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聖魔殿堂 6(夜摩)

 

 森が広がっている。

 さほど大きな森ではないが、夜の闇にあっては、視界はほとんど塞がれる。

 樹々は黒々とした影となり、下生えが密生する足下は、そこに獣の顎が開いていたとしても、視認することはできない。頭上は、影と化した枝葉が重なり合っている。枝葉の間から見える空は、月の光を帯びて灰色に見えたが、その光が森の中にまで降りてくることはなかった。

 その森の中に、小屋があった。

 小さな小屋である。樹と樹の間に、丸太を組み立てて造られている。入口にはシュロの葉を編んで、帳のようにかけてあった。光は、その帳の隙間から洩れている。

 小屋の中では、火が焚かれているようであった。

 炎の明かりが、ゆらゆらと揺れているのが見える。


 ナム・ヤーマぁぁぁ――


 森の中で声が響く。

 白い影が浮かび、小屋に向かう。影は人の形をしていた。

 白い腕が小屋に伸び、ふ、と透り抜ける。

 怨嗟の声を洩らしながら、影が消えていく。

「何か見えたよ」

 チャナの指が夜光虫を追うように動いた。

「空間が違う。おれから離れるなよ」

「きゃは――」

 チャナが嬉しそうにしがみついてくる。

「離れない。離れない。離れない――」

 左腕をチャナに与えたまま、ヴォルドルーンは小屋に近づいた。

 右腕を小屋に伸ばす。

 黄金の腕輪が光を放っている。指先に入口の帳が触れた。

 下からめくり上げる。

 中央の囲炉裏が眼に入った。オレンジ色の炎が小屋の中を照らしている。

 外観よりも遥かに広い空間であった。白木の床が広がっている。四隅の柱は太く、高い天井を支える梁も、小さな小屋のそれではない。

 外の森、小屋の外壁、小屋の内部――全てが別の空間だった。

 ヴォルドルーンは中央の囲炉裏に視線を戻した。

 囲炉裏の左手側に、干からびた子供が坐していた。子供のように小さな身体だが、干からびた果実のように、全身の肌が萎びている。三歳で成長を止め、そのまま百年も二百年も老いを重ねたかのように見える。

 だが、眼の光は子供のように澄んでいる。

 聖魔殿堂最高導師。

 ナム・ヤーマであった。

「お久しぶりです」

 ヴォルドルーンは声をかけた。 

 ナム・ヤーマの眼が動いた。半眼の右眼が、ふ、と細くなった。

「養い子か。久方ぶりじゃな」

 子供のように高い声であった。皺だらけの貌が子供のように破顔する。

「いまだ、子――ですか」

 ヴォルドルーンは唇の端を上げた。

「わしから見れば、な。――まあ入れ」

「連れがいます」

「ほう?」

 入口に対して半身になり、ヴォルドルーンはチャナを中に入れた。

 チャナが興味深そうな視線を小屋の中に巡らせる。

 水晶玉のような眼が、ナム・ヤーマを見た。

 ナム・ヤーマの眼が、ゆるり、と細くなる。

「ぬしの――女か」

 ヴォルドルーンは片方の眉だけを動かした。が、口許には苦笑に似た笑みを浮かべた。

「まあいろいろと――」

「いろいろと?」

 ナム・ヤーマの視線が、チャナからヴォルドルーンに動いた。

「ゆらされる存在だと言っておきます」

「ほう――」

 ナム・ヤーマが興味深そうに顎を動かす。

「ゆれる――か」

 ヴォルドルーンは囲炉裏を挟んで、ナム・ヤーマの対面に坐した。

 細い枝がくべられており、赤い炎が揺らいでいる。

「聖魔殿堂の導師も――」

 炎を見つめながら、ヴォルドルーンは口を開いた。

「おれに女がいるかを気にしていました」

 ナム・ヤーマは何も答えない。

 ヴォルドルーンは炎からナム・ヤーマに視線を向けた。

「おれに子ができたら、その子もズァインになりますか」

「可能性は薄い――とわしは見ている」

「なぜです?」

「ぬしの毛髪も血液もズァインにならなかったからだ」

「……」

「ならば、ぬしの子だからズァインになる、というのは理屈に合わない、とわしは考える」

「聖魔殿堂はそうは考えていませんね」

「であろうな。ぬしの血の一滴、細胞のひとかけらさえ残すな、と言うくらいだからの」

 一瞬、遠くを見たナム・ヤーマの眼が、ヴォルドルーンに戻った。

「ぬしは親を覚えているか?」

「いえ。物心がついた時には、あなたに養われていましたが?」

「殿堂は親も始末する気でいた」

「……」

 ヴォルドルーンは真っ直ぐにナム・ヤーマを見つめた。

「ぬしの親はすでに死んでいる。これは殿堂とは関係ない」

「そうですか」

 ヴォルドルーンはあっさりと頷いた。

「ぬしの存在を知った時には、すでに死んでいた。ゆえに、それ以上取沙汰されなんだが。親を始末する――その意味は、ぬしの親から新たなズァインが生まれる可能性を考えたからに他ならない。ぬしの女を気にかけた、と言うなら、その頃と、何ら考えを変えておらんようじゃな。『あの時』のままというわけだ」

「赤子のおれを滅却させられた時の、ですか」

「導師に聞いたか」

「全ての導師に虚構を見せたとか」


 ――全ての導師に赤子の死体を見せながら、崩れていく肉片を見せつけながら、その実、その腕に、赤子を抱いていたのだ。


「滅却という指示であったからの。その場に何も残らなくても、誰も疑わない」

 ナム・ヤーマの眼に、してやったり――と言いたげな光が浮かぶ。

 子供のような眼だが、どこまでも無邪気な子供というわけではない。

 悪戯を考える子供の眼だった。

 ヴォルドルーンは唇の端で笑った。

「一度訊いてみたかったのですが――」

 ナム・ヤーマの半眼を見つめて言う。

「あなたはなぜおれを育て――」

「ヴォ――ル――」

 無邪気な声が響いた。チャナが横に坐り、膝に手を乗せていた。

「チャナ。今は大事な話を――」

「いたいの?」

「――痛い?」

 チャナに眼を向けた。水晶玉のような眼が覗き込んでくる。

「ゆれるって言った。さっきもゆれてたよ。まっすぐ立っていなかった」

「ああ」

 導師とやり合った時の話だとわかった。チャナに降ろしてもらった時、身体が揺らいだ。岩に叩きつけられた衝撃が残っていたからだが、それをチャナに見られた。

 どうやら、チャナの中で、『ゆれる』と『ダメージ』が結びついてしまったようである。痛いのか――と訊いてきたのは、だからだろう。

 仔犬のように、首を傾けている。

 ヴォルドルーンは眼の端で笑った。

「おまえは? どこか痛いか」

「チャナはいたくないよ?」

「ならおれも痛くない」

「んんん?」

 三つ編みを揺らしながら、首をさらに傾ける。

 ヴォルドルーンは軽く吹き出した。

「大丈夫だ」

 そう言うと、するり、と膝の上に乗ってきた。猫のように貌を舐めてくる。

 少しだけ好きにさせてから、チャナの腰を掴んで、膝から降ろした。

「なるほど。ゆらされる存在――か」

 ナム・ヤーマが笑う。

 ヴォルドルーンは苦笑を浮かべたが、チャナは、きょとん、としている。

「こちらにおいで」

 ナム・ヤーマが手招きをした。

 誘われるようにチャナが動いた。猫のように手をついて、ナム・ヤーマの近くに寄った。

 ナム・ヤーマの前で、ぺたん、と床に尻をつけて坐る。両手は床につけたままだ。

「あ~ん」

 ナム・ヤーマが口を開いた。

「あ~ん?」

 チャナが同じように口を開く。

 その口に、ナム・ヤーマが右手の人差し指を入れた。

 チャナは抵抗しない。不思議そうにナム・ヤーマを見つめている。

「舐めてくれるかの?」

「ふぁめふの?」

「そう。そう。おお。なかなか上手な舌遣いじゃ」

 嬉々と笑う。

「……何をしているのですか」

 ヴォルドルーンは両眼を細くした。

「なに。この歳にもなると、なかなか若いおなごに会う機会も少ないのでな」

 子供のように笑いながら、ナム・ヤーマが指を抜いた。

 悪びれもせずにその指を舐める。

 飴をしゃぶる子供のようである。

 苦笑いするしかない。さすがに呆れていると、

「ふむ。――人間ではないの」

 ナム・ヤーマが言った。

 ヴォルドルーンは軽く眉を動かしてから、視線をチャナに向けた。

「チャナ――」

 ぴくん、と猫のようにチャナが反応した。

 床を蹴って抱きついてくる。

 肩で縛っていた男物の服が床に落ちる。

 その時には、すでに少女の姿ではなかった。

 白い毛に覆われた四足獣の身体。脚部は細いが、手足のサイズは人間よりも大きい。細長い四本の指を持ち、そのいずれにも鋭い爪が生えている。

 しなやかな身体から伸びる尾は鞭のようである。

 チャナは後肢をヴォルドルーンの腕に乗せ、首の後ろから前肢を肩にかけてきた。

 細長い首が鳥のように伸びる。

 頭部は小さい。水晶玉のような眼が、貌の半分以上を占める。少女の時と違って、瞳孔も虹彩も持たない。透明な眼が、好奇心の強い猫のように、きらきらと光を放っている。

 幾つもの角が、触覚のように揺れた。

「おれの可愛い『小鬼』です」

「ぬしの――か」

「やりませんよ」

「ほ――」

 ほ、ほ、――と、ナム・ヤーマが笑う。半眼が細くなった。

「初めてじゃな」

「初めて?」

「ぬしが、何かに執着するのは」

「会うのは十年ぶり――ですが?」

 ヴォルドルーンは軽く笑った。会わなかった間のことはわからないでしょう――という意味だ。

「これでも親じゃ。ぬしのことはぬしよりもわかる。まあ、さすがに――」

 視線がチャナに動いた。

「予想外の方向じゃったが、な」

「人間ではないところが、ですか?」

「胸が小さいところが、じゃよ」

「……」

「大きいのを好むと思っておった」

「今時そんな即物的な男はいませんよ」

 ヴォルドルーンは苦笑した。

「そうか? わしは好きじゃぞ」

 半眼の眼を子供のように輝かせて言う。

「胸がでかいと、抱かれた時に気持ちが好い」

「赤子に見えますよ」

 母親に抱かれる赤子の図だ。

「言いよるの」

 ほ、ほ、と笑う。

 笑いながら、その手が囲炉裏の傍らに伸びた。

 焚き木の山がそこにあった。無造作に積まれた枯れ枝の中に、ナム・ヤーマは片手を入れた。枝が崩れ、革製の鞘が、ずるり、と引き出されてきた。

 外観から長剣であることがわかる。

「ぬしにやろう」

 炎越しに、ひょい、と投げてくる。

 ヴォルドルーンは片手で受け取った。手首の腕輪が、炎の光を浴びて、黄金の光を放つ。

 左手に鞘を持ち替え、右手で柄を握った。太い柄は手にしっくりとくる。胸の前で水平に持ち、拳ふたつ分ほど抜いた。片眼を細くする。

 薄い剣であった。

 不純物を極限まで削ぎ落としてあるようだ。

 およそ実用的ではない。他の鉄剣と一度でも合わせれば、それだけで折れてしまいそうである。

「折れぬよ」

 ナム・ヤーマが言った。ヴォルドルーンは眼を向けた。

「腕輪はぬしを護る。それは、ぬしが護りたいもののために使え」

「――」

 ヴォルドルーンは剣に視線を落とした。

 鏡面のような剣身に、チャナの貌が映っている。ヴォルドルーンの肩から鳥のように首を曲げ、不思議そうに剣を覗き込んでいる。

「その剣の名は――ぬしならわかるだろう」

 ヴォルドルーンはナム・ヤーマに視線を戻した。

 半眼と眼が合った。子供のような眼の奥に、深淵のような宇宙が広がっている。

「ええ。わかります」

 す、と鞘を閉じた。

 ぎぃと屋根が軋んだ。

 ふいに小屋が揺れた。

 がたがたと壁が鳴る。

 風が通ったらしい。

 ヴォルドルーンは片眼を細め、唇の端を上げた。

「空間が重なりましたね」





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