ルエルラメム 6(襲撃)
異変を感じたのは、チャナが先だった。
貌を上げ、小さく鼻を鳴らした。
「小僧」
「ああ。血の匂いがする」
ひと呼吸遅れて、ラカンとヴォルドルーンも異変に気づいた。
月の無い闇の中に、ひっそりとした山野が広がっている。
人の気配は無い。
街からはすでに遠く離れ、民家の明かりも無かった。
黒々とした森や丘陵の影が遠望を遮っている。
空気は冷たく、乾いていた。
その中に、微かだが、血の匂いが漂っている。
「こっち」
チャナが藪の奥を指差した。
猫のような身軽さで、藪の中に入っていく。
幾つもの三つ編みが揺れる。白い髪だが、エメラルドのような光沢を帯びている。その光を目印に後を追う。
樹々が途切れた。
地面も途切れ、落ち込むような崖が現れた。さほど高いものではない。充分に飛び降りることのできる高さだが、道からは完全な死角になっている。
崖下に、馬車が落ちていた。
横倒しになり、半壊状態だった。崖から落ちたのだろう。あるいは落とされたのか。近くに馬が倒れている。息遣いは聴こえない。冷えた血の匂いが崖の上まで漂ってくる。この匂いが道まで届いていたようだ。
人が倒れているのが見えた。
ヴォルドルーンは崖下に飛び降りた。
喉を裂かれた男の死体だった。
腹まわりに肉がついている。中年太りの男だった。
服装は上等だが、貴族の紋章は縫い込まれていない。
「商人か。街から逃げてきたな」
同様に下りてきたラカンが言った。
「逃げてきた?」
「戦が始まるかもしれねえって噂がある。始まれば、財産は戦費として没収される。それを嫌ったんだろう。だが、全財産持って街から出りゃ、襲ってくれと言うようなもんだ」
ラカンが顎を動かした。
周囲には、他にも死体が転がっていた。
十数人――いずれも屈強な男達だったが、その背中や首には矢が突き刺さっている。
抵抗したような痕跡は認められない。
「護衛を雇っていたみてえだが。待ち構える側にしてみれば、ここらは遮蔽物ばかりだ。射殺すのは簡単だっただろうよ」
「野盗の仕業か」
「だろうな。奴ら、わざわざ死体と馬車をここまで運んで捨てて行った。なぜだかわかるか」
「襲撃の痕跡を隠せば、次に逃げてくる者を襲うことができる」
「その通りだ。やっぱおめえ、ただ者じゃねえな。死体を見ても顔色ひとつ変えねえ。平然と状況を分析しやがる」
ラカンの眼が強い光を放って、ヴォルドルーンを見る。
相手の力量を探る闘士の眼だが、表情は子供のように嬉々としている。格好の遊び相手だとでも思われているのかもしれない。苦笑するしかない。
「ヴォ――ル」
崖の上でチャナがヴォルドルーンを呼んだ。
ヴォルドルーンが貌を上げると、崖を蹴り、猫のように飛びついてきた。
その身体を受け止め、ヴォルドルーンは右肩にチャナを乗せた。
きゃは――とチャナが嬉しそうな声をあげる。
その間、ラカンは馬車の中を覗き込んでいたが、少しして、ちっ、と舌打ちした。
ヴォルドルーンはラカンに眼を向けた。
ラカンが見るか――と言うように顎を動かした。
チャナを肩に乗せたまま、ヴォルドルーンは馬車に近づいた。
壊れた壁の奥に、白い影が見えた。星明かりだけの暗さ。馬車の中は完全な闇に近い。眼が慣れた。白い腕だった。腕の下に、黒々とした血溜まりが広がっている。
人形のように投げ出された足。その足も血に濡れている。
ヴォルドルーンはチャナの腰を掴んで、肩から降ろした。猫のように軽い身体をラカンに投げる。ラカンが受け止めて貌を上げた。
「ヴォル?」
「おい。小僧」
「チャナ。ここで待っていてくれ。――ラカン。チャナを頼む」
「どこ行くの。チャナも一緒に行く」
ラカンの腕からチャナが抜け出そうとする。
「来るな」
びく、とチャナが動きを止める。
ヴォルドルーンは崖に向かい、足場を見つけると、二度の跳躍で崖の上に戻った。
男達は樹木の影に潜んでいた。
「今日はもう来ねえんじゃねえか」
ひとりが口を開いた。
誰かが、しっ、と言う。
「誰もいねえって。なあ。頭」
最初の男が軽口を叩く。
頭――と呼ばれた男が、軽口の男に眼を向ける。
ぎろり、と光を放つ眼に、軽口の男は気圧されたように口を閉ざした。
軽口の男は三十代半ばだった。それでも男達の中では若い方だ。
頭の男は五十前後。頭髪はすでに白い。骨格はごついが、脂肪が無いため、全体の印象は細身だ。頬が大きくこけており、眼だけがやけにでかく見える。
ぎらついた眼だった。
その眼の光だけで、男達を従えている。
「半刻だ」
樹に背中を預けた状態で、頭の男が口を開く。
「あと半刻ほど待って誰も来なければ、この狩り場は捨てる」
その言葉に、男達はざわついた。
「捨てるって――」
疑問を口にしたのは、軽口の男だった。
「また明日、朝から待ち伏せすればいいんじゃねえの。きっとまだ逃げてくるぜ。全財産持ってよ。こんな楽な狩りは滅多に無いぜ」
他の男達は何も言わないが、同意の空気が流れている。
頭の男は首を振った。
「すでに三日ここにいる。商人どもが、鳥か早馬で受け入れ先に連絡を入れていれば、受け入れ先ではそろそろ到着しないと騒ぎ出す頃合いだ。警邏の衛士が様子を見に来ても不思議ではない」
「や。そうかもしれねえけどよ。もう一日くらい大丈夫じゃねえの」
「そう言うなら、きさまだけ好きにしろ。おれは衛士を敵にまわす気はない」
「そりゃ、おれだってねえけどよ」
「引き際を見極めろ。見極められない者から死んでいく」
男の白眼に血管が浮いた。逆らうことは許さないと言いたげだ。
軽口の男が黙り込む。
「……頭」
見張りの男が口を開いた。押し殺したような声である。
全員が身体を低くした。息を殺す。
道の端に人影があった。
ひとりである。
旅用のマントを羽織っている。足首まで覆うスタイルで、服装まではわからない。
言い換えれば、身分はもちろん金品を持っているかどうかも判断がつかない。
(……どうします?)
襲いますか――と見張りの男が指を動かす。
それには答えず、頭の男は現れた旅人を見つめた。
旅人は平然と近づいてくる。男達の存在に気づいている様子は無い。
だが。
男はぎらついた眼を細くした。
こいつは平然とし過ぎている。
旅人が足を止めた。
貌が見える距離である。彫りの深い横顔だった。まだ若い。十八、九の若者である。
無造作に伸ばした髪は、月の無い闇の中にありながら、黄金のような色だとわかる。
金色の眼は、不敵な光を放っている。
男達は動かなかった。いや。動けないでいた。
若者が足を止めた理由がわからない。
男達の気配に気づいたのだとしたら――
なぜここまで平然としていられる。
「どうした。襲わないのか」
若者が口を開いた。
全員が息を呑む。
「それとも――」
不敵な笑みを浮かべて、若者が言う。
「待ち伏せがばれたらそれまでか」
「舐めんな」
軽口の男が矢を放った。ろくに狙いを定めたようには見えなかったが、矢は若者の眉間を射抜いた――かに見えた。
若者の手が矢を掴んでいた。鏃の先端は、若者の眉間の手前で止まっている。
何事も無かったかように若者が矢を捨てる。
その手首に、重そうな腕輪があった。
黄金の腕輪だった。
男達は剣を抜いた。士族が持つような長剣ではない。中型の短剣だったが、湾曲した片刃の剣は、敵の首を刈り取るのにこれ以上はないという形状である。
「待て――」
頭の男が叫んだのは、黄金の腕輪よりも若者の腕を見たからだ。
飛来する矢を躱すのではなく、手で掴む――そんなことができる者が、ただ者であるはずがない。
若者が振り返る。
その背後に、男達が倒れている。
いつ倒された。
眼の前に、若者が立っていた。
金色の眼が、凄絶な光を放っている。
「……を殺したな」
低い声を聴きながら、男は自問した。
おれはいつ引き際を見誤った。




