お前は中にいろ。出て来るな、外を見るな、耳を塞いでろ。分かったな?」
「わ、分かった、けど……」
アリアの声色は心配そのものだった。
馬を傷つける訳にも行かず、ウェンは剣を抜いた。
「おいてめぇ! 兵士だかなんだか知らねぇがでかい顔しやがって……昨日の借りは返すぜ!」
「何か貸してたか? 取り敢えずその玩具下ろさねぇと後悔するぞ」
男達は聞く耳など持たず、一人はもう一度弓矢を引いた。
「ハッ、怖いだろー? 魔法でも使ってみたらどうだ? こっちの矢とどっちが早いかねぇ!」
「そりゃ玩具だっつってんだろ。それに俺は魔法なんて使えねぇよ、撃ちたきゃ撃ってみろ」
ウェンの言葉を聞いて男達はより一層大きな笑い声を上げた。
「魔法使えねぇのに帝国兵士が務まるのかねぇ!」
「俺もなれるんじゃねぇかー?」
昨日と違い、男達はウェンを脅威だとは思っていない。
弓矢という飛び道具を持って距離を保ち、安全圏で彼を小馬鹿にし続けた。
「地面に頭を擦り付けて謝ったら見逃してやる。早くやれ!」
「見逃すのは俺だ。まだ酔いが覚めてねぇって言うなら、肝臓が悪いのかもな……中身を見てやるよ低脳共」
「……クソが。ぶっ殺してやる」
怒りに変わる男達の怒号は荷台の中まで響いていた。
数に分の無い上に魔法も使えず、剣の間合いにもいない。
絶対的不利の中で、アリアは恐怖していた。
「魔法が使えないなんて……勝てないよ……」
確かに兵士である彼は一般人より遥かに強い力を持っているのだろう。
しかしそれはあくまで一体一で、攻撃の届く範囲である事が絶対条件である。
剣では心許無い攻撃範囲。それを補う為に帝国では徴兵に魔法が使えると言うある一定の基準を設ける。
アリアはふと気付いた。
魔法が使えないというのはその基準をクリアしていないという事。
つまり……
「じゃあなんで……魔法が使えないのに帝国兵士になれてるの……?」
再度矢が放たれた。
一定の距離がある矢は速度に乗り、ウェンに一直線に飛んで行く。
男達の誰もが当たる事を確信する。
が、ウェンは何事も無かったかのようにそれを剣で弾いた。
「……忠告はしたぞ」
ウェンは男達に向かって一直線に向かって行く。
剣や防具を着けているとは思えない程の速度で距離を詰める。
焦った男達がもう一度弓を構える前に剣の射程まで近付いていた。
「なっ、くそっ……」
弓矢を捨て、短剣を取り出した男の手首を切り落とす。
悲鳴を上げて傷口を押さえ、倒れようとする男から短剣を取り上げて呆然としている隣の男の喉元に突き刺した。
「……ふたり」
一瞬は驚いた男だったが、持っていた剣をウェンに振りかざす。
しかし、所詮は素人の剣。
兵士として鍛錬を積んだウェンの前では子供の遊びでしかない。
剣筋を綺麗に流され、ウェンに腹を刺された。
崩れたバランスでは受ける事も流す事も出来ず、そのまま腹から胸にかけて引き裂かれた。
「……最後だな、一番長生きできて良かったじゃねぇか」
手首を切り落とされた男の首に剣を突き立てながら、返り血に塗れたウェンは大男に微笑んだ。
「うっ……ま、待って……」
ゆらりゆらりと近付くウェンに恐怖し、後退りをして命乞いを始める。
その姿には先程までの堂々とした雰囲気は存在せず、見た事も無い死体と血の海を前にして赤子同然に泣きじゃくる。
尻餅をついて転ぶ大男を見下す。
「ば、化け物か……お前……」
「……俺は魔法が使えないからな。兵士として生きるには今あるモノを使うしかなかった。次生まれ変わるならもっと謙虚な人間になるといい」
「た、助け……」
大男の声はそこで途切れた。
気が付けば死体が四つ転がっており、血液に至っては最早誰が誰のものなのか判別不可能である。
頬に付いた返り血を拭い、ウェンは馬車に戻る。
行くぞ、とアリアにひと声かけると、彼女の震えた声が聞こえる。
「ど、どうなったの……」
「……お前は知らなくていい。ただ、ひとつ言えるのは……世の中には死んでも良い奴がゴロゴロいる」
荷台の外は血と死体の海で、世界が変わってしまったかのように違い過ぎる。
ウェンは剣の血を払いつつ、馬車を再び走らせた。