連載第18回。「FMZ」1
2016年、7月16日。
ここからの映像は時枝の撮影ではなく、芥川繭子と伊藤織江の手によるものだ。
PV撮影の為『ファーマーズ』の待つアメリカへ飛んだドーンハンマーに同行する事が出来なかったBillion側のたっての希望により、彼女らにビデオカメラを託した。
もう少し早い段階でこの話を聞いていれば私が同行していたのだが、既に別の仕事の予定が入っており断念せざるを得なかった。断腸の思いで彼らを見送り、その日から2週間彼らに会えない寂しさを胸に会社へ戻る辛さは筆舌に尽くしがたいものがあった。
ご存知ない方の為に予備知識として紹介しておくと、今回彼らのPV製作を行う『Farmer'z』とは、本国アメリカでも絶大な影響力を持つ映像クリエイター集団だ。ジャンルを問わずミュージシャン、バンド、ファッションモデルらのプロモーションビデオ撮影を行う傍らで、新作映画の予告編製作にも携わっており、彼らが名がクレジットされるだけで売り上げの桁が変わるとまで言われている。特に看板クリエイターであり集団を率いる『ニッキー・シルバー・オルセン』の持つカリスマ性は、アンディ・ウォーホルを旧世代の遺産に変えたとまで言わしめ、若い世代から圧倒的な指示を獲得している。ファーマーズとの仕事を希望するアーティストは常に長蛇の列をなしており、毎年恒例の一大イベントを控えたこの時期に、ドーンハンマーの名前がそのトップに躍り出た経緯はこの時点ではまだはっきりと分かっていなかった。もちろん正式に契約を交わしたビジネスだが、詳細な理由が判然としないままである事に一抹の不安を覚えると伊藤織江は語った。
「普通びっくりするでしょ。だってうちから依頼したわけじゃないのよ。たまたま、PV制作の意志をアメリカのレコード会社に伝えてあった所へ、向こう側(ファーマーズ側)から打診して来たのよ。ウソだって思ったもの。どこでうちの名前を知ったんですか?って聞いたらもちろん向こうでのレコード会社の名前を言うんだけど、まあ、色々とね、って嫌なオプション付けられてさ。え、何なにって(笑)。まあまあって。本当、そんなんだからね。それでいていきなりスケジュールの話だけどーって。いや、本当にやるの、やってくれるの?って、ウソだったら許しませんよって(笑)」
だからと言って軽々しく仕事を蹴る事の出来る相手ではないことも、当然伊藤は理解している。とにかく彼らと共に仕事が出来る事は音楽業界のみならず大変光栄な事であり、もしこれが事実なら世界規模でのブレイクが確約されたも同然であった。
ただ、やはりそこはアメリカだ。行ってみるまでは何が起こるか分からない。騙されているという可能性もゼロではない。不安を抱えながらの渡米となったが、当の本人であるバンドのメンバー達はあっけらかんとした物だった。
空港にて。
詩音社の備品であり私の愛機でもあるビデオカメラを構えながら、繭子。
「どこー?どこ押すの?これかな?」
-- もう撮影出来てるよ。
「なんで何にも音しないの?」
-- そういう仕様だからです。全っ然緊張感ないね。私を撮らなくていいの。
「結構重たいんだね」
-- 一応業務用だからね。
「まー、ダメだったらすぐ帰ってくるよ」
-- ダメって? そんな、まさか。
そこへ伊藤織江が割って入る。
「騙されてたら速攻で『ファッキンファーマーズ』って曲を竜二に書かせるからね。ね、竜二、ね」
「お?もう撮ってんの」
伊藤に声を掛けられ、池脇がこちらへ顔を向ける。
「練習です」
と繭子。
「待ってろよアメリカー、ぶちかましてやるよー」
そう言ってどんどんカメラに歩み寄る池脇。ピンとが合わずぼやける画面。大笑いする繭子。
煙草を吸いに行ったまま帰らない伊澄。神波はソファーに座ってどうやら眠っている。
どこにいても、どこへ行っても、彼らは変わらないのだろう。
きっと大丈夫だ。とんでもない作品を創って帰ってくるに違いない。
飛行機内にて。
「えー。眠れません」
マスクを着用した繭子のアップ。カメラが移動し、横並びに座るメンバーの姿。
男性3人が一様に腕組みをしたまま眠っている。池脇の付けたアイマスクが上下逆さまなのはご愛敬だ。カメラが繭子のアップに戻る。
「もうすぐ、アメリカにつきます。ニュージャージー州に、行きます。えー、PVを、撮ります。緊張してきました」
何故片言なのかは分からないが、周囲を気にして小声で話す繭子がとても愛らしい。
彼女の反対側に座る伊藤は、資料に目を通しているようだ。
「敏腕社長、織江さんです。彼女の手腕に全てかかっています」
伊藤が顔を上げて、カメラに向かいニッコリと微笑む。繭子の言葉は聞こえていないようだ。
「着きましたー!」
ひと際明るい繭子の声。空港玄関の自動ドアが開くと同時にカメラが外に飛び出す。
画面が一気に白飛びする。ホワイトバランスが調節されて外の様子が分かるようになるまでに5秒。
空港を出ると、カメラに向かって大柄なアメリカ人が近づいて来た。見事な金髪にグシャグシャのヘアスタイル。無精髭まで様になって見える、3、40代の男性である。
池脇が繭子より先に歩み出て、何事か言葉を交わした後、握手。
「スゲーな、お出迎えつきかよ。ジャックだって」
と池脇はメンバーを振り返る。彼に続いてメンバーが口々に挨拶を交わし、握手。
「お、ドーンハンマーって書いてる」
繭子がカメラを向けると、ジャックの着ているTシャツの胸にはDAWNHAMMERのロゴ。
ジャックはチャーミングな笑顔を浮かべると、親指を立ててカメラにウィンクをして見せた。
「…作ったんだって、スゲーな、俺らも持ってないのに。くれよジャック、それくれよ」
池脇が指さして言うとジャックは豪快に笑い、車へ案内する。日本ではなかなか見る事がないサイズの、銀色の大きなバンだ。特にファーマーズなどのペイントはされていない。
「えーっと、着きました。今日から2週間寝泊りする家です」
車から降りると既に日が暮れようとしていた。到着した先は郊外にある一軒家だった。光量不足であまり周囲の様子が分からないが、緑の多い住宅地のような場所だ。洗練された都市部ではない。
「わお、何か凄いねー、合宿みたいだねー」
「ワクワクもするけど、でもなんか戸惑うね、さっきまで日本にいたのに、いきなりアメリカの、住宅地の、一軒家だもんね」
繭子の言葉に相槌を打つ伊藤の声も、普段より少し高い。ジャックに案内されて中に入ると、既に明るい屋内から眼鏡を掛けた若い女性が出て来た。ハーイ、アイム、エイミー、という声が小さく聞こえる。
「エイミーだって」
とカメラに注釈する繭子。ジャック、エイミー、池脇、伊藤の4人が英語で話をしている。
伊澄が荷物を玄関脇に置いて両腕を上に伸ばし、「煙草吸っていいの?」と早速だ。4人の誰ともなしに話しかけると、ジャックとエイミーが同時に伊澄を振り返り、池脇の通訳に「オケイ、シュア」との返答。手を上げて外に出ようとする伊澄に、
「家ん中でかまわないみたいだぞ」と池脇が声を掛ける。
「散歩」そう答えて伊澄は外へ出た。
「えー、どうしよっかなー」伊澄が出て行った後の玄関を映しながら繭子が言う。
「もう暗いから出ない方がいい」と止める神波の言葉に「はーい」と繭子は素直に頷いた。
周囲の家から距離がある為、チューニングや練習程度の演奏なら楽器を鳴らしても大丈夫らしい。近くにはリカーくらいしか店がないので、必要な物は明日街へ買いに行く。食事はこちらで準備するが、不要な時は事前に教えてほしい、といった注意点が池脇と伊藤に告げられる。
荷物を部屋に運んで来る、と言って神波が繭子や織江のカバンを持ち上げる。その様子を見てジャックが歩みよって来た。俺がやるよ、という事らしい。池脇の説明によると、ジャックが現場までの送り迎えと雑用、エイミーが家事全般を受け持ってくれるらしい。
どうやら、本当にファーマーズとの仕事が始まるようだ。
ささやかながらも和やかでウェルカムな歓迎ムードに、却って戸惑うバンドメンバーの姿が初々しく映る。
ディス・イズ・アメリカ。ステーキとパンとサラダがこれでもかと並んだワイルドな食卓。隙間を埋めるように並べられた、ビール瓶とワインボトルの量が尋常ではない。
カメラを回しながら「うわー!」とテンションの上がる繭子。
食べられないものはあるか、と微笑みながら訪ねるエイミーに対し、「ナッシン」と声を揃えるメンバー。池脇が食卓を見渡し、「モア、ビア」と低めのトーンで訴えかける。それを聞いたエイミーの目が点になり、本気がどうかを測りかねる空気に、一瞬全員が黙った。「プリーズ」と伊澄が追い打ちをかけ、ジャックが肩を揺すり吹き出して笑った。エイミーは目を輝かせながら両手で頭を挟み込み、言葉を選んだ後、「ワンダフル!」と叫んだ。
やがてバンドメンバーと伊藤、ジャック、エイミーが食卓に着く。
これから2週間よろしく。良い仕事をしよう。乾杯。
夕食後、帰宅するジャックを見送る為に玄関前に集まった一同を、カメラが映し出した。
横並びに立つメンバーの背後から、繭子がカメラを構えている。池脇達の身体の隙間から、ジャックが繭子に手を振って見せた。
「明日から忙しくなるぞ、用意は良いか?」
とジャック。もちろんだ、とメンバーは笑顔で親指を立てる。
おやすみの挨拶を口にした後、ジャックは再び繭子のカメラに向かって指を差す。
「Hey mayu、so cute」
「センキュー!」
繭子は元気に返し、振り返り様に飛んでくるメンバーの好奇の視線を、笑いながら身を捩ってかわした。
初日の夜。
部屋は一人ずつ用意されており、エイミーが1階に寝泊りし、2階にメンバー。部屋は4つで、相手側としては繭子と伊藤で一部屋と考えたようだが、伊藤は神波と同じ部屋に移った。彼女なりに気を使って繭子に一人部屋を与えたのだが、落ち着かない繭子は神波と伊藤の部屋を訪れて話を始めた。ベッドの上に座った繭子の前にカメラが置かれているのだが、位置が低すぎるせいで、せっかく繭子の方へレンズが向いているにも関わらず胸元までしか映っていない。部屋着のスエットに着替えたようだ。神波は今、この部屋にはいない。
「まだ全然実感ないです」
と繭子。
「始まってみないとね」
近くで伊藤の返事が聞こえるが、どこにいて何をしているかは分からない。
「ちゃんと出来るかなー」
「繭子だけの問題じゃないから、大丈夫だよ」
「演奏するだけなら全然どこでもいつでも何時間でも平気なんです。でもPV撮影なんてした事ないしなあ。竜二さんと大成さんは慣れてるだろうけど、翔太郎さんと私、やったことないし」
「とりあえずは言われた通りに動いてみるしかないね。完成の絵は、向こうにしか分からないんだし」
「そういうのが初めてで、はっきり言っちゃうと嫌なんですよね。主導権がこっちにないって、ものすごく不安です。私がどう思おうが、向こうの答えが優先されるんでしょう?私、我慢出来るかな」
「なんで我慢するのよ、ガンガン戦って、嫌ならやめればいいじゃない」
「あはは。そんなわけにいきませんよ、一応プロだし。織江さんにも、フィリップにも迷惑かけるの嫌だし」
(ここで名前の出た「フィリップ」=フィリップ・アンバーソンとは、アメリカでドーンハンマーのCDを販売している『ホット・ジンジャー・レコード』の責任者である)
「全然気にしないでいいよ」
「フィリップ、今日来なかったですね」
「明日着くって、さっき連絡あったよ。忙しいんだろうね」
「はあああ。モヤモヤする」
「珍しいね、こんな繭子」
そう言うと、伊藤がカメラを持ち上げて繭子を映す。とくに嫌がりもしないが、笑いもしない。しかしとても疲れた顔、とてもストレスを感じている表情だった。
「結局こっち来るまでにどの曲で行くかも決まらなかったし」とぼやく繭子に対し、
「よくある事らしいよ」と伊藤が答える。「進行表が第一優先だしね。向こうはうちとの仕事の他にも山ほど案件抱えてるんだし、まずはスケジュール通り動く事。まあでも絞った3曲のどれかで行くことはほぼほぼ決定だし、曲によって絵コンテが変わる事もないみたいだから、大丈夫なんじゃない?」
「おかしな話ですよねえ、それも」
そこへ部屋の扉をノックする音。繭子が織江からカメラを受け取り、ドアを映す。
「イエス?」返事をする伊藤。
「翔太郎いる?」という声の主は池脇竜二だ。
「いなーい、大成さんもいないでーす」
答える繭子の声に、ドアが開く。
「あれ、部屋代わったんじゃねえの?」
と、顔だけ覗かせて池脇が言った。
「寂しいから来ちゃいました。2人ともいないんですか?」
「ああ。絵コンテもっかい見ておこうと思ったんだけど、持ってるの誰?」
「えっと、私持ってるよ、今出すね」
「悪いな、今更」
カバンをがさごそ、例の絵コンテの束を取り出して池脇に手渡す伊藤。彼女はまだ部屋着ではない。
「どこ行ったんだろうね、外かな」
「酒買いに行ったんかも」
「え、もう全部飲んだの? 2人とも英語喋れないのによく行ったねえ。あ、でも身分証明いるんじゃなかったかなー、こっちも」
「まあ無理なら帰ってくるだろうよ。じゃ」
「おやすみなさい」
「あいよ」
伊藤と挨拶を交わして扉を閉めかける池脇に、竜二さん!と繭子が声を掛ける。
「ん?」
「ちゃんと出来るでしょうか、明日から」
繭子の不安を受けても尚池脇は考える事もせず、変らぬ笑顔を浮かべたまま、
「やるんだよ。出来なくたって、出来るまでやるんだよ」
と力強く頷き掛けた。繭子は彼の言葉に小さく、そして何度も頷いた。
「そっか…。そうですよね!」
ビデオカメラが階段を下りる。階下からギターが聞こえてくる。アンプを通さない生音だが、伊澄翔太郎の弾く音色だとすぐに分かる。
「おはよーございまーす」と繭子が声をかける。一階のリビングには伊藤以外の全員が揃っていた。昨晩別れたジャックも既に来ており、伊澄の弾くギターと神波のベースのユニゾンに興奮している様子。ワオだのファッキンだのクレイジーだの、日常で飛び交うフレーズは同じでも、やはり日本とはネイティブさ違う。伊澄も神波もやはり言葉数は少ないが、それでもコミュニケーションには困らない様子だった。
エイミーがキッチンから朝食を持って現れる。膨大な量のパンと卵とベーコンとサラダだ。明日からはミソスープも用意すると言っている。カメラがトトトっと走って窓から外を写す。
「快晴だな。さて、やっちゃいますか」
小声でそう自分に気合を入れる繭子。
驚いた事に、撮影現場はここから車で10分もかからないそうだ。というよりも、既にこの地域一帯がファーマーズの所有地であり、現場と言えば現場なのだ。ドーンハンマーが寝泊りする一軒家のような宿舎が周囲にいくつもあり、それぞれ他のミュージシャンやアーティストが同じ目的で逗留しているという。移動の車内で、昨晩スリップノットのコリン(ボーカル)らしき男を見たが、確信が持てなかったので話しかけなかった、と伊澄が言った。ジャックによればおそらく本人に間違いないらしく、「しくじったー」と珍しくミーハーな声を上げた伊澄の横顔が見てとれた。
『ファーマーズ』というだけあって、大きな牧場や農園を思わせる広大な緑の敷地に、巨大な白い建物が3棟間隔をあけて建っている。まるでテーマパークを訪れたような印象だ。
「あれ?あれがそうなの?」
移動車の中から、近づいてくる要塞の様な建物群を見つめて繭子が目を見開く。
「イエス。ウェルカムトゥー、ザ ファーマーズ」
ハンドルを握るジャックが、そう誇らしげに言った。
「デカ!」
それらすべてが撮影所であると聞かされて、いやがうえにもメンバーの士気が高まる。
映画の撮影でもやるんか、と池脇が言ったがまさしくその通りで、日本のビジネス街に建つ高層ビルとはまた異質な巨大さに、言葉もなく圧倒されるメンバーの表情がビデオカメラに収められた。
「夢みたいだなー」
ボソリと独り言ちる繭子の視線の先には、小高い丘の上に立つ周囲の木々よりも背の高い撮影所。その中でもメンバーが向かったのは一番奥にある建物だった。
ジャックが到着を告げ、彼らが車から降りた時、日焼けした顔にサングラスを掛けた銀髪の男が歩いて来た。背が高く、背筋がピンと伸びている。黒のポロシャツに、グリーンの迷彩ハーフパンツ。どこにでもいそうな典型的なアメリカン親父。だがこの男こそ、映像クリエイターの鬼才、ニッキー・シルバー・オルセンその人である。満面の笑みを浮かべ、両腕を開いて近づいてくる。まずは池脇、伊澄、神波、繭子の順番でハグ。最後に伊藤にもハグ。ジャックとはハイタッチ。
「アー・ユー・ニッキー・オルセン?」と、片言の英語で繭子が尋ねる。
「ヤ! コール、シルバ!カモン!」とニック。低く張りのある自信に満ちた声だ。
中で話そう、と首で合図し、メンバーを建物内へ誘導する。
カメラが伊藤の手に渡り、繭子の背中を映し出す。その奥で池脇とニッキーが話をしている。すると池脇が伊藤を振り返り、少し困った表情を浮かべた。しかしすぐに向き直り、身振り手振りで何事かを熱く説明している。ニッキーはしばらく口に手を当てて黙っていたが、ヤ!と一声吠えて、奥へ歩いて行った。伊藤の持つカメラの場所まで、池脇が引き返してくる。
「何て?」
「中は撮るなって」
「あー、やっぱりそうだよねえ」
「一応説明はした。日本のプロモーターがバックに付いてて一年がかりで密着取材やってる途中だから、ここを外す訳にはいかない。中で回した映像は毎日そっちにデータを渡すから、使って良い映像だけ返してくれれば問題ないって」
「ああ、助かる、ありがとう。私からも話しとく。フィリップの事、なんか言ってる?」
「いや、全然。あいつこっち来てんの?」
「その予定だけどね。まあ、一から話詰めるよ、どこまで意思の疎通がとれてるか分からないね」
「そこらへん任せる」
「うん、あ、呼んでる呼んでる」
奥でニッキーが手招きしている。その後に続くメンバー達の顔には少なからず緊張の色が見える。何もかもが初めての連続だ。
いきなり時間が飛ぶ。
池脇の申し出た言葉通り、ファーマーズの検閲を得て許可の下りたものしか映像が残されていない為、仕方のないことではある。画面では楽器を携えて幾分落ち着いたメンバーの顔。
聞いた話ではこの場面、とりあえず生で見たいというニッキーの要望に応えて、一曲フルで演奏するシーンなのだと言う。
服装はここへ来た時と変わらない練習着のままだ。撮影用なのか分からないが、彼らの後ろには巨大な真っ白い壁。足元には真っ白い床。音合わせをしているメンバーを、少し離れた位置に立ってニッキーが見ている。彼の斜め後ろに、すっとぼけた顔のジャックが立っている。伊藤のカメラに気づくと軽く手を振る余裕の笑顔だ。
「ハッ!ハッ!ダァッ!」
池脇がマイクを通して勢いよく息を吐く。
メンバーを振り返り、見渡す。
繭子が頷く。前に向き直り、池脇が英語で言う。
「ボーカルとギターもっと上げて」
ハッ!ハッ!
「もっと」
ギギギギギギ、ガガガガガガ。
「えー。全然だけど、こんなんもん? 非力すぎない」
日本語とは言え、伊澄のあからさまに挑発的な発言に繭子が下を向く。
池脇の通訳を受けて、真顔のニッキーがジャックを振り返る。
ジャックが小走りに何処かへ行き、しばらくして戻る。手を叩いてメンバーの注意を引くと、彼は親指を立てて微笑んだ。
ギャギャギャギ!
「ッケー」
伊澄の了承が出た。それでこそ、伊澄翔太郎だ。
なんの合図もなくいきなり演奏が始まった。目下最新アルバム収録の、『goruzoru』だ。
ドーンハンマーファンでこの曲を知らない者はいないだろう。数え切れない回数プレイしてきた現在進行形のアタックソング。速さ、重さ、複雑さ、その凶暴な顔には禍々しさまで見え隠れする彼らの代表曲である。
ニッキーが2歩前に進み出た。組んでいた腕をほどき、口元に手をやる。
後ろでジャックが両腕を振り回して飛び跳ねている。見るからに分かりやすい男だ。彼は間違いなく、ドーンハンマーのファンだ。
ニッキーがサングラスを外した。
どんどんメンバーの動きが大きくなりボルテージが上がる。
獣のように吠え立てる池脇。荒ぶる神の如き高速ピッキングでリフを弾き飛ばす伊澄。のたうつ大蛇を思わせる神波の重低音爆撃。溜め込んだストレスを爆発させながら粒の揃ったクリアなドラミングで3人を煽り立てる繭子。
もっと来い。もっとだ。来い。かかって来い!
最高の盛り上がりを見せた瞬間画面が切り替わる。さすがだ。全部は見せないというわけだ。引き込まれていただけに、突然目の前で何かが弾けたような気持にさせられる。
興奮仕切った顔で拍手喝采を送るニッキー。そして隣で大声を上げて叫ぶジャックの目には涙すら浮かんでいる。
「お前らは一体どこからやって来たんだ!本当に日本人か!信じられない!まじか!素晴らしいよ!」
惜しみない称賛の声が飛び、ここへ来てようやくメンバーの顔に安堵の表情が浮かぶ。
拍手が一人や二人でない事にもようやく気がつく。
見ればオープンスペースであるスタジオ内の壁沿いを、グルりと大勢のクルーが取り囲んでいた。中にはスタッフではないような、業界人らしい雰囲気の男女も混じって見受けられる。広い撮影場内と言えどあれだけの爆音を響かせたのだ、当然他の現場でも仕事になどなるまい。何事かと様子を見に来た人間誰もが、元いた場所へ戻ることなく彼らの演奏に釘付けとなっていた。何かのサプライズか? 誰だよこいつら、とでも言いたげな困惑顔で、事情を呑み込めぬまま取り敢えず拍手している者もいる。しかしメンバーの正面に立って一番興奮しているのが誰あろう、ニッキーなのだ。誰も帰ろうとしないわけだ。
「お前ら凄いぞ!今まで見た中で最高のプレイだ!本当に、本当に日本人か!? 特にお前!お前は本当にクレイジーだ!最高だ!」
そう叫んでニッキーが指を差したのは、池脇竜二だ。
池脇は周囲を見渡し興奮気味に「フォウ!」と叫んでみせる。
「驚いたね、こんなに人がいたとは思わなかったな。東の猿もなかなかやるもんだろ!?」
池脇が英語で叫ぶと、歓声と拍手が巻き起こる。何を言っているかは分からないが、池脇の一声で周囲が盛り上がっているのだけは分かる、という顔で嬉しそうに笑う繭子達。
「よーく分かった!お前らとのビジョンが完璧に見えたぞ!おい!他の奴らは仕事に戻れ、遊んでる暇なんてないぞ!」
ニッキーはずっと叫んでいる。身振り手振りも大きく、ずっと興奮している。メンバーに歩み寄ると、池脇の肩を抱いて引き寄せた。
「お前は本当に凄いな、たまげたよ」
「ありがとう。うちのメンバーもなかなかやるもんだろ?」
「ああ、凄いとも、しかし俺には分かる。とんでもないモンスターはやっぱりお前だよ、名前なんだっけな」
「池脇竜二だ」
「そうか竜二。会えて嬉しいよ」
池脇は自分だけが褒めちぎられる事に戸惑いを隠せない。何度もメンバーに視線を走らせ、疑問を投げかける。しかし伊澄も神波も繭子も、笑みを浮かべたまま何も言わない。言えないのではなく、言わない様子だった。
カメラの画面が酷く揺れる。撮影所内を繭子が走っている。その先に立っていたのはジャックだった。繭子に気づいたジャックが笑顔で片手を上げる。
「マユコー」
「ワイー」
恐らく「Why」なのだが、ニッキーの発音するwhyが「ワイ~」に聞こえる事が面白かったようで、気に入った繭子は脈絡なく何度も口にしていたらしい。
「何?」とジャック。
「ジャックはいっつも笑ってるね、いっつも楽しそうだね」
通訳は伊藤がしているのだが、ジャックは話をしている繭子の顔から眼を逸らさない。
「ああ、楽しいよ。ハッピーだね」
「ジャックはいっつもシルバの側にいるけど、本当は何の仕事してるの?」
「ああ、言ってなかったね。僕も彼と同じ撮影監督だよ」
「えええ!?」
この時まで、メンバーは彼の事をスタッフか雑用係だと思っていた。毎朝迎えに来ては撮影所まで車で送ってくれるのだが、帰らずにそのままスタジオ内をうろうろしているし、ニッキー・オルセンの側ではしゃいでいる姿を見かけては、あいつは一体何をやってるんだ、とメンバー内で話題になっていた。
「そうなんだ!」
驚きを隠せない繭子。
「そうだよ、そもそも今回君達を撮ろうと企画したのは僕だ。だけど興味を示したニッキーに横取りされちゃったんだよ。まあプロジェクトには関わっているし、今後も口出しはするけどね」
通訳しながらも興奮で上擦ってしまう織江の言葉に、繭子も心底びっくりしていた。
「そうだったんだ!私達がここにいるのはジャックのおかげなんだね!」
「うーん、そうとも言えるし、違うとも言えるかな」
「ワイー」
そこへ煙草を吸い終わった伊澄が通りかかる。
「また遊んでんのかジャック」
「違う違う、ジャックだったんです!私達をここに呼んだの、ジャックだったんです!」
興奮した様子で繭子がジャックを擁護する。
「え?フィリップだろ?」
と、伊澄が片眉を上げる。
「え?あれ?」
伊藤がその辺りの事情を詳しく聞いてみると、意外な話が聞けた。
「ああ、フィリップ。我が友。そうだよ、フィリップのおかげさ。そもそもは、僕が君達の演奏を見て一目惚れしたのが最初だけど、こっちで君達の音源を扱ってるのが彼のホット・ジンジャー・レコードだからね。紹介してくれよって何度もお願いしてたんだ。彼は忙しいからね、なかなか実際に会える機会はめぐってこなかったんだけど、君達がまだ一本もミュージックビデオを撮ってない事を彼から聞いて、これはもう僕がやるしかないと運命を感じたんだ」
「へー、そう聞くとやっぱりジャックのおかげって気もするなあ。フィリップ別になんもしてねえじゃん」伊澄が笑って言う。「全然こっち来ねえし」
「…ああ。そうだね。彼はどちらかというと国内より、国外のバンドを発掘してアメリカに持ち帰る仕事にやりがいを感じているからね。常にひとつの所には留まっていないよ。今回の仕事の間に、会う予定なのかい?」
「というか初日には会うはずだったんだけどな。忙しい忙しいばっかりだよあいつ」
「あははは。まあそういう事もあるさ。2週間あるんだ、1日くらいは会えるんじゃないかな。僕からも連絡してみるよ」
繭子がジャックに向かって、疑問を投げかける。
「なんでジャックは私達を知ってたの?どこでやったステージを見に来たの?」
「いや、実を言うと生で君達の演奏を見たのは、こないだニッキーと一緒に見たのが最初だよ。実は本当に偶然なんだけど、日本からDVDが送られて来たんだよ」
「DVD?」
「うん。うちの会社はバンドやミュージシャンだけじゃなくて、色んなジャンルでプロモーションのバックアップをしているってのは知ってると思うけど、日本のモデル事務所とも幾つか契約を交わしてるんだ。着物の企画なんかではよく助けてもらってる。そういった縁で知り合ったモデルの子からDVDが送られてきたんだよ。もう去年の話なんだけどね。だけど実際見てみると、君達のライブ映像だったからびっくりしたんだよ。てっきりそのモデル事務所のファッションショーか何かだと思ってたから」
「え、ジャック、そのモデルって、名前分かる?」
繭子が食い気味にジャックに尋ねる。
「残念ながら名前は憶えてないな。もの凄く綺麗な子だったんだけどね。事務所は分かるよ。確かプラチナムだ」
この時点での確証は何もないが、関誠であることは間違いないだろう。
「うーわー」
思わず繭子はそう漏らし、その場を離れた。彼女が持っていたカメラも一緒にその場を離れたため、その後どうなったのかという映像は残っていない。「どうしたんだ? まずかったかい、今の話」と心配するジャックに問題ないと答えて伊藤が場を取り繕ったらしいのだが、その時の伊澄の反応も、繭子がその後どうしたのかも、分からないままだ。
「ミイラー、ミイラー」
池脇を指さして繭子が笑う。
包帯をぐるぐる巻きにされたような衣装。
日本の山伏や法術師などにインスパイアされたという衣装。
ニッキー曰く、「大昔の日本にいた魔法使い」。
そんな者は実在しないし、本来バンド側はオリエンタルなイメージを出したくなかったそうだ。出来れば日本をイメージするような衣装であったり、漢字が出てきたりといった露骨な演出は避けたいと事前に伝えてもいた。しかしそれだと、今回の絵コンテ通りに映像化した場合、どう見てもミイラのような仕上がりになってしまうとの事だった。それでもいいから一旦ジャパンテイストは入れずに撮って欲しいと願い出て、衣装合わせの今に至る。
池脇、伊澄、神波の男性3人は、少しずつ互いに変化を持たせながらも基本的には統一感のあるミイラスタイル。全身を汚れた包帯で覆い、その上からボロボロの服を着ている。それは着物だったり浴衣だったりを参考につくられた衣装なのだが、革ベルトが付属していたり鎖帷子が見えていたりと、不安材料が多い。
ニッキーは言う。
「最初は3人とも顔を出さない。顔まですっぽり布で覆う。演奏が始まってだんだんを衣装が剥がれて行く。中から出て来るのは鬼の顔をしたエクソシストだ」
伊澄曰く、何度聞いても意味が分からなかったらしい。池脇と伊藤が2人がかりで何度も噛み砕いて説明するのだが、伊澄は最後まで首を捻り続けたとの事だった。
池脇が動き辛そうに腕を上げて、繭子を指さす。
「お前覚えとけよ、絶対お前ん時爆笑してやるからな」
「竜二さん超カッコイイー!」
「もう遅せえ!」
モニターを真剣な目で見つめるニッキーとジャック。
スタジオではドーンハンマーの曲が流れている。『Follow the pain』だ。この曲のPVに決まったのだろうか。ニッキーとジャックが体を起こして手を叩く。ヤ!とニッキー。彼の口癖である。
ジャックはモニター画面を指でなぞるようにしながらニッキーに言う。
「やっぱりここに文字入れようよ。その方がぐっと絵面が締まると思うよ」
ニッキーは髪の毛を両手でかき上げ、ンンンーと唸り声を上げる。
「どっちかだ!スペルを3次元化するか、衣装に書き込むか、どっちかだ!」
「両方っていう線はなしかい?」
「くどい、それはくどい」
ジャックがカメラに向かって両手を広げる。
ニッキーが吼えるように捲し立てる。
「彼らに会うまでは絵面として分かりやすい文字の書き込みも当然視野に入れていた。だが実際彼らにあって気が変わった。彼らは日本という島国には収まりきらない存在なんだよ。本来ならば今ここで彼らの周囲に東洋の文字を…」
…揉めているようだ。
遠くから、メンバー4人の姿を映し出す。
衣装を身に纏った池脇、伊澄、神波の3人は、繭子を真ん中にして取り囲み、円を描くように立っている。普段の演奏時には見れない立ち位置だ。この位置関係だと繭子のポジションをとても重要視しているように見える。絵コンテからしてそうだったが、繭子が自分にスポットが当たる事をすんなり受け入れていると良いのだが。
撮影所の外。
喫煙スペースで煙草を吸う伊澄。そこへ神波が近寄る。
遠目から撮っているので何を話しているか分からない。
「結構ぶれるな」という伊藤の声。
撮影しているのは彼女のようである。
急に伊澄が笑い声をあげる。
神波が伊澄の肩を叩いてその場を去る。
伊澄の顔にズーム。
こちらに気が付く伊澄。
伊藤がカメラの中で手を振る。
伊澄も彼女に手を振り、そして彼女の背後へ向かって指を差す。
「え?」
そこへ何者かが彼女へ抱きついた。
「ぎゃー!」
繭子が背後から忍び寄って来ていたのだ。
宿泊所の中を映すカメラ。いきなり映像が切り替わる為、時間の概念がなくなる。
キッチンに立つ伊藤の背後からカメラが近づいていく。隣にはエイミーが興味深い顔で伊藤の手元を見ている。
「何作ってんですかー?」
「春巻き」
「ああ、いいねー。エイミー春巻き食べたことある?」
伊藤が訳す。
「ええ、あるわよ、こっちはチャイニーズフードも人気だから」
「そうなんだ。織江さんの手料理久しぶり」
池脇がキッチンに顔を出す。
「良い匂いする。ビール買って来るけど足りないものはあるか?」
「大丈夫」と伊藤。「エイミーは?」
「んー、ないわ。一緒について行きましょうか? 竜二」
「平気、大丈夫。繭子来るか?」
「行っていいんですか?」
「気分転換にいいだろ。あいつらも行くし」
「織江さん行っていい?」
「子供みたいな事言うね、どうぞ、行ってらっしゃい」
包丁を握ったまま伊藤が振り返って笑う。
エイミーが繭子に尋ねる。
「繭子はいくつなの?」
「ハウオールダー? 28、トゥエンティー・エイト」
「ワオ!」
エイミーが声を上げる。
「信じられない。18歳くらいだと思ってた。ビール飲んでるから不良なんだと思ってたわ」
通訳なしで話せる池脇と伊藤が笑い声をあげ、遅れて繭子が「またかー!」と嘆く。
「いつになったらこっちで成人出来るんだ私は」
カメラは繭子の足元を映している。目線の高さにカメラを持ち上げていないのだろうが、そうする気配もない。扉をノックする音。
「おお」
伊澄の声だ。
「今いいですか?」
繭子が声を掛けると、伊澄が自ら扉を開ける。
「どした」
「入っていいですか?」
無言で伊澄が後ろへ下がり、招き入れる。
入口付近にある鏡台にカメラを置いて、繭子は椅子に座った。カメラは繭子の背中を映しているが、とても暗い。ギシ、と音がして伊澄がベッドに腰かける気配。
「大丈夫ですか?」と繭子が言う。例え扉の前に誰かが立っていたとしても聞こえないだろう。それほど小さな声だ。心底、心配している声だった。
「別に落ち込んではないよ。なんていうか、…なんていうんだろうな」
そう答える伊澄の声も小さい。
「私はなんかちょっと、複雑なんですよ」
「まあ…」
「一瞬めっちゃ嬉しかったです。でも、次の瞬間、なんでかイラっと来て」
「はは」
「もう、一瞬でマックス。でもまた次の瞬間には、は~ってなって」
「忙しいな」
「翔太郎さんは?」
「実はこういう事ってこれまでも何度かあるんだよ、わざわざ言ってないだけで」
「そうなんですか」
「繭子だけじゃないけどな、基本的に俺は、言う方じゃないから」
「はい」
「気が付いたら、あー、あいつっぽいなーっていう。誠らしい、…優しさって言っていいんだと思うけど、そういう事よくあるんだよ」
「全然知らなかった。ファーマーズなんて織江さんに聞くまで存在も知らなかったし。本来だったら物凄い話なんですよ。私達より全然前にお仕事してたわけですから。それなのに黙ってこういうサプライズしかけてさ。絶対、これってバンドをどうこうっていうより、翔太郎さんの為っていう気がするんですよ。女心を感じるというか」
「…」
「それって凄い事だなぁって思うんです。行動力とか、気持ちとか、凄いなって、羨ましいなって、いつも通り思えたら楽なんだけど」
「…お前の方こそ大丈夫か」
「ごめんなさい、色々溜まってるみたいです」
「なんか出来る事あったら言えよ」
「それ私が言おうと思って来たの」
「だと思った」
「ずっるいなぁ(笑)」
「余計な心配しなくて大丈夫だ。ちゃんとやるから」
「別に、え、別に発破かけに来たわけじゃないですよ?」
「分かってるよ。ありがとう」
「あー、もう。なんでこんな気分にならなきゃいけないんだろうなぁ。二人がこれまで通り上手くやってくれてたら、ジャックから話聞いた瞬間飛び上がって喜んだのに。聞いて聞いて、その綺麗なモデルってね、翔太郎さんの恋人なんだよ!って自慢出来たのに。今は素直に喜ぶ事も出来ない」
「考え過ぎな気もするな。あいつも言ってたろ。とりあえず皆に感謝くらいはしてるんだろうし、何かしら世話になったくらいの事は考えてて、恩返しを思いついたんだとしたら、素直にラッキーだって思えばいいんじゃないか」
「うーん。腑に落ちない、です」
「それは知らんよ」
「だってもしDVDを送ったのが本当に誠さんなら、半年以上前にそれをやってるわけですよ。それなのに半年後にはバイバイですか? そんなのってさあ。…翔太郎さん、誠さんの話を全部信じてますか?」
「っはは。いや、それさぁ、意味あるか?」
「…」
「信じるとか信じないとかで、何か変わる?」
「…」
「もう戻れ。おやすみ」
「私信じられないんですよ、どうしても」
「だったらなんだよ。あいつにそう言ってやれよ。そいでまた、なんで嘘だと思いたいの?って聞かれたらいい。そんなもん、答えようのない突き離した質問されて終わりだろ」
「だって、私だってずっと2人を見てきましたから」
「…」
「そんな。…あー!もう!」
荒々しく繭子がカメラを持ち上げた瞬間、電源が落ちた。
繭子はこの時点で、誠が別れを告げた日に伊澄の語った、彼の素直な気持ちを知らない。
繭子にとってはまだ心の整理がついていないのだろう。アメリカまで来て、ファーマーズというワールドワイドな映像作家集団と仕事をしていても尚、胸の閊えが取れないでいるのだ。あるいは忘れようとした忙しい日々の中で、突然その笑顔を思い起こさせる運命の引き合わせに、苦悩を強いられているのだろう。
ホット・ジンジャー・レコードのフィリップ・アンバーソンが合流した。
撮影所で衣装についてあれこれ注文を付けていた時だ。
「翔太郎の右腕はもっと自由に動かせるほうがいいな」
そう英語で声が上がる。ふり返った先に、ぼーっと突っ立っているフィリップの姿。
金髪で顎髭を蓄えた、ドーンハンマーと同年代の男だ。ジャック程ではないが、彼もガッシリしとした体躯である。トレードマークだという大きな黒縁眼鏡の奥にはブルーアイが光っていた。
「おお、やっと来たかー!」
と池脇が声を上げ、メンバーが代わる代わるハグ。ジャックとフィリップは、久しぶりだねと言葉を交わし、握手。フィリップとニッキー・オルセンは初対面らしく、「お会い出来て光栄だ」という言葉と共に両手を使った握手。いつも忙しく飛び回っている彼らしく、よれよれのネルシャツにチノパン。気負いのない自然体のフィリップと久しぶりに会えて、ストレスの溜まっていた繭子の顔も明るい花が咲いたようになった。
所が、満面の笑みでメンバーとの再会を喜んでいたフィリップの顔が、突然涙に歪んだ。
何が起こったのか分からず、誰もが言葉を失う。カメラの前に初めて姿を現した時、違和感を察知出来た者はいなかったそうだ。普段から何を考えているか分からない、飄々とした身軽さが彼の持ち味らしく、少し年を取ったな、ぐらいの印象しかなかったという。
「どした、なんだよ」
「おい、フィリップお前泣いてんのか?」
伊澄と池脇が歩みよって肩に手を置く。
ジャックとニッキーが顔を見合わせている。
カメラを構えていた伊藤の手が下がる。
「遅くなってすまない」
震える声で、フィリップがそう言った。
「はあ? なんだよそれ。なんで泣いてんだって」
「いや、いいんだ。ごめんよ、続けてくれ」
そう言ってフィリップは伊澄の手を振りほどき、その場を離れようとした。池脇がニッキーらに一言断りを入れて、フィリップの後を追った。必然的に、メンバー全員そちらへ向かう。
「なんだよ、ちゃんと言えよ、何か問題でもあんのか」
メンバーを代表して池脇が問い詰める。少し離れた場所で、伊藤が他のメンバーに小声で訳す。
「すまない。本当はもっと早くに来れるはずだったんだ」
「ああ、そうだな。忙しかったんだろ?」
「親父が死んだんだ」
「いつ!?」
「昨日だ」
一同が顔を見合わせる。
「何やってんだよ、なんでここにいるんだ」
「何故って仕事だよ。君達に会いにきたんだ。うちの会社から作品を出してる大事なバンドであり、大切な友達だからね」
「いいからもう帰れよ、葬式とか色々あんだろ」
「もう間に合わないよ。葬儀は明日だ。昨日親父が死んですぐに向こうを出た。到着したのはついさっきなんだぜ」
「いやいやいやいや、お前何やってんだよ、帰れよ!」
「もういいんだ、ありがとう」
池脇が語気を強めて説得しようにも、フィリップは笑顔で受け流して言う事を聞かない。池脇の声が大きい為に、少し離れた場所で待っているニッキーとジャックにも事情は伝わっている。そして事が事だけに、軽々しく「さあ、再開しよう」と言い出せないでいる様子だった。伊藤から通訳を受け終える前に、伊澄が尋ねる。
「国どこなんだよ」
池脇が振り返り、フィリップに尋ねる。
「マイノット。ノースダコタ州だ」
「どうなんだ?」
伊澄がジャックを見やる。伊藤が訳すと、ジャックは目を見開いて首を横に振る。遠すぎる。
大雑把に言えば今彼らがいるニュージャージーは合衆国の東端。ニューヨークにも割と近い郊外都市だ。しかしノースダコタは合衆国の最北端、カナダとの国境地である。
「昨日出て今着いたんだろ。なら行けるだろ、飛行機か?」
伊澄の言葉に、フィリップも少し真顔になる。
「もういいんだよ俺の事は。親父ともそんなに仲が良かったわけじゃない。知った顔に久々に会えてちょっと気が緩んじゃっただけだよ。仕事を再開しよう」
そう言うフィリップの肩を、トーンと池脇が突き放した。そしてニッキーとジャックの方を振り返ると、こう言った。
「ちょっと行ってくるよ、ノースダコタ」
「ああ!?」
ニッキーが明らかな怒気を含んだ声を上げる。
ノーノーノーノーノーノー!慌てたフィリップが叫んで割って入る。
「行かないよ、冗談だ」
アメリカのこの業界で生きる人間にとって、ファーマーズあるいはニッキー・オルセンとの仕事がどれほど重要な事かは誰もが身に染みて理解している。普通は無理なのだ。どれだけ頭を下げようと、大金を積もうと、こんなチャンスは普通廻って来ない。たまたま、ジャックがドーンハンマーに目を付け、たまたま、ジャックとフィリップが友人だった。ただそれだけなのだ。確かに今アメリカにおいて、デスメタルを好きな人間ならばドーンハンマーの名前を知ってるファンがいてもなんらおかしくはない。メタリカとも、スレイヤーとも共演しているのだから、多くの音楽ファンが目にするステージ彼らは立っている。しかし彼らはメタリカではないし、スレイヤーでもない。この機会を逃せば、もう二度とこんなチャンスは掴めないかもしれないのだ。
「今これから行って、明日向こうを発つよ。2日だけ時間をくれ。帰ってきたら今の倍集中してやり遂げてみせるから」
池脇の言葉を、ニッキーは笑い飛ばす。
「お前自分の言ってる事の意味分かってるのか? 確かにお前らは凄い才能を持っている。作業も順調に進んでいる。だがそんなものは仕事として当たり前の話なんだ。そういう奴らは世界中にいるんだぞ。そもそもそういう奴らとしか俺は仕事なんかしないからな。それを2日遅らせる?馬鹿なのか?お前らだけの問題じゃないんだぞ!」
「やめろ!やめてくれ!分かってるよニッキー、俺達はそんなに馬鹿じゃない!」
泣きそうな顔でフィリップが間に入る。だが池脇は止まらない。
「いーや馬鹿だね!例えアンタらがどこのお偉いさんでどんだけ世界中に影響力があろうとも俺達を止める事は出来ねえよ。いいか?俺達は今からノースダコタまで行って、この、フィリップの、親父の葬式に出席する。その足でここへ戻って来る。そしてションベンちびるくらい最高のプレイであんたの脳みそをグラグラにしてやろうじゃねえか。もしそれが嫌だって言うなら、この話はここまでだ!もうここへは戻って来ない。分かったか!ニッキー!?」
唖然とするニッキー・オルセン。
眉間に縦皺を刻んで下唇を噛みしめるジャック。初めて見る、ジャックの仕事人としての顔だった。
伊藤が極力静かなトーンでメンバーに訳す。
顔を上げて、ジャックが言う。
「威勢が良いのは結構だよ、竜二。君の言いたい事は分かったよ。ただ、振り返ってみろよ。フィリップも、他のメンバーも、本当に君と同じ気持ちなのか?」
しかし池脇は振り返らない。伊藤が訳す。
どうしたらいいんだ、という顔でノーノーノーと頭を振り続けるフィリップ。
そんな彼を見て、伊澄は面白そうに笑った。
ニッキーが怪訝そうな顔で彼を見やる。
繭子が一歩フィリップに近づいて、彼の腕をポンポンと叩いた。
神波は長い両腕を翼のように広げて、ご覧の通りだよ、と笑顔で語り掛ける。
伊藤は大きく息を吸い込んで、溜息を吐き出した。しかしその顔にはすっきりとした笑みが浮かんでいる。
「後悔しないんだな?」
とニッキーが凄む。
「後悔はしない」と池脇が答える。「ただ、一方的に勉強させてもらって悪いとは思ってるよ。日本に帰ったらとりあえず、アンタらの事はスゲー奴らだったって、そう宣伝しといてやる」
さあ、行こうか、と立ち去ろうとしたその時、パンパン、と2回手を打ち鳴らす音が響いた。
「オーケイ。オケイ、オケイ」
ジャックだ。振り返りはしたが何も言わないドーンハンマーの面々をじっと見つめ、数秒後、ジャックは大きく息を吐き出した。
「初めてここを訪れた時、似たような巨大な建物が3つ、この丘に立っているのを見ただろう?」
何の話だ、という表情でメンバーは顔を見合わせる。
「実はこの敷地内には、もう一つ大きな建物があるんだ」
とジャック。
おいおい、本気かお前。そう呟いてニッキーが頭を振る。
「何だよ」
と池脇。
ジャックは伊藤の持つカメラを指さす。メンバーを映しているカメラを自分の顔に向けろ、という合図らしい。彼女がその通りにすると、ジャックは満面の笑みを浮かべて、ゆっくりとこう言った。
「プライベートジェットだ」




