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「芥川繭子という理由」  作者: 時枝 可奈
23/77

連載第23回。「歌のチカラ」

2016年、9月18日。




URGAが再び遊びに来ると聞いて、バイラル4スタジオを訪れた。

メンバー4人の前で行われた、忘れる事の出来ないあの夜のプライベートコンサートから早くも4ヶ月近くが経とうとしている。一つの季節を跨いでいる事実よりももっと、ここでURGAと4人を一緒に見るのがとても懐かしい事のように感じる。

彼女の到着予定時間に合わせて早い時間に練習を終えた池脇達4人だったが、外で食事をとっているというURGAと伊藤織江を迎えに行くと言い残し、神波一人スタジオを出たそうだ。

練習スタジオ内に残っていた池脇に声を掛けて話し始めた所へ、伊澄と繭子が途中参加で輪に加わってもらい、今回の収録は始まった。



-- お疲れ様です。

R「お疲れさん。え、もう来た?」

-- まだです、先ほど大成さんがお車で出て行かれるのを茫然と見送りました(笑)。

R「ああ、迎えに行ったのかな」

-- なるほど。少しお話しても良いですか?

R「いいよ」

-- 次回作の制作が順調に進んでいるとお見受けしますが、今回もこれまで同様セットリストの先出し、といった印象でしょうか。

R「コンセプトらしいコンセプトを設けないっていう意味ではずっとそうだからな。ただ今回一番初めに出来て、次回作用にレコーディングした曲が多分、これまでの中で最速のリフを持ってんだよ」

-- 『BATLLES』ですか?

R「そうそう。あの曲はどちらかと言えば、爆走というよりテクニカルな部分が前に出るナンバーだし、アルバム全体を見た時にどちら側に振ろうかっていう話で揉めてんだよな。曲自体はもう、しつこいけど、あるから」

-- 選ぶのが難しいわけですね。

R「そう。ただ選べば良いってもんでもねえしな。曲のストックがあるっつっても、そこからレコーディングして肉付けしてく段階でめちゃくちゃ印象変わる事が多いし、出来上がって見れば全然思ってた曲と違うってなる事もあるしな」

-- なるほど。どちら側に振る、というのは?

R「テクニカルな部分を強調していく方向で曲を増やすのか、『BATLLES』だけ特別なキラーナンバーとして浮き立たせて、従来通りの爆走系で埋めていくのかって」

-- それは迷いますね(笑)。前回は7:3くらいで爆走系でしたが、心境の変化もありますか?

R「色々、思う所はある」

-- そうなんですか。

R「爆走系とは言いながらさ、別に簡単な曲を選んでやってるわけじゃねえもんな」

-- それはそうですね、今日本であなた方の曲をコピーできるバンドはいませんから。

R「それは分かんねえけど、そういう中で見ても『BATTLES』ってやっぱり特別なんだよ。やり切ってると思うし。ただそういう曲をせっかくやれるバンドなのに、特別扱いしてていいのか?って」

-- それを当たり前のように量産出来るバンドでいたいと。

R「ああ。とは言えだ。どっかで、何も考えらないぐらい、ひたすらワンフレーズを鬼みたいな速度で引き倒す曲も、やって楽しいし好きだからな。迷う」

-- バンド結成時の衝動と言いますか、真骨頂はそこである気もしますし、難しいですね。贅沢な悩みだなあって気がしなくもないですけど。

R「普通だろ」

-- 出来る事が多いバンドですもんね。でも迷い甲斐がありますよね。

R「そうだな。ただやっぱPV撮影は大きかった。今更こう言っちゃあなんだけど、まさかのまさかだったんだよ、俺達にしちゃあ」

-- 『COUNTER ATTACK : SPELL』という選曲がですか?

R「びっくりだよ!ただもう作っちまっただろ。あんたが言ったみたいに、今後あれが世界的には俺達の顔になるわけだよな。そこへ来年3月に新作を出すと。やっぱそっち系を期待されんのかなって。でも時枝さんが言うような、俺らが自然な流れでアルバム作ったら7:3で爆走系になるんだよ」

-- なるほどなるほど、PVの件も関係してくるわけですねえ。今の段階だとどちらが優勢なんですか。

R「まだどっちでもねえなあ。単純に今演りたい曲を並べてみて、そこからちょこちょこ変えて行こうかって話はしてるけど。だからそういう意味で言うと一応、考えてはいるよな。そこはこれまでと違うかな」

-- テクニカル系の曲と爆走系の曲と、どっちが楽しいですか?

R「俺? 歌に関してはどっちも面白い。ただ役割分担って言葉をイメージする事が多くてな。爆走系って、特に後半一本調子な歌になりがちなんだよ、ならないように気を付けてはいるけど。でも単純だけどやっぱ最高に燃える。その点テクニカルな曲になるとどうしても歌パートに割く曲中の割合って狭いんだよ。そこで無理くり歌いこなす面白さもあるし、曲の構成力とか組み立ての妙技みたいな所でも楽しめるだろ? そういう時って真ん中に立ちながら、うちの奴らってホント良い仕事するなあって惚れ惚れしてたりすんだよ」

-- あははは、素敵なお話ですね。

R「違った楽しさがあるよな」



伊澄と繭子がスタジオ内に戻ってきた。

ソファーに腰を降ろして一息ついた伊澄へ、こんな質問を投げかけて見る。

-- お疲れさまです、翔太郎さん。次回作に収録予定の『BATLLES』は翔太郎さんの作曲ですが、ご本人としては爆走系とテクニカル系の曲ってどちらがやりやすいんですか?

S「…」

考えている様子。

伊澄の横に繭子が腰を降ろす。手にはラベルの無いペットボトル。中には透明の液体。

-- お疲れさまです。

M「お疲れさま」

S「やりやすいって?作曲しやすいってこと?演奏?」

-- 失礼しました。作曲しやすいのはどちらかという事です。

S「作曲だとただ速い曲かな。極端な事言えばリフが2つしかなくても曲に出来るから」

-- なるほど。

S「ただ俺の場合リフから入るのがほとんどだから、気が付いたら短いリフばっかりを連続して繋ぐみたいな曲が出来上がったりするんだよ。そういうのが『SPELL』みたいな奴」

-- あの曲は本当にびっくりしましたよ、初めて聞いた時。

S「なんで?」

-- 昔のアルバムから順序立てて聞いていくと、失礼ながら、本当に色んな顔を持ってるバンドだな、というのが分かりますよね。ハードコア的な要素もあり、勢いと激しさに重点の置かれた『FIRST』ら始まって、卓越した技術を引っ提げてのメロデス系があり、そこを経てまさかの爆走系へシフトチェンジです。メロデスから更に速く重くなったバンドを私他に知らないので、当時あまりの格好良さに震える程感動したんですよ。チルボドと比較されてる記事を読んだ事ありますけど、私は全然違うと思ってます。チルボドは明らかにメロデス時代の方が曲のクオリティ高かったですから。曲の質よりもサウンドのクオリティや流行のノリを重要視したおかげで消えていったバンドが山程いる中であなた方は…、脱線しましたがそこへ来て前回、更に磨きのかかったテクニカルな要素をこれでもかと入れて来るって、もうどんだけ引き出しの多いバンドなんだよ!って。

S「持ち上げるねー」

M「あはは、語る語る(笑)」

-- はい(笑)。私はこういった変遷を大歓迎するタイプですが、ファンの中にはきっと「前の方が良かった」っていう人も出て来ると思うんです。そのくらい、色んな顔を持っているバンドだと思います。『SPELL』に関してはアルバム曲なので面白いという捉え方が出来ますが、『SPELLみたいなアルバム』を作った時、どんな反応が返って来るか怖くなりませんか?

R「あー、ははは、なるほど」

S「そりゃまあ、曲を書く人間としては考慮する所なんだろうけど、別に怖くはないよ。どういった曲が並ぶんであれ、少なくとも俺は格好良いと思う曲しかやらないし」

M「ふふん。身もふたもないですよ、それじゃあ」

-- 先程竜二さんともお話しましたが、もうすぐ世界的にはドーンハンマーの顔が『SPELL』になります。その先アルバムを出すにあたって、迷ったりされませんか?

S「俺が? どうだろうな。ソロアルバムじゃないんだし、もちろん皆の意見は聞くよ。ただなんとなくだけど、蓋を開けてみれば何にも変わらねえなって言ってる気がする」

R「それ笑って言う事か?駄目なんじゃねえの?」

S「いや、良い意味でよ?今言えるのは曲自体もそうだけど、演奏とか構成力ってここへ来たまた各自のスキルが上がってると思うんだよ。特に大成がウチにいる意味は大きいよ。いい加減あいつに頼らなくても自分が思う通りの音を作れなくちゃいけないんだけど、あいつのフィルター通して出て来る音聞いちゃうと、ああ、これでいいじゃんもう、ってなるし」

R「あははは」

M「分かります」

-- 例えばどういう事ですか?

S「例えば、『BATLLES』なんかもそうだけど、俺がひたすら無茶なリフを書いたわけ。超マゾい奴。あれって最初っから最後まで俺だけずーっと弾きっぱなしでも良いんだけど、それだともうサーフコースターズみたいに聞こえるんだよ」

M「ははは!これ分かる人いるかなあ。めっちゃ笑えるんだけどな」

-- 速度とピッチ間隔が全然違いますが、分かりますよ(笑)。

S「そこを大成と繭子でどうデスラッシュに仕上げるかっていう段階でさ、例えば俺なんかはもう一個並走する音で厚みが欲しいなって思うわけ」

-- 竜二さんのサイドギターですね。

S「うん、でも無理なわけ。こいつが俺と並奏しながら歌うとか」

-- あははは!あ、ごめんなさい。

R「いやいや、そもそも弾けないってあんなの」

S「俺はだから迫力とか音の厚みとかを考える時どうしても、音を足す方向で考えるけど、大成は俺の音そのものを変えて来るんだよ」

-- ああ、なんか凄いですね、そこから変えて来るんですね。

S「うん。前もちらっと言ったと思うけど、音が見えてるとそういう発想がポンと出て来るんだよ、あいつは。リフとか速さとかは全く弄らないし俺の好きなようにやらしてくれんだけど、音はホントに変えてくるよ、凄い要求される。けどその通りやるとしっくり来るんだよな。大成も繭子も絡んで来やすいみたいだし」

M「格好良い音というよりも翔太郎さんの音じゃないと、私達も絡み辛い時ってあるんですよ」

S「それちょいちょい言うけど俺意味分からないもん」

M「あるんです、なんか(笑)」

-- 大成さんもそう仰るんですか?

M「どっちが格好良く聞こえるって言われたら、翔太郎が一人で弾いてる方がクリアな分ズッシリ聞こえるって。音を足すと、はっきりと『足した音』に聞こえるからっって」

R「言わんとしてる事は分かる」

S「俺分かんねえ」

R「ダブルボーカルって際立つけどよ、あ、ダブルボーカルになったって、聞いた瞬間気付くだろ?」

S「うん」

R「そこに気を取られたくないって意味なんじゃねえかな?」

S「ああああ、今分かったわ。え、それで絡み辛いって言われたらお前の立場ないな」

R「あ」

M「全部じゃないですよ!」

(一同、笑)

-- 凄い細やかな話ですね(笑)。でもそれ、どういう世界が見えてるんだろう、大成さんて。ちゃんと聞いてみないといけませんね。

S「で、なんだけっけ。そうだ。結局さ、どういうタイプの曲を作ったとしても、間違いなく前回を飛び越えるクオリティには仕上げるから、爆走とかテクニカルとかそんな枠組み意識しなくても大丈夫だと思ってるんだよ、俺は」

-- なるほど。心強いお言葉ですね。

S「結局一番美味しい所は全部竜二に持ってかれるしな」

M「それも、分かります!」

R「嫌なんか!」

(一同、爆笑)

繭子が携帯を取り出して確認する。

M「お、予想より早かった。ご到着です」

R「めちゃくちゃ久しぶりな気がする。アレ以来だろう?なんか緊張する」

伊澄が背伸びをしながら素直に頷く。

ドアを隔てた廊下の奥から、微かに、少女のような明るく高い笑い声が聞こえて来た。




「ハロー!エブリワン!グラッド・トゥ・シー・ユー!アゲイン!」

両手でドアを開け放ち、頭上高く手の平を掲げたままURGAが入って来た。

薄いピンクのドレスに、黒のコートを羽織っている。

明るい笑顔、明るい声、温かな眼差し、お芝居のような英語、そして完璧な発音。

真っ直ぐに伊澄の前へ歩てくると、そのままハグ。立ち上がった池脇にもハグ、繭子にもハグ。気遅れしてしまう私が深々とお辞儀すると、笑って「なんだよー」と彼女は言った。後から遅れて神波と伊藤織江が入ってきた。

「めっちゃくちゃ会いたかったです、URGAさんに」

繭子が笑顔で両手を広げると、URGAは下から彼女を覗き込んで、

「本当ー?じゃあ、会いに来いよー、ヨーロッパまでー!」

と言った。

「あはは、ほんとですね、行けばよかった」

「翔太郎君も会いたかったでしょー?」

当たり前のようにそう言うURGAに、伊澄は苦笑を浮かべて「ああ、はい」と答える。

「この温度差がもうなんか、懐かしいね(笑)」

この日は特に何か用事あったわけではないという。ただお互いが海外へ行っていた事もあって、積る話に際限なく花を咲かせたり、お酒を飲んだり、突然歌い始めたり、踊り出したり、お腹を抱えて笑ったり。そんな気軽で気の置けない友人同士の語らいの夜だった。

私はそこに分け入って水を差す気はさらさらなかったので、こちらから何かを質問する事を密かに禁じていた。普段は全員揃って応接セットのソファーに座っている事が多いのだが、今日は何故か各自が色んな場所に離れて話をしている。

PA室では神波と真壁がBGMを選曲している。

入口付近では池脇と伊藤織江とスタッフの渡辺が缶ビール片手に談笑している。

楽器セットの中ではドラムに座った繭子の側にスタッフの上山が立ち、真剣な顔で何かを話している。

今ソファーに座っているのは、伊澄とURGAのみであった。

私はこの時会社からの電話に出ていて席を外している。

伊澄の横に腰かけたURGAは、敢えてそうしているのか、とても小さな声で話を始めた。

「元気だった?」とURGA。

「ちょっと前に、PV撮った」と伊澄。

「うん、聞いた。ファーマーズだってね、凄いねえ」

「恵まれてると思うよ」

「いつ見れるの?」

「もうすぐかな。タイミングがあるみたい、発表の」

「へー、まだデータ貰ったりもしてないんだ?」

「まだね。うん」

「今度私に曲書いてよ」

「え?」

「翔太郎君の書いた曲に詩を乗せて、歌いたいんだよ」

「PVの話終わった?」

「終わった」

「びっくりした」

「書いてくれる?」

「それは何、今度はお前の番だろ、的な」

「的な。…嘘。違うけど、向こう(ヨーロッパツアー)でね、そう考えてたの」

「そうなんだ。ウチ(ドーンハンマー)でってこと?」

「ううん。伊澄翔太郎でってこと」

「へー。全然構わないよ。気に入るか分からないけど、書くよ」

「本当?」

「うん。ゴリゴリのスラッシュメタルナンバーをプレゼントする」

「あははは。両手でマイク握って、絶叫しなきゃだね」

「あはは、いいね」

「え、真剣にだよ?」

「分かってるよ、ちゃんとやる」

「ありがとう」

「これ、内緒の話じゃないよな?」

「…できれば?」

「撮ってるよ、あれ(カメラ)」

「あーっ。そーだったー」

「あはは。言えばちゃんと消すよ、あの人は」

「ううん、どうせ発表して音源化したくなるだろうし」

「じゃあ、ノーギャラでやります」

「イーエス!助かる!」

「嘘つけって」

「ねえ?」

「うん」

「元気だった?」

「元気だよ」

「…うん、そうか」

「そっちは?」

「元気だった」

「そっか」

「ごめんね、変な電話して」

「別に。こちらこそ、ご要望に答えられなくて。…怒ってないからな」

「え?…あー、はは、そうか、オリーか」

「何日くらい行ってた?」

「2週間ぐらいかなぁ。もう先々月なんだねえ、まだついこないだな気がする」

「な。俺らも2週間だった。何カ国?」

「んー、5?」

「うは。凄いな。バンド連れてった?」

「流石に全部の国は無理だったけど、いくつかはフルで演奏したよ。あとはギタリストと2人だったり、ピアニストと2人だったり。あ、現地のミュージャンとも共演したんだよ」

「へー、楽しそう。目に浮かぶよ。色んな形で音が出せて、その全部で歌が歌えるって、幸せな事だよな。普通はそんな体験出来ないよな」

「うん、そうだねえ。凄いね、私も同じこと思ってたよ。空き時間にね、私いつも空を見上げてたの。どこの国にいても、空の模様は同じでしょ。だから心細い時に、見慣れたものを見たくなるの。あー、今日はバンド編成だから豪華な音が出せるなー。あー、今日は2人っきりだけどパワフルなステージにするぞー。あー、初めて会う人達と1回のリハだけでライブを作るのかー、凄い事だなー、大変だー、でも幸せだぞー?って」

「あはは。あんたはどこに行っても、誰といても変わる必要がないもんな。URGAさんさえいれば、そこには歌があるもんな」

「そうだよ。凄いでしょ」

「凄いな。空を見れない時は、鏡で自分の顔を見れば変わらない人がそこにいるって事だ、じゃあ」

「レディに年の話はしちゃいけないんだって」

「折角褒めてんのに!」

「あははは。あー…」

「ん?」

「何でもない」

「何だよ」

「間違えた。何でもない」

「そう」

「そ」

カメラの前を時枝が横切る。

切りましょうか、という私の問いにURGAがにこりと微笑んで首を横に振る。

「ありがとう。大丈夫」

そこへ、池脇が近づいて来た。

「URGAさんちょっと良いかい?」

「良いよ」

「…いや、じゃなくて。…ちょっと顔貸して」

「ちょっとー!何よその下手くそな誘い方は!」

ぎこちない池脇と若干照れたようにも見えるURGA。

二人のやりとりに思わず伊澄も笑い声を上げる。

「時枝さんも、カメラ持ってついて来てくれる?」

-- あ、はい。

池脇の真剣な口調に、URGAは少し緊張を帯びた笑顔を浮かべる。

「お、なんだなんだ。今?」

「そう」

悪いな、と池脇が伊澄に向かって言う。事態を掴めてはいないが、特になんの感情も浮かべず両手の平を上に向ける伊澄。いきなりの事でまごついた私の段取りが悪く、三脚からビデオカメラを外す前に、池脇とURGAがスタジオで出て行ってしまった。

どこに行けば良いんですか?と聞きそびれて慌てる私の質問に伊澄は首を横に振る。

そこへ伊藤が近づいて来て「会議室」と教えてくれた。ありがとうございますと答えるや否や、カメラを引っ掴んで小走りに向かうと既に池脇とURGAが待っていた。




「回ってる?」と池脇。

-- 今、回しました。

会議室内のテーブルには、URGA一人が席についていた。その傍らには池脇が立ち、不思議そうに自分を見上げるURGAとカメラに視線を行き来させる。時枝がドアを閉めると、急に静かになった。

「えーっとー。何から言おうかな」

池脇の声に緊張感はないが、本当にどう切り出すべきか迷っているように感じられた。

本番に強くアドリブに瞬発力のある彼にはあまり無い事だった。

URGAは急かす事もせずただ黙って彼を見上げている。

「前に、URGAさんがここで歌を歌った日に言われた事が、なんつーか引金になったというか。自分でも思ってもみなかったくらい、嬉しかったんだよな。そのー、たまにびっくりするくらい良い歌詞を書くって、言われた事が」

「うん? …うん」

「俺はどっちかと言えばそういう、人に届ける歌詞を避けてきたし、意識して書くっつー事が出来ないんだよ。だけど、自分の中にある感情が誰かの胸に届くって、やっぱり良いもんだなって。特にURGAさんに言われた事が、嬉しくて」

URGAがカメラを見やって、ニッコリとほほ笑む。そして池脇を見上げて、「うん」と頷いた。

「それでそのー、まあ、結局何が言いたいかってーと、これが最後、本気で、俺にとって意味のある詞を書いてみたんだよ」

カメラを構える手が興奮で震えるのが自分でも分かった。

「それを、アンタに見て欲しくて」

池脇の言葉に、URGAは頬を染めた。両手で口元を覆い「うわぁお」と感嘆の言葉を漏らす。池脇が財布を取り出し、中から折りたたんだ紙を取り出した。

「びっくりしたなぁ。絶対告白される流れだよーって思ってたら、これあながち間違いじゃないんじゃないのー? どーなのよこの流れー!」

カメラを見ながら、務めて明るい声でお道化た口調を崩さないものの、URGAの照れは本物であるように思えた。

「ちょっと汚いけど」

そう言って広げたB5サイズの紙を池脇から受け取るURGA。

「他のメンバーはどんな反応だったの?」

「まだ見せてない」

-- うわ。

思わず私まで声が出てしまった。

「ちょっと、どうしようか」

そう言って彼女はカメラを見る。嬉しくてたまらない顔をしている。

-- (私だって見たい。読みたい)

「今読んでいいの?…分かった。真剣に書いたやつだね?」

無言で肯き、腕を組んでテーブルに座る池脇。

「じゃあ。お言葉に甘えて。…うわ、全部英語か」

そう言って真剣な眼差しを、白い紙に向けるURGA。と、いきなり彼女が笑い声をあげる。

「え、真剣なんだよね?」

「なんだよ」

「一行目からさあ、『格好良い俺でごめんな』って読めるけど」

-- (笑)。

「馬鹿にすんなら終わりにするけど」

「ごめんごめん。…いや確信犯でしょこんなの。じゃあ、改めて」

1分も経たないだろうか。

微笑みを浮かべて読み進めていたURGAの顔が、いきなり色を変えた。

無表情になったかと思えば、サッと、突然手に持っていた紙を太ももの位置まで下げた。

池脇を見上げ、睨むような顔になる。池脇はただ、そんなURGAを見下ろしている。

ゆっくりと紙を持ち上げて、再び視線を戻すURGA。

そして、静かにURGAの横顔にズームしたカメラが、不自然に揺れた。

カメラが寄った瞬間、URGAの目から涙が流れたのだ。

パシ!と音がするくらい、乱暴に紙を降ろしたURGAは、震える目で池脇を睨みあげた。

「どういう、つもりなの?」

「…何が」

そこでようやく、池脇は自分の想定していたURGAの反応と実際が遠くかけ離れている事に気がついたようだった。

「なんでこんな事するの?」

「なんだよ。何がだよ」

ドン、と机の上の池脇の書いた歌詞を叩きつけるURGA。

明らかにカメラも動揺している。池脇がカメラを見た。

URGAが立ち上がり、会議室を飛び出して行く。

-- 何したんですか?

「何もしてねえだろうが」

-- 追いかけた方が良くないですか?

「あ、ああ」

その時、廊下の奥からURGAの叫び声が聞こえて来た。

翔太郎君!来て!…翔太郎!

明らかに怒っている。ボーカリストであるURGAが出して良い声のトーンではない。

池脇とカメラは顔を見合わせ、困惑。そこへ伊澄を連れたURGAが会議室へと戻って来た。

「なんだよ。何、皆すげえビックリしてるけど」と伊澄。

「翔太郎君も知ってたの」

「何を?」

URGAがテーブルに置かれた紙を拾い上げて、伊澄の胸にパシっと押し付ける。

「おいおい勝手な事すんなよ」

そういう池脇を、URGAが睨み付ける。カメラに背を向けているので分からないが、URGAの顔を見返した池脇は何も言えず、勝手にしろとばかりに不貞腐れた表情を浮かべてテーブルへ戻る。

「何これ」

伊澄がカメラである時枝に尋ねる。

-- えーっと。

「俺が書いた歌の歌詞だよ。それを今この人に読んでもらってた所」と池脇。

「それで?」

「それだけ」

「はあ?」

「なんで怒ってんのか全然分かんねえ」

「読んでよ」

自分の胸にぐいと押し付けて来るURGAの手から紙きれを受け取り、伊澄はそれを広げて覗き込むが、「…読めない(英語が)」とひと言そう言って、池脇にその紙を返した。

URGAは呆れた顔でよろよろとテーブルに歩みより、倒れ込むように椅子に座るとそのままテーブルに突っ伏した。尋常ではない彼女の様子に、伊澄は池脇を見やるが、その池脇本人も事態が全く呑み込めないでいる。

ドン!とURGAがテーブルを叩いた。

空気が張り詰める。

織江呼ぶか?という伊澄の言葉に、池脇が声なく頷く。

程なくして伊藤織江が現れ、事情を聞いた彼女が池脇の歌詞に目を通す。

何行か視線を走らせた彼女もまた、途中で紙を眼前から下げて池脇を見た。

「これさぁ」

池脇が頷いた。

伊藤は再び歌詞に目を戻すも、やがて口元を押えて池脇に突き返した。

「なんなんだよこの茶番は」

伊澄が痺れを切らしてそう言うと、顔を伏せたままのURGAが再びテーブルを叩いた。

伊藤がゆっくりと彼女の横に座った。顔はカメラの方を向いている。というより私の横に立つ伊澄にだが。

「えーっと、ちょっと最後まで読めないんだけどさ。うーんと、きっとこういう事だと思う。…竜二の歌詞には、ノイについての事が書かれてる。あの子に対する思いとか、あの子を失った後の、竜二の気持ちが書いてあるんだと思う」

入口のドアに背中を預けて立っていた伊澄が、伊藤の言葉に反応した。よっぽど意外だったのか、彼の口をついて出たのは「嘘ォ」というやや間の抜けた声だった。

「URGAさんはきっとノイの事を知らないから、ご自分と照らし合わせて、何というか、突き刺さったんじゃないかと思うんだ。そうですよね?」

URGAが顔を上げて池脇と伊藤を交互に見やる。

「どういう事?」

「私には妹がいました。伊藤乃依と言って、竜二の恋人でした。あの子は10年以上前に、病気でこの世を去っています。竜二が書いたのは、あの子への思いです」

やがて、自分が勘違いをしていたのだと気付いたURGAが体を真っすぐに起こした。

だが彼女が言葉を発するより早く、伊澄が彼女を庇う。

「竜二が悪い」

URGAが口をつぐむのを見て、池脇が何度も頷く。

「ああ、そうだな。俺が悪い、ごめんな。本気で、今織江が言うまで忘れてた。アンタにこの詩を読んでもらうことばかり考えて、肝心のアンタ自身の事をないがしろにしてたよ、悪かった」

「…うわー。どうしよう」

勘の良いURGAは伊藤の説明だけでおおよその事は理解していた。そこへ伊澄と池脇の言葉を受けて冷静に立ち返った彼女は、机に両肘を付き、合わせた両手で額を支えて祈りのような溜息をついた。

「ごめん」

池脇の言葉には答えず、何度か深呼吸して息を整えると、何も言わずにURGAは立ち上がり、誰にも目を合わせることなく会議室を出ようとした。伊澄が彼女の手を取る。URGAは驚いて立ち止まり、言う。

「びっくりさせたみたいだからとりあえず謝ってくる。ここで待ってて」

「俺も行くよ」



2人が戻ってくるのを待つ間、池脇と伊藤が静かに言葉を交わす。

「はああ。びっくりした。…いろんな意味でだけど」と伊藤。

「驚かせるつもりはなかったんだけどな。あんな状態になるなんて想定外だったし、まあ、忘れてた俺が全部悪いんだけど。あーあ、時枝さんも悪いな。せっかく回してもらってんのに、完全にワケ分かんねえ映像になったな」

-- いえ、私の事は本当に気にしないでください。ただお聞きしたいのが、今回竜二さんが書かれた歌詞は、メロディがついて、竜二さんご自身で歌われる予定があるものなんですか?

「どうだろうな。曲を作る気で書いたわけでもねえかな。分かんねえけど」

-- 差し支えなければですが、改めて乃依さんのお話をお伺いすることはできますか?思い出話だったり、その、歌にまつわるお話を。

「ああ、それは構わないよ」

「え、本当に?どういう風の吹き回し?」

-- 立ち入り過ぎだったでしょうか。

「んー、と言うより」

「いや、URGAさんに読んでもらおうと思った時点で、彼女にはそれがどういう意味なのか説明する気でいたし、そこも含めて時枝さんにも撮ってもらう気ではいたからな。その方が話早いだろ」

-- URGAさんへ贈る詩なんですか?

「違う違う。そういうつもりで呼んだんじゃねえんだよ、何て言うかなー」

そこへ伊澄とURGAが戻ってくる。

「お待たせしました。竜二君、本当にごめんなさい」

「おあああ、やめてくれよ。本当に、マジで反省してるから」

「私の事はもういいけど。じゃあ、改めて読んでもいい?」

「俺はいいけど、大丈夫なのか?」

「大丈夫ではないけど、でももう一度ちゃんと読みたい」

「俺も」と便乗する伊澄。

「お前は読めねえだろ」

「この人が読んでくれるの横で聞いたら多分理解できる。読み書き出来ないけど意味はなんとなく分かるから」

「お前、お勉強の時間じゃねえんだからよ」

「ノイの歌なんだろ?超絶格好いい曲書くから」

伊澄がそう言った時、その場にいた全員の顔色が変わった。

見えない旋律が雷鳴のように轟いたのを私も感じ取った。

「…へえ、…絶対だな」

そう言った池脇に向かって、伊澄は笑って指をさし、URGAと共にテーブルに並んで座る。2人ともカメラに背中を向けているので表情を撮れないのは残念だったが、却って打ち合わせなどない人間達のリアルな動きがそこにあり、今この瞬間とんでもない場面に出くわしている興奮が抑えきれなかった。カメラの動きがが安定していないのは、その為だ。どこを映して良いのか分からないのだ。

「じゃあ、そっちはいつ、話する?」

と池脇がカメラを指さす。

-- 私はいつでも。大成さんや繭子はどうしましょう。

「ちょっと説明してくるね。いいよね?」

と伊藤。伊澄とURGAから少し離れるようにして立ち、池脇に尋ねる。

「この人(URGA)だけ別で呼び出した意味がなくなっちまったじゃねえか(笑)」

「どうするつもりだったの?」

「どうするも何もただ感想を聞きたかっただけだよ」

「じゃあせっかくだから、この4人(池脇、伊澄、URGA、時枝)で話したら?大成と繭子には私がうまい事言っとくよ」

「せっかくっつーなら織江がいろよ。ノイの話なんだから」

「どうだろう。それでなくとも最近前に出すぎだっていう自覚あるしなあ」

「そんなの後で時枝さんが何とでもすんだろ。回してる映像全部が外に出るってわけじゃあるまいし」

「ああ、まあ、そう言われればそうだけど」

-- それは本当に、その通りです。それでなくともちょっと回し過ぎなぐらい回してますから。

「俺は別に全部そのまま出すのもありだと思うけどな。尺の問題があるから現実的じゃないけど」

「ええ? 私ずーっとモザイク掛けてもらわなきゃ」

-- 何故ですか(笑)、掛けませんよ!

「けどこれからだとちょっと時間遅くなるなあ。明日のスケジュールとかどうだってんだろうな」

「彼女の? オフだとは聞いたけどね、さっき」

と、伊藤の視線がURGAに流れたのを追うようにしてカメラをスライドさせた瞬間、異変は怒った。ガタ、と音がして伊澄が立ち上がると、彼は何も言わずに会議室を出て行ってしまった。目を丸くしたまま見送るしか出来なかった伊藤の背後で、「うー」突如聞こえたそれは、URGAの泣き声のようだった。こちらに背を向けているが、明らかに体全体が震えている。

「どうしたんですか」

伊藤が彼女の肩に手を置くと、URGAはより一層声を上げて泣き始めた。

廊下の奥で叫び声が聞こえる。確証はないが、伊澄の上げた声だと思われた。

投げやりで、怒りに満ちた声だった。続けて何かを殴るか蹴り飛ばしたような音。

見ると、池脇は頭を強く掻きながら、苦渋の表情を浮かべている。

何となく察しがついているという顔ではあったが、そこには明らかな後悔の色が見て取れた。

伊澄や神波ではなくURGAに見せようと思った背景には、伊澄のこういった反応が予想出来た事も一つの要因であったように、私には思えた。

どこに気持ちを繋げていいから分からない様子で、伊藤が困惑している。

どうしようもなくなり、「大成さんを呼んできます」と言って私はカメラを持ったまた会議室を出た。廊下には先程の叫び声と激しい物音に釣られて、神波や繭子、他のスタッフ達もスタジオから出て来ていた。

「何。翔太郎は?」と神波が私に尋ねる。

-- 分かりません、出て行かれました。とりあえずこちらに来てもらって良いですか。

神波はスタッフに伊澄を探すよう指示し、繭子と2人で会議室に入った。

入った瞬間私はカメラを下げた。

入口に背を向けて震えている伊藤。その傍らには俯いて立つ池脇。彼の胸に両拳をぶつけて泣いている無言のURGAの姿を見た。

急ぎ私が事態を説明すると、神波はテーブルの側でそれを握りしめていた伊藤江の手から歌の歌詞を取り上げた。英語かよ、と嘆く神波の声。

繭子がURGAに歩みより、彼女の肩を掴んでそっと池脇から遠ざけた。

目線を池脇に向けたまま、離れていく池脇の俯いた横顔にURGAは言った。

「ずっとそうだったの?」

池脇は答えない。

「ずっと?1年前も?こないだも、さっき笑って話してた時も?」

尚もURGAは問いかける。しかし池脇は答えず、顔を背ける。

「今もなの?」

声を掛け続けるURGAの語尾が震え、また涙があふれ出た。

繭子は黙って彼女を椅子に座らせた。

「貸して」

池脇を見つめたまま、URGAが神波に手を差し出した。

歌の歌詞を受け取った彼女は、数秒池脇を睨んだ後、声に出して読み始めた。

私はこの日の出来事を忘れる日は、一生来ないと思っている。

おかしな言い方をすれば、トラウマに近いのだ。

今まで経験した事のない衝撃に、体の内部から色々なパーツが零れ落ちるような不思議な恐怖を味わった。

私は池脇竜二という男を何も理解していなかったのだと、思い知った。

あれから月日の経った今でも、池脇の横顔を見る度この日の事を思い出す。彼が楽しそうに笑えば笑う程その反動は大きくなって、私の体内のどこかにあるスポンジをギュッと握られたような感覚になる。そこには色々な感情が浸み込んでいて、いつもじっとりと濡れている。




「Just perfect guy, sorry baby.


I have nothing for you.

Into parts of my body,

which was to be held.


That regret.To be let alone.

I'm have kept a grudge against me.

In the world without you, no love lost.   


I pray more.

I don't want to here.

Ready to go to hell.

Too much yelling.

Too much yelling in a loud voice.

Long time no reply.


And there nothing more

but blowing by i'll be there


oh I can't believe in like

somebody's same



all for you

i'm spinning the wolrd.

even here the now again

take out soul on me.

and i wants.

give it inside wiht me

somebody's hell」




URGAの読み上げた、彼女なりの訳詞は以下の通りだ。




「格好だけの男ですまない。


お前に何も持たせてやれなかったな。

俺の体の一部を、

ちぎって持たせるべきだったよ。

ずっと後悔しているんだ。

たった一人で行かせた事。



俺は恨み続けている。

お前のいない世界には憎しみしかない。



俺はもう祈らないよ。   

もうここにいたくない。

地獄に行く覚悟はできている。

どれだけ叫んでも。

どれだけ大声で叫んでも。

ずっと返事は聞こえないままなんだ。



そこにはもう何もない。

だけど俺はそこにいるんだ。



俺はもう誰かと同じように、

信じることなんて出来ない。



全てはお前のために、

俺は世界を紡いでいる。

ここで今また、

俺の魂を取り出してほしい。

俺はずっとそれを望んでる。

俺の中に、あいつの地獄を入れてくれ」




池脇は言った。

本気で、自分にとって意味のある歌詞を書いたのだと。

単なる厭世歌では済まされない意味がそこにはあると、認めざるを得なかった。

いつだってガハハと笑い、力強く皆を引っ張てきた男の中にあったのは、虚無と憎しみと後悔だった。

会議室の外からざわめきが聞こえたかと思うと、廊下で「翔太郎さん!」と叫ぶ上山鉄臣の声が響いた。

突然会議室のドアが開き、伊澄が入ってくる。

そして池脇に真っ直ぐ近づいて行くとそのまま彼の顔面を殴り飛ばした。

悲鳴。

後から追いかけて来た上山が伊澄を羽交い絞めにするが、お構いなしに前蹴りが飛ぶ。

最初の一発でテーブルの上に引っくり返った池脇の膝が蹴り飛ばされて、その場にあった椅子に当たって散乱した。

神波が前から伊澄を止めに入り、2人がかりで遠ざけようとするが伊澄の勢いは止まらない。

血走った目で池脇を睨み付け、ギタリストとは思えない叫び声が会議室を震わせた。

上山も神波も伊澄より背が高い。それでも止まらない力が、今の彼にはあった。

しかしテーブルの上で起き上がった池脇にも見た目以上のダメージはないようで、口元の血を手の甲で拭った以外、特にやり返す素振りも見せなかった。

「もう良いって」

神波がそう言って、伊澄の胸をグイと押した。

池脇を睨んだまま伊澄は数歩後退した。だがそれは助走で、また勢いを付けて殴りかかろうとする。神波も上山も分かっていたようで、息の合った羽交い絞めで伊澄を取り押さえた。だが怖いのは、それでもジリジリと前に出る伊澄の本気だ。我を忘れているようにさえ見えた。

いつもキラキラとした目で伊澄を見つめていたURGAの目が、恐怖で震えている。

そんな彼女の前に立って、とばっちりが行かないように繭子がガードしている。

「翔太郎さんまずいですって。今日色んな目があるし」

上山氏が伊澄の背後から小さく声を掛ける。

私とURGAの事を言っているのだろうが、伊澄の目がはっきりとURGAを捉えた。

すっと我に返ったように見えたが、表情は凶暴なままだった。右腕を振り回して上山の拘束を引きはがすと、伊澄は何も言わずに会議室を出て行った。神波と目配せし、上山が後を追う。

私は、ふと思った。

こういった男達の修羅場に何度も居合わせて来た私には違和感があったのだ。というより、タイミングだ。図ったようなタイミングだと思えた。

もしかしたら伊澄はあえて悪者を演じる事で、悲しみに打ちひしがれる者達の意識を全部自分に集めて、気を紛らわせてくれたのではないだろうか。

考え過ぎかもしれないが、それでも今この場は完全に伊澄の凶暴さに支配され、淀んで重たかった空気がピンと張り詰めている。少なくとも、皆の涙が止まっていたのは確かだ。それは伊澄が去った後も変わらなかった。誰も予想駄にしなかった、池脇のもたらした悲しみの嵐を、伊澄という強烈な台風が外へ押しやってくれた後には、ただ静寂があるだけだった。





伊藤織江を除いては。




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