旅立ち
ああ、視界が揺れる。地面にうつぶせになりながら、意識を保っているのがやっとな状況で、俺は幣原に訊ねた。
「あんたは無能力者なのに何故そこまで強くなろうとしたんだ?」
俺の素朴な疑問に幣原は驚いた。
「そんな事を訊いてきたのはお前が初めてだ」
「異世界人だからかな? 価値観が違うんだろう」
「そうか。そんな事が訊けるなんて、よっぽど平和な世界だったんだろう」
幣原は微かな笑みを浮かべた。今まで眉一つ動かさなかった彼の表情は、その人生が垣間見えた気がした。
「まあな。それで、教えてくれないか?」
「いいだろう。自慢みたいな言い方だが、俺は昔はここまで強く無かった。だが、この世界には無能力者を守る制度は無い。誰かが罪を犯しても、裁く人間すらいないんだ。俺は弱かった。だから能力者達から身を守る術を磨いたんだ」
「俺には考えられない話だ」
少なくとも、俺が住んでいた日本という国は、誰もが法律に守られていた。実態はどうだか知らないが、表面上は誰かが理不尽に害されるという事は無かった。
「もう一つある。この世界は殺人が許容されている。弱肉強食は動物の理だが、人間は理性ある生き物だ。同族を殺すなんて低俗な行為が許されてたまるか。そのために俺が変える、この世界を。どれだけ時間がかかってもだ。だから、俺は日々闘技場で闘い、誰にも負けない強さを手に入れるんだ」
幣原の拳は固く握り締められていた。理不尽な世界への悔しさのためだろう。
幣原の話を訊いて、俺と同じだと思った。
特別な力無い故に、悩み、悔しさに歯を噛み締めたのだろう。
俺と幣原の違いは、現実を変えようと努力したかだ。
思えば、俺は上手くいかない事があると、才能のせいにしてすぐに放り出した。上手くいった事があれば、現状に満足して技術を高める努力を投げ捨てた。そんな中途半端な態度が俺を凡夫に変えていたんだ。
今からでも変われるだろうか?
「強くなりたい。 あんたみたいな高尚な理由じゃないが、俺は自分の中の弱い自分を変えたい。教えてくれ、俺も最強になりたいんだ、どうすればいい?」
途切れそうになる意識を無理矢理繋ぎ止め、幣原に懇願した。
「ああ、いいだろう。異世界人と言ったな。なら、シナイ国のエインという都市に行くといい。石橋壮山というお前と同じ境遇の人物がいる、お前の能力は荒削りだが光る物がある。石橋はそれを鋭く磨いてくれるだろう」
「分かっ……た、ありがと……う」
最後の力を振り絞って礼を言い、意識は途切れた。
***
「……ここは、どこだ?」
目覚めた俺は、知らない部屋のベッドに寝転がっていた。部屋はベッドがいくつかあって、隅には多様な瓶がしまってある棚が置かれている。
「ここは闘技場での負傷者を治療する医務室です」
俺の問いかけに、誰かが答える。横を見ると、文が立っていた。
「隆一さん、準優勝おめでとうございます。賞金に銀貨五百枚も貰ってしまいました」
代理で受け取ったのか、文は銀銭が入った袋を持っている。
「そうか、俺は負けたのか」
優勝をするつもりだったのに、気絶してしまったらしい。
「落ち込む事は無いですよ。相手は王者ですし、初出場で準優勝なんて快挙ですよ」
文は励ましてくれた。しかし……
「それじゃ駄目なんだ。俺はこの世界で今、最強を目指す事にした」
確かに、今までの俺なら準優勝という結果に満足し、享受しただろう。だが、その心構えが俺を凡夫に至らしめていた。
勝つなら最後まで。俺は一番になりたいんだ。
「最強………ですか。でも、世の中には幣原さんよりも強い人が数多くいます。その中での頂点を目指すとなると、必ずや茨の道となりますよ?」
「問題無い。文さえ良ければ、俺は手始めにシナイ国のエインという都市に行きたいんだが」
世話になっている文にこれ以上迷惑を掛けるのは申し訳無いが、一度決めた事だ。駄目元で頼んでみる。
けれど、文はすんなり了承してくれた。
「分かりました。私も同じ場所にいるより、移動している方が安全ですからね。さっそく今から出発しましょう。旅の必需品を買ってくるので、酒場に行って待っててください」
文は事情があるのか、気になる事を言っていたが、訊く間もなく飛び出ていった。
「俺も行くか」
ベッドから起き上がると、少しめまいがした。まだ闘いの傷は癒えていない様だが、思い立ったが吉日。酒場に向かった。
***
「完全に迷った……」
勢いで医務室を飛び出てしまったが、ここが異世界という事を忘れていた。
酒場の場所が分からずに困っていると、通りかかった行商人に声を掛けられた。
「そこのお方、もしかして迷ってらっしゃる? どこに行きたいのですか、案内しましょう」
「酒場に行きたいんだけど……」
行商人に案内を頼もうとすると、遠くから叫び声が聞こえてきた。
「隆一さん! そいつから顔を隠して逃げて!」
叫び声は文の物だった。俺は訳も分からず、文の言われたに顔を腕で覆い、逃げる。
「ちっ、邪魔が入ったか」
先程までの柔らかい物腰とは一変して、背後からは行商人の舌打ちが聞こえた。
***
「はぁはぁ……」
かなり激しく走ったため、息をするのもやっとだ。
俺と文は意図せず、関所の近くまで来ていた。
「危なかったですね。私が来なければ変死体になって道端に放置されていたかも……」
文の言葉に俺は背筋が凍りついた。
「それで、誰なんだ? あの男は」
「これもいい機会ですね、話しておきましょう。昨日、私は大衆の中で顔を見せてはいけないといいましたよね」
「ああ」
「この理由はあの男が関わっているんです。あの男の名は東條英治。彼は世界に名を轟かす大商人ですが、その実、人の弱みに付け込んで不正な取引を行う悪魔です。東條に関わったら最後、訪れるのは一生搾取され続ける運命か、死のどちらかだと言われています。」
「それで、文とその東條というのに何の関係が?」
ヤバい奴だというのは分かったが、顔を知っているなら関わらなければいい話だ。
「実は私も能力者なのですが、その能力というのが鉱脈を探知するという物なんです。東條は金になる情報に耳ざとい。どこからか知らないけど私の能力も既知の情報らしいです。まだ顔を見られていないのがせめてもの幸運です」
「顔を見られたらそんなにまずいのか?」
文は、東條にとっては重要人物のはずだが、俺まで顔を隠す必要はあったのだろうか。
「東條は世界にも数パーセントしかいない複数能力保持者。その一つの能力がモニタリングといって、特定の人物を監視し続けられるという能力なんです。もう一つの能力はいまだ不明らしいですけど。だから、顔を隠している私と一緒にいれば東條は勘繰り、隆一さんを監視対象にするでしょう。もうここにいるのも危険かもしれません。幸い、東條は能力による自信か、遠くにいる人間にはすぐには接触しないみたいです。早く逃げましょう」
「ああ、分かった」
俺と文は急いで関所を通り、外に出た。
関所の外には巨大な森林が広がっていた。草木は葉やら根やらが伸び放題になっていて、中から聞いた事も無いような動物の鳴き声が聞こえてくる。
一歩でも足を踏み入れれば、遭難でもしてしまいそうだ。
「うっわ、酷いな」
「この森は毎年行方不明者が後を絶たないんです。だから普通は外に出れない無い様に、去年関所が設けられたんです。用も無いのに一般市民が入って死ぬ、なんて事が無いための配慮です」
「整備はしないのか?」
草木を刈って、道を作ってやればいいと思うのだが。俺の極めて普通な発想に文が目を丸くする。
「そんな事思いつきもしなかったです! 多分、この世界の人間は道を整備するのは人が住んでいる場所だけという固定概念があるんだと思います」
「ああ、だからフアルからタルベまでの道もあんなに荒れていたのか」
「文句を言っても目の前の森が無くなる訳じゃないですから。行きましょう、エインを目指して」
森を歩いていると、何度か動物に襲われたので、文を守りながら退治していく。
「隆一さん、格好いいです」
「え、なんて?」
聞き間違いじゃなければ格好いいと言われた気がした。今までそんな事言われた事なかったので、驚いて手が止まり振り向いてしまった。
「隆一さん! 前!」
文が叫ぶ。俺の目前には体長三メートル程の熊が立っていた。熊は思い切り殴りに来たので氷の盾で攻撃を逸らそうとしたが、完全には防ぎきれなかった。
「凍れ!」
熊は凍らす事が出来たが、腕に爪の跡が刻まれた。
「すみません、私が変な事を言ったばっかりに……」
文は自責の念で萎縮してしまった。悪いのは取り乱してしまった俺だというのに。
「いいや、大丈夫。思いのほか傷は浅い。それに集中力を切らしたのは俺の責任だ」
「そんな事ないです! 怪我をさせてしまったのは私のせいですから、私手当しますね」
「じゃあ、手当はして貰おう。それで今回の件はチャラだ」
互いに責任の所在を言い合ってたらきりが無いので、俺は妥協点を示す。
「はい! 任せてください!」
手当をして貰っている最中、動物に襲われないように頑丈な氷のドームを作った。
「これで落ち着いてできるだろう」
「はい、すぐに終わりますから待っててくださいね」
文は手際よく俺の腕を消毒し、包帯を巻いていった。
「ずいぶん手慣れているな。何か経験が?」
「長い事旅をしていましたから、旅で培われた経験です」
「それは頼もしいな。これからもよろしく頼む」
「ええ、私にできる事なら何なりと」
「おや、男女二人で愛の逃避行かい?」
森を長く歩いていると、頭上から何者かの声が降りかかる。
「そんな、愛の逃避行だなんて……」
「ただ単に旅をしているだけだ」
俺と文は二人して否定の意を示した。
「それにしては、随分と悪趣味な旅行先だね。……よっと」
その女性が木から降りてくる。髪型はショートカットで背は大体百六十センチくらいだ。
「ここに用がある訳じゃ無い」
「そうなんだ。じゃあなおさらここから先には行かせられないね」
女性は持っていたウエストポーチから、何本かナイフを取り出して構えた。
「氷結・剣、盾」
それに応じて、俺は氷で剣と盾を作り出す。
「原敬子、二十一歳。あんたらの命、頂戴する!」