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「芥川繭子という理由」  作者: 時枝 可奈
27/77

連載第27回。「世界を」

2016年、10月1日。



アメリカ、ニュージャージー州。

ファーマーズスタジオで開催された新作プロモーション映像完成披露試写会『Future Of The Past Vol.11』は、大盛況のうちに幕を閉じた。

特別ゲストとして招待されたドーンハンマーの4人は、世界中のマスメディア、業界関係者が見守る大きなステージ上で、圧倒的な存在感と完成度を持って観客を魅了した。

一夜にして、彼らはスターへの階段を駆け上がった。

この日を境にドーンハンマーの名前を知った人も多くいると思うが、彼らは決してぽっと出の新人ではないし、眩いフラッシュの中で舞い上がるような東洋の小さな猿でもない。彼らの挑発的な目つきと唇から消える事のない微笑みは、インターネットを経由して世界中に拡散され、ドーンハンマーここにあり、という確かな爪痕を残した。




ドーンハンマーの横に立つニッキー・オルセン、その横に立つジャック・オルセンの両雄を見た瞬間の興奮は今もはっきりと覚えている。試写会に出席する彼らに取材記者として同行した私に挨拶の機会を与えてくれたのは、もちろん伊藤織江だ。会ってすぐに分かった事だが、伊藤はオルセン親子に信じられないレベルで愛されている。おそらくメンバー以上に愛されていると、私には見受けられた。

彼らが再会したのはファーマーズスタジオだが、事もあろうに彼らが前回滞在したという宿舎を取材しているのを聞きつけたジャックから、迎えに行くという電話がかかって来た。

驚いた伊藤が今すぐそちらへ向かうと断り、すぐさまスタジオに出向くと、既に親子が並んで立っていた。あまりの衝撃に卒倒するかと思ったのは言うまでもない。「ヘーイ」「ハーイ」などと軽い挨拶とハイタッチを交わしているメンバーが、この時ばかりは腹立たしかった程だ。

ご理解いただけるか分からないが、例えば高校の演劇部に所属している俳優志望の若者が、アカデミー賞のレッドカーペットに招かれてトム・クルーズやジョージ・クルーニーといきなりハグするようなものだ。ちなみに俳優志望の若者が私であり、比喩として正しいかは別にしても、それほど隔たりのある遠い世界の住人達なのだ。

一番最後に移動バスを降りた伊藤織江の姿を見た瞬間、ニッキーとジャックの声が揃ってボリュームを上げた。

「ハーイ、オリー!」

我先にとハグを要求する鬼才2人を軽くあしらい、伊藤はすぐさま私を紹介してくれた。どれだけ優秀な記者であるかを熱弁し、今後ドーンハンマーの全てを知るキーマンとなるだろうという、メガトン級のプレッシャーを私に背負わせるというお土産付きだった。

余程機嫌が良いのだろう。短い時間で構わないので、今回のPV撮影について取材させて欲しいと申し込むと、彼らは二つ返事で「もちろん」と答えてくれた。夢を見ているのだと思った。




まだ午前の早い段階から、彼らが撮影に使ったという巨大スタジオとは違う別棟へと案内された。そちらではビデオカメラでの撮影が可能と聞き付け歓び勇んで回していたのだが、どうやらその建物が今回の試写会場らしく、他にも多くのマスメディアがこぞって陣取り合戦を繰り広げていた。

ふわー、でっかい会場ですねえ。恐ろしく天井が高いですねえ。

と私が阿保みたいに嘆息しているすぐ横で、ハリウッドセレブに詳しい繭子が色んな場所で有名女優を発見しては、興奮した声を上げている。

3階まである観覧席と、巨大なステージセットの間を慌ただしく駆け回るスタッフ達をよそに、取材陣に囲まれた華やかな衣装のセレブ達がそこここで煌めきを放っていた。私は音楽業界にしか明るくないのだが、繭子も伊藤もハリウッド映画のファンらしく、珍しく舞い上がった様子で名前を言いあっているのだが、さっぱり頭に入ってこない。

見たことのないサイズのオーロラビジョンが3つも、天井からぶら下がっているが目に入ってしまったからだ。

「あれに俺らのPV流れんの? さすがに担がれてんじぇねえかな」

「ってかスゲーなここのステージ、なんでこんな派手なの」

「盛大なジャップ叩きだったらどうする?」

「スゲー笑う」

そう言って今まさにゲラゲラ笑う男3人は、相変わらずだ。相変わらず過ぎてホッとしてしまう。

-- 今回主役はあなた方で間違いないと思いますが、色んなセクションで製作が行われていますからね。PVだけじゃない新作映像もバンバン流れると思います。ここにいたら囲まれてしまいますよ。移動しますか?

「カメラ回せるのここだけだよ、いいの?」

と伊藤が私を気遣う。

-- 大丈夫です。本番は今夜ですから。下見はこんなもんで。

移動を開始しようとした瞬間、「ヤァ!」とひと際明るい女性の声が聞こえた。

驚いて振り返ると、私でも見た事のある顔がそこに立っていた。胸元がゆったりとした薄いグレーのビッグサイズTシャツにダブルのライダースジャケット、そして黒のフリルミニスカートという真似の出来ない着こなしがピタリとはまった大きな目のブロンド美人だ。私が名前を思い出そうと頑張っていると、少女のような顔をしたその女性は、

「ミー・リディア」

と言うや否や、池脇に歩み寄りそのまま力強くハグを交わした。

池脇はそのまま彼女を持ち上げた。そしてパっと手を放し、女性は高い声で笑って、ぴょんと軽やかに着地した。

「えええー…、リディア・ブラント?」

と繭子が信じられないという顔で囁いた。

そうだ。昨年、新興宗教と洗脳を題材にした社会派サスペンスでアカデミー賞を総なめにした映画、『 reach me ,reach out 』の主演女優、リディア・ブラントだ。挿入曲として起用されたデニス・パットンの名曲『ワイバーン』が、震える程に格好良すぎて何度も観たからさすがの私も覚えている。

池脇以外の面々が、困惑のまま固まっている。誰もこの事態を理解していないようだ。リディアの年齢は20代とまだ若いのだが、その知名度には圧倒的な差がある。リディアがドーンハンマーを知っているとは夢にも思わなかった。

「久しぶりだな、元気そうだ」

「うん。いつ来たの?今日?」

「さっきだよ。今日パーティーに来るのか?」

「知らないの? 私がプレゼンターだよ、アナタ達の」

「へえ。…何するの?」

「あははは!ただ叫んで呼び込むだけだけどね、その前にちょっとしたメッセージを読むの」

「リディアが考えたメッセージ?」

「当たり前じゃない」

「へえ、楽しみにしてる」

「うん。じゃあ、あとでね」

池脇と短い会話を交わし、最後にメンバーへ手を振って去って行った彼女の後ろ姿を見送りながら、誰も言葉を発する事ができない。正真正銘のハリウッド女優がそこにいたのだという事がまず信じられない。

「ちょ、え、え、どうなってんの?」

ようやく伊藤がそう声を掛ける。

「リディア、ブラントだよな?」

と、神波が既に見えなくなっている後姿に指を指しながら言う。

「ああ。なんだよ今更。っつーか、遅せえよ。あいつ前回俺達が撮影してる時ここにいたからな?」

「ええ!?」

繭子も伊藤も顔を見合わせて首を振っている。彼女たちはそもそもリディアのファンなのだから、気づかないわけがないという表情だ。

「初日向こうのスタジオで『GORUZORU』やった時、えらい人数のギャラリー集まっただろ。あん時あの中にいたんだよ」

「気づかないですよそんなの!」

と繭子が悔しそうな顔で嘆きの声を上げる。2人組の男性スタッフが声を掛けてきた。リハーサルの時間だそうだ。




その後、機材のセッティングと段取りの打ち合わせを終えたメンバー達は、試写会本番までまだ時間がある為、前回お世話になった宿舎へ戻る事になった。

日本から持参した衣装に着替える時間と場所、そして池脇には舞台上でスピーチをするという大役もあり、原稿を仕上げる為にも落ち着ける場所が必要だった。電話でジャックにその旨を伝えて移動バスに乗り込む寸前、帽子を被った男性に話しかけられた。イヤホンマイクを付けている所から察するに、イベントスタッフだろう。

池脇と伊藤が相手をする間、他のメンバーと私は車内で待機。

「付き合ってんのかな」

と繭子が小声で聞いてきた。

-- リディアと?竜二さんが?え、そんな風に見えた?

「わかんない。外人はあれ普通なのかな。正面からハグで持ち上げられて笑ってたよね。キスでもするのかと思ったよ」

-- ねえ(笑)。どうなんだろうね。

「ってかスクリーンで見るよりでかかったね。私より大きいかもよ」

-- 背?おっぱい?

「私がいつおっぱい自慢した?」

-- あはは、ごめんごめん、海外で変なテンションのとこへ本物のハリウッド女優至近距離で見たらこうなるよ。

「(笑)、顔も小っちゃかったなー。さっき竜二さんと何話してたんだろうね」

-- ねえ。全然わかんなかった。

「翔太郎さん分かりました?」

移動バスの一番後ろに座る繭子が声を掛けると、中ほどの席に座って外を見ていた伊澄が振り返った。

「何」

「さっきの竜二さんとリディアの会話です」

「…プレゼンターって話か?」

「へえ、今日の試写会に参加するっていう事なんですかね」

「俺達のプレゼンターって言ってたと思うぞ」

「え?…どういう意味ですか。私達のですか!?」

「多分」

「おおおおおおおお」

いきなり繭子が立ち上がって、変なテンションで変な声を上げ始めた。

そこへ池脇たちが戻ってくる。

「なんだって?」

前の方の席に座って2人を見守っていた神波が声を掛ける。

「段取りの変更。どうやら俺らタキシードのまま演奏する羽目になるぞ」

通路に仁王立ちしたままそう言う池脇に、

「まじで?」

と伊澄が煩わしそうな声を上げる。

「具体的な数は聞いてねえけど、ここの作家が作った映像を流す前に、作家とモデルの紹介とスピーチがある。そのまま作品が上映されて、次の作家へバトンタッチっていう流れで進んでくんだがよ、俺らの場合は作ったのがニッキーだから、一番後なんだよ」

「まあ、そらそうだろうな」と神波。

「順番としては作品の紹介、ニッキーのスピーチ。んでさっき会ったリディアが俺達を呼び込んで、俺が挨拶。いったんはけて、映像が流れた後ライブっていう段取りだったろ? けど内容が内容だけに、一度もはけずに流れのまま、PVと一緒に演奏した方がいいっていう提案なんだよ。まあ、俺もそう思うわ」

「つまり、SPELLのPV流したあとに、いくら生とは言えもっかいSPELLやるのは面白くないだろ、と」

「そう」

呑み込みの早い伊澄の言葉に全員頷きはするものの、タキシードの件はどうなのだろう。

「俺のスピーチが終わった後、俺の合図が演奏開始の切っ掛けになった。となると俺は一度も舞台上から降りられねえ。それは構わねえけど、俺の合図で音が鳴り始めるってなると、お前らも当然舞台上でスタンバってねえと」

「全員タキシードのまま演奏は出来るか?って聞かれて、なんとなくノーとは言えなくてね」

と、伊藤が申し訳なさそうに言う。話を聞く限りだと、確かにその方が流れ的には良さそうだし、ステージ映えを考慮すれば全員がタキシードを着ている方が統一感は出る。彼らがデスラッシュメタルバンドであることを今夜の出席者がどれだけ知っているのか分からないが、インパクトを与える事は間違いない。

「はいはい!はい!」

繭子が手を上げる。

「私上着着たままは無理だと思います。結構ジャストサイズなんです」

「お前はいいや。上着は脱いでいいけど、下なに?」

「皆と同じですよ、ワイシャツです。サスペンダー付きの」

-- 繭子も男物のタキシードなの?

「そうだよ」

「ドレスにしとけばよかったね」

と伊藤が苦笑すると、嫌ですよ、と繭子も苦笑いで返す。

パン!と池脇が手を打ち鳴らす。

「じゃあ、そういうことなんで」




宿舎にて。

エイミー・ブルックスの作ったランチをご馳走になる。

思い出話と今夜の試写会の話題で盛り上がる中、彼女ははにかんだ笑顔で打ち明ける。

エイミーは来年春、ジャック・オルセンとの結婚が決まったそうだ。

相変わらずの大声と拍手で祝福の言葉を贈るメンバー達。

エイミーは一人一人の顔を見ながら、私に対しても律儀に言葉を返す。

盛大に結婚式をやるつもりだから、その時にはぜひ出席してほしいというお誘いを受けた。

私が自分を雑誌社の編集者で、ドーンハンマーの関係者ではない事を告げると、エイミーは笑って、

「私もそうよ。私もファーマーズで仕事をしているけど、彼らの関係者というわけではないわ。問題はそこじゃなくて、私達がこうして出会えたという事が大切なのよ」

と言ってくれた。私はなんとかギリギリ涙をこらえて何度も頷いたのだが、側で感じるメンバーの温かい笑顔が余計に私の感情を押し上げた。アメリカに来てからずっと、私は夢の中にいる。




テーブルの上に紙を広げて頬杖を突いている池脇に声を掛けてみた。

-- スピーチの原稿進んでますか?

カメラに向かって白紙を見せる池脇。

-- あらら。書いては消し、という感じでもなさそうですね。

「んー。なんとなくこんな感じの事言おうかなーってのは考えてるんだけど」

-- 英語でスピーチされるんですか?

「ああ」

-- 通訳ぐらいいるでしょうに。

「いらねえよ。綺麗な英語で綺麗なスピーチしたいわけじゃねえし。伝わればなんでも」

-- 豪胆とはあなたの為にある言葉ですね。お邪魔にならないよう、退散します。

「あのさ」

-- はい。

「ちょっと座って」

-- あ、はい。

この時、伊澄は外で煙草を吸っており、神波と談笑しているのが窓の外に見えた。伊藤と繭子は2階で着替え中だ。

「正直な意見を聞きたい」

-- はい。

「あいつらにもまだ言ってないんだけど、リディア・ブラント。さっきの」

-- はい。カメラ止めましょうか?

「いや、いい。…近々活動の場をアメリカに移すつもりでいるなら、付き合わないかって言われてる」

-- ウソッ!? お、すみません。私そんなにこちらの業界詳しくないですけど、それでも彼女がとんでもない大物だって事ぐらい分かりますよ。

「うん。いや、…うん」

-- …ノイさんですか?

「ああ」

-- 竜二さんとしては、何が問題だとお考えですか?

「リディアは、良い子だよ」

-- そうなんでしょうね。

「会ってまだ日は浅いんだけどな、どれだけお互いを知ってるってわけでもねえし。けどあいつも子供じゃないし、言ってる事の意味くらいは分かってるはずだろう。どこまで本気か分かんねえけど、正直悪い気はしねえんだ」

-- そりゃそうですよ!ハリウッドで大成功してる人ですよ!人柄に関して言えば色んな意味でお墨付きを貰ってる方じゃないですか。

「ああ」

-- お幾つなんですか?

「28」

-- ああ。まあ年齢は関係ないですよね。えー、でも凄いな。リディア・ブラント。リディア…。

「けど無理なんだよな」

-- はい。

「それでも考えちまってんのはさ、今俺がここでリディアにその気がない事を伝えるのは、どういう事なんだろうなって」

-- どう、と仰いますと。

「本当言えば断る理由なんてないんだよ。まだ何も始まってねえのに、お前じゃダメだなんて断れる程リディアを知ってるわけじゃねえから。嫌な所があるわけでもねえし、ノイの事なんてあいつは知りもしない。今ここに生きてるならまだしも…。そんな理由で人を遠ざける程俺は出来た人間でもねえよ。だけどこの先も、俺の中からノイが消える事は一生ない」

-- はい。

「…」

-- 気持ちの上で、二股かけてるみたいな心境にはなりますよね。まだ、実際にお付き合いはされていないんですよね?

「え? あー、あ。そうだと思う」

-- おっと。失礼しました。

「っはは、あと一つ。今俺達にとってリディア・ブラントって名前は正直でかい。とんでもなく、ありえねえ程のビッグチャンスだ」

-- それは!竜二さんそれはちょっと。

「俺はあんただがら聞いてるんだ」

-- …はい。

「わかるよな」

-- はい、わかります。

「リディア自身それを承知の上で、それも自分の魅力だと分かって誘ってきてる」

-- 確かなんですか。都合の良い解釈でなく?

「それが見栄なのかウソなのかは知らねえ。けど本人がそう言ってるんだから俺はそれをそのまま受け取るよ。実際、今日俺達のプレゼンターを買って出たのは彼女自身なんだそうだ。さっき直接ジャックに聞いた。言ってみりゃあ、自分ならバンドをバックアップ出来るって証明してくれたようなもんだ」

-- それならもう、答えは出てるじゃないですか。

「…」

2階から声が聞こえて、繭子と伊藤が下りてくる音がする。池脇は私に向かって頷くと、人差し指を唇に当てた。




白紙の原稿用紙を置いたまま、池脇は外へ出て伊澄達に合流した。とそこへ、2階から降りて来た繭子と伊藤が姿を見せる。

「どうかな?」

ダークグレーのワイシャツに黒のスラックス。黒の蝶ネクタイに同色のサスペンダー。右手にタキシードの上着をひっかけた繭子の姿は、恰好よくもあり、少し滑稽にも見えた。

-- THE 衣装!って感じ。でも似合ってる。スタイルがいいからね。格好いいよ。

「ほんとに?褒めてる?」

-- なんか変な感じするね、イメージと違うからかな。そもそもタキシードって白シャツだもんね。まあ、黒もおしゃれなんだけど。ん、濃い茶色なのかな?

「ねえ。変じゃない?上着脱ぐからさあ、白にすると私だけ目立っちゃうよね?これでいいよね?」

-- 全然変じゃないよ。タキシード感は薄いけど、着こなせてると思う。 織江さんはもうぴったり、お似合いのドレスです。

「なんでマネージャーがドレス着てるんだって話なんだけどね。せっかくだし楽しむ事にする」

-- 最高です、素晴らしい。

「ちょっと、私をもっと褒めなさいよ。物凄い不安なんだから」

-- あははは、今更だよ。繭子のルックスなんてさんざん誉めまくってきたじゃない。

「衣装の話!」

「面倒くさいな(笑)。適当でいいからね」

「ちょっとー!ねえ、これ丈短くない?裾」

-- 日本で試着してきてないの?

「うん。面倒だったからさあ」

-- 何やってんのよ。今は少し短いぐらいが流行ってるから平気だよ。

「本当なのそれ。信じるよそれ」

-- 日本ではね。こっちでは知らない。

話をしながら、繭子の目がちらちらと池脇を探していた。彼が既に外へ出て伊澄、神波と談笑しているのを見つけると、私を見つめて首を傾ける。

「竜二さんの声通るからさ。ちょっとだけ聞こえてたんだ」

繭子はそう言うと、手に持っていた上着を椅子の背もたれにかけて、その椅子に座った。

「リディアの事話してた?」

-- 私の口からは何も。

「そうだね」

繭子は微笑み、傍らに立つ伊藤を見上げた。

「もし、また同じような話をする機会があったら。竜二の意思を尊重するって、私なら言うと思うって伝えてくれる」

窓の外を見ながら伊藤はそう言うと、しばらくの間静かに池脇を見つめていた。そしてゆっくりと私の方に向き直ると、少しだけ震えた声で彼女はこう言ったのだ。

「私が言っても、彼は聞かないと思うから」

-- 私がここで『はい』って返事をすると、リディアの話をしていたと認める事になるのでお答えできません。ですがもし、そのようなお話をする機会があれば、約束します。

「ありがとう」





『Future Of The Past Vol.11』。

ファーマーズプレゼンツ、新作プロモーション映像完成披露試写会が幕を開けた。

彼らが扱うのは多岐に渡るオールジャンルの広報映像である。アーティストのプロモーションビデオを始め、映画の予告編、ファッションショーのビデオクリップ、モデル達のカタログ映像、テレビコマーシャル、企業の宣伝資料映像など、こと映像に関する分野で彼らの影響力は計り知れない。正しく時代のトレンドは今ファーマーズだ。そして世界中でシェアを拡大し続けている映像クリエイター集団のトップに君臨するのが、ファーマーズ創設者であり代表取締役、ニッキー・シルバー・オルセンである。

今夜の試写会はアメリカ全土を含め、世界中の衛星放送、インターネットを経由して、もちろん日本でもWOWWOWのミュージックチャンネルで生放送された。

アカデミー賞の受賞式を彷彿とさせる大きなステージと観覧席。埋めつくすのは世界中から押し寄せたマスコミと選ばれし各界の著名人、セレブ達である。

日の暮れる少し前あたりから会場入りした一行は、本番前の会場の様子を見ることなく楽屋へ案内された。本番開始時刻から逆算した会場入りの予想時間からは大分遅く、色々と見聞を広めたかった私としては残念な気持ちもあったが、後になってこれで良かったのだと納得する事となる。とは言え、建物の地下階にあるバックヤードも十分日本ではお目にかかれない程の非日常空間だった。

通路を行きかう多くのスタッフは携帯片手に前を向いたままイヤホンマイクで喋っているし、ハンガーラックごと台車に乗せて衣装を運ぶスタリスト自身が、表に立つ人間のように華やかに着飾っている。楽屋見舞いに訪れるセレブ達の煌びやかな姿は『ヴォーグ』から抜け出て来たのかとと見まがう程で、私以外全員がその世界では著名な人物なのではないかと思えてならない。どこに目を向けても、何か問題でも起こったのだろうかと不安になる程人の往来が激しい。

そんな中ドーンハンマー一行は案内された楽屋に入ると、いきなり衣装を脱ぎ始めた。

バイラル4の練習スタジオ並みに広い楽屋だが、無意識にソファーの置かれた一角に全員が集まる。

-- せっかく着て来たのに、今脱いじゃうんですか。

示し合わせたように、全員が蝶ネクタイを外す。

「会場見れなかったね」

と、カメラを持つ時枝に向かって繭子が言った。

「でもなんだか熱気とか、単純に音とか、ここにいても伝わってくるのは凄いね」

伊藤がそう言うのもわかる。建物の地下にいてなお、会場のざわめきや至る所に設置されたモニターから流れる映像作品の音で、静かな空間がどこにもない。人々の歩く音、すれ違いざまの言葉の掛け合い、笑い声、音楽、地響き。

「こんなに早く入る必要あんのかよ」

「なあ。プログラムで言うと最後だろ?」

-- 対バンイベンドじゃないんですから、全然早くないですよ、遅いくらいです(笑)。

「腹減ってきたなあ。やっぱりエイミーの晩飯食ってから来ればよかったんだよ」

-- あははは。頼もしいくらい平常運転ですね。全く緊張なしですか。

「私はドキドキしてるよー。キャパ的にはもっと大きい所でやった事あるけど、こういうとにかく派手な催し事は初めてだと思う」

-- だよねえ。繭子が普通だと思う。

「ケータリングあったから、何か見てこようか?」

「お、ありがてえ」

こういう場面でこそ伊藤のバイタリティは本領発揮される。得意の語学力と社交性の高さは昔も今もバンドにとって不可欠な存在だ。

-- わはは。初めて来た場所で、映画の中そのものみたいな世界でちょっと行ってくるって言える織江さんみたいな人になりたい。

「なら一緒に来る?手伝ってよ」

-- 了解です。

「いつも悪いね」

と池脇が声を掛けてくれた。

-- 滅相もない。こんな経験普通なら出来ませんからね、なんでもやりますよー!

楽屋の扉がノックされる。伊藤が開けると、スタッフがハガキサイズの紙を手渡すのが見えた。センキューと答えて扉を閉めると、池脇にその紙を渡して伊藤は言う。

「プログラムだって、確認しておいて。じゃ、行きましょうか」

「じゃあ私も行くー、トイレどこかな」

繭子が立ち上がる。

「ついでに煙草買ってきて」

と伊澄が言って、繭子に財布を放り投げた。

「お駄賃は?」

「お好きにどうぞ」

「ヤ!」




-- 食べながらで結構です。せっかくなので、インタビューさせて下さい。私の個人的な感想ですが、最初に竜二さんからPVを撮るとお聞きした時、まかさここまで大事になるとは思ってもみませんでした。ある程度、今日までの事は想定されていましたか?

R「それはどっちかって言うと、俺らより時枝さんの方が予想出来た筈なんじゃねえの?ファーマーズの事、ここまでスケールのでかい連中だなんて思ってなかったからね、俺ら」

-- 確かにそうでしたね。ホットジンジャーレコードのフィリップ・アンバーソンから話が回ってきた時、どの程度の計画があったのですか?もともとは、広報活動用のPVが一本もない事から端を発しているわけですが、年に1度のこの大々的なイベントに合わせてファーマーズと仕事が出来たのは、運命でしょうか?それとも何か壮大な根回しがあったとか?

R「話自体はもう去年から、あったな。具体的な事は何も決まってなかったけど、去年の海外ツアーの段階で面倒だから早くPVを用意してくれっていう話と、ファーマーズが勢いのあるバンドを探してるらしいって情報は小耳に挟んでたよ。特にこちらから何かを働きかけたわけじゃないから、運命っちゃー、運命かもな。フィリップからファーマーズって聞いても、俺達自身はピンと来てなかったし」

-- ではファーマーズ側も今日のこの日の為にバンドを探してた中で、あなた方に出会ったという事なんですね。

R「フィリップとジャック(オルセン)が知り合いだってのもあって、そこでうまく話が進んだんだろうな」

-- その時はこういうイベントで、ファーマーズの企業戦略に起用されるという意識はありましたか?

R「あはは、ないない」

-- ではこうなってみて、びっくりしている以外の感想は、何かありますか?

R「つまるところ、一番大きな、当初の目的は果たせたからな。その、広報用の映像を作るって意味では、考えられる最大の効果を発揮出来る物が作れたわけだ。内容もそうだし、まあ、ネームバリューがその上を行っちまってるのは癪だけど」

-- そうですね(笑)。

R「だからそれ以外の事は正直なんでもいいな。特に俺なんかが思うのはバンドにとってPVはプロモーション以外の意味はなくて、作品という意識は全然ない。おそらく今日を境にあの映像は一人歩きすると思うけど、だからと言って俺達の何かが変わるとも思ってないし、なんだったら名前を出しただけで、ああ、知ってるよ、あのPVのバンドだろ?って言ってもらえんなら、話早くて助かるよ。そんくらいの感じ」

-- なるほど。まだ私も断片的にしか拝見していませんが、やはりかなり凝った造りですね。バンドの勢いや素顔といった生々しさは抑えられて、作りこまれた世界観と映像で、ともすれば誤解を与えかねない作品だと言えます。

R「そこもな。別にいいかなって。この先PVをあと何本作るから分からねえし、作らないかもしれねえけど、今言ったみたいにそこに俺達の全部があるとは全く思ってないんだよ。単純に、興味を持って見れてくれたらそれでいい。そこから、ドーンハンマーってなんだ?ほかにどんな曲があるんだ?って思ってくれたら嬉しいよ」

-- よくわかりました。普段と勝手の違う撮影だったと思いますが、一番苦労された所はどういった点ですか?

R「ちょっと時間が経っちまってそこまで苦労した記憶が残ってねえなあ。でも、印象深いなって思ったのは、意外と自分達の格好いいと思ってる音や動きなんかがそのままピックアップされてたりして、理解されてんなあとは感じたよ。例えば、ギターソロなんかで速弾きのパートがあったりすると、大概のPVってその瞬間のギタリストのワンショットだったり、手元のアップだったりするだろ」

-- そうですね。

R「けどそこは俺達としてもそんなに格好いいとは思ってないんだよ、いわゆる視覚的には。そんなことより、ギターで言うと翔太郎の足の踏み込みだったり、演奏と直結してない感情表現の方が、アガルっていうかね」

-- マニアックな目線ですが、とてもよくわかります。

R「どうやって演奏してるかとか、そんなトコ見て欲しくないしね。なんなら何も考えずに聞いてほしいし、見て欲しいし。そういうバンド側の目線を持ってる作り手だなって感じたよ」

-- なるほど。

R「もともと絵コンテが決まってただろ。だから絶対にそこをそのままやるもんだと覚悟してたんだけど、意外にもその場で変更があったり、そういうのを一つ一つ確認してくと、ただ素材として扱われてるというより、バンドの良い部分を見る目をきちんと持った奴に相手してもらってるっていう印象はあったよ。さすがだなって」

M「でも何やってるか分からないっていう不安はありましたよ」

-- と言うと?

M「細切れなの、全部が。こっちは分からないから、ここの部分から音をくださいって言われて演奏するんだけど、ストップがかかるまでどこまで演奏していいか言われないし、どこを使うための演奏かも分からないの。英語喋れたらそこらへんもっとうまくコミュニケーション取れただろうなあっていう思いはあったけど、そういう雰囲気でもないし、そもそもそんな近くに人いないしね。最後の方はもう言われるがままで」

-- 物作りをしているという実感が薄いままだった?

M「はっきり言っちゃうとそうだね。後でね、モニターで確認して、ああ、こういう事かってわかる時もあるんだけど、割とスケジュールがタイトになったから、毎回毎回自分の撮った部分見れなかったんだよね」

-- 構図的には、ストーリー性のある映像だと思うし、竜二さん、翔太郎さん、大成さん、バーサス繭子、みたいな世界観だったと思うけど、何かニッキー側から演出指導はなかったんですか?

M「やたらとパッション!パッション!って叫んでた気がする」

-- あははは!

M「いや、そうなの。助けてーと思って織江さん見るとさ、今みたいに笑ってるし本当に困ったんだよ。パッションって言われてもパッションフルーツって言葉しか思い浮かばないしさ、そもそもパッションフルーツの形知らないし、もうなんだよこの白髪って思って」

(一同、笑)

T「ずっと不機嫌だったもんね」

M「飲み込みが遅いっていうのもあるんですけど、そことは別に分かった事があって。私思ったんです。私は多分このメンバーで誰よりも翔太郎イズムを受け継いでる人間なんですよ」

S「え、何?」

M「自分でコントロールできない事が何より嫌いなんだってはっきり分かりました。これはもう翔太郎さんのせいなんです。教育の成果なんです。だからもう、仕方ないと割り切りました。こちらからは以上です」

R「あははは!」

S「おいおいおい」

-- 確かに繭子のそういう一面は感じますよね。それはやはり、ドーンハンマーとして己を磨き続けてきたこの10年で培った、バンドの目指す音楽性への回答なんでしょうね。

R「そこがだから、さっき俺が言ったように、PVをどう捉えるかによって気持ちの持って行き方に個人差が出たってことなんじゃねえかな」

S「相手が誰であれ譲らないっていう事なんだろう、繭子は。たとえそれがPV制作であれアルバム制作であれ関係ない、ドラム叩く以上同じ。自分が納得してない状態で勝手に話進めんなっていう」

M「翔太郎イズム」

S「違う違う、それはお前イズム。繭子イズムだから」

M「えー!?」

T「いや。似てると思うよお前らは。だから今回の撮影に関してはよく翔太郎がごねなかったなって思った部分も一杯あったし、繭子を諭してたの後で知ってびっくりしたもん。大人になったなーって」

S「あはは。似てる似てないは置いといて。勘違いしてほしくないのは、俺はいつだって俺の音を出すよ。それがどういう条件であれ、相手が何を要求したんであれ、俺は俺の音を出すし、実際にそうやってOKを出させる。だから作業が細切れだろうが、今何やってるか分からない状態だろうが、弾けと言われたら弾くし自分にしか出せない音を出す。それがプロだろ。それが言うなれば俺イズムだ」

-- 惚れた!

M「ふあああ、勉強になります!…っていうかそうやって撮影中に喝入れてよー」

-- もう終わっちゃったもんねえ(笑)。

R「そこはやっぱり、年齢とかキャリアの差が出たな」

S「年齢かねえ。でもどっちかって言うと、考え方として正しいのは若い繭子の方なんだけどな。こいつが言いたいのはきっと、相手の要求にちゃんと答えたいっていう生真面目さから来るイライラなんだよ。分かるように言えよ、ちゃんとやってやるからって」

T「翔太郎のそれはどっちかって言うと唯我独尊的な」

S「そうそう。お前の言う事なんか知るかと。俺の音を聞け、撮れ、後の事は知らん」

T「そう聞くと実に翔太郎らしいね(笑)」

R「でも確かに、一番色々と要求されたのは繭子だと思うし、よくやったと思うよ。ドラム叩く以外の事もたくさん要求されてたしな」

-- いわゆる演技的な部分ですよね。

M「あれを演技と呼んでいいものか、果たして」

S「結局あれはなんなの?何がしたいっていう話なの?」

-- え、そこを理解せずに撮ったんですね。ある意味一番凄い発言ですね。

S「え、そうなの。皆理解してやってんの、あれ」

T「だって最初にストーリーの説明あっただろ」

S「全然意味分からなかったんだよ。これ多分あと5回聞いても分かんねえなと思って。もういいやって」

R「くはは!うちの怪物はこれだよな、これだよ。さすがだよ」

S「いやいやいや、話がどうこうじゃなくて、そういう絵を撮りたいのね、こういう事がしたいのねって言うのはなんとなく感じるじゃない。前後の絵の繋がり見てさ、ここ結構重要なポイントだな、とか。そこらへんは感覚でわかるんだけど、じゃあどういうお話?って聞かれると全く分からない。っていうかお前らマジで分かってんのか?」

R「当たり前じゃねえか。説明受けたって何度言わせんだよ」

S「えー、…じゃあ繭子!」

M「もー!今絶対来ると思ったんですよー!」

S「ほら分かってないだろこいつ」

(一同、笑)

-- 凄いですね。このインタビューを見たらニッキーもジャックも呆然としますよね。

R「要するに、繭子がァ、今にも封印が解けそうな悪魔っていう設定で、それを俺達3人が歌と演奏で封じ込めようと戦いを挑むわけ。だけど繭子の圧倒的なパワーとドラミングによってどんどん封印が解けていってェ、最終的には…おい、ちゃんと聞いてくれよ恥ずかしいだろ」





会場内の空間全てを拍手と歓声が埋めつくす。

ニッキー・シルバー・オルセンが舞台に登場した。

天井から釣り下げられた3台のオーロラビジョンに彼の姿が映し出される。

しかしそれを舞台袖から見ているドーンハンマー一行は、会場を埋め尽くす人の多さに気を取られてそれ所ではない。

それもそのはずだ、午前中初めてこの建物に足を踏み入れた時に感じた既視感。何故なら、ここはアカデミー賞授賞式が行われるドルビーシアターに似ているのだ。後に確認した所では、敢えてドルビーシアターの座席数3400席を上回る3500席を配した劇場型シアターである。

本来ドーンハンマーのようなバンドがコンサートを行う会場は屋内であれ野外であれ、そのほとんどが平面であり、スタジアムやアリーナのような球場型でも、ある程度ステージからの距離は確保されている。

しかし劇場型の場合、ステージを3方向から囲む観覧席は、奥行きではなく高さで収容人数を確保している為、端的に言えば、ステージからとても近い。

オペラやミュージカルを見る為に作られた様式の劇場で、デスラッシュメタルバンドである彼らがプレイした経験はこれまで一度もない。

おびただしい数の目がステージを向いているその凄まじい光景は、決してリハでは想像できない迫力だった。ここまで盛大なイベントだとは、今の今まで知らなかった。なるほど、地下において鳴りやまない地響きを途切れる事なく感じ続けたのはこの為だ。

会場のキャパ的には、ラウドパークなどが開催されるスーパーアリーナと比較すれば10分の1程でしかない。だがそこにいるのはメタルTシャツを着てタオルを首に巻いたキッズ達ではなく、尋常ではない台数のカメラと報道人、眩いドレスに身を包んだセレブ達、ハリウッドの俳優達、そして名立たるミュージシャン達である。

こうなれば逆に良かったのだと改めて思う。初めからこうだと知っていれば、きっと緊張で吐いたかもしれない。

舞台袖でニッキーの登壇を見守る4人の顔にも、さすがに緊張の色が見て取れた。

彼らから3歩離れた位置に立つ伊藤が、私のカメラ向かって手招きする。

もう少し近くに来ればいい、という事だろう。

確かに今私は彼らから10メートル以上離れた場所に立ってカメラを回している。

しかしここで良い。

今私の回すビデオカメラのレンズには、世界が映っているのだ。

舞台袖の薄暗がりの中、日本からやってきた4人が光の世界を見つめている。

傍らには常に彼らを支え続けてきた幼馴染のマネージャーがいる。

その側を忙しそうに行き交うスタッフ達。

作品の上映を終えてほっとしたのか、円陣を組んで泣いている者達もいる。そんな彼らに歩みより、肩を抱いて労いの言葉を掛けるプレゼンターは、銀幕で何度も見た事のある大物女優だ。

皆ここで戦っている。ここはファーマーズだ。

ここで戦える事がすでに選ばれし者と称される資格を有している。

私が追い続けたドーンハンマーという夢が今、この場所で花開こうとしていた。





「盛大な拍手をありがとう。

改めて今夜お集まりだいた事に感謝の気持ちを言わせてもらう。

ありがとう。本当にありがとう。

私がニッキーだ。ニッキー・シルバー・オルセンだ。

そうだ。もう知ってるな?」



繭子が何度も真似をした、「ヤ!」が早くも飛び出した。

袖で3人の男達に囲まれて立つ彼女が、「ヤ!」と言ったのが微かに聞こえた。



「私はクリエイターだ。

話をするのはそんなに得意じゃない。…嫌いではないがね。

だから今夜君たちにお見せする私の作品について、言える事はそんなに多くはない。

敢えて言うとしたら、今回の作品もこれまで同様、私の目指す夢の一部だということだ。

私の夢は、今君たちが見ている煌びやかな商業ビジネスの世界や、豪華な装飾品や、アメリカンドリームなんかでは決してない。

私の夢は、日常を生きることだ。

そして当たり前に感じる日常が、当たり前などではないという真実を、

映像を通して君たちに知ってもらうことだ。

人は毎日息をする。

毎日歩く。

調子の良い日は歌も歌うし、悲しければ泣くだろう。

それは当たり前の事だろうか?

私はそうは思わない。

絶対に違う。

その事を今から皆さんにご覧入れようと思う。

今回私の夢に出演してくれた日本のバンド、ドーンハンマーは、

言うなればそんな日常の向こう側に隠れている真実だと思ってほしい。

本当に彼らは、素晴らしいエネルギーに満ちている。

少々、うるさいと感じるかもしれないがね」




この会場へ向かう直前、楽屋を最後に出ようとした私の所まで、池脇竜二が戻ってきた。

忘れ物かと思い扉の前で横にずれると、いきなり壁ドンをされた。

びっくりして言葉を失っていると、池脇はとても優しい声でこう言った。

「前に、繭子の髪の毛を今の色にした時の事覚えてる? あん時さ、皆言ってたろ。繭子はもっと注目されるべきだって。きっかけはどうあれ、もっとちゃんと注目されて、そいで、メチャクチャ格好いいドラマーとして世界中に認識されるべきだって。今日がそうだと思わねえか? やっとだよなぁ。やっとここまで来たよ。時枝さんも、喜んでやってよ」

わざわざそれを言いに戻って来た彼の声は、一番そのことを喜んでいるようだった。

今、舞台袖でニッキーのスピーチを見つめている池脇は、不遜にも両手をズボンのポケットに突っ込んだままだ。だがそんな見かけのぶっきらぼうさとはかけ離れた、繊細な優しさと熱い魂を、彼はその身に宿している。

彼の横顔を撮る。

池脇竜二がいなければ、バンドはここにいなかっただろう。

その時、彼が私のカメラに振り向いた。

そして、にっこりと私に笑いかけた。

私の全身を震えと込み上げる涙が襲った。



『皆、何かを抱えて生きてんじゃねえのか』



彼の言葉がまたも蘇る。

世界に認識されるべきなのは繭子だけじゃない。

あなた方全員がそうあるべきなのだ。





ひときわ大きな拍手が沸き上がる。

ニッキーのスピーチが終わり、プレゼンターであるリディア・ブラントが入れ替わりで登場した。シンプルなドレスに身を包んだリディアは、初対面の時より何倍も美しかった。スパンコールの散りばめられたオフホワイトのシックなドレスに、薄いピンクのケープを羽織っているだけの落ち着いた衣装なのだが、彼女がリディア・ブラントだというだけで、どんなゴージャスなドレスも太刀打ち出来ない美しさが滲み出ているのが分かる。

拍手が収まるの待って、会場に向かって微笑みかける。

本当に繭子と同じ年なのか?あの落ち着き払った立ち居振る舞いと自信は、一体どこから来るのだろう。

一瞬舞台袖にいるドーンハンマーの方をちらりと見て、話し始めた。彼らがスタンバイを終えているか確認したようだった。



「ハイ。アメリカンドリーム代表、リディア・ブラントです」



会場が笑い声に包まれる。



「皆さんの中には今夜、初めてドーンハンマーを見るという人もたくさんいるでしょう。

何故私がここに立って、彼らを呼び込もうとしているか、ご存じない方も多いと思います。

ありがたい事に天才ニッキーが仕事を早めに切り上げてくれたおかげで、私には少しだけ長めに話をする時間が残されているようです。

ありがとう。

あー、…私はハリウッドで女優をしています。

しかしキャリアは浅く、自分でも満足のいく仕事が出来ているとは、

正直まだ思ってはいません。

私がこの世界に入って間もない頃、知名度もなく、名前の付いた役柄ももらえず、

どこに向かって歩いて良いか分からなかった時代、

ドラッグとアルコールの誘惑よりも何倍も魅力的に私の心を掴んだのが、

ドーンハンマーの出すありえない程の大きな音と歌声でした。

ニッキーは先ほど、彼らが日常の向こう側にいる真実だと言いました。

私も心からそう思います。

人は誰でも、自分だけの日常を生きていますよね。

どこにいようが、誰といようが、何をしていようが、それは関係ありません。

自分だけの毎日を、ただひたすらに生きています。

しかし私は日々、誰かの人生を演じて生きています。

そうすることできっと、必要としてくれる人の心に響く存在になれると信じているからです。

だけど人は、いつだって弱い生き物です。

弱音を吐く時も、誰かにすがりたい時もあります。

初めて訪れた海外の地で、名前も分からない薄暗い路地裏で、汗と埃にまみれながら、

ただ一人、自分を信じ切れずに、それでもなんとか己を保ちながらギリギリで戦っていた。

そんな時代、あの頃の私を支えてくれたのが彼らの音楽でした。

私が今夜ここに立っているのは、天才ニッキー・オルセンの作品を紹介するためではありません。それはニッキーの仕事ですからね。

…ああ、ジョークよ、分かるわよね?

ただ本当に、今夜彼らを私自身の声で呼び込む事が出来るのは、

とても光栄な事であり、何より幸せな事だと思っています。



…あの頃の私になり代わって、今あなた達の名前を叫びます!」




「Come on !! DAWN HAMMER !! from my heart!!」




鳴り響くSE。

地割れを起こす勢いの拍手。

手を振るリディア・ブラントに向けられた歓声。

舞台袖に向かって歩き出す彼女のもとへ、ドーンハンマーが歩みよる。

ステージ中央と舞台袖の丁度真ん中あたりで、池脇とリディアがハグを交わす。

後ろから彼に続いて、繭子、神波、伊澄の順番。

リディアとすれ違いステージ中央へと歩く4人。

オオオ、と小さなどよめき。

神波と伊澄が、繭子の腕を掴んで空中へ持ち上げたのだ。

もちろん繭子は聞かされていない。

飛び降りるようにステージ着地した繭子は、両手で顔を覆い、

伊澄を叩く真似をした後観覧席に向かってお辞儀した。

池脇は振り返ってメンバーに拍手を送り、

自分の持ち場へスタンバイする彼らを見守った後、一人でステージ中央に立った。




胸が、張り裂けそうだ。




鳴りやまない拍手。

観覧席を見つめる池脇竜二。

右から左へ。

奥から手前へ。

拍手が鳴りやんだ後も、微笑みながら彼は会場を見つめた。

彼の言葉を待っているような空気が流れてもなお、彼は微笑んだままだった。




しん、と。

会場が音を消した。




「俺は…。

俺達は、自分が何者でもない事を知っている」




と、彼は言った。

もちろん英語である。

名乗りもしない。

感謝の言葉もない。

一瞬ヒヤリとした。

しかし、池脇の顔から緊張の色は消えている。




「ある者は俺達をスラッシュメタルバンドだと呼び、

ある者は日常に潜む真実だと呼び、ある者は、島国の猿と笑うだろう。

どれも正解だと思う。

だけど俺達はきっと、まだ何者でもないし、

きっと死ぬまで、色んな名前で呼ばれ続けるだろう。

ニッキーの作品に出たバンド。

とてもうるさい日本人。

ドラムが女の子?そんなのアリか?

…だけど、それは皆同じなんじゃないかな。

君達だってそうだろう?

今日ここにいる君達は、きっと色んな世界で成功を収めたに違いない。

だけど時には嫌いな上司に罵られ、

恐ろしい妻に罵倒され、

反抗期の娘に嫌いだとそっぽを向かれる事もあるだろう。

…皆色んな名前を持っているんだろうな。

例えば、成功者。

トップクリエイター。

監督。

俳優。

歌手。

実業家。

パパ。

ママ。

…そんな君達の前で、ここに立っている俺達は何者だろうか?

ニッキー・オルセンという稀有な才能の前では、俺達は『出演者』だ。

最高の経験をさせてもらったよ。

ありがとう、ニッキー。

この世で最も優れたクリエイターの一人だ。

アンタと、アンタの息子はね。

そしてリディア・ブラントというハリウッドの至宝にとって、俺達は『ヒーロー』だろう。

…ちょっと格好良く言い過ぎたな。ごめん、冗談だ。

ヒーローみたいなもの、にしておこうか。

だけど考えてみれば、誰もが人生の出演者であり、誰もが誰かのヒーローだ。

そうだろ?

俺達はまだ何者でもないが、きっと誰かの特別な存在だと信じてる。

君達がきっとそうであるようにだ。

俺達は遠く離れた日本からやってきた。

この先君達とは二度と、こんな距離に近づくことはないかもしれない。

だけど、それでも一つだけお願いがある。

俺達の出す音はとてもうるさい。

一発で嫌いになるかもしれない。

そんな事はどうでもいい。

俺達はただ、自分達が格好良いと思う音楽だけを追いかけてここへ来た。

だからそれ以外、伝えたいメッセージなんて何もない。

俺達の願いは、ただ一つだ」




池脇は2歩、後ろへ下がった。

照明がゆっくりと落ちていく。




「絶対に、俺達を忘れるな。

いつだって俺達はそこにいる。

俺達が、…ドーンハンマーだ」




We are ... DAWNHAMMER .




すううー、と、池脇が息を吸い込むのが見えた。




「俺達が!! ドーンハンマーだァ!!(日本語)」




絶叫という合図。

メンバー3人の渾身の音が炸裂する。

照明が一気に彩度を上げて4人を照らし出す。

大歓声。

立ち上がって両腕を上げる者もたくさんいる。

釣られて立ちあがる人々の姿。

天井から吊り下げられたオーロラビジョンに、ファーマーズ製作のPVが映しだされ、

同時に何度も頷きながら親指を立てるニッキー・オルセン、

目尻を拭いながら笑っているリディア・ブラントの姿が大写しになる。

そして両腕を振り回して踊り狂うジャック・オルセンが映し出されると、

笑いと歓声のボルテージが最高潮に達した。

池脇はしてやったりという顔で自分のギターを肩に掛けると、メンバーを振り返った。

そして観覧席に向き直ると、「カモン」と絶叫した。




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