好奇心
異世界に来た翌日、文に町に連れてこられた。
今朝、ボディーガードをする代わりに世話をしてくれると言われたが、やはり無一文では心もとない旨を伝えると、仕事探しのため町を案内されることになった。
「うっわ、見事にファンタジーだな」
ここフアルという町では漫画で読んだような中世ヨーロッパのような服装の人々が闊歩しており、通りの市場で銅銭や銀銭を使い売買をしているのが見受けられた。
「現代日本語が通じる中世ヨーロッパか。言葉が通じるのが唯一の救いだが、不便そうだな……」
再び観察を続けていると、前を歩いていた文が振り返り指を指す。彼女の指の先には隅から隅まで張り紙がされた掲示板が立っている。
「あれが依頼掲示板です。気になった依頼書をギルドに持っていくと仕事が受けられます。依頼を受けるのにも契約金が必要ですが」
中世ヨーロッパというよりはゲームの世界だな。しかし金が無いので文句は言ってられない。俺は一つの依頼に手を伸ばす。
「畑を荒らす害獣の捕獲か。俺が出来そうなのはこんなところだろう」
「では必要な手続きは私がやっておきます。契約金も今回は私が出しましょう」
ギルド内はろうそくの淡い光で照らされ、ここでは俺と同じく依頼を受けに来たであろう人たちの喧騒が聞こえてくる。
文はギルドの受付嬢と契約をし、後ろから俺が見る。特段書類などを書く必要は無く、俺でも簡単に依頼を受けることができそうだ。
ただ、文は服装のせいか受付嬢から怪しまれていたみたいだが。
手続きを済まし、依頼の現場に案内されている最中、文に訊ねた。
「朝から気になったが、文は何故そんな格好をしているんだ?」
当の格好というと、サイズの大きい黒のローブを着て、フードが目深にかかっている。顔は忍者のように口元を布で覆っている。
顔を見せない意図があるのは察せられるが、その見た目は逆に目立ち注目の的となっている。
「私は事情があって大衆の中で顔をさらすのはまずいんです。ここでは言えませんが説明しますよ」
「そうか」
説明するというので、ここで話は打ち切った。
しかし、文のせいで俺まで注目を浴びるのは気に食わなかった。
***
俺と文は畑に入る。畑は広大で多様な野菜が栽培されていた。話に聞くにはこの町の野菜は大体がここ畑から供給されているらしい。ここが害獣に荒らされるという事はさぞかし甚大な被害を及ぼすのだろう。
「これは重要な仕事ですが、代わりはいくらでもいるので気負わずに頑張ってください。成功すれば報酬は弾みますよ」
依頼主は嫌味な口調で言った。
町を見て分かったことがあるが、ここは地域の繋がりが強くほとんどが顔見知りのようだ。そのため俺のような外部の人間や文のように素性が分からない人間には期待していないのだろう。
害獣は来る時間は分かっていないらしく、二人で張り込む事を決めた。
文は依頼主の言葉に腹を立て、害獣を捕まえて見返してやると息巻いていた。
夜、長い時間待ったためか、睡魔に襲われ意識が朦朧としていた。まぶたは既に閉じ、いよいよ眠りに入るというところで文に叩き起こされた。
「隆一さん! 来ました!」
現れたのは猪の群れだった。猪たちは普段は絶好の餌場となっていた畑に俺たちがいるからだろうか、鼻を鳴らし興奮している。
文は怯えて俺に抱きついた。息づかいや鼓動が伝わるくらい密着され、少しドキッとする。
「大丈夫ですか?」
文が不安そうに訊かれる。大丈夫とは言えない状況だが心配はさせられない。
「依頼主を見返すんだろ? 任しておけ!」
俺は強気に言って、猪の群れに突っ込んだ。
走りながら手のひらに意識を集中させる。
相手は猪、しかも群れ。普通なら真正面から突っ込んで勝算は無い。だが幸いな事に俺には能力がある。これを使えば十分勝ち目はある。
猪たちも正面から突進してきた。その直前、集中させた意識を一気に解放するイメージを作る。イメージは現実となり、大きさは人間の二倍くらいにもなる巨大な氷の盾となった。猪たちは止まれず氷にぶつかり動かなくなる。後方の猪も次々とぶつかっていき、氷の前で積み重なっていった。
俺は捕獲のために猪の山を氷づけにした。
***
「いやあ、あの依頼主顔は見物だったな。報酬もたんまり貰ったし生活にはしばらく困らないな」
猪捕獲の翌日、依頼主に氷づけの猪を見せてやったら驚愕していた。そして、苦虫を噛み潰したような顔で大量の銀銭を渡してくれた。
「私も驚きました。あっという間に猪たちを倒してしまうんですから。闘技場でも通用するような強さですね」
文は興奮して言う。
「闘技場? 何だそれは」
「闘技場は大きな都市には大体ある施設で、各地の腕自慢、能力自慢が覇を競っているんです。参加費は無料で乱戦の予選と決勝トーナメントに分かれていて、上位入賞者には賞金が貰えるんです」
能力自慢……か。
元の世界では誇れる物が何もなかった。だが、今の俺には能力がある。もしかしたら特別な存在なれるかもしれない。
「俺も参加したい。案内してくれ」
文に頼むが、彼女は何故か躊躇っていた。
「ですが、あの……少し問題があってですね……」
「何だ? 言ってくれ」
「闘技場のルールは何でもあり。勝ちは戦闘不能にするまで。下手したら死ぬ可能性もあるんです」
確かに俺は今この世界に来たばかりだ。長く能力者をやっている人間にら少なからず遅れをとる。自分の能力について未知な部分も多い。だから俺は一つ提案をする。
「分かった、じゃあ参加は今は止めておく。けど、闘技場の闘いを観てみたい。それならいいだろ?」
「まあ、それなら。この近くだったらタルベという城下町に闘技場があります。そこに行きましょう」
文は提案にうなずき、俺たちはタルベへと向かった。
***
フアルから馬車で十数分、タルベに着いた。
この世界には電気や機械といった技術はないらしく、長距離の移動には馬を使う他ない。そのため、馬車を使う事になった。
道中が荒れていたせいも相まってか馬車の揺れはかなり激しく、乗り物酔いで酷い吐き気がする。
「闘技場はあそこですね」
文はタルベの中でも一際目立つ巨大な円形の建造物に指を指す。膝に手を着いた状態でそれを一瞥したが、今は闘技場より文の様子に疑問を抱いた。
「お前は何故そんなに元気なんだ?」
掠れた声で訊ねる俺に反して、文は乗り物酔いなんてどこ吹く風だ。
「乗り物酔いなんて慣れですよ、慣れ」
文は当然といった顔で俺の質問を一蹴したが、些か納得がいかない。乗り物酔いが慣れだなんて酔わない人間の理論だ。高校の通学には長時間電車に乗っていたが、生まれてこのかた酔わなかった試しがない。
とはいえ、こんな事は共感しない人間には言っても無駄なので、仕方がなく重い足取りで闘技場へと歩を進めた。
「うわっ、すごいな」
俺は闘技場を見上げる。
格調高い石造りのそれは、実質目測五十メートルほどの高さを東京にあった高層ビルたちより高く感じ、堂々と建っている様は、イタリアに家族旅行をした時に見たコロッセオを彷彿させる。
「それにしても混んでますね。今日は人の多さがいつもの比じゃないですよ」
文が人混みに揉まれながらぼやいた。
文が言うように闘技場は入り口の辺りを中心に酷く混んでいて、肌が周囲の人の生温い吐息にさらされたせいで先程の吐き気が更に増す。
入り口付近の人たちは我先にと無理矢理押し入ろうとするせいで詰まって進まないでいる。
「皆急いでいるみたいだが何か訳があるのか?」
「何でも旅に出ていた伝説の選手が帰ってきて、今日と明日闘技場に参戦しているとか」
そういえばタルベの町中でちらほらとビラを見かけた。文が教えてくれたのはその事だろう。
幣原喜平。
五年前からの古参選手でタルベ伝説の剣術家。
彼は過去約二百回以上選手として闘い、最初の三回を除いて全て優勝したという。その功績からタルベの闘技場からは永久名誉王者の称号を与えられているらしい。
更に驚くべき事は、何の能力も持たない無能力者だという。
町で見たビラを思い出していると、いつの間にか列を成していなかった行列が捌け、闘技場の観客席に入ることができた。
丁度試合が始まるところだそうだ。
「タイミングいいですね。次が決勝戦ですから例の幣原っていう人も見れますし」
文は中央のリングをまじまじと見ている。こういった見世物が好きなのだろう。
俺もリングに注目すると、そこにいる司会者が声を張り上げた。
「さあ、トーナメントも残すところ決勝戦のみとなりました! このまま王者の不敗伝説が続くのか、はたまたもう一人がその伝説を打ち破る事ができるのかっ!? それでは入場してください」
王者の入場に興奮してか、多方向から歓声が沸き上がる。
入場口から決勝戦に出る二人が入ってきた。
「番号一番、幣原喜平! 予選から決勝までの快進撃は止まることを知らないぞ! このまま優勝をさらっていくのかーっ?」
名を呼ばれた幣原は俺と同じくらいの年齢に見えた。長い髪を纏め、端正な顔立ちをしている。しかし、彼の細く薄白い体からは噂に聞く力強さは感じられない。
俺はもう一人に目を移した。司会者ももう一人の名前を呼ぶ。
「番号三十六番、松方久義! 実は彼は三年前にに王者と闘っています。 奇しくも当時と同じ決勝戦、過去の雪辱を果たせるか!?」
松方と呼ばれた男は大体四十代くらいと見てとれるが、肉体は老いを見せず分厚い筋肉に覆われている。
俺の考えていた事が分かったのか、文が俺の肩を叩き言う。
「隆一さん、見た目で判断してはいけませんよ。勝者は結果を見るまで分かりませんから」
と言われたものの、俺にはあの幣原という男が強いというのはにわかには信じ難かった。
「両者所定の位置に着きましたね? それでは……始めっ!」
司会者の合図は二人の闘いの火蓋を切った。
合図から数十秒、 両者のまだ動きを見せない。互いに相手の様子を伺いながら、ジリジリと距離を詰める。
そんな状態が更に数秒、先に動いたのは松方だった。
松方が人差し指と中指を伸ばし、格子状に振る。すると、幣原は足を止めた。過去の対戦から危険を察知したからだろうか。幣原が口を開く。
「同じ技が通じるとでも?」
「もちろん思っていない。けどな……」
松方は内側に向いていた手を裏返す。
「俺も成長したんだ」
直後、幣原の元まで間を詰め、豪快に蹴り飛ばした。勢い余って幣原は観客席の壁にぶつかった。
「一つ教えてやろう。俺の能力は手の表裏でオンオフを切り換えられる様になった。これが意味するのは俺の独壇場っていう事だ!」
松方はそう言ってまた手を返す。
松方は親切にも説明をしてくれたが、俺にはただ蹴りを決めた様にしか見えなかった。しかし、闘いの舞台からは得体の知れない迫力と緊迫感が押し寄せ、少し前までの吐き気を忘れさせる程に魅せられる。
幣原は倒れた体を起こし、松方に歩み寄る。
「確かにこれは敵わないな、昔の俺だったらな。だが、俺も伊達に旅をしてきた訳じゃない」
幣原は腰に帯びた刀に手を掛ける。それに応じた様に松方は指を動かす。
「ヒートジェイル! お前を囲った。もう動けまい。今日がお前の敗北記念日だ!」
松方は技名の様な物を叫び、勝利を確信している。けれども、幣原の視線はしっかりと松方を捉えており、虎視眈々と隙を伺っている。
「無駄な足掻きはよすんだな! 俺の勝利は確定事項だ!」
松方が幣原に向け、固く握られた拳を大きく振りかぶった。
「そこがあんたの弱点だ」
幣原の鞘から光が覗いた。
一瞬だった。松方の拳が顔に届く前、紙一重の差で幣原の刀が松方の首に刺さっている。
「な……なにが……」
松方は首を押さえその場で倒れこんだ。
「あんたは攻撃の瞬間能力を解除する必要がある。必然的に俺にも攻撃の機会ができる。俺の方が数倍速かっただけの事だ。よかったな、これが模造刀で」
松方が最後の意地で上げていた顔が落ちるのを見て、幣原は模造刀を鞘に納めた。