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血闘士 3(異形) 

 

「ヴォル。入れて」

 猫のように地面に手をついて、チャナが言った。

 水晶玉のような眼に焚火の炎が映っている。

 きらきらした眼が無邪気な光を放っている。

 ヴォルドルーンは唇の端で笑ってから、身体の前でローブを開いた。

 するり、とチャナがローブの中に潜り込んでくる。胡坐の上に乗ったのを見て、ローブを閉じた。

「場所を外そうか?」

 焚火の向こう側で、ラカンが言った。笑いを含んでいる。

「いや。いい」

「いいって、おめえ――」

 太い唇に苦笑が浮いた。

「何を想像しているかわかるが、それはない。おまえは何をしている?」

 後半はチャナに言った。膝の上でもぞもぞと動いている。

 ローブの中から、白い手が出た。

 持っているものを地面に落とす。

 服だった。その上に下着が乗る。

 ヴォルドルーンは黙した。

「おいおい」

 ラカンが笑い出す。

 ローブが捲れた。ヴォルドルーンの胸に手を当てて、チャナが背中を反らした。

 ラカンが息を呑むのがわかった。

 白い身体は四足獣のそれだった。やわらかな毛が全身を覆っている。

 首は細く長く伸び、小さな貌の中で、水晶玉のような眼が、きらきらと光を放つ。

 耳らしきものは見当たらない。鼻も無い。

 小さな口を、仔犬のように開いている。

 ほめて――と言っているようだ。

「ああ」

 ヴォルドルーンは笑った。服を見てから、チャナを見た。

「破らなかったな。えらいぞ」

 頭部に生えた幾つもの角が小刻みに動いた。

 少女の時なら、きゃは――と笑っただろう。



「その嬢ちゃん――は獣か」

 ラカンが言った。

 チャナは膝の中で丸くなっている。眠ったようだ。尾だけが長く、ローブから出ている。

「何て獣だ? 初めて見るぞ」

 ヴォルドルーンはチャナからラカンに視線を向けた。

「――と。気に入らねえか。獣呼ばわりは」

「いや。人間じゃないのは事実だからな」

「だが、獣でもない、と言いたげだな」

「少なくとも、おれ達が知るような獣ではないだろう」

「まあ。変身する――ってだけで、違うわな」

「それに――」

「それに?」

「空を飛ぶ」

「飛ぶ? ムササビみてえにか?」

「羽が生える」

「四つ足なのにか」

「ああ」

 やわらかな背中を撫でると、掌の下にチャナの体温を感じた。

「獣を見る眼じゃねえな」

 ラカンが笑う。ヴォルドルーンは唇の端だけで笑った。

「なあ。もっと話せよ」

「話す?」

「どうせ、朝まで起きているわけだしよ」

 ヴォルドルーンはラカンの貌に眼を向けた。

「さすがにまだ背中を見せて寝られるような付き合いじゃねえぜ」

 太い笑みを浮かべてラカンが言う。

「なら、朝まで話をしていようじゃねえか」

 ヴォルドルーンも笑った。

「そうだな」

 膝の中のチャナは目覚める気配は無い。

「話をしようか」



 騒ぎに足を止めた。


 ――おい。追い詰めたぞ。

 ――見たことのない獣だ。

 ――生かして捕まえろよ。

 ――珍しい獣だ。

 ――高く売れるぞ。


 槍やら縄やらを手にした男達の前に、異形の生き物がいた。

 中型の四足獣だったが、首が異様に細長い。鳥類の首のようである。

 四肢も長いが、草食獣のような細さはない。ただ肉食獣にしては口が小さい。

 耳も鼻も無い頭部には、幾つもの角が生えている。

 確かに、見たことのない生き物だった。

 追い詰めた――と男達は言っているが、異形の方に恐怖の色は無い。

 水晶玉のような眼が、透明な光を放ちながら、男達を見ている。

 ひとりが槍を投げた。

 異形は微動だにしなかった。

 槍は掠りもせずに、地面に刺さった。

 笑い声が生じた。槍を手にしている男達とは別に、群集ができあがっていた。


 ――どこを狙ってる。


 ヤジが飛んだ。

 槍を投げた男は貌を朱に染めた。まだ若い。体格だけは群を抜いている。

 別の男から槍を奪い、異形に近づいた。横に振った槍の穂先が、異形の貌の前で空を切った。異形がわずかに首を引いたのだ。槍の動きを完全に見切っている。

 ちっ、と舌を鳴らし、男は槍を構え直した。

 ――おい。殺すなよ。

 ――値が下がる。

 男の背後で、他の男達が言った。

 ――足の骨を折る。そのくらい、いいだろ。

 男が前に出た。

 その瞬間、異形が動いた。右の前肢が掻き消えた。

 きぃん、と弾けるような音をたて、槍の先端が宙に舞った。

 先端だけだった。鋼の槍が、きれいに切断されていた。

 ――なっ

 男が驚愕の声を上げる。

 異形の右手が、その左肩で実体化していた。男が先に振った槍の軌道をそっくりそのまま横に薙いだのだが、男には見えなかっただろう。

 四本の指に、鋭い爪が生えている。

 その爪が槍を切断した。

 だが。

 異形の眼に、訝しげな色が浮かんだ。

 槍を切断する寸前、男の身体が後方に退がったからだ。

 男の動きではなかった。背後から、引っ張られたのだ。槍の先端を見つめ、なっ――と叫んだ貌のまま、勢い余って、男の身体が転倒する。

 ――何をする。

 身体を起こして、男が叫んだ。仲間の男達に眼を向ける。

 ――おれ達じゃねえよ。

 ――おまえ。腹を見ろ。

 ――腹?

 げっ、と男は絶句した。腹のところで、服がぱくりと裂けていたからだ。背後に引かれていなければ、槍と一緒に腹を裂かれ、今頃は臓腑を撒き散らしていただろう。

 男が貌を上げる。

 ――動くな。

 背後を見ずに、ヴォルドルーンは言った。

 男の襟首を掴んで後方に投げ、入れ替わる形で、男と異形の間に入っていた。

 転倒した男を追って前に出かけた異形が、動きを止めた。

 肩を下げ、尾を高く上げている。猫が獲物に飛びかかろうとする姿勢に見えるが。


(――あの尾)


 鞭のように長い尾が、ゆらゆらとリズミカルに揺れていた。

 それ自体が獲物を狙う生き物のようだ。

 ヴォルドルーンはぐるりと囲む群集に視線を走らせた。


(――すでに全員が間合いの内か)


 腰を低くし、異形に対して右腕を伸ばした。

 異形の眼が、ヴォルドルーンを見据える。瞳孔を持たない水晶玉のような眼だが、視線の圧力で何を見ているかわかる。

 ――おれの腕をやる。

 異形の眼が細くなった。こちらの言葉を理解しているようだ。

 これまで、異形は男にされたことを、その通りに返してきている。

 槍の軌道の通りに腕を振り、男が前に出た通りに前に出ようとした。

 男は、足の骨を折る――と言った。

 ならば、次は男の腕か脚を奪おうとするだろう。

 それではなく、おれの腕をやる――とヴォルドルーンは言ったのだ。

 背後で、男達がざわついた。

 異形の眼が、真っ直ぐにヴォルドルーンを見つめる。

 ――その代わり、他の人間に手を出すな。

 今度は群集が息を呑んだ。

 槍を切断した異形の爪に、ようやく思い至ったようだ。

 自分達が、どれだけ危険な状況にあるかを。

 人間の身体など、槍に比べれば紙のようなものだ。

 異形がその気になれば、簡単に引き裂くことができる。

 全員が無言になった。

 無言のまま、ヴォルドルーンと異形を見ている。

 異形の尾がしなった。

 鞭のように地面を叩いた。

 爆炎のような土煙が生じ、群集が悲鳴を上げた。

 土煙の頂点を破って、異形が垂直に跳んだ。高い。

 槍を投げたとしても決して届かない高度で、次の瞬間、エメラルド色の光が広がった。

 ――ほお。

 思わず、感嘆の声が洩れた。

 光の羽だった。骨格の類は見えない。どこまでも透明な羽が、空に広がっていた。

 自らの光を浴び、異形の白い身体までも、エメラルドのような光を放つ。

 細い首が鳥のように伸びた。

 その姿を、首を捩じって、ヴォルドルーンは眼で追った。

 異形と眼が合った。水晶玉のような眼が、ヴォルドルーンを見下ろしている。

 光の羽がオーロラのように揺らめいた。次の瞬間、エメラルドの光は地平線の遥か彼方に飛翔していた。肉眼で追えるぎりぎりのスピードだった。

 ほう、と誰かが息を吐いた。

 人間が手を出してはいけない獣であった――そんな空気が流れていたが。

 ヴォルドルーンはエメラルドの光が消えるまで、地平線に眼を向けていた。




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