人間の中の女神の詩 前編
かの人
慈悲に満ちた心を持ち
美しく麗しい姿を持つ
かの人
恵みを齎す者故に 邪な者に利用され
美しい女性故に 邪な者に求められた
かの人
他の者を守る為 その身を囚われ
自らの力だけで その身を護った
かの人は会う
その身を守る者に
その身を愛する者に
~神々の叙事詩より
大地の女神の詩
リュナンとファン・ルーに連れられたジェスクは、神殿の近くの、元神官達の住居に訪れた。
草に覆われ、それを掻き分けて行かないと、辿りつけない所だったが、神殿程荒れていない様で、比較的中はましだった。
彼等が赴いた場所は、その中で一番大きな部屋…食堂らしく、奥に調理器財等が見える所だった。
そこには既に2・3人の人が、大きなテーブルを囲んで座っていた。その中の、白い服を着た老人が彼等を見つけ、声を掛けた。
「リュナン様、ファン・ルー様…おや、連れが増えているようですね。」
ジェスクの事を言っているらしい老人は、紫の厳しい瞳を彼に向け、何かを見定めていた。
彼の服装、持っている竪琴──まあ、完全に擬態しているので、特別な物には見えなかったらしい──を見つめ、言葉を綴る。
「神殿の様子を見に来た、吟遊詩人の方ですか…。神殿があの様子では、さぞかし、がっかりなさった事でしょう。我等の不手際で、申し訳ありません。」
謝罪の言葉を掛けられたジェスクは、老人が、この神殿の神官だと判った。
市井の人々は、神官がいないと言っていた。しかし、眼の前にいる人物は、確かに神官であった。
疑問に思ったジェスクは、この事を尋ねる。
「都の人々から神官様は、いらっしゃらないと御聞きましたが、貴方は、此処の神官なのですか?」
「そうです。私は、リュース様の神官、リューシリア・ルシアラム・ラムゼと申します。都の者達は、死んでいると思っている様ですが、私は此処で生きています。
彼等と共に、リュース様を奪還する為、此処で生き延びているのです。」
「ラムゼ!この者に、それを言うべきではない。」
ラムゼの言葉に強く抗議したリュナンは、ジェスクを締め出そうとした。しかし、彼は微動だにせず、真摯な面持ちで彼等を見つめた。
王宮にいる神・リュース神は、自分の意思で、そこにいる訳では無い。
連れ去られて、そこにいる。
神を神殿から連れ去り、剰え、囲っている王。それに従う臣下も、神を冒涜していると言えよう。
そう思ったジェスクは、強い拒絶の視線を送っている、リュナンに言葉を掛けた。
「リュナン様、リュース様が、王宮に捕えられているのは、どの様な訳なのですか?それ如何によっては、この国に神罰が、下るのではないのですか?」
神罰と告げるジェスクに、彼等は怯んだ。中には、口封じをしようとした者もいた様だが、ジェスクの言葉で無言になり、動けなくなった。
そんな中リュナンが、ジェスクの言葉を復唱する。
「…神罰か…確かに、下るかもしれんな…。七神の神罰が…。だが、これは俺達の問題、旅の吟遊詩人には、関係のない事だ。」
「いいえ、関係があります。旅の吟遊詩人だからこそ、神々の為に詠っているのです。人々が神々の御業を忘れぬ様に、神々の存在を忘れぬ様に…と。」
未だ拒絶するリュナンに、ジェスクは反論した。
吟遊詩人らしいそれに、ラムゼが同意する。
「リュナン様、我々の負けですぞ。この方は、永らく旅をしておられるようだ。
…昨日、リュナン様が出会った詩人とは、この方の事でしょうか?」
訊ねられたリュナンは、頷き、ジェスクに問い掛けた。
「ジェス、昨日、お前が詠った詩は、何処で習った?」
「御答えしたら、私の質問にも、答えを頂けますか?」
ジェスクの、怒りを含んだ返答に、リュナンは言葉に詰まる。暫し、にらみ合う形になった彼等だったが、ラムゼから横槍が入った。
「リュナン様、我々の負けだと、先程も申したでしょう。
呼び名は、ジェス殿で宜しいですか?「はい。」リュナン様の御質問に、御答えして頂けますか?勿論、その後に、貴方の質問にも御答えしましょう。」
ラムゼの話に少し考えて、尤もらしい答えを、ジェスクは返した。
「実は…私は、田舎では無く…光の神殿で育ちました。ですから、詩は全て、神官様から習いました。一時は神殿の吟遊詩人として、その神殿に居ました。
ですが、私は…外の世界が見たいと願い、自分の腕を磨きたかった為に、許可を貰って神殿から出ました。」
「名はないと、言っていなかったか?」
「はい、名はありません。エリアレム…吟遊詩人と呼ばれていました。
神殿育ちの為、俗名は持ちません。」
神殿で育つ者で、神官になる者であれば、名を貰う。しかし、演奏者となれば、その役名が名になる。
だが、神殿から出れば、必然と名がいる。それをジェスクは知っていた。
故に、自分が育った神殿の神であり、竪琴の名手である神の、名を貰ったのだとも告げた。
実際は、本人であったが………。
ジェスクの返答が終わり、リュナン達の番になった。
ジェスクの質問、何故、リュース神が王宮にいるのかと言う物に、リュナンは渋々答える。
「…この国の王が、リュース様を見初めて、王妃に迎えたいと、言い出したんだ。だが、リュース様は拒んだ。神であるこの身は、人間に嫁げないと言う理由で…な。
だけど、他にも理由があった。」
「…その王に対する愛情が無い…ですか?」
「その通りだ。リュース様は、王など愛していない。
だが、あ奴は強引に、リュース様を妻に迎えようとしているんだ。」
リュナンの告げた言葉は、どんな意味があるのか、ジェスクにも理解出来た。
女性の身で男を拒む事は、容易では無い。しかし、件の女性は神。その力を使い、拒み続けているのだろう。
強引に、自分の思い通りにしようとしている王に、ジェスクは怒りを覚える。
「そういう事でしたら、神殿育ちの私も、黙っておれません。私に何か、出来る事があるなら、助力は惜しみません。」
そう、ジェスクに言われたが、彼等は無言になった。目の前にいるのは吟遊詩人。剣士なら、それなりに力になるのだか、只の吟遊詩人では、無理な話だった。
「ジェス、言葉は嬉しいが、只の吟遊詩人じゃあな…。
せめて、絆のある竪琴の持ち主なら、良かったんだが…。」
「…絆ですか…。」
「そうだ、主と竪琴の絆がある奏者なら、如何にかなったかもな…。光の竪琴とか、闇の竪琴とか……神が創られた物に似せて作られている、精霊の竪琴なら、可能性はあったかもしれん。」
リュナンに言われて、そんなものがあるのかと、ジェスクは思った。
自分の持っている物に、似せて作られた精霊の竪琴…。それに擬態すれば、良かったかもと思ったが、使ったら最後、自分の居場所がバレバレだった。
無言になったジェスクに、諦めた者と思ったリュナンは、声を掛けた。
「ま、そういう事だから、諦め・・・」
「私の竪琴は、精霊の物です。訳有って、擬態していましたが、リュース様を御救いする為なら、その擬態を解きましょう。」
リュナンの声を遮り、ジェスクは、自身の竪琴の事を告げた。神が囚われていると言う緊急事態で、呑気に見聞等している訳にはいかない。
自分の居場所が判ってしまう結果になっても、この事態を無視出来無い。
そう思い、その事を告げ、一言、
『解除。』
と言霊を綴る。その言霊でジェスクの持っている竪琴は、木目を失くし、白く輝く本体と金の太陽と銀の月の装飾、金色の石を顕した。
それを見た周りの者は、息を呑んだ。光の竪琴…似せて作られたとはいえ、その作りと輝きは、本物と変わり無く見た。
……実際の所、本物だったのだが………。
目の前にある竪琴が確かに、光の精霊の竪琴だと感じるが、昨日、リュナンが聞いた音は、普通の物だった。それをリュナンは、ジェスクに指摘した。
「ジェス、昨日は、この竪琴を弾いていたんだよな。
聞いた音は、普通の物だったんだが…。」
「…擬態したので、拗ねられました。
まだ、機嫌が悪い様なので、音は普通の物しか出ません。」
肩を落として告げるジェスクに、周りから笑いが起こった。竪琴が拗ねるとは、聞いた事が無かったらしい。
だが、リュナンとラムゼは、納得して頷き、機嫌が直るのかと聞いてきた。多分と、ジェスクは返す。
姿が元に戻ったのと、これから話し合いをすれば、機嫌が戻ると告げる。
「そうか、頑張れよ。」
そう言って、リュナンに送り出され、ジェスクはその場を離れた。辺りは夕暮れに近くなっていたが、迷う事無く、宿に帰って行った。
宿に帰ったジェスクは、早速竪琴と向き合った。
まだ拗ねているらしく、主の言葉に耳を貸す様子が、全く見受けられなかった。そんな竪琴に、ジェスクは素直に謝った。
「…済まない。そなたの姿を変えた事は、悪かった。
だが、そなた以外の竪琴を、持つ気が無かったんだ。だから、機嫌を直してれ。」
椅子に座り、頭を深々と下げて、懇願する様に言うジェスク。それが聞こえたのか、竪琴が震えた様に見えた。その次の瞬間、竪琴の姿が薄れ、透けた様な人型が浮かび上がる。
『今の言葉、本当ですか?我が主。』
顔に掛る長い白い髪と、光彩の無い、宝石の様な金色の瞳で、白い長衣を纏い、右腕には月を、左腕には太陽を模した腕輪をしている細身の人物。
男女の区別の付かない姿であったが、声は男性の様である。
その人影に、ジェスクは微笑み、返事を返した。
「ああ、そうだ。そなた以外の竪琴を、弾く気にはならない。
そなたは、我が竪琴。だからこそ、姿を変えて、連れて来た。」
ジェスクの言葉に、竪琴の精霊の怒りの満ちた瞳が、柔かく微笑んだ。
『それなら、納得します。我が主、ジェスク様。』
そう言うと、精霊の姿は掻き消え、白い竪琴がその場に佇んでいた。機嫌が直った事を知ったジェスクは、深い溜息を吐く。
先程告げた事は、全て真実。他の竪琴を持って行こうとしたが、出る音に満足出来ず、結局、自分の竪琴を擬態する事にしたのだ。
そのまま弾けば忽ち居所を知れたが、擬態によって機嫌が悪くなった為、今まで知られずに済んだ。まあ、この事態では、そうも言ってられない。神が人間によって、囚われ、強制的に婚姻されようとしているのだから…。
それを阻止する為、神殿の神官達や剣士が奔走しているのに、神である自分が何もしない訳にはいかない。
他の神々に、それを告げる時間も惜しい。早く、件の神を救う手立てを考える事が、必用だった。
王宮に入る手段…それが、幸運にも、ジェスクの許に舞い込んで来るとは、誰も思わなかった。