連載第19回。「FMZ」2
2016年7月、某日。
場所はアメリカ、ノースダコタ州、マイノット。
この地はアメリカでドーンハンマーのCDを販売している、
『ホット・ジンジャー・レコード』フィリップ・アンバーソンの故郷である。
カナダとの国境地帯に面するマイノットは、日本の四季をグレードアップさせたような気候性が特徴的だ。昔ながらの芸術性豊かな建物を今も多く残す土地である一方、季節によっては驚くほどの猛威を発揮する、厳しい自然の大地とも言える。冬場の気温は基本が0度を下回り、夏場は40度を超える事もあるそうだ。
メンバーが訪れた季節は夏、7月の下旬である。この日の気温はまだ穏やかと言える27℃であったが、とは言え黒のスーツを着込んで歩くドーンハンマーの表情には汗と疲労が浮かんでいる。先頭を歩くのは池脇、次いで伊澄、神波、繭子、伊藤、フィリップの順番だ。
少し離れた場所からカメラを回しているのは、なんとジャックだ。
(Billion編集部の備品である時枝のビデオカメラを、あのファーマーズのジャックが手に持って撮影した映像なのだ。幸せな映像などでは決してないと知りながら、それでも興奮を抑えきる事が出来ない)
ジャックが手配したファーマーズ所有のジェット機の中で、これまたファーマーズ所有の喪服に着替えたメンバー達。勢いよく撮影所を飛び出したのは良いものの、向かう先は友人の父親の葬儀だ。話が盛り上がるわけもなく、ノリでついてきたジャックがずっと困った顔をしていた。フィリップは心底申し訳なさそうに、だがどこかで嬉しそうな笑みを見せながら、機内でずっとジャックの相手をしていた。
撮影しても良いかな、とジャックが言い出したのもこの時だ。
フィリップは一瞬考えたが、すぐに軽い調子で「もちろん」と答えた。
葬儀が行われる墓地に到着した時、いるはずの無い息子の姿を見つけて母親らしき女性が駆け寄って来た。既に顔の化粧は涙で崩れており、自分のもとへ辿り着いた時には足元もおぼつかない母の様子に、フィリップはサングラスの下から勢いよく涙を零した。
アメリカ式の土葬を経験するのはメンバーもこれが初めてだった。英語が話せると言ってもそこまで文化しきたりに明るいわけではなく、自分達の存在をアピールする理由のない彼らは当然のようにフィリップから離れ、参列者の最後尾に並んで立った。
小さな花と、一握りの土を順番棺に掛けて行く。ドーンハンマーもそれに倣って、土を掛ける。立ったまま上から放り投げるのが嫌で、メンバー全員がしゃがみこんで、低い位置からゆっくりと砂を落とした。それを見たフィリップは唇を噛み締め、声を殺して泣いた。
母親が泣き叫び、親族友人達が顔を覆った。
決して親父とは仲が良い方ではなかった、とフィリップは言った。しかしそこには父と子の絆が確かに存在していたと、メンバーたちは漂う空気から感じ取った。
一方で、大切な仕事を蹴ろうとしてまで駆け付けた異国の友が、今こうして『決して仲が良い方ではない』父親に敬意を表してくれているその姿が、寡黙ながら実直だった父が歩んだ人生の答えであるような気がしたと、後にフィリップは語ってくれた。
葬儀の最後に息子であるフィリップが挨拶をすべき場面が訪れたが、フィリップは頑なにそれを拒んだ。そもそも泣き崩れてまともに話が出来なかったのと、年に一度会うか会わないかの晩年の父親に対して、今更なんと声を掛けたら良いのか分からないというのが、正直な気持ちだった。
何でもいいからと、母親がすがる。フィリップも必死に言葉を探している。しかし涙ばかり流れて、言葉が出て来ない。
ジャックの持つカメラが、悲しみに暮れるワンシーンを映している。
カメラの隅で、池脇の体が揺れた。後ろから、伊澄が彼の肩を押したようだった。池脇は振り返って何事かを身振り手振りで伊澄に訴えた後、観念した様子で溜息を付き、前に向き直った。
「ンン!」
と池脇が咳払いをする。彼らしい、大きくよく響く咳払い。
何かを感じ取ったジャックが、池脇の方へ画面の焦点を合わせた。
「ええっと、親愛なる…我らが友、フィリップの父であるマット」
池脇が英語で話し始めた。
余程意外だったのだろう。カメラを向けていたジャックの、ワーオ、という声が録音されている。
「ハイ、マット。俺達はあんたの息子の、友人だ。
あんたとは今日初めて会うが、初めてな気がしないな。
俺達は日本人だし、ノースダコタに来たのも今日が初めてだ。
だけど、遠く離れていても俺達とフィリップが長い間友人でいられるように、
父親であるアンタとも、全くの他人というわけではない気がするよ。
そうだろ?
俺達は今、ファーマーズという連中と仕事をしている。
どうやらそれは凄い事らしいんだが、何が凄いのか俺達にはまだ全然分からないんだ。
そんな事よりも、日本で、ただ好きな音楽を好きなようにプレイしていただけの俺達を、
アンタの息子が見つけてくれた事のほうがよっぽど凄いと思わないか?
今日、今、俺達がこのアメリカの大地に立っていられるのは、
アンタの息子のおかげだよ。
そしてアンタ達が、フィリップを育ててくれたおかげだ。
彼とはあんまり仲が良くなかったんだって?
心配しなくていいぜ、アンタの息子はとても立派な男だよ。
仕事に誇りを持っている。
才能もある。
何より人を見る目があるよ。
少しの間寂しくなるだろうが、世界中を飛び回ってる息子の側で、
俺達の代わりに見守ってやってくれないか。
いつもヨレヨレのネルシャツを着て、髭も伸びっぱなしの友人を、
たまに思い出しては元気にやってるかなって、心配してるからさ。
よろしく頼んだよ。
じゃあ、また会う日まで。rest in peace 」
祈りを捧げる姿のまま、フィリップは大声を上げて泣いた。
仲が良くなかったなんて嘘なんじゃないかと思うぐらい、父親を呼びながら泣き続けた。
友の言葉を聞いて初めて、自分の父親を亡くした事が実感出来たような、そんな風に思えた。
伊澄が池脇の肩に手を置いて、何事か言う。
池脇は声を出さずに笑って、メンバーを振り返る。
伊澄の隣で、神波が親指を立てて頷く。
繭子は泣いている。
伊藤も泣いている。
「オー、…ゴッド」
ジャックがそう呟いて、鼻をすすり上げた。
帰りの機内は明るかった。
諸々の後片付けがあるためフィリップはそのまま置いてきたが、
メンバーの晴々とした顔を見てジャックも嬉しそうに発破を掛ける。
帰っても休んでる暇はないぞ!
繭子がヤ!とニッキーを真似て答えた。
機内の中で撮影された映像には、池脇と繭子が話をしている場面が残されていた。
声は小さ過ぎて聞こえないが、真剣に何かを相談している風の繭子に、池脇が笑顔で答えている。
繭子は身振り手振りで必死に熱く語るのだが、池脇は笑顔でただ大きく頷いているだけだ。
そのうち繭子がボン、とシートの背もたれを叩く。
どうやらまともに相手をしてもらえていないと感じたようだ。
池脇が真剣な目をして何かを言うと、繭子は少し驚いたような顔をした。
池脇は繭子の頭をポンポンと撫でると、ガッシリと彼女の頭を掴んで顔を近づけた。
そしてまた何かを伝え、体ごと離れた。
繭子はずっと驚いた顔のままだ。
映像はそこで途切れている。
再び、ニュージャージーの『ファーマーズ』スタジオ。
繭子が衣装に身を付け、フロアの真ん中に置かれたドラムセットにぽつんと座っている。
周囲には誰もいない。背後にはとても大きな白い壁、足元は白い床。そんな変わった背景の中で、繭子も白装束に身を包んでいる。
ドラムを叩く際は足を開く必要がある為、同じく白いモンペのような物を履いているのだが、後ろで纏めた髪の毛が銀色のせいで、動かないでいると見失いそうになる。よく見れば白い長襦袢のような衣装は所どころが破れ、汚れている。その様は物凄く綺麗な『リングの貞子』のようだった。
繭子は座ったまま何をするでもなく、ぼーっとしている。伊藤の構えるカメラに気づくと、何事が伝えたげに口を動かした。恐らく、「ヒ・マ」と言っている。伊藤の笑い声。
「ready」
と天の声。慌てて繭子がスティックを持ってキックペダルに足を乗せる。
「action」
目にも止まらぬ速さでドラムを叩き始める繭子。
パソコンが数台並べられた場所にメンバーが集められた。
ある程度作品として形になるまで制作された、撮影済みの映像を見てみようという事らしかった。
横一列に並んでモニターを覗き込んでいるメンバー達の後ろ姿が数秒映った後、今度はメンバーの前にカメラが回る。徹底的に作業工程や内容の分かる場面はカットされていた。
音が消える。モニターを真剣な眼差しで見つめる4人。
あんぐりと口を開いた池脇が、ニッキーとジャックを交互に見やる。繭子もぽかんと口を開く。伊澄は無反応ながらも映像に目が釘付けになっている。神波は眉間に皺を寄せて、細部まで見逃さない真剣な表情で視線を走らせている。
やがて、音が戻って来る。
繭子が拍手しながらニッキーの姿を探す。自分達の背後に立っていた彼を見つけて親指を立て、「すごいね!」と日本語で叫んだ。
「これで今、工程的にどれくらいだ? もうこれで良い気もするけど」
と、池脇が尋ねる。ニッキーは大袈裟に笑って、それに答える。
「とんでもない事言うな。まだ撮影した素材を絵コンテ通りに当て嵌めただけだぞ。要するにこういう流れで、こういうストーリーだ、と再確認のために見せただけだなんだから。そうだな、工程的に言えば今で丁度、半分だ」
「マジかよ。ここから何をどうする気なんだ? 間に合うのかそもそも」
驚きの声を上げる池脇に、
「基本的な撮影はほぼ終わってるよ」とジャックが答える。「そのー、君たちの出番はね。あとはこちらが頑張る番だ。スペシャルなマジックを見せるよ」
伊藤の通訳にメンバーが感嘆の声を上げる。
「えー、でもでも、これどうやって撮ってるの?いつこんなに一杯撮ったの?」
繭子が無邪気な質問を投げかけると、ニッキーは笑い声をあげ、ジャックは頭の後ろを掻いて俯いた。沈黙の後、ジャックが伊藤の手にあるカメラを指さして、皆の視線を誘導する。『撮ってる所では話せないよ』という意味だろう。
「一つだけ教えてあげよう。こんなに大きい建物で、広いスペースなのに、君達はあのホワイトスペースから動く事はほとんどなかったよね。今回白い背景を使ったのは君達専用に用意したセットだけど、どういう背景であれ、基本的な撮影の仕方は誰でも変わらないんだ」
ジャックが笑顔で言い終わり、織江が通訳し終わっても、誰も何も言わない。分からないからだ。だが数秒押し黙った後、神波が「ああ!」と声を上げる。
「言うな!」と声を上げて、ニッキーが彼の眼前に手をかざす。「言うなよ、分かってるな?」
「オッケー、オッケー」
神波はホールドアップ状態で頷く。どうやら撮影のカラクリに気がついたのは、神波大成一人だけのようだった。
宿舎の中。食卓を囲む夕食時の映像。
撮影が順調に進んでいるせいか、メンバーの顔も明るい。
程よくお酒も入り、池脇などは笑顔だけでなく声のボリュームからも酔いが感じられる。彼が身振り手振りで大袈裟に話をすると、エイミーが顔を赤くして笑う。それが嬉しいようで、ジャックも負けじと興奮してまくしたてる様に話す。
うるせえな、と言いたげだかそれでも笑顔で話を聞いている伊澄。どうやら彼は話す事は出来ないが、聞き取るだけなら池脇と遜色ない速さで理解が出来ているようだった。
繭子は隣に座る伊藤と楽し気に談笑していたが、ある時ジャックに向かってこう言った。
「ニッキーも来ればいいのにね」
それに対し、ジャックが笑って頷いた。
「そうだね。だけど本来は僕がこうやってここでディナーを食べているのも、いけないんだよ」
「ダメなの?どうして?」
「ここへ来てすぐの頃、翔太郎もコリンに会っただろ? うちにはたくさんの映像作家がいて、色んな人間と同時進行で仕事をしてるんだ。だから僕みたいに君達だけに専念している暇は本来ないし、ましてや一緒に食卓を囲んだりしたら、それを快く思わない連中だっているだろう」
「あー、そうなんだ。ジャック駄目じゃん」
「僕は君達のファンだからね」
オー。イエー。
メンバーが口々に喜びの声を上げる。
ジャックもそれに応えるように手を上げて頷き、繭子に向かって質問を返す。
「所でマユ。君は18歳じゃなかったんだね」
「またその話か!」
「あはは、いや実際18歳だとは思ってなかったけど、28歳だとも思わなかったよ」
「ジャックは何歳なの?」
「40だよ」
「へー、竜二さん達と近いね。エイミーは?」
「34歳よ」
「いつから付き合ってるの?」
ジャックが盛大にむせ返る。バシバシと胸を叩き、エイミーを見やる。エイミーは怪訝な顔でジャックを見返し、ノーノーノー、と顎を振る。その反応を見てメンバーは苦笑いし、繭子を無言でたしなめる。繭子は意外な反応を示したジャック達を見て、カメラに向かって舌を出した。
「あー、ところで」
池脇がワザとらしく胸を張って、話題を変えようとした。
「ニッキーって、女の子の名前だよな?」
ジャックが盛大に飲み物を吹き出した。
巨大な撮影所のシルエットをバックに、小高い丘の上で並んで立つ5人。
風が強い。
左から神波、伊藤、繭子、伊澄、池脇。。
不意に右端、池脇の背後からジャックがひょっこり現れる。
次いで左端、神波の後ろからニッキーがひょっこり顔を出す。
真ん中にいる繭子が両手を握って、左右を見る。
「せーの!」
「ウィーアー!ド」
「ドドーーン」
「ハ」
「おいー!」
全然揃わない。
ワンモタイム!ワンモアタイム!
足を引っ張った自覚のあるニッキーが指を立てて叫んだ。
「何待ち?」
繭子のアップを撮っている伊藤が彼女に尋ねる。
伊藤は、スタジオの隅っこ等、撮影所内のセットや機材が極力映らない場所を探し、合間のオフショットを残してくれていた。照明の当たらない空間だけに若干光量が足りない角度もあるが、贅沢は言えまい。
繭子は少しハイになっている様子で、どこからか聞こえてるくるBGMに体を揺らして答える。
「機材トラブルと、ニッキー待ちです」
「男達は?」
「竜二さんは分かりません。翔太郎さん煙草ー、大成さんはジャックと機械の話ー」
「放っとかれてんのか」
と伊藤が笑って言うと、繭子は全然気にしない様子で「平常運転です」と笑顔で首を振る。
BGMが止まる。
「なんか、結構選曲が渋くて嬉しいですねえ」
天井のどこかにあるであろうスピーカーを探しながら繭子が言うと、
「流れたり止まったりが激しいね」と伊藤が答える。
「そうなんですよ。色んなトコで撮影してるみたいだし、流れていない時の方が多いけど。あ、でも、さっきホーンテッド(THE HAUNTED)流れたんですよ、一瞬だけ」
「流れたね、アガるね、こんだけデカイ箱で聞くといつもと違って聞こえるんだね」
「そーなんですよー」
嬉しそうに繭子は言い、「近い近い」と伊藤がカメラを遠ざける。
そこへまた別の曲が流れ始めた。
「うわ!」
「え?」
「クラッシュだ、アンスラックス、やばい」
ヘヴィでありながらタテノリのリズムが心地良く疾走する名曲、ANTHRAXの8thアルバムム「ヴォリューム8」から1曲目の『CRUSH』が流れた。この曲が大好きだという繭子は目を閉じて頭を振る。後ろで束ねられていない彼女の髪の毛が左右に揺れて、顔を見え隠れさせる。
ジョン・ブッシュの歌声と共に繭子も歌い始める。と思いきや声は出さず口パクだ。
「あはは」
伊藤が笑って、彼女の顔を追いかける。気付いた繭子は目を開けて微笑み、いかにも自分の持ち歌であるかのような表情を浮かべ、カメラに向かって歌い上げる真似をして見せた。
「いいねえ」
呟く伊藤に機嫌を良くしたのか、繭子は普段見せないウインクを飛ばして見せ、叫ぶような顔をしてみたり、眉間に皺を寄せて凄んでみたりと、クルクル表情がよく動く。
「ねえ繭子」
「to be love by you! to be love by you!」
「ねえ、ねえって」
「はーい?」
「マユーズでもPV撮ろっか」
「ええ?あはは。音源作るんですか? あ!…あー、止まっちゃった」
繭子が体を動かすのを止めてしまう。
「次のアルバムの事考えてるんだけど、マユーズをおまけにするのも面白いかなーと思って」
「へー!良いですね! おまけかー。でも遊び甲斐あるなあ」
「どう思う?」
「PVですかぁ? んー、ヤ!」
撮影所内。メンバーと議論しているニッキーの後ろ姿。
男達は既に衣装を着ていない。繭子だけが例の白い衣装を着ている。
まだ撮影が残っていたのだろうか。繭子を囲むようにして池脇らが立ち、相対する形でニッキーとジャックが立っている。離れた位置でそれを見守っている伊藤のカメラに会話は聞こえてこない。
時折り、「ノー! ノー!」と抗議している池脇の声が届く。上半身を左右に揺すりながら言葉巧みに説明しているであろうニッキー。首を横に振る伊澄。「ノーだニッキー、ノー!」声を荒げる池脇。
くるっと背を向けて髪の毛をかき上げたニッキーは、カメラに気づいて、撮るな、と手をかざす。
さらに離れた場所に移動した伊藤のもとへ繭子だけがやって来る。咄嗟に繭子の顔をアップで撮る。データを消させないようにする為の伊藤の策だと思われた。
「何系のトラブル?」
「私に脱いで欲しいみたい」
「はあ!?」
「待って待って待って、裸で叩けって言う意味じゃないですよ。私が背中から飛びだす最後のシーンは、衣装を身に着けてない体のシルエットが欲しいんだって。色を付けて裸が見えないようにはするけど、撮影自体は裸じゃないと意味ないって」
「ノー。ノー。そういう問題じゃない、ノーよ。私が絶対にそんな事させない」
「うーん、でもニッキーもジャックも、変な意味で言ってないのは分かるんですよ」
「だからそういう問題じゃないって。ちょっとカメラ持ってここにいて」
「え?」
織江は狼狽える繭子にカメラを持たせ、その場を離れる。
しばらく画面がグラグラと揺れ、音声だけを拾っている。やがて伊藤の叫ぶような声が響く。
「ヘイ!グランパ!」
「うわ!」
驚く繭子の声。ニッキーの正確な年齢は分からないが、完全に老いを揶揄する織江の表現に、場の空気が『凍り付く音』が聞こえたようだった。
カメラを覗き込むジャックの笑顔。口笛を吹く真似。上機嫌だ。
「ハイ、オリー。あー、僕の一番好きな曲はねー。『ULTRA』か『ROTTEN HALL BURNNIG』だよ。共に最新作収録の2曲だけど、彼らの音源は常に最新作が最高傑作だね。素晴らしいよー」
酔っ払ったように顔をゆらゆら左右に振りながら話すジャックに、
「ありがとう。『ROTTEN~』を選ぶあたりさすがに良いセンスしてると思うわ。だけど遊んでていいの? 問題は解決したの?」
と英語で尋ねるカメラマンの伊藤。
「ああ、大丈夫だよ、君のおかげでね。君はホントにすごいな。美人だし、仕事も出来る、英語も話せてマネージメントも完璧。君、何かあったらうちに来なよ」
伊藤は明るく笑い声をあげる。
「勧誘してくれてるの? ありがとう。だけど間に合ってるわ」
「そう言うと思ったよ。今回フィリップとの縁で君達と仕事が出来て本当にエキサイティングだったよ。今後とも仲良くしてくれるかい?」
ジャックはカメラマンの伊藤ではなくレンズに向かって話をしている。
「もちろんよ。それよりジャック、カメラに近すぎるわ、鼻毛が映りそうよ」
パソコン台のような場所に置かれたビデオカメラ。
まるで置き忘れられたような角度で、天井を映している。
静寂の中から靴音が近づき、カメラを誰かが取り上げる。
映し出されたのはニッキー・シルバー・オルセンだ。
顔の高さより少し上まで持ち上げて、若干見上げる角度でレンズを見つめるニッキー。
一度背後を振り返り、誰もいない事を確認する。
「あー。ハイ、ニッキーだ。今回、君達と仕事が出来て本当に良かった。勉強になったよ。我々の仕事はまだ残っているが、撮影日程を終えた君達に感謝の言葉を伝えておこうと思ってね。ありがとう。いずれ君達とはまた会う事になるだろう。そんな気がするよ。あー。話したいことが山ほどあるんだが、今回はちょっと時間が短すぎたね。撮影の事、トラブルへの対処法、君達のバンドについての事、我々の仕事についての事。トップシークレットな事はさておき、君達の仕事に対する姿勢や考え方は今後の参考になるものばかりだった。もしまたMVを作るという話になった時は、真っ先に私の名前を思い出して欲しい。まあ、こう見えて私も忙しい男だから、そう簡単に捕まらないとは思うがね。楽しかったよ、また会おう。じゃあね」
そう言うとニッコリ笑ってウィンク、そして電源が落ちる。
後で聞いた話だが、いかにも置き忘れられたカメラを偶然発見して秘密のメッセージを録画したように見えるが、全て彼の演出だという。話始める前に一旦背後を気にする仕草も含めてだ。世界中にその名を轟かせるトップクリエイターの鬼才は、実にチャーミングで遊び心を忘れない男である。
宿舎。ビデオカメラが二階から降りてくる。
一階のリビングには、夕食後に酒を飲みながら談笑するメンバーの姿。テーブルには池脇、神波、伊藤、ジャック。後片付けをしているエイミーが、カメラを持って降りて来た繭子に気づいて手を振る。
「ハイ、あなたも何か飲む?」
「ノーノー、センキュー」
もう結構酔ってるよ、と繭子は答えてそのまま外へ出た。
玄関先のポーチで、伊澄がグラス片手に煙草を燻らせている。繭子に気づいて、レンズに向けてグラスを持ち上げる伊澄。
「いいですか?」
と繭子が言うと、伊澄は黙って隣にずれた。繭子は一旦彼の隣に腰を降ろしたが、そうなるとカメラが彼に近すぎる事に気づき、「近いな」と言って伊澄の前に回ってしゃがみ込んだ。
「バーボンですか?」
「ウーロン茶」
「ウーロン茶?アメリカで?ウソだあ」
伊澄がグラスを差し出し、繭子はカメラを構えたまま一口含んだ。
含んだ瞬間吐き出す。
「ぐおおお」
「勿体ねえなあ」
「あああ、喉が痛い、きつい、あああ。なんですかこれ」
「いつもの奴だよ。マーク(メーカーズマーク。バーボンウィスキー)やっぱ本場で飲む方が強くていいなあ。日本のはちょっと度数下げられてるからなあ」
「あー、もう。クラクラする」
「貸して」
そう言って伊澄がカメラを受け取り、繭子の腕を引っ張ってカウチに座らせた。伊澄が彼女の前に座って、カメラを構える。
「これ時枝さんの奴?」
「あい。そうっす」
「えー、明日最終確認して、全行程終了となります。2週間あっと言う間でしたが、手応えはありましたか。芥川さん」
「え? 明日帰るんですか?」
「明後日」
「あー。んー。どー。どうだったんですかねえ」
「あ、そんな感じなんだ?」
「ううーん。最初から不安はあったんですよね、ビジョンが見えない事に対して、どういう気持ちで事に当たるのが正解なんだろうなあ、みたいな」
「精神論的な言葉はいらないと。何をどうすればいいか教えろってことか」
「(鼻をすする)、甘えなんですけどね、それは。分かってるから、結局具体的に何かを誰かに相談出来ないままモヤモヤで、気が付いたら君達の撮影は終わってるよーって言われちゃいました。これがこのまま映像作品としてずーっと残るんだって考えたら、ズーンと落ちました」
「考え過ぎなんじゃないの」
「そうなんですかね」
「終わったもんは仕方ないだろ。次なんかまた機会があれば、そん時は今よりマシな動きすれば良いんじゃないか」
伊澄の言葉に繭子は俯き、何も返事が出来ない。泣いてはいない。しかし泣きそうではある。
「俺なんかの話が参考になるかは分からないけど、特にこの、今回のPVに関して俺は『好き勝手弄って遊んでちょーだい』くらいの感覚で乗り切った所はあるな」
「…翔太郎さんが?」
あの、伊澄翔太郎が?とでも言いたげな口調である。
「主導権は俺にない。俺の作品でもなければ、なんならドーンハンマーの作品でもない。ファーマーズの作品に出演したんだ、くらいに思ってたよ。これはだから、精神論的な話になるのかもしれないけど」
「…それってなんか変じゃないですか?自分達のPVなのに」
「お前日本でファーマーズのPV他に何か見た?」
「見てないです」
「あはは。一個も?」
「はい」
「見ろよせめて一つくらい(笑)」
「あまり、興味がないんです」
「お前ほんと昔の俺に似てるわー。まあ、どうでもいいんだけど。結局さ、向こうが俺達を選んだ理由って、はっきり言われないからこそ当たってると思ってんだけど、まず向こうのビジョンありきなんじゃないかと思って。つまり、俺達の曲があります、PVを作ろうと思います、色々打診してみた結果、ファーマーズが作ってくれそうです、っていう流れじゃないんだよきっと」
「向こうが作りたい作品が最初にあって、それを私達を使って映像化したって事ですか?」
「絵コンテが決まってるのに曲が最終決定しないままこっちに来ただろ。よくある話と言えばそうだけど、可能性としては俺の言ってる事も的外れとは思えないな。まあでも、ジャックの野郎が俺達の事を知ってたってのも大きいと思うよ、選択肢に名前が上がるって時点でものすごい確率らしいからな」
「えー、それってなんか、どうだろう。どうなんですか?」
「どうとは?」
「私のことなら構いませんけど、翔太郎さん達が舐められるのは我慢できません」
「お前も年食えば分かるよ。まだ繭子は20代だろ? 10年前まで10代だったんだよ。繭子の上には30代って世代が10年ふんぞり返ってる。俺達はその更に上の世代なんだよ。俺達にはもう時間はないんだ。利用して、利用されて、それで自分達の行きたい場所へ行く切符が手に入るんなら、全然それで構わない」
伊澄の話を聞いて、繭子の眉間に皺が刻まれる。
んんんー、と不満げな声を出して後頭部を掻きむしる。
「こないだ、竜二さんにも、似たような話をしたんです。だけど、相談にすらなんなかったんですよ」
「なんで」
「プロモーションビデオって、私達のプロモーションじゃないですか。少なくとも私はそう思ってたので、事細かにあれこれ指示出しされて自分本来のプレイが出来てない状態でオッケー出されても、何がオッケーなの?って」
「うん」
「絵コンテは見てましたよ、ちゃんと。だからある程度、こういうストーリーなんだなっていうのは分かるし、そこはいいんだけど、肝心のプレイは私全然でしたよ、この2週間。どう思います?って聞いても、竜二さん笑ってるばっかりで」
「うん」
「もう!って」
あの飛行機内での撮られた映像が、どうもその時の様子を映した物のようだ。
「なんで笑ってんだクソ野郎って?」
「フフフ、うん、クソ野郎!って」
「竜二お疲れ」
「えええ!」
慌てて振り返る繭子の背後には誰もいない。がっくり項垂れる繭子。
下から見上げる角度で撮っているにも関わらず顔が見えなくなった。
「だけど」
項垂れたまま繭子が言葉を続ける。
「それはお前が未熟なんだってはっきり言われちゃいました」
「へえ」
「よーいアクションを言われた瞬間に、一発テイクで自分の納得のいくプレイが出来なかったんなら、それはお前が悪いって」
「一理あるな」
「だけどそもそもが、俺達が全身全霊を掛ける場所はPVの中じゃないだろって。それはファーマーズが自分の時間と魂を削ってやる仕事であって、俺達の居場所は他にあるだろう。それ以外はどうでもいいよって」
「っはは。あいつまじで『ファーマーズ』って新曲作りそうだな」
「なんていうかな。分かるんです、分かるんですけど、そうじゃないんです」
「繭子らしくていいなあ、帰ったら時枝さんが歓びそうなエピソードだ」
伊澄が笑って言うも、度数の高いウィスキーにストレスを蒸し返された繭子は全く笑い返さない。
ダダン、と子供のように足をばたつかせ、「もう!」と怒りの声を吐き出す。
「皆が皆同じ気持ちで生きてるわけじゃないんだ。お前の欲しい答えはお前が探すしかないな」
「…はい」
「明日仕上がりを見て、そん時判断しろよ。ああ、もうこいつらと仕事する事はねえなって思うか。やっぱり世界には凄い連中がいるもんだなって思えるか。ニッキーもジャックも、それを分かって仕事してると思うぞ。クリエイターは常に判断される側なんだから」
繭子は顔を上げて、何度か頷いて見せる。
「確かに、その通りですね」
「よし、じゃあ最後にカメラに向かって一言」
だらしなく足を投げ出して座っていた繭子は、カメラを意識したように座り直した。
「う、うん! えー、えーっと、えー…え?誰に!?」
「あははは!」
残念ながら、実際最終日にPVの最終確認を行うメンバーの姿はビデオカメラには残されていなかった。おそらく外には出せない部分が映り込んでしまったか、あるいはそもそも最後の最後で撮影自体を断られてしまったかだ。しかしドーンハンマーのPV撮影密着という意味では、かなり有益なシーンが数多く残されていると思うし、何よりスタジオ内の風景やニッキー、ジャックと言った名立たるアーティストの動く姿やコメントが収められている時点で、かなり特別な事だ。
どれだけドーンハンマーが彼らに受け入れられているかが、窺い知れようというものだ。
最後に伊澄が繭子に言って聞かせた、彼らが今回『選ばれた理由に関する推測』を語る場面も、ファーマーズ側が消さなかった事は異例としか思えないし、それは彼らなりの誠意とも取れるだろう。
この旅の最後に記録された映像は、空港にてジャックとエイミーに見送られながらアメリカを後にするドーンハンマーのバックショットだった。
その中には伊藤の姿もあった事から、おそらくそのショットを撮影したのはジャックだ。という事は、去りゆく後ろ姿を撮った後、もう一度戻ってカメラを受け取っている事になる。最後まで笑わせてくれる旅の記録となった。
一つ面白い会話が収録されていたのでここで紹介させて貰いたい。
最終日前日、最後の晩餐での会話だ。
池脇が酔っ払った大声でジャックに質問する。
「そう言えばさ、ジャックって、ラストネームなんてーの?」
「ああ、言ってなかったかな。オルセンだよ。ジャック・オルセンだ」
「…え?」
「ニッキーの息子だよ。ニコラス・オルセンの、息子」
強い風が吹いている。
黒のメタリカTシャツ。
デニムのホットパンツ。
丈の長いラベンダー色のパーカー。
小高い丘の上から、繭子が大きく手を振っている。
左手を口元に添えて、彼女が叫ぶ。
「バイバイ! アメリカ! また来るね!」




