血闘士 5(紅蛇)
「育てて愛情が湧いたか」
聞き終えて、ラカンは笑った。
「否定はしない」
ヴォルドルーンも唇の端で笑った。
「が、魅かれたのは初めてチャナを見た時だろうな」
「裸の少女に惚れたか。おめえも男だな」
「いや。初めて――は、チャナが羽を広げるのを見た時だ」
「人間になる前じゃねえか」
おいおい――とラカンが言う。
「綺麗だった。こんな綺麗な生き物は見たことが無い。そう思ったな」
「おめえな。そいつは、女に惚れるというのと意味が違うぞ」
「そうだな。違ったかもしれない。もっとも、今となっては区別がつかない」
膝の上で眠るチャナに視線を落とした。
「この姿の時も少女の時も同じに思える」
白い毛に覆われた身体が、安心しきった猫のように体重を預けている。
すぐそばに焚火があり、その炎の熱を貌や胸に感じているが、腹に感じるチャナの温もりの方が、あたたかいような気がした。
「まあ、惚れてしまえば姿なんぞどうでもいいのかもしれんが――」
耳の穴を掘りながら、ラカンが言う。
「だが。気いつけた方がいいぜ」
ヴォルドルーンはラカンに視線を向けた。
「その嬢ちゃんは人間でもなければ、獣でもねえ。全く違った何かだ。意思疎通しているようで、実は何を考えているか知れたもんじゃねえぞ。好きって言葉が美味そうって意味かもしれねえし、愛してるって言われながら、腸を喰われるかもしれねえ。――と。そんなことは百も承知って貌だな」
肩をゆすってラカンが言う。
ヴォルドルーンは黙ったまま、唇の端だけを上げた。
「まあ、考えてみれば――」
焚火に枝をくべながら、ラカンは鼻を鳴らした。
ヴォルドルーンは眼だけを動かした。
「通りすがりの連中のために腕をくれようとしたおめえだ。嬢ちゃんが望めば、いわんや、をや、ってやつか。――ったく。平然と笑ってんじゃねえよ」
いや――とヴォルドルーンは眼の端で笑った。
「これは、あんたが心配してくれているからさ」
「……」
「思ったよりいい男だな。ラカン」
「思ったより――は余計だ」
枝を二つに折って、ラカンは炎の中に放り投げた。
ぱきん、と枝の弾ける音に、ヴォルドルーンは金色の眼を細くした。
「ヴォ――ル」
細い腕が、ヴォルドルーンの首に伸びてくる。
両腕でヴォルドルーンの首を抱き、白い貌が近づいた。
水晶玉のような眼を薄く開いている。眼の奥は見えない。髪と同じ色の睫毛がそのほとんどを隠している。
小さな唇がヴォルドルーンの唇に近づき、開いた唇が重なり合った。舌が触れ合う。
唇を離し、チャナの身体を地面に横たえた。
細い首に下から指を這わせると、チャナが、くくく、と喉を鳴らして笑った。
白い喉が仰け反る。その顎に、指をかけた。
「誰だ。おまえ――」
チャナが閉じていた眼を開く。濡れたような眼だった。
「チャナだよ。ヴォル――」
「その貌とその声で言うな。このまま喉を潰されたいか」
「あら。こわい――」
水のように流れる髪が広がった。
妖艶な美貌がヴォルドルーンを見つめて笑う。
髪と同じ眼の色だが、右眼だけが血のように紅い。
「ラージャ――」
ぞくり、とするような声で女が言う。
「蛇の名だな。『紅い――」
「――毒蛇』?」
細い舌で、血のように紅い唇を舐めて笑う。自分で自分のことを『毒蛇』と呼んで、自虐的な様子はまるでない。どこまでも愉しそうであった。
「なぜ見破られたのかしら。姿は完璧に映したはず」
「眼の光が違う。それに」
「それに?」
「チャナにはまだ教えていない」
「まだ――ね」
ラージャの口許に揶揄するような笑みが浮いた。
「よく我慢してること。いらっしゃいな。悦しませてあげるわ」
妖艶に笑いながら、ラージャの手が貌に伸びてくる。
「断る。失せろ」
「いや――と言ったら? その手で追い払う? できるかしら」
「――」
「動けないでしょ?」
ふふふ、と笑いながら、ラージャの手がヴォルドルーンの唇に触れた。
「あたしにキスをして、あたしの唾液を舐めたでしょう?」
ラージャの指が唇から喉を伝い、胸に降りてくる。
「ねえ。もっと体液を交換しましょう。もっとひとつになれるわ。それとも――」
紅い眼が、ぞくり、とするような光を放った。
「この姿の方がいいかしら。――くふっ」
チャナの顎が軋んだ。
ヴォルドルーンの手首で、黄金の腕輪が強烈な光を放っていた。
「おれにも踏み込まれたくないところはあるぞ」
ふ、
チャナの貌で、ラージャが笑う。
ふ、ふ、
「ふふふ。人ならざる身のくせに」
「――」
手の下で、チャナの身体が消えた。
ヴォルドルーンは貌を上げた。
闇の中に女の姿が浮かび上がっていた。水のように流れる髪。匂うような肢体。
紅い唇に蛇のような笑みを浮かべている。
「おれが何であるか知っているようだな。何が狙いだ」
「狙い?」
ふ、ふ、ふ、――と笑う。
「そんなもの無いわ」
「……」
「強いて言うなら、愉しむことが狙いかしら」
紅い唇が近づく。
ヴォルドルーンは金色の眼を光らせた。黄金の腕輪が同じ光を放つ。
「無駄よ。殺す気が無いなら止まらないわ」
蛇のように白い腕がヴォルドルーンの首に伸び、紅い唇がヴォルドルーンの唇に重なろうとする。
ぱきん、と枝の弾ける音に、ヴォルドルーンは金色の眼を細くした。
「おう。どうした?」
ラカンが言った。
ヴォルドルーンの眼は焚火を見つめていた。その眼をラカンに向ける。
「夢を見たようだ」
「夢? まばたきひとつの間にか」
「ああ。枝の音で眼が覚めた」
ふ、と息を吐いた。
ラカンの眼が探るように細くなった。
「ただの夢じゃなさそうだな。やばかったのか」
「――殺す気が無いなら止まらない」
「何だ。そりゃ」
「夢の中で女に言われた。殺す気は無かった。眼が覚めなければ――」
あのまま口づけされたなら――
「どうなったかな」
「知ってる女か?」
「いや。初めて見る。だが――」
「だが?」
「あの視線には覚えがある」
ヴォルドルーンは首を捩じって背後の樹々に眼を向けた。
「『紅い毒蛇』――か」




