双子の事情
「三十八度八分……たえさん、これはどうしても無理だと思うのですけれど」
あやめは、体温計からベッドの上へと視線を移す。
そこで寝込んでいるのは、彼女の双子の姉、妙全寺妙だ。
ふだん凛然たるたたずまいを崩すことのない姉なのだが、さすがにこの熱には参っているらしい。目元が蕩けている。
「うー、萩原さま、萩原さまぁ」
うわごとのように思い人の名を呼ぶ姉に、あやめは吐息を落とす。
「おとなしく休んでいてください」
「わたくしが休めば――あの女どもは……これ幸いと……萩原さまぁ!」
寝かしつけようとしても、自分の妄想で勝手に盛り上がっている妙は、聞く耳持たない。
処置なし、と、あやめは肩をすくめた。
「橘さん、たえさんの看病はよろしく。そろそろわたしも登校の準備をしなくては」
使用人にあとを任せ、立ち去りかけて――がっ、と腕をつかまれた。
あやめは眼を見開いた。
犯人は妙である。病の身ながら、すさまじい力だ。
「あやめさん。お願いです。今日一日、わたくしのふりをして、あの女どもから萩原さまを!」
双子の姉は、必死の面持ちで懇願する。
冗談ではなかった。
彼女のライバルは、ダース単位で存在する。
そのうえ、どいつもこいつも一筋縄でいかない曲者ぞろいである。
「わたしに死ねと? というか、わたしの出席はどうなるのです?」
「お願いします。どうか萩原さまを守って」
こちらの主張を華麗にスルーして、双子の姉はすがりついてくる。
あやめはため息をつくしかない。
「……つぎに仕立てていただく夏物、注文はわたしからつけさせていただきますわよ」
「くっ、やむを得ませんわ」
苦渋の表情を浮かべながらも、思い人のほうがよほど大事なのだろう。彼女は即答した。
それならば、あやめにとっても悪い話ではない。
瓜二つの双子だからこそ、装いは別々でないと気がすまない。
そんな二人だが、趣味が似ているせいで、服を仕立てるときはよく争いになるのだ。
取り合いになれば、さき出し優先。そんな双子の独自ルールがある以上、これは絶対の優位だった。
「では承知いたしました。ゆうくんを、他の女性からガードすればよろしいのですね」
「ありがとう。恩にきますわ――って」
ぱあっと晴れた妙の顔が、怪訝なものに変化していく。
「ゆう、くん? あなた萩原さまのことゆうくんって」
なにやら不穏な空気を纏わせはじめた姉をはぐらかすように、あやめは手の甲で口元を隠す。
「わたしは、たえさんみたいに気取りませんので。というか、それだけ親しくなっても、萩原さま、とか他人行儀なたえさんに驚きですけれど」
「わ、わたくしは、淑女として――羨ましくなんてありません! ええけっして羨ましくなんてありませんとも!」
かぶりをふる姉。強がりなのは明白だった。
呼び名を変えるタイミングを逸したまま、五年間ずっと“萩原さま”などという他人行儀な呼称を使い続けている彼女である。
要領が悪いと言うほかない。
「とにかくお願いしますわよ、あやめさん!」
ごまかすように腕を締め上げてくる姉に苦笑しながら。
ふと、気づく。
橘が、いつの間にかブラシやら化粧品の類を抱え込んで、背後に立っていた。
不吉な予感に身を翻しかけて――あやめは自分が動けないことに気づいた。
あやめの腕をつかむ妙が、すさまじい力で彼女の動きを封じているのだ。
「たえさん!?」
「代わってもらうのはよろしいのですけれど――ほら、あやめさん、夜更かしなさる性質ですし。髪の手入れも、化粧もろくになさらないでしょう?」
熱で紅潮した顔に、双子の姉は、にやりと笑みを浮かべる。
「お嬢様も素材はよろしいのですから。美人の義務は果していただきませんと」
同じような笑みを浮かべ、武装するようにブラシと眉バサミを構える橘。
姉と使用人に挟まれ、あやめは先ほどの快諾を後悔した。
◆
髪の毛がふわふわする。
顔がべたべたする。足元がスースーする。
慣れない感覚に、妙全寺あやめはまったく落ち着かない。
だが。
車中、あやめはひっそりとため息をつく。
さらに高いハードルが、これから彼女を待ち構えているのだ。
「――萩原さま、今朝もご機嫌麗しゅう」
リムジンからふわりと降りたあやめは、登校中の三人連れ――その中のひとりに向けて一礼した。
「おはよう、妙全寺」
そう言って屈託なく手を挙げたのは、礼を受けた当人、萩原友人である。
総勢二十人近い女性に囲まれた、いわゆる萩原ハーレムの主であるが、あやめにとっては関係ない話。
数少ない異性の友人としてのみ、あやめは彼のことを評価している。
「ふん」
と、あからさまにいやな顔をして、友人の腕にぴたりとくっついたのは、萩原心。萩原友人の妹だ。
そして最後に、無表情を向けてきたのがあやめの親友、更科明である。
男のような名前だが、一見して女性とわかる。
ほっそりとした体つきは少年を思わせるものの、まぎれもなく女性のそれで、顔立ちも女性的である。
だが、“性”というものを寄せ付けない独特の雰囲気が、彼女から女らしさというものを奪い去っていた。
結果、見れば見るほど男か女か分からなくなってくるのだ。
だがそれがいい。というのが、大多数の女性の意見だが。
「ん? あれ? あや――」
「おおはようございますわあきらさんっ! あやめさんは今日は風邪でお休みですわよっ!」
不審げな明の言葉をさえぎって、あやめはまくし立てた。
さすがに親友の目はごまかせなかったようだ。それはいいが、この場でバラされるわけにはいかない。
「そうなのか」
「そうですわ」
訴えかけるようなあやめの目に、感じ取るものがあったのだろう。明は無言でうなずき、一歩引いた。
友人の右脇が開いた。
いつもなら、妙全寺妙が収まるはずのスペースである。
――なにが悲しくてこんな恥知らずなマネを、しかもゆうくんなんかと。
あやめはやるせない気持ちになってきた。
だが、あまり怪しまれるわけにもいかない。ままよ、と友人の腕を取る。
当然であるかのようにそれを受け容れる友人に、あやめは軽い殺意を抱いた。
◆
一限目が終わってすぐ、あやめは更科明を連れて屋上に上がり、事情を愚痴とともにぶちまけた。
「……なるほどね。そういった事情か。ご愁傷さまと言うほかない」
明の言い草に、あやめは頬を膨らませた。
淡々と、評するような彼女の口調が、親友のことながら癇に障った。
「いくらあきらきゅんでも怒りますわよ」
「ほかにどう言えと?」
明が肩をすくめる。
そう言われると、あやめも言葉に詰まってしまう。
「まあ、そういう訳で、あきらきゅんにも手伝っていただきたいんですの」
「……その“あきらきゅん”ってのを止めてくれたら、手伝ってもいいよ」
「そんな……わたしに死ねと?」
あやめの顔が、絶望に青ざめる。
「命より大事か!?」
「そ、そうですわ! かわりにわたしのやおい本のなかでもとくに素晴らしいものを差し上げますから、それだけは……」
「それは全力で断らせてもらう!」
「そ、そんな、ではわたし、わたしの命を差し上げますから!」
「ほんとに命より大事なんだ!?」
明が驚愕にのけぞった。
あやめは心底本気である。
ともあれ。
「……まあ、いいよ。手伝う。まったく、私もたいがい人が良い」
あやめの親友は、あきらめたように協力を承諾した。
後半のほうは小声であったが、あやめは耳ざとく聞きつけていた。
「それでこそ、あきらさんですわ」
あやめはそう言って、明に感謝を述べた。
そして、嵐のような昼休みがやってくる。
「萩原くん――」
「――おにいちゃん! お昼いっしょしよ!」
「は、萩原先輩――はうっ」
「あなた、ご飯にしましょう」
「萩原先輩!」「萩原くん!」「友人さん!」
詳細に述べるなら。
影のごとく背後に立った治部影奈の言葉をさえぎるように、萩原心が教室に駆け込んできて、その後を追ってきた由良ふたつが貧血を起こして倒れ、それを踏みつけるようにして入ってきた三年生の三笠笹木が、友人の前に弁当を捧げ置き、負けじと入ってきた萩原ハーレムの面々が教室に押しかけてきて、にらみ合いの膠着状態。といった状況だ。
あまりの勢いに、あやめはしり込みした。
何度も見てきた光景のはずだが、渦中に飛び込むとなると話が違う。
この敵意と邪念渦巻く結界のなかに足を踏み入れるには、相当に覚悟が要った。
「う……」
「ほら、妙」
ポン、と、明に背中を押され。
あやめはつんのめるようにして輪の中に滑り込んだ。
「わ、と、と」
女たちの中を、押され押されて。
気がつけば、あやめは友人の机に、覆いかぶさるようにしてぶつかっていた。
常に優雅に、を心がける妙からは考えられない光景に、一同、凍りついてしまう。
あわてて顔をあげたあやめの鼻先、数センチ先。
そこに萩原友人の驚いたような顔があった。
「大丈夫か?」
「え、ええ。大丈夫ですわ。お気遣い痛み入ります」
ごまかすように服をはたき、あやめは身だしなみを整えた。
こほん、と、咳払いひとつ。
「萩原さま、中庭に席を設けております。よろしければ、昼食をご一緒しませんこと?」
淡い色彩の、絹糸のごとき髪に指を流し、あやめは口の端に笑みを匂わせた。
双子の姉の優雅な姿が、完全に再現されている。
「えーと、俺は――」
「皆さんも、よろしければいかが?」
友人の言葉を手で制すると、あやめは周りの少女たちを視線でひと撫でする。
「なっ!?」
「だれが!」
「行くわけないでしょ!」
「そうです!」
周りから湧き起こる反発など、蚊ほども意識しない様子で、あやめは静々と輪から抜け出ていった。
「それでは行きましょうか、更科さん」
ごく自然に、あやめは更科明に声をかける。
「分かった、行こう」
当然、承知していた明は了解した。
「あれ? 明も行くのか?」
「ああ」
軽く目を見開いた友人に、明が頬をかきながら答える。
「ふーん……じゃ、俺もついていこ。みんな、悪いな」
「え、あ!?」
真っ先に気づいたのだろう。心が悔しそうに歯噛みする。
しかし、気づいたときにはもう遅い。
わざわざの誘いも、それを断らせたのも、すべてあやめの策だったのだ。
――計算どおり!
愛読している漫画のキャラクターの心境で、あやめは口の端を曲げる。
数秒後、教室中に怒号が飛び交った。
「……いや、手伝うと言った手前、まあいいんだけど。あやめって実は相当腹黒いな」
「ふっ。手練手管と権謀術数とやおいは女の必修項目ですわ」
友人に聞こえぬよう、小声でぼやいてきた明に対し、あやめは笑顔とともに、やはり小声で返す。
「いや、あきらかに余計なもの混じってるだろう、それ」
「……やおいは女の必修項目ですわ!」
「残っちゃいけないものだけ残っちゃった!?」
あやめの主張に明がノリよく突っ込んだ。
「……お前ら、よくわからんが楽しそうだな」
すこし拗ねたように、友人はため息を落とした。
◆
昼食は、あやめにとって目に楽しいものだった。
どこまでも中性的で、ミステリアスな魅力を持つ更科明と、あまたの女を袖にして“彼”を選んだ萩原友人|(あやめフィルター越し)。
BL趣味を持つあやめ的には鼻血があふれそうな光景だ。
――ああ、このまま時が止まってしまえばいいのに。
などと、ほこほこ顔である。
「それにしてもさ」
ゆったりとした食事を終え、友人がふと、口を開いた。
「なんであやめ、妙全寺のフリしてんだ?」
その言葉に。
明は苦笑し、あやめは息を呑む。
「気づいていたのか」
「……お前な、俺はそこまで鈍くない」
「どうだか」
友人に半眼を向けられ、明が肩をすくめた。
あやめはまだ言葉が出ない。
萩原友人の鈍感さは、絶滅した巨大爬虫類をも凌ぐと確信していたから、なおさらである。
「まさか、ゆうくんに気づかれるとは。わたくしの演技、それほど下手でした?」
「いや、さすがにしばらくは騙されたけど……そんな妄想全開の妙全寺があるかよ」
「……まあ、それもそうですわね」
少し調子に乗り過ぎていたようだ。
そのあたりはあやめも、認めるしかなかった。
「だいたいだな、妙全寺は目的のために明を利用したりなんかしない」
「……そうですわね。意地っ張りというか、見栄だけで生きてるような方ですから。思いつけないといったほうが正しい気もいたしますけど」
「ま、そこが妙全寺のいいとこなんだけどな」
「ええ。プライドのない妙さんなど、もはや妙さんではありませんわ。やおいのないわたしがそうであるように……」
「いいこと言ったつもりだろうが、比喩のおかげで台無しになってるぞ」
妙に冷たい友人の視線をはねかえすように、あやめは胸を張る。
「それがわたしです」
「かっこいい!?」
「騙されてるぞ友人」
思わずぐらついた友人に、明が冷たく突っ込んだ。
いい関係である。
それにしても。あやめは思う。
それだけ妙全寺妙を識っていて、なぜ、萩原友人は彼女の好意に気づけないのか。
一度尋ねてみたい気もするが。
そんなヤツだからこそ友人なのだし、あやめが妙の好意を教えてやるのは、フェアではない。
だからまあ、あやめが妙のためにしてやれることは、ひとつだけだった。
◆
「ただいま帰りましたわよ。たえさん」
「あやめさんっ!」
帰宅し、部屋に入るや否や、ベッドから飛び起きてきた双子の姉に、あやめはたじろいだ。
「首尾はいかがでした? あの女どもの手に萩原さまが落ちたなどということは」
「えー、というか」
「というか?」
「いま、わたしの後ろにいるのは、いったい誰だと思います?」
あやめは視線で背後を示した。
妙の怪訝な表情が、驚愕に変わる。
「よ」
あやめの後ろから顔を出したのは、萩原友人だった。
ちなみに。妙の格好は、いまだに寝間着である。
妙の悲鳴が屋敷にこだました。
「はははははは萩原さま!? どうしてこちらに? っと言うか服! 化粧! 橘さぁんっ!!」
「お、おい、無理すんなよ」
「……とりあえず、出ましょう。ゆうくん」
女の義理として、あやめは友人を部屋から連れ出した。
ふたりと入れ替わるようにして、使用人の橘が部屋に入っていった。
すれ違いざまに、なぜか凄絶な殺気を友人に叩きつけていったのだが、友人はまるで気づいていないようだ。さすがの鈍感力である。
「……来ないほうがよかったか?」
「そんなことありませんわ」
ぼけたことを言い出した友人に、あやめは苦笑まじりに答える。
「――きっとたえさんの風邪も、いまので吹き飛びましたわ」
はて、と、友人が首をひねった。
「んー。あやめは妙全寺のこと、よく分かってるな」
「それは――まあ、双子ですので」
「その格好してたら、双子だってよく分かるんだがなあ」
「……なにやら普段のわたしの装いに、不満があるようなもの言いですわね?」
「い、いや、なにもない」
これ以上はやぶへびだと気づいたのだろう、友人はあわてた様子で、自ら口をふさいだ。賢明な判断と言えた。
そうこうしているうちに、妙全寺妙が扉を開けて飛び出てきた。
風邪の名残などみじんもない、キラキラの完全武装だ。
「――お待たせいたしましたわ萩原さま! さあ、お茶などご一緒に!!」
「お、おい!?」
やけに元気な妙に引っ張られ、友人はつんのめるように部屋に入っていった。
「……みっしょんこんぷりーと、ですわ」
閉じられた扉に笑顔を向けて、あやめはその場を後にした。
鼻歌を歌いながら自室に足を向けるあやめの様子に、たとえば更科明なら、一抹の寂しさを読み取ったかもしれない。
「……なんでいつも、同じものを気に入っちゃうんでしょうねぇ」
双子の姉の部屋に、ちらと視線をやりながら。
すこしだけさみしげに、あやめはつぶやいた。
“取り合いになれば、さき出し優先”
双子のルールは、あらゆるものに適用されるのだ。