聖人リオ・リザと親友
超天才らしい末永 清17歳。めっちゃ眠い。
学校の授業って魔法の国でも同じ。
しかし乗り越えないと、夢は叶わない。
魔法も恋も、全力で頑張るんだ!
***
留学生としてレストニア祓士学校に入学して5日。一つ分かったことがある。
文字という言葉の壁は厚い。授業の板書が追いつかないし、文化の基礎や歴史を知らないから何言ってるのか分からない。知らない単語が多過ぎる。ということで、私は5日目の放課後、レイトルとか言う黒板みたいなものの前に立った。初の週末の前に、勇気を出しておかないとズルズル何も出来ずに終わりそうだ。
「解説係を募集しまーす!授業の単語がさっぱり分からないので助けて欲しいです!文化とかもさっぱりだし、大変で困ってる!」
せっかく仲良くなれたけど、マールとビルは入学試験に二度不合格しているから自分で精一杯と断られた。他のクラスメートはまだ私を遠巻きにしている。クレイヤは毎日会えると思ってたのに、仕事が忙しく全然会えない。仕事への同行はまだ早過ぎるので、置いてきぼり。
一番最初に、しかも私の突然の行動にすぐに手を挙げてくれたのはフィオナだった。栗毛色の巻き髪豊かな美人。いつも髪を少し古そうな深紅のリボンで、ハーフアップにしている。ヴァル先生と同様に猫っぽいが、こちらは澄ました猫。我がクラスの二大美女。年は結構上そう。
国立レストニア祓士学校は難関校らしく、浪人組が大勢いる。10代は天才枠。つまり、やはり私も天才らしい。実技授業がまだなので、分からないけど。
「必ず実技練習に付き合ってくれるなら、何でも教えるわ」
フィオナが口にした途端、次々とクラスメートが手を挙げた。俺、私、の大合唱。断ったマールとビルも参戦しだす。
ん?自分で言い出したけど、何これ。そもそも実技授業はまだ。来週「基礎裂魂術」とかいう、魔法の授業がある。魂が裂けるとはなんなのか?
「えっと、じゃあ、じゃんけん……」
フィオナに睨まれた。
「あら、他人の尻馬に乗るような人よりも即座に立候補した私が相応しいわ」
高らかに宣言したフィオナに、誰かが「屁理屈だ」と叫んだ。ガヤガヤしてて聞き分けにくいが多分、クラス1よく喋るヤルル。
「で、キヨイは誰を選ぶの?」
針のムシロ。今日まで私を遠巻きにしてたクラスメートが、今は私を取り合う。とても変な感じ。
「えー、全員?」
クラスメートと仲良くなりたい。分からないことを簡単に知りたい。そうなるとこの結論。
「全員に実技練習付き合うなんて無理よ、無理。演習室は狭いもの」
フィオナが私に近寄ってきた。寒気がする笑顔で「私よね?」と囁やかれた。女にモテても嬉しくない。しかし、近くで見ると可愛いし、花みたいな匂いがする。見習いたい。どうやら私と仲良くなる、ではなく実技練習に付き合うが目的っぽい。なんか寂しい。
「あら、どうしたの皆さん」
開け放たれた教室の扉の向こうから、リオがひょっこり顔を出した。入学してから会うのは二度目。確か「鎮魂学」は来週、月曜の午前中のどこかにあった。
「留学生キヨイの世話係を決めたところです。彼女、分からないことだらけで困っているそうで。私が立候補しました」
リオがパァッと顔を明るくして、はにかむように笑った。後ろには澄ました顔をしたブレイド。
「まあフィオナさん素晴らしいわ。貴方なら黒白結社のことも教えてあげられるものね。良かったわね、キヨイさん」
ちょこちょこと教室に入ってきたリオが、フィオナの両手を取った。少し緊張したようなフィオナが「はい」と頷く。クラスメートが、次々とやられたという顔になった。
「フィオナさんね、黒白結社の薬士なのよ。それも特殊医療部の所属よ」
うん、分からない。薬士に特殊医療部?リオが「ふふっ」と嬉しそうに笑った。
「よろしくキヨイ。何でも教えるわ。その代わり実技練習には絶対付き合ってもらうわよ」
フィオナがしたり顔をした。何か悪魔の契約をしたような気がして、私は身震いした。フィオナの目が怖い。しかし「ノー」が喉から出てこない。私の辞書から「ノー」が消え去るほどの気迫。私って結構ビビりだからすぐ「ノー」が行方不明になる。
「あ、ありがとう。すごく助かると思う。実技は役に立つか……」
「天才は天才を作る。この国の諺よ。来週から楽しみね」
今度のフィオナはとても親しみやすい笑顔を浮かべてくれた。ホッと胸を撫で下ろす。良かった、普通に仲良くしてくれる気もあるらしい。
「じゃあフィオナを優先で、皆で頑張るってことで!ほら、私より色々得意な人もいるだりうし!皆で成長するのが絶対良いよ」
クラスメートを見渡すと皆が嬉しそうに笑ってくれた。おおお、これでキャンパスライフが楽しくなりそうだ。フィオナは複雑そうな表情だった。
「やる気に満ちた生徒達でとても嬉しいわ。それでキヨイさん、ルークとまだ会ってないでしょう?任務から帰ってくるからお茶をするの。それで誘いにきたのよ」
リオが今度は私の両手を取った。色白で細くて滑らかな手は、物凄く触り心地が良い。
「あ、はい。行きます」
ありったけの親しみを込めたというような、リオの笑顔にも「ノー」が言えなかった。というか普通に楽しそう。授業の内容が不明過ぎて、夜中まで辞書片手に唸っていたから街に出たい。まだこの国のお店に入ったことがない。
「では皆さんごきげんよう。来週の授業でどうぞよろしくお願いします」
リオが私の手を引いて、クラスメートに優雅に手を振った。静まり返って、祈るように手を握る生徒達。聖リオ・リザ、やはり物凄く偉い人らしい。本人は気さくなお姉さんというか、年も近そうに見えるのに。確かに雰囲気はとても丸く、怒ったりしなさそうだけど。
一度リオから手を離して、机の脇にかけていた鞄を取った。リオの隣に戻るとリオはまた私の手を取った。え、手を繋いで移動するの?
「ルークと待ち合わせをしているの」
廊下を歩くリオは見るからにウキウキしている。ブレイドはしかめっ面。何故、手を繋ぐのかよく分からないが、気分は良い。慕われてるって伝わってきて、こそばゆい。
「クレイヤは?」
ブレイドが私を睨みつけた。怖っ!
「クレイヤさんか先生だろう。キヨイ嬢」
キヨイ嬢⁈甘いマスクの王子様風なのに怖い。生真面目っぽいし、この人苦手。
「クレイヤがパートナーの会話は軽くて結構って言ってくれました。リオさんもキヨイで良いです」
「まあ、それなら私もリオと呼んで。それにもっと気さくにで良いわ。組の特別弟子ってことは、私とパートナーだもの。ねえ?ブレイド!」
本日一番嬉しそうな笑顔のリオに、私は何も考える前に首を縦に振っていた。
「申し訳ないキヨイ嬢。クレイヤさんがそう言っているなら、出過ぎた真似だった。俺もリオと同じでいい。よろしく」
ブレイドが親しみやすい照れ笑いをした。これがツンデレ?思わず惑わされそうになる。しかし私が好きなのはクレイヤだ。浮気、良くない。
「二人ともよろしく」
ええ、と微笑むと長い廊下を鼻歌混じりに歩き出したリオ。こんな女子初めて会った。私と仲良くなれそうで嬉しくて仕方ない。そういう子はいなかった。友達版一目惚れされたのかな?ってくらいの反応。普通、こんなはじまりってないと思う。
校門を出ると空から声を掛けられた。
「遅いリオ。待ちくたびれた」
宙に浮いていた男子がストンと煉瓦で舗装された道に下りてきた。見た瞬間、全身がゾワりと震えて、腕に鳥肌が立つ。私はリオにしがみついた。
背は低くて私と同じくらい。年も近そう。黒と赤褐色が混じった髪を左側だけオールバックにしている。耳が映画や漫画に出てくるエルフみたいにとんがっている。
この国は猫顔多いなと思ったが、猫というよりライオン。黄金の目はギラギラしてて、縦長の瞳孔が怖い。いや、その奥の何とも言えない、得体の知れなさ。
「へえ、お前が例の留学生のキヨイか。凄いな、俺のこと即座に分析?っていうか本能?まあ大丈夫、大丈夫。めっちゃ良い男だから俺。よろしくな」
ルークの手が私に伸びてきて、体がビクリと動いた。しかしルークは悪戯っぽい笑顔で、悟っている風に私の頭をガシッと掴んだ。手は大きい。それから髪をぐしゃぐしゃに撫で回された。途中から両手でめちゃくちゃにされた。
「ほれほれ、大丈夫。怖くないって!凄いなキヨイ」
「あの、ルーク。女の子にそんな乱暴な真似……」
おずおずとリオがルークに手を伸ばした。ルークがリオと肩を組んで、今度はリオの髪を撫でぐり回した。
「今日は新パートナーとの親睦会。そして特別弟子の歓迎にお前の出世祝いだ!最速の特等祓士ってどんだけ出世するつもりだよ!」
「ありがとう。でも多分、贔屓目よ」
私がボサボサの髪を直していると、ルークがリオの足を抱えて持ち上げた。やりたい放題だなこいつ。困ったようなのに、リオは嬉しそうだ。ブレイドが引きつった笑顔をしてから、悔しそうに唇を噛んだ。えー、何これ。恋は五角形?
「まさか!リオの実力さ。どっちかっていうと結社はお前を退職させたいだろうに」
置いてけぼりの仲間外れはよくない。私はルークの肩を叩いた。もう全然怖いという感情は無くなっていた。
「どうせこいつが何なのか分からないんだろう。リオが行きたがっていた噂のパンケーキ屋を押さえたんだ。行こう。よしブレイド、よろしく!」
ルークがブレイドの肩を思いっきり叩いた。解せないという顔をしたブレイドが、大きくため息を吐いた。
「いつも俺ばっかりこき使って。クレイヤさんもルークさんも人使いが荒い」
ブレイドが腰に下げている剣を鞘ごと抜いた。それから杖を振るように剣を振った。ふわっと風が吹いて、目の前に虹色が弾けた。いつの間にか、枝豆のような植物が現れている。
「俺、他人を乗せる移動術苦手だし。それにこれ快適だしな」
大きな枝豆もどきを指で突っつくととても柔らかくてふわふわだった。ブレイドがルークからリオを奪って、枝豆もどきに乗せた。それから私のことも丁寧に持ち上げた。リオと並んで横座り。こんなお姫様扱いは初めてだ!座ると身体が吸い付いたように固定された。何となく、落ちなさそうと安心感を感じた。
「よし行けブレイド!」
ルークが枝豆もどきの後方に飛び乗ったが、全く揺れない。
「5番街のエルザ・ミルダ菓子店ですね?」
ブレイドが先頭に飛び乗った。やはり揺れない。ゆっくりと上昇しはじめる。
「行列二時間待ちらしいが、二時間完全貸切にしてやったぜ!お代は全部リザ家持ちにするからよ!」
柔らかな風が気持ち良い。天気も良いし、見晴らしも最高。魔法の国ってとてつもなく楽しい。両腕を組んでルークが愉快そうに笑った。
「まあルーク。そんなの駄目よ。私が払うわ。それからお店に着いたら、貸切も無しにしてもらいましょう」
祈るようにルークを見上げたリオ。ルークが歯を見せて笑いながら首を横に振った。大きな口に大きな八重歯のルークは、やはりライオンのようだと思った。小さいから子ライオンだな。
「何言ってるんだよ。礼拝がはじまっちまう。俺、あれうんざり」
聖リオ・リザ、そして礼拝。本当にリオって何者何だろう?
「何だ、誰も教えてないのか?謙虚で淑女な先生です。でもいいけど、さすがに教えておかないとまずいだろ。おい、ブレイド」
難しい顔をしているブレイドが首を横に振った。
「四人だから集中させてください」
不満そうにルークが頭を掻いた。
「俺、説明とか苦手なんだけどな。つうかクレイヤが教えておけよ。ったく。また単独行動してるしな」
「クレイヤって今何しているの?今日は来ないの?」
ルークが目を細めて私を見つめた。
「俺やっぱり気に食わない。リオ、俺は俺が正しいと思ったことをするからな!お前、間に立て」
何の話?リオが神妙に頷いた。ルークが私の質問を無視してリオの説明をはじめた。
「キヨイ、近隣諸国の絶対的崇拝対象がリザ家だ。この世とあの世を司る神クロノスの花嫁ヴィアンカの子孫。それがリザ家と言われている。死者葬送を行う鎮魂士を圧倒的多数、排出する一族。それがリザ家」
リオが遠い目をしている。全くピンとこない。神の花嫁の一族って、つまり神の血を引くってこと?宗教?
「死んだ人がこの世を彷徨わずに転生への道を進む。その架け橋が鎮魂士。祓士で最も位が高い。国内の黒白結社以外の鎮魂士はリザ家が束ねている。それに加え、近隣諸国の鎮魂士が組織運営する、福祉・死者葬送を担う協会の総本山。それがリザ家」
授業みたいで嫌になってきた。とりあえず、リオの家がとんでもなく特別そうというのは理解した。それで専属護衛がいるのか。
「えー、よく分かんないけどその特別な一族がリオ?」
私の問いかけに、ルークがニヤリと笑った。クレイヤの笑い方に似ている。
「リオはもっと凄い。分家跡取り娘。おまけに協会最高位ヴィアンカ・クロノス協王から現人神、聖人の位を授かっている。民衆からヴィアンカの生まれ変わりと呼ばれる程の鎮魂士。それが、このポヤンとしてのんびり屋のリオ。ブレイドを筆頭に、四六時中監視されているし街を歩けば祈られる」
遠くを見るリオは寂しそうだった。そして私のことを一切見ない。自分の立場を、わざと話さなかったのかもしれない。
「まあ関係ないけどな。俺の学友で同期のライバル。っつうかリオお前本当に出世し過ぎ。絶対追い抜いてやる。俺は黒白結社の頂点まで上り詰めるからな!俺は大器晩成!為せば成る!」
リオが明るい顔になってルークを眩しそうに見上げた。ふむ。リオはつまり浮世離れし過ぎた立場で、寂しいのか。それで私が気さくそうにしたのざ嬉しくて仕方がないと。行きたいパンケーキ屋に行くのも、大事っぽい。
新聞で私とリオが一面記事だったのも、留学生の私がとてつもなく偉い人に「負けない」というとんでも発言をしたからか。無知とは恐ろしい。しかし良かったかもしれない。リオを等身大の女の子として見れた。とても仲良くなれそうな予感がするんだ。
「私も負けない!飛び級卒業して、さっさと出世して、リオを倒して、クレイヤの本当のパートナーになる!」
私はリオの顔を覗き込んだ。一瞬目を丸めたリオが、花が咲いたように笑ってくれた。
いつも誰とでも仲良く、しかし一番の親友というのがいなかった私に親友が出来るような気がして胸が踊った。
留学早々、良いこと尽くめだ!
◆◆◆同時刻◆◆◆
クレイヤはひとしきり吐いて、呻いた。
「畜生……以前とは違うのかよ……」
炭のように変化した右前腕が燃えるように痛い。込み上げる殺人衝動、憎悪、そして悲鳴の幻聴。三つ目の心臓でこれなら、次はどうなるのだろうか。
リオの祈り歌を音響機から流して、歯を食いしばって、耐える。
残る心臓は四つ。
この世の悪意と嘆きに満ち満ちた特殊な心臓が欲しい。
欲しい。欲しい。欲しい。
早く食べたい。
「誰か……助けてくれよ……」
この世のものとは思えない美しい美声と、癒しの旋律。リオの存在がクレイヤを支える。呪いへ光を照らす。
クレイヤは音響機を止めた。聴き続けていたら、強制的にこの世とおさらばの可能性が高い。おそらく、食らわされた心臓が増えるほどに、そうなる。
親友に親友殺しをさせる訳にはいかない。絶対に。
「母さん……何で……」
クレイヤは机の上に置いていた、皺だらけの手配書をビリビリに破り捨てた。