私を殺した王子を、今度は守ることにしました
王都タファリアは春だった。
花が咲き乱れ、そよ風まで花の匂いがする。
一週間前、私——ランスロッド侯爵家のイデアは、第一王子サンティス殿下の婚約者に抜擢されたのだ。
美しく花が咲き誇る庭園を見ながら、静かに顔合わせが執り行われた。
『あとは二人で』と席を外される。
そんなことを言われたって、一体何を話していいのかわからない。
ちらりと目の前の殿下を見る。
黒髪に、黄金の瞳。
人形のように整った顔立ち。
あまりの美しさに、顔から火が出る思いで私は俯く。
「君は……」
声変わりしていない幼い少年の声に、導かれるように私は目線を上げた。
「嫌じゃないのか」
何が?
黄金の瞳を見つめ、尋ねようとしたとき——視界に閃光が走った。
あまりに強い無数の光。
火花だろうか。
そして、激しく回転する視界と共に、ものすごい速さで景色が変わっては消えていった。
裸足で断頭台へ向かう床の冷たさ。
喉はからからに干上がり、乾いた口の中から鉄の味がする。
縛られた両手首に綱が食い込み、猛烈に痛い。
急に生々しく五感に記憶が訴えてくる。
感情のこもらない声で読み上げられた『罪名、聖女殺害を企てた、国家反逆罪』という言葉。
乱暴に跪かせられ、髪を切られた感触。
そして、夫である王太子サンティスとの最後のやり取りの場面に景色は飛んでいく。
何故だろう。私は泣いている。
『殿下は、聖女フィラを愛していらっしゃるのでしょう? 一緒に黒魔導師の討伐に行かれて、惹かれあったのでしょう?』
『……』
『わたくしの名前を呼んでくださったこともないのに、フィラ、フィラって……! 彼女はわたくしの学友ですのよ!? ひどすぎますわ! そんなに嫌ならわたくしなど廃妃にでもすれば良いじゃありませんか!』
『それだけか』
『殿下……?』
『言いたいことは、それだけか』
冷えた黄金の瞳が、私の心臓を凍らせた。
『誰かいないか! 王太子妃を連れて行け』
『殿下……』
サンティス殿下は、私を見下ろす。
『魔女のような女だな』
その声だけが、耳の奥にこびりついていた。
溺れてから水から顔を出したような声を喉の奥から出した私は、そのまま床に倒れ、胃の中のものを全て吐瀉した。
令嬢にあるまじきことだった。
ハンカチに戻して、見えないようにすべきだ。
しかし、そんなことは構っていられなかった。
走馬灯のように、いや、走馬灯なんてものではない。
激しい電気信号のような衝撃と共に垣間見たのは——この結婚の行く末だった。
なんとなしに右の掌を見やると、真ん中に五芒星の焼き跡があった。
処刑する罪人に付ける印である。
首を切った跡、身元を判断するためのもの。
これは予言ではない。
私は一度死に、二度目の人生を送っているということだろうか。
「大丈夫か!?」
先ほどまで見ていたサンティス殿下よりも幼い彼が、慌てて席を立ち、膝をついた。
ああ、お召し物が私の吐瀉物で汚れてしまう。
そう思って目を上げると、美しい黄金の瞳と目が合った。
『魔女のような女だな』
耳の奥にこびりついた言葉が、大人の彼の声で再生された。
冷たい指で撫でられたかのように、ぞわりと背筋が冷え、全身の皮膚が泡立つ。
「きぃやぁぁぁぁぁぁあぁあぁあぁ!!!」
私は金切り声を上げると、凄まじい速さで後ずさった。
「わっ、わかりました! お嫌なんですね!? わたくしことがお嫌いなんですよね? ねっ!?」
あまりの剣幕に、殿下は引いている。
それはそうだろう。
イデア・ランスロッドは、自分で言うのもなんだが社交界の鑑と言われている。
叩き込まれたマナー、十歳なのに王国史を隅々まで覚え、母国語である帝国語と外国語も少々使える。
何より、年齢の割に落ち着いていて感情をあまり表に出さないところが評価されていた。
そんな令嬢の豹変ぶり。
殿下は聞いた話と違う、と言わんばかりの表情をその美しい顔面に浮かべている。
だが、どんなに引かれても構わない。
命の話をしているのよ。
「やめておきましょう! まだお互い若いですし! 若いっていうか、子どもですものねっ!? だから、殺さないでくださいっっ!」
口元に吐瀉物を付けたまま、私は綺麗に床に額をつけて土下座した。
「殺す? 私が?」
「はいっ!」
「君を?」
「はいっ!」
「なぜ?」
「国家反逆罪だそうです!」
私は石床に額をめりこませたまま、全身をがたがた震わせてできるだけ大きな声で答えた。
「君は何を言っているんだ。大丈夫か」
「今見えたんですっ! 前世が!」
話しながら、だんだん頭が冷えてきた。
そうだ。頭がおかしくなったことにしよう。
「殿下とこのまま婚約して、結婚してしまいますと、殿下もわたくしも不幸になります! これは運命の輪に導かれた悲劇の始まりなのです! 何者かの陰謀かも知れませんし、世界樹のバランスが乱れてしまったとかそういうものかも知れませんっ!」
できるだけ頭がおかしく見えるように、金切り声で、石床にガンガンと額を打ちつけながら捲し立てる。
「ですので!」
額が血を流し、私は勢いよく顔を上げる。
人形のように美しい顔が、呆然と私を見つめていた。
「婚約破棄をお願い申し上げますっ!」
そう言って、最後に勢いよく石床に額を打ちつけた。
「代わりに忠誠を誓います! わたくし、殿下の盾となります!」
私が見た前世の記憶では、サンティス殿下は黒魔導師討伐を果たした英雄だった。
聖女フィラと騎士たちを連れて凱旋後、私と彼は結婚する。
しかし無垢なフィラは、冷酷で孤独なサンティス殿下にぐいぐいと心の距離を詰めまくり、見事寵愛を勝ち取る。
こともあろうに、彼女は私の学友だった。
私はと言えば、婚約して結婚するまでに何年も時間があったのに、ほとんど会う機会もなく、たまに会ってもなにひとつ会話は弾むことなく、名前すらまともに呼ばれず、指一本も触れられることなく処刑された。
嫉妬に狂った哀れな女。
虚しい。
虚しすぎる。
こんな人生いやだわ。
他人軸で生きていくなんて、まっぴらごめんですわ。
令嬢の癖に、私は魔力が高い。
魔力が高くても、貴族の娘は白魔導を嗜み程度に学んで、結婚後夫に尽くす、というのがこの国の常識だった。
「夫に殺される運命なら、結婚せずに自分の力で生きていきますわ……!」
ドレスを持ち上げて脱兎の如く王宮を駆け抜けていた私は、決意を口にした。
馬車を飛ばさせてランスロッド侯爵家に着くやいなや、私はお父様のところへ一目散に向かう。
「お父様……! お願いが! ございます!」
書斎にいた父は、目を丸くして私を迎えた。
「イデア……どうした」
王太子とお茶をしているはずの娘が、口元に吐瀉物を付け、額から血を流し、肩で息をしながら現れれば驚くのも無理はない。
「具合が悪いのか?」
駆け寄る父の手が私に届く寸前のところで素早く再び土下座を決めた。
「わたくし、魔導士になりたいのです!」
父からの返答が来る前に、私は次の句を紡ぐ。
「それから、わたくしに剣を教えてください! お兄様のように!」
「イ……イデア?」
狼狽する父の手が、ようやく私の肩を掴んだ。
私は素早く顔を上げる。
「殿下は素敵な方でしたが、私はランスロッド侯爵家の一員として、殿下をお守りするとお約束をしましたの」
勢いでそんなようなことを口走ったような気がした。
真剣な表情を作って私は続ける。
こちらは必死だ。何せ命の話をしているのよ。
「えっ……と、それはどういう……?」
「婚約は破棄いたしました!」
父の青い瞳が揺れる。
「は……?」
「代わりに、一生守り抜くとお約束したのです!」
「勝手に?」
「はいっ!」
私は父の手を強く握った。
「ですので! 剣を教えていただき、アカデミーのわたくしの学科を白魔導士課から魔導士課へ変更も何卒!」
「お願い事ぬるっと増えてない!? 待て、すぐに王宮に行かなくては!」
青白い顔をし、父は私を置いて書斎を出て行った。
◇
「大変だったんだぞ、あのあと」
「申し訳ございません」
父がうまく言ってくれたおかげで、婚約は一旦保留ということで落ち着いた。
殿下だって、あんなに頭のおかしい令嬢を娶るのは嫌だなと思ったに違いない。だいぶ引いていたもの。
聖女となるフィラ嬢と仲良くよろしくやっていただき、然るべき時に私の婚約を破棄してくれればそれで良いです。めでたしめでたし。
考えを巡らせていた瞬間、カン、と高く乾いた音が鳴り響き、私の手の中にあった木刀が吹っ飛んだ。
「よそ見とは良い度胸だね」
「申し訳ございません!」
私は慌てて木刀を拾って、構えた。
初日は素振りをしただけなのに、掌の皮は破け、血まみれになった。このまま皮が剥けまくって処刑の焼印も消えてくれればいいのに。
「腕だけを使うのではなく、体重を利き足に移動させるんだ」
「こう?」
「腕の振りと体重移動がずれてるだろう。これだと強く打てない」
「……難しい」
私の言葉に、父は苦笑いした。
「だからやめておけばいいと言ったじゃないか」
剣を習ったことがある魔導士は少ない。
故に体力も少ない者が多い。みな、魔力を過信しているのだ。
「踏み込みや体重移動が苦手だったみたいですわ」
魔導を手に纏わせ、手刀のように攻撃する術がある。
剣術は、対人戦で役に立つに違いない。
「あまり生き急ぐなよ、イデア」
◇
「どこかで会ったことがないか」
アカデミー入学直後、鼻にかかった響きの良い声音に呼び止められる。
振り向くと、そこには元婚約者である王太子殿下の麗しいお姿があった。
最後に会ったときから二年経って、背がかなり高くなっていた。
「……ひっ!」
断頭台の記憶がフラッシュバックし、私は息を呑んで後ずさる。その顔で、私のことを思い出したらしい。
「ああ……あのときの頭のおかしい令嬢か……」
待って、前世でこんなやり取りしたかしら。
剣術学科の殿下と、アカデミーで言葉を交わしたことなどなかったはずだ。
「ランスロッド侯爵家の……イデア嬢、だったか?」
ーー名前…!
ばくんと心臓が跳ねた。
名前など、呼ばれた記憶がなかったからだ。
返事をしようとするが、声が出てこなかった。
一言「そうだ」と言うだけなのに、それが出てこない。
視線を落とし、私は黙って頷く。
「随分おとなしいな」
「イデア……ランスロッドと申します。その節は、ご無礼を御許しくださいませ」
やっとの思いでそれだけ言うと、私は魔導士の礼を送り、さっさと立ち去ることを試みる。
サンティスはそれを見て、小さく首を傾げる。
「魔導士学科……」
制服の上に羽織った黒のローブを、殿下はしげしげと眺める。
「私の盾となると言ったのは、戯言ではなかったのだな」
青い瞳と黄金の瞳が互いの姿を結んだ。
「……はい。本気です」
「魔導士学科のくせに剣術大会に出場しているのは何故だ」
「思いついて、やれること、全部やっておきたかったんです。後悔しないように」
言ってから、変なことを口にしたことに気付いた。私は少しだけ顔をしかめる。
「まるで、死ぬ間際の人間のように切実なことを言うのだな」
真面目な顔で、殿下は言う。
嫌味を言うつもりも、馬鹿にしたつもりもないであろう、素直な声音だった。
その言葉に心臓を射抜かれるような衝撃を受けた。
「……どうした」
問われ、私は目を瞬く。
「何が、でございますか」
「なぜそんな顔をする」
どんな顔をしているのか分からないが、心臓がきりきりと痛んで苦しい。
「どうか、忘れてください」
私は踵を返し、また逃げるように走り出した。
◇
こめかみから赤い鮮血がばたばたと落ちて、髪を汚し、やがて乾いた闘技場の床を濡らした。
それを見た瞬間、負けたのだと理解した。
「戦闘不能!勝者、サンティス殿下!」
うら若き乙女たちの、黄色い歓声が上がった。
顔を上げると、驚いて目を見張る黄金の瞳と目が合った。
次の瞬間——また白い閃光が迸る。
景色が変わっていく。
大人になった殿下が、ちっぽけな墓の前に座っているのが見えた。
『イデア・アシル・ジオラルド』
一年しか使わなかった名前が刻まれている。
「……もっと、君と話しておけばよかった」
子どもに話しかけるような優しい声で、静かに殿下は呟き、簡素な石の墓を人差し指の腹で撫でた。
「俺も君も、言葉が足りなかった。互いを知ろうとしなかった」
どくりと心臓が弾む。
「君を処刑するつもりはなかった。……止めようとしたんだ。だが、間に合わなかった」
止めようとした? ……嘘。
「絶望的だっただろう」
私の最期の瞬間を想像したのか、サンティスの整った顔が歪んだ。
「もう一度会えたなら……今度は君の話しを聞かせてほしい」
ずるり。
背後から不気味な気配を感じたのか、殿下は反射的に体を捻り振り返る。
地面から現れたものは見えない。
『それ』がぱちりと指を鳴らすと、殿下は口から血を流して倒れた。
「嫌……」
水の中にいるかのように、息がうまく吸えない。
「やめて……」
苦しい。
「……返してよ」
息が苦しい。
「返して!!!」
金切り声で叫んだ私は、目の前のものを両手で掴んだ。
それが誰かの手であると気づき、私はその手を見つめる。
細くて長い指の先に、芸術的に整った形の爪が並んでいる。女の子の手かと思いきや、手のひらの皮は厚く硬い。
剣を握る人の手だ。
「……おい」
近い距離で殿下の声がして、私の心臓は暴れた。
「殿下!?」
黄金の瞳を見た瞬間、私の目から涙が溢れた。
「生きてる!」
手を握る力が強くなる。
「生きてるぅぅぅぅ!」
泣きじゃくる私に、殿下は形の良い眉をひそめて、心底理解ができないと言わんばかりの顔をした。
「……君は、やはり情緒がおかしい。病か何かじゃないのか」
どうやら、救護室か何かに運ばれたらしい。
剣術大会で殿下と戦った私は、あと一歩のところで殿下の一撃を喰らって失神したようだ。
それにしても、今回見えた光景は……私が処刑された後起きたことのように思えた。
簡素な石の墓。
そこに座る殿下。
彼が漏らしたのは……後悔の言葉だった。
——間に合わなかった。
殿下は、私を処刑したのではなかったということ?
「手を離してくれ」
殿下の手を力一杯握りしめたまま、もの思いに耽っていた私はすこし考える。
「……なぜですか」
質問が返ってくるとは思わなかったのだろう。
殿下はすこし目を見張り、数瞬固まった。
「これは私の手だ」
「……それはそうでしょう」
「なぜ離さない」
「気持ちを落ち着けるために貸していただけませんか」
殿下はため息を吐いた。
「剣は誰に習った」
「え……と、父です」
「その手、令嬢のものとは思えない。決勝まで勝ち進んで来ただけはある」
そう言って、ふと殿下の口元が緩んだ。
——笑った。
あの殿下が。
笑うところを、初めて見た。
「剣に魔力を注ぐ戦い方も、ランスロッド侯爵に習ったのなら納得だ」
剣のことなら、割と流暢に話せるんですね。
そんなことを思っていると、殿下はすこし目を伏せた。
「君は……私が怖いんじゃないのか」
「怖いです」
「私が君を殺したから?」
「……」
そう……そう思っていた。
殿下はあのあと何をしたのだろう。
聖女と何があったのだろう。
言葉が足りなかった。
彼の言う通りかも知れない。私と殿下は、互いに自分の胸の内を明かさずに、自分の役割を果たすことに必死だった。
紅茶、食材、味付け、衣装の素材、装飾、調度品、あらゆるものに渡り、私は彼の好みを把握し、指示していた。
それだけで、彼を知った気になっていた。
殿下は、本当に私が思っていたような人だったのだろうか。
でも、そのことを聞ける殿下はもういない。
私が殺されたあとに、彼は殺された。
それが本当ならば……受け入れ難い。
「殿下……」
私は殿下の手を握ったまま、自分の頬を寄せた。
そして、真っ直ぐ黄金の瞳を見つめる。
「わたくしが、必ず殿下の盾になりますから」




