キヨイとクレイヤ 1
【日本】
ジメジメする湿気の強い空気。オンボロ扇風機のうるさい音。蝉もうるさい。こうなってくると、夕焼けの橙もうざったい。
隣に座る皺だらけのお祖母ちゃん。私の背中に手を回して、背中を撫でてくれるお母さん。お母さんを気遣うお父さん。夏休み、冬休み、春休みのたびに家族親戚一同で囲っている、見慣れた食卓。
なのに、目の前に外国人。丸くて太った、金髪中年のおじさん。爬虫類顔の白髪お兄さん。魔法映画の登場人物みたいに黒いローブを着ている。何これ。現実? ぼんやりしていたから、自己紹介を聞きそびれた。
食卓の上に広げられた沢山の書類。ちゃんと日本語。でも文字が頭に入ってこない。熱心な声の中年おじさん。何を言っているのか、こっちも全然頭に入ってこない。爬虫類顔の白髪お兄さん。髪の毛に何で丸い玉をつけているんだろう? 何かのコスプレ? 服も変。片手だけ手袋にベルトグルグルって中二病? 結構、年取ってそうだけど。30歳くらい? 辛気臭い表情。
——大丈夫だ。僕が必ず守るから大丈夫だキヨイ
思い出して、私はジワリと目に涙を浮かべた。ポタリ、ポタリと涙が落ちる。
まるで漫画みたいに、いきなり呪いとか悪魔とか現実味のない事件に巻き込まれた。夏休み初日に、いきなり手の甲に変な模様が現れて、触るもの触るものみんなグジュグジュになって……。
私を助けてくれた、優しい男の子クレイヤは目の前で殺されちゃった。
お母さんに化けた悪魔に刺し殺された。酷い。酷い。何て酷い。
ひっく。
ひっく。
涙が止まらない。
「キヨイさん? もう大丈夫です。怖くありません。私達が警護します。それで、話した通り、貴女には素晴らしい才能があるので私達の世界で学びながら、守らせて欲しいです」
なんか、この中年おじさん。香水がキツイ。生理的になんか嫌。で、才能? 何の話?
——キヨイを助けようとしている俺の母さん。凄いんだぜ! 英雄って呼ばれてる。助けた人の数は夜空の星と同じくらいって!
——俺も母さんみたいになるんだ! キヨイ、俺と母さんが絶対助けるから心配するな!
話が頭に入ってこない。悪魔に呪われた私を必死に助けようとしてくれたフレイヤさんと息子のクレイヤ。
あんな、まだ小学生くらいの子供が殺されたのに、何でこの中年おじさんと爬虫類顔のお兄さんは涼しい顔なんだろう。人でなし。
「勿論、無理にとは言いません」
さっきから、全然言葉が頭に入らないからお父さん達がこの外国人と何の話をしているのか理解出来ない。
——ふーん。じゃあ、そのタケル? とかってやつとデート出来るといいな!
——父さんも凄いんだぜ! キヨイ、多分さ。頼み込んだらちょっとくらい観光しに俺達の世界にこれるから案内するよ
両親みたいな、悪魔を退治する立派な人になるんだってキラキラ輝く顔で語っていたクレイヤ。怖くて眠れないっていったら、眠そうなのに、必死で起きて、気を紛らわそうと話をしてくれた優しい、優しい男の子。漫画とか、映画みたいな「呪い」とか「悪魔」に魔法。ビックリしたけど、クレイヤが見せてくれた魔法は綺麗だった。7色の光にひらひら飛ぶ四つ葉のクローバーの紙。それに、お兄ちゃんとお姉ちゃんしかいないから、弟が出来たみたいで嬉しかった。
ふっと、顔を上げたら黒い影がゆらゆらしていた。金髪中年おじさんの隣で、ゆらゆら揺れている。私の頬が引きつった。何でまだ、退治したっていう悪魔がいるの?
どうして、全員平気な顔でいるの?
「怖い、嫌だ。嫌だ。嫌だよ!」
夢かもしれない。全部夢だ! クレイヤっていう優しい男の子も夢。だから、クレイヤは死んでない。
私は立ち上がって、黒い影から離れた。襲ってこない。怖いので、背中を見せずに後ろに後退する。みんなして、平気な顔をしているからやっぱり夢だ。
良かった。
私は麦茶の入ったコップを掴んで、一気飲みした。冷たい? 夢じゃない?
もう、黒い影はいなかった。しきりに灰色のハンカチで汗を拭く中年おじさんと、俯いている爬虫類系男。格好良い気はするけど、タイプじゃない。体が怠い。眠くて仕方がない。夢なのか、夢じゃないのか分からない。多分、夢じゃない。だから、もう二度とクレイヤには会えない。
——約束してやるよ。俺がすっごい光景みせてやるって! 代わりにその何とかランド? 連れてってくれよな
指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。指切りしたのに、嘘をついたのはどっち? 殺されちゃったクレイヤは何にも悪くない。じゃあ、逃げた私? 平々凡々な女子高生の私に悪魔と戦うとか無理な話。逃げる以外に何が出来たんだろう。無理矢理、クレイヤの手を引いたのにクレイヤは行っちゃった……。
「あの、私……疲れているんで失礼します。話ならお父さんやお母さんにお願いします」
ペコリ、と頭を下げて私は部屋から出ていった。台所へ出てすぐ右隣にあるドアを開ける。応接間に行ったらクレイヤと夜通し話をしたのを思い出す。却下。二階に行こう。クレイヤの世界にはないって、ゲーム機にはしゃいでいたな。
私は二階に上がり、畳の上に寝そべった。汗だくで気持ち悪い。布団を敷く気力はない。座布団を枕代わりにして、寝っ転がって目を閉じる。
——キヨイ! 俺って凄いだろう!
四つ葉のクローバーの形の紙を、ひらひら蝶々みたいに飛ばして見せてくれたクレイヤ。生意気な顔をした、元気な男の子。
もう、二度と会えない。
***
【テトュス街】
白い天井。パッチワークっぽい可愛いカバーの掛け布団。で、少し涼しい。
ん? ジメジメジトジトのお祖母ちゃんの家じゃない。ここはどこ? ゆっくりと体を起こす。おでこからポトリ、と濡れた布が落ちた。
「気分、大丈夫か? キヨイ」
名前を呼ばれて、横を見る。窓から差し込む夕焼けのオレンジ色は、さっきまでの光景と同じ。夕陽に照らされる真っ青な顔のクレイヤ。クレイヤ? クレイヤは黒い髪の、ちょっと小生意気な顔の白人の男の子。
あれ? でもこっちもクレイヤ。前髪の一部だけ黒い、サラサラの銀髪というか若白髪。丸い玉飾りを幾多もつけた、少し変な髪型。爬虫類っぽいけれど整った顔。涼しげな目元と、薄めの唇が印象的。うん、目の前の人はクレイヤだ。私の先生で師匠。
あら、もしかして今更だけど同一人物?
私はクレイヤに飛びついた。思いっきり抱きつく。
「クレイヤ、生きてたの? 魔法の世界って日本とは時間の速さが違ったりする? いつから白髪になっちゃったの? 私とゲームしたの覚えてる? ほら、あのパズルとかする奴!」
私はクレイヤの顔を覗き込んだ。うん、面影がある。薄い唇とか、生意気そうな顔立ち。ジワっと涙が視界をかすませる。
「う、う、うわーん」
ひっく。
ひっく。
私はそのままクレイヤにしがみついて大泣きした。良かった。生きてた。あれだ。魔法の治療って凄いんだ。心臓を大きな槍みたいなので刺されて、血がドバッて出たけど、無事だったんだ。何で、誰も教えてくれなかったのだろう? いや、私が聞かなかったのか。
あれ? 何で聞かなかったんだろう? そもそも、ここのところクレイヤの事を忘れていた。忘れる? 命懸けで私を守ろうとしてくれた男の子を忘れる?
「キヨイ、悪かった。すまない。記憶が混濁して混乱しているんだな。俺のせいだ。ごめんな……」
クレイヤが優しい声を出して、私の背中をポンポンと撫でた。なんか、カナダに留学してるお兄ちゃんみたい。背格好が近いからか。でもクレイヤは28歳か。お兄ちゃんより全然年上だ。微かな甘い香り。クレイヤ、香水とか使うようになったんだ。
「ごめんな……キヨイ……」
ポンポン、ポンポン、と子供をあやすように私の背中を優しく叩くクレイヤ。
「なんか、変なの。子供だったのはクレイヤなのに……」
「キヨイ、混乱しているみたいだがそのクレイヤは俺じゃない」
何だって? 私はクレイヤから少し離れた。同時にクレイヤが私の両肩を掴んだ。黄金に輝く瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。
「まだ完全に思い出した訳じゃないみたいだな。キヨイ。キヨイが言うクレイヤは木偶人形。魔法で作り出された俺の偽物だ。魔女が……俺の母親がお前を精神的に追い詰めるために作ってお前と親しくさせた。その説明、思い出せるか?」
私はパチパチ、と瞬きを繰り返した。説明? そんな話知らない。そんな説明をいつされた? パ、パストル? パストル人形って何?
「確かにあの人形は、魔女の息子の俺を模して作られた。キヨイを恐怖と嘆きのドン底に叩き落としてその心臓を抉り出す。悪魔に捧げるために。俺とエルヴィー様の説明、まだ思い出してないか? キヨイの祖母の家でした話だ」
魔女? フレイヤ・デーヴァ? そうだ、フレイヤさん。私を助けてくれた魔法使い。悪魔を退治したけど、息子を殺されて泣きながら去っていった。
混乱? 混濁? クレイヤはパストなんとか人形だった? フレイヤさんは魔女? 心臓を抉り出して悪魔に捧げる? どういうこと?
何もかも分からなくて、自分の中の記憶と辻褄が合わなくて、私は堰を切ったようにクレイヤに質問を投げかけた。




