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キミにコイをした。  作者: なち
仄恋十題
9/52

秘めて隠して、押し殺して


 生理二日目。今日もやっぱり生理痛は酷かった。今後もこういうのが続くのかと思うとうんざりして、菜穂が「もうこの痛みイヤー!」と癇癪を起こす理由が良く分かった。

 それでも昨日親に買って来てもらった薬を飲んで、半ば意地で登校した。

 遅刻も早退も、した事が無い。体調不良が理由でも休んだ事だって無い。だから、休む気にはなれなかった。

 でもやっぱり我慢が利かなくなって、登校しただけで保健室に直行した。鞄を持ったまま。

 担任には花ちゃんが連絡してくれると言うのでお願いして、そのままベッドで休んだ。昨日のサボリの君は今日はやってこなかった。

 当たり前の事にほっとする。

 昨日が特別だったと花ちゃんは言ったから。

 三時間目まで休んで、結局早退する事になった。家に連絡をしたらママが迎えに来てくれるという。

 駐車場に着いたら連絡をくれるというのでそのまま待機して、四時間目がもう十五分程で終わろうとする頃、携帯に着信が入った。

「送ろうか?」

と言ってくれた花ちゃんに丁重にお断りを入れ、

「病気じゃないから大丈夫ー」

と笑ったら、「病気よ、立派な」と苦笑された。

 でも兎に角歩けない程じゃないし、逆にそれくらいの方がじっとしているより痛みも紛れる。

「失礼しましたー」

 休んだからか、痛みに慣れたのか、昨日よりは余裕を持って笑う事も出来た。花ちゃんに軽く手を振って保健室を出る。

 それから昇降口へ向かって歩き出した時だった。

 向こう側――つまり昇降口側から、廊下を歩いて来る姿。

 俯いていて顔は見えない。白い体操服、下は膝まで捲った一学年の青ジャージ。


 高橋だった。


 顔を上げるまでも無く、気付いてしまった自分に苦笑して。

 跳ね上がった心臓をもてあます。

 保健室から二メートル程の距離で止まってしまった。

 廊下には他に誰の姿も無い。

 当たり前だ。まだ授業中なんだから。

 高橋は右腕を押さえながら歩いて来る。体操服の右側の部分が土埃で汚れて茶色くなってる。

 右腕から手が外れて、傷口が露になった。手首から肘までの、大きな擦り傷。血と埃で色が変わったそれが、遠目にも分かる。

 顔を前に向けた高橋と、目が、当然のように合ってしまった。


「……」


 三週間ぶりだ。あの気まずい噂に晒されて、不機嫌なまま無言で別れたあの朝以来。


「……」


 紺地のスクール鞄を両手で握って、それを膝の前に持っていったまま止まっている私。

 驚いた様に目を見開いた後、高橋が手を上げて。

「理子じゃん」

 何でも無いように名前を呼んできた。にこにこしたまま右手を上げて、痛みがぶり返したのかちょっと眉を顰める。

 今怪我してるの忘れてたでしょ、君。

 何時もだったら出る筈の軽口がまったく紡げない。私は奇妙な程固まったまま。

「久し振りじゃんね」

 三週間ぶり、あの気まずさがまるで無かったよう。でもそもそも、そこまで仲良い間柄でも無い。とか思ってるあたりが頭固いんだよね、私。

 すっきりしていた筈の思考がまたぐるぐるしだして、余裕の無い状態に戻ってしまった。

 昨日盗み見した寝顔を思い出す。

 昨日は閉じていた瞼の下の、黒くて鋭利な瞳が真っ直ぐ私を捉える。

 何も答えない私の前で、高橋が足を止めた。

「何、お前も保健室?」

 私の肩越しに、顎をしゃくって保健室を指す。

「……君は、何したの」

 体育の授業中に怪我をしたのは、もう見る限り分かるのに聞いてしまった。喉に張り付いたような低い声は抑揚が無い。怒ってるみたいな声になってしまった。

 でも高橋はそんな事を気にしない。

「見たまんまだろーが。こけたんだよ」

「ダサっ」

「後ろからスライディングしてくる馬鹿が、悪い」

 どうやら授業はサッカーだったらしい。

「部活、大丈夫なの」

 そこで彼がバスケ部だった事を思い出す。バスケって手を使う球技だ。当っても痛いし、腕を上げただけでも痛がってるようなのに。

 質問というより、詰問調の私の言葉。強張ったままの顔。

「平気平気。部活中はこんなん」

「ふーん」

「バスケって言えばさぁ!」

 まだ話を終わらせる気はないらしい。ママがもう待ってるんだけど、私も高橋を振り切る事が出来なくて。

 高橋の、ちょっと不機嫌そうに変わった声に小首を傾げた。

「前、試合来るっつってたのに来なかっただろ」

「……はぁ?」

「だから、先々週の日曜。俺、スタメンだって言ったべや」

 今更そんな話。

 喉元まで出掛かった言葉は、口に出来なかった。

 こちらはそれ所じゃなかった。行きたかったけど行けなかった。でも、そんな事高橋に言えない。

「行くなんて言ってないじゃん」

「言ったよ」

「行こうかなって言ったの」

「同じだよ」

 今更そんな話。

 高橋が舌打ちした。

 行きたかったよ、って言葉を飲み込む。

 拗ねたように尖らせた唇。

 対する私は怒りを押し殺したくぐもった笑い声を一緒に吐いて。

「悪かったわよ、用事があったの。でも、一杯応援来てたでしょ」

 血が。高橋の腕から赤い雫が垂れてる。

「勝ったって、聞いた。おめでとね」

 視線が床に滴った血の跡に奪われる。俯く形になりながら、「早く保健室行ってきな」って言った。

 それで、私は高橋の横を擦り抜ける。

「おいっ!」

「悪いけど私、体調不良で早退するとこなの」

 背中に高橋の声がかかったけど、私は振り返らずそれだけ言った。

「え、大丈夫なのかよ?」

 今更だ。

 本当に。

 瞬間心配そうに変わったその声には反応せず、私は歩調を速めた。




「……なんだよアイツ、感じわりぃ……」

 廊下を曲がっていってしまった理子に、釈然としないまま呟いて。

 チャイムが鳴り出したので、慌てて保健室へ向かった。昼休みが短くなるのは困る。貴重な練習時間だ。

 それでも、久し振りに喋った理子の態度に無性に腹を立てた。

 あいつの愛想が悪いのも、悪態をつくのも、煩わしそうな態度とか面倒臭そうな口調とか、それは別段今に始まった事では無い。

 親友・佐久間の彼女と共に昼飯を食うようになってから、あいつの態度は大抵そうだった。隣のクラスの控えめ美人・文学系美少女っていう触れ込みは嘘だったのかと思ったけど、今まで周りに居ないタイプの女で新鮮だった。

 佐久間から一緒に飯を食おうと言われた時は、誰が女なんかとと思って思いっきり拒否した。佐久間の彼女は天然系のぽやぽやした女で、何が楽しくてカップルと相席しなきゃいけないんだと思って。

「理子サンも一緒じゃなきゃ嫌っていうんだよ。頼むよオレ、理子サンいたら緊張して困る」

って佐久間が言い出した時はアホかと思った。大体その理子ってのは誰だと俺が聞いた所、隣のクラスの美人さんと答えが返ってきて、更に滅入った。往々にして美人という人種は自分に無駄に自信があって、我儘だったり、自分勝手だったりするもんだという偏見があったし。

 大体何故佐久間がその理子って奴に対して緊張するんだ。じゃあご遠慮願えばいいだろうって。したらしたで佐久間は「理子サンって格好良いんだよ。だから一緒に話したりはしたい」とか何とか言うんで更にわけわかんねぇし。

 佐久間がその彼女にほれ込んでいて、どうしてもと五月蝿いから、じゃあ最初の内だけだと承諾したんだ。

 そうしたら噂の美人は変な奴で、こっちがちょっとキツイ事言っても泣いたりなんてしないし、むしろ倍くらい辛辣な返しがくるし、たまに褒めると嫌そうな顔をするしで面白い奴だった。サバサバした、男友達みたいな感じだ。大分好感触で、絶対すぐに抜けてやると思っていた一緒の昼食が、意外に楽しかった。

 とんでも無い噂が立つまで、あいつが女だって事を分かってたようで忘れてた。ああ、だから女っていうのと関わるとろくな事にならないと。

 そう思って、その後その煩わしさから特に関わろうとしなかったんだよな。

 でも、やっぱり。見かけたら声かけるくらいは、するだろう。


「しっかし今日はとんでも無く機嫌悪かったな……」

 保険医の治療を受けながら呟くと、花藤は聞きとがめたのか「何が?」と聞いてくる。

 この眼鏡の女は俺が部屋に入るなり「またか」って言いやがった。確かに昨日さぼったのは俺で、それを見逃してくれたのはありがたいけど、その顔はひどいだろって表情だった。

 俺は肩を竦めただけ。花藤も別段答えに期待してなかったのだろう、包帯を巻いた腕を放しながら、

「はい、終わり。じゃ、利用者ノート書いて帰っていいわよ」

「利き手怪我してんだけど」

「甘ったれるんじゃない、男の子でしょ」

 渋々ノートを受け取って、ページを開いた。

 空欄を探す。昨日のページは終わってて、次のページに目をやる。

 最後の欄は、菅野理子。意外に綺麗な字で、へぇって呟いて、何とはなしに症状に目をやった。――腹痛。

「さっき理子早退してたけど、そんな酷いの腹痛」

「理子? ああ、菅野さん? そうねぇ、今回は酷いらしいわ。まあ最近色々あるみたいだし」

 今回はって。しかも最近って?

 溜息混じりの花藤が、遠くを見る。

「ああ、生理痛?」

 思いついたまま言葉にしたら、「デリカシーが無い」と後頭部を叩かれた。っていうか既に答え言ってたようなもんだろーが。

「だから機嫌悪かったのか?」

 頭を摩りながら呟くと、もう一度花藤が、今度は深く息を吐き出して。

「あのねぇ、高橋君」

「は?」

「……あたしがこういう事いうのアレなんだけど、貴方はもう少し周りの状況把握しなさいね。菅野さんの件は、貴方にも原因あるでしょ」


 ――その後聞かされたことは、寝耳に水だった。




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