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第五話『アイツがコイツでソイツがアレで』




 ちはやさんの住居にあるオフィスルームは無駄に広く、俺一人なら確実に寂寥感を覚えるだろう。


 しかし今はそんな感傷的な空気は微塵もなく、騒々しいほど賑やかだった。


 

 もっとも、場の空気を支配するほどはしゃいでいるのは、ほぼ俺一人なんだが……。



「つまり、つまりね? ぶいけんっの復帰配信をやるなら、わたしの“ライトニング・ボルト”を披露したら盛り上がると思うんだけど!?」


「……なにそれ?」


「漫画の必殺技。いわゆる光速拳。渾身の右ストレート」


「そう。それなら実際にやったらダメね」


「なんで? 著作権の問題?」


「いや、あのですね……大気圏内を光速の物質が通過する場合、ゴルフボール程度の大きさでも進行方向に凄まじい圧力が掛かって高温になり、水素を燃料とした核融合が始まると言われていますから、実際にやったら大惨事では済みませんよ」


「えっ? でも核融合反応そのものも光速で押し出されるワケだから、周囲に拡散する前に月と激突すると思うんだけど!?」


「なんでこういう時だけ無駄に鋭いんですか──って、まさかちはやさん?」


「うん。実際にやったら綺麗なビームが月に激突して、クレーターが一個増えた」


「「なにやってんだこの馬鹿っ!!」」



 いや、すまない。本当にすまない。


 自分でも何を言ってんだと思うが、俺の中のちはやさんがそう駆り立てるんだ。


 きっちり代弁しないとちはやさんが荒ぶるから、仕方ないよね?



 ……とりあえず状況を整理したい。


 オリンピック関係のゴタゴタで、大変な迷惑を被ったと思しき友人たちは、諸悪の元凶であるちはやさんをとっちめる目的で押しかけて来たらしいが……今はグッと堪えて、ぶいけんっの次の配信内容をどうするか話し合ってる。



 …………ちなみにこれまた申し訳ないが。


 俺の口からこの“ぶいけんっ”とやらについては、まったく説明できない。


 なぜなら”ちはやさん”も全容を把握していないからだ。



 ……………………なぁ、信じれらるか?


 こんなんでも昨年の全国模試3位だってよ。


 自分で作ったサークルの趣旨すら忘れる天才とか理不尽すぎる!!



 まぁ、その、なんだ……。


 そんな切実な背景があるから、俺自身も友人達との会話の節々からそれを拾って、ちはやさんの代わりに憶えにゃならない。



 もちろん「ところでぶいけんってなんだっけ」って口にする勇気はないから、かなり根気のいる作業だ。


 俺もちはやさんに振り回されていい加減疲弊してるが、油断せずに行こう……。



「わかった。それじゃあ次回は猫配信にしようよ。パムさんとポムさんも連れてきてみんなでモフるの」


「まぁ、先ほどの案よりマシですが……ちはやさん、本気でVTuberになる気あります?」


「ないわよ。もう完全に目先の目的変わってるし」


「あるもん! 今度こそVTuberになって、あの事務所にスカウトしてもらうんだから!!」


「ちょっと悠二、そのチョコレートケーキに手を出さないて頂戴。私のよ」


「知るかよ。そんなに所有権を主張すんなら、名前くらい書いとけ馬鹿姉貴が」


「ちょっと、ゆー君と玲ちゃんも聞いてよ! わたしの人生が懸ってるんだよ!?」


「あんたの人生を心配するほど無駄なことはない」


「同感です」


「ひどくないっ!?」



 しかし、こいつら……なんか好きだな。


 自然と飛び出す憎まれ口に、年齢相応の笑顔。


 こういうのを見ていると、彼らの配信が人気を博しているのもわかる。


 そして、それ以上に、ちはやさんって愛されてるんだなって……。



「とりあえず僕らが集められたのはその為ですから、ちはやさんが柔道家からVTuberへの転身を図るのは構いません。僕もこれまでどおり全力でプロデュースします。……しかし、本当に構わないんですか?」


「構わないって、何が?」


「だから柔道ですよ。オリンピックの完全制覇という栄冠まで手にしたのに、本当に辞めてしまっていいものなんでしょうかね?」


「別にいいんじゃない? ここらでスッパリ縁を切っても……」


「おい、あかね。それってお前の私怨100%だろ」


「ちがうわよ。そもそもこの子が柔道を始めたのも、スカウトしたマサさんが披露した隅落としを気に入っただけだし」


「ああ、ちー(・・)必殺の空気投げか」


「そうそう。自分の力を持て余してるちーには新鮮だったらしくてね、もともと柔道にそこまで思い入れがないのよ。なんせ去年の全国大会が終わったら、みんなと優勝したしもういいかなって言ってたぐらいだしね」


「でもそうはなりませんでしたよね? 顧問の近藤先生が引き留めたのでしょうか?」


「ちがうちがう。マサさんもこいつは学生柔道界で暴れさせていい生き物じゃないってすぐ気付いたし、ちーの引退に乗り気だった。それが引退を先延ばしにしてオリンピックに出るハメになったのは汚い大人の策略。うちの優勝取り消しを盾にちーを手篭めにしようとしたのが原因なんだから」



 手篭めというパワーワードに俺が鼻からコーラを吹き出し、玲ちゃんとゆー君も盛大にむせ返った。



「汚いなぁ。……はい、ハンカチ」


「ありがとう──じゃなくって、そんなことあったっけ?」


「あったわよ。ほら、うちの優勝取り消しを正式に通告するとかで、校長室で偉そうに武人の心得だとかを語った……」


「──ああっ!!」



 憶えてた! 憶えてたよちはやさん!!


 なんかケンカを売られたと解釈して、優しく寝かしつけてやった件を──。



「……それは穏やかじゃありませんね」


「で、そいつは俺たちのちーに何をしてくれやがったって……?」


「私も気になるわね。あかねさん、詳しく聞かせてくださる?」


「あ、あたしに怒んないでよ!!」



 こめかめにクッキリ浮かぶ二度目の青筋。


 不幸にも問い詰められたあーちゃんが語る。



「まぁ、要するにね」


「柔道界の偉い人たちが、ちーを自分たちの団体に入れたかったの」


「でもちーは興味なかった」


「だから部の優勝取り消しをちらつかせて脅した」



 ……なるほど、それは穏やかではない。


 そんな話を聞かされた子供たちは汚い大人にますます憤るが、ここで新情報がある。



「でもあれ? なんか嫌がらせしにきた人たちは、残らず返り討ちにしたような気がするんだけど?」


「そうなの。だからそんなにカリカリしなくて大丈夫よ。もう終わった話だし」



 そうなのである。


 そして、その結果がこれだ。



「──つまりだな。君たちの準決勝の試合に敢闘精神の欠如が見られた。よって君たちは優勝校に相応しくない。そういう結論になった」



 この暴挙を阻止できなかったことに恐縮する関係者たち。


 困惑する校長。静かに憤る顧問とあーちゃんを横目に、穿ったハナクソを丸めるちはやさん。



「だが、君たちの気持ちもわかる。突然の優勝取り消しはさぞかし堪えたことだろう。だから今回は我々の団体に所属して、我々の教導を受けることでこの措置を免除してやることにした。……光栄に思ってくれよ? 聞けば君たちの顧問は柔術家崩れだそうじゃないか。そんな半端者の代わりに、真の武人である我々が君たちを──」



 そのときベシッというとても痛快な音が校長室に響き渡った。


 校長は変わらず困惑しているが、顧問とあーちゃんは笑っている。


 他の理事たちも失笑した。



「真の武人なのにハナクソも躱わせないんですね」



 そんな犯人の挑発にその人物は激昂した。


 ただちにテーブルを蹴り飛ばして掴みかかろうとするが、その動きは無情にも阻止されてしまった。



 ちはやさんのやったことは実に単純だ。


 お茶をひっくり返されたら困るからテーブルに片足を乗せただけ。


 それだけで、そのテーブルの重さは無限大になった。



 右脛を強かに打ち付けて、その人物が悶絶する。


 崩れる巨体。それが覆い被さるよりも迅速に、葛葉ちはや必殺の空気投げが炸裂した。


 泡を吹いて大の字になる巨漢に目をくれることもなく、やり遂げたちはやさんは微塵も動かずに笑った。



「さて、お邪魔虫もいなくなったことだし、そろそろお話を聞かせてもらいましょうか」



 ──こうしてちはやさんは代表入りすることになったが、とんだ恥を搔かかされた男は彼女の悪評を広めたのであった。


 これにより、警視庁に所属するごく数人の選手を除いて、ちはやさんのイメージは最悪を極めた。



 その後の合宿初日。


 悪評を真に受けた代表候補たちは、ちはやを歓迎しなかった。



 結果──二秒後には五人だけになっていた。



「なんか代表選手が5人になっちゃったけど頑張ろうね! 大丈夫、頑張れば金メダルを残らず持ち帰れるよ」



 呆気に取られるお巡りさんたちと、泣き崩れる女子たちの前で、華麗なる金メダル総取り宣言。


 この宣言は有言実行され、それをもってちはやさんの中では柔道界から引退……というか、これ以上関わりたくないという認識らしい。



「──なるほど、そういった事情でしたか」



 それらの新事実が腑に落ちたのだろう。


 まとめ役のみっちゃんが納得の笑みを浮かべる。


 玲ちゃんとゆー君も同様だ。



「もっともそういう事でしたら、もっと早くに相談してほしかったですがね」


「や、それはごめん。あたしもあの頃は情緒がおかしかったし、結果としてうちの柔道部を守ってくれたちーをやらかしたように言うのもね」


「気にすんな。ちーとお前、どっちも悪くねえんだ。そこはどっしり構えとけ」


「ええ、悪いのは近藤先生以外の大人たちね」



 うんうん、本当に素敵な子供たちだ。


 ちはやさんも話が自分のやらかしを弁護する流れになったのが嬉しいのか、今ではもの凄ぉ〜〜〜〜く満ち足りた様子でまったりしておられる。


 ……もう君たちウチの子にならない?



「少し誤解があるようですが、僕もちはやさんたちを責める立場にはありません。むしろ、次の配信内容を決める前に今の話を聞けて良かったと思っていますよ」


「だよなぁ……ぶっちゃけちーの復帰配信は、こいつの代わりに俺らが謝るしかねえと思ったからさ」


「ええ、ぶいけんっのブランドイメージのためにもね」


「僕もそうするつもりでしたが、今の話を聞いてしまうとね。ここはもう、JOCとは貸し借りなし。今後一切関わらないし、何か言われる筋合いもないという態度でいきましょう」



 話の流れが掴めないちはやさん以外全員が頷く。


 もちろんこの俺も心底同意して首を何度も縦に振ったわ。



 俺もドタキャンやバックレは良くないと思うが、なんと言ってもちはやさんは未成年の中学生である。


 大人の思惑で利用するなんて許せることではないし、それぐらい強い態度で臨まないと汚い縁も切れないだろう。



 ……いやホント、なんというか安心した。


 ちはやさんからどんな黒歴史(やらかし)が出てくるかと思ったら、意外とマトモというか、かなりスジの通った内容で。



 今回の件で、ちはやさんの評価に少しだけ修正を加える。


 小さな怪獣。


 天然のトラブルメーカー。


 猫より気まぐれ。


 細かいことを気にしなさすぎて逆に怖い。


 そこに、でも仲間思いでヒトとして間違ったことはしない、と書き込もう。



 俺は少しだけ、ちはやさんに対する苦手意識がなくなってきた──。




◇◆◇




 ちはやの書斎に入ったときから、嫌な予感はあった。


 正確には「嫌な予感」という表現は適切ではない。


 これは既知の事象だ。


 ただし──ここで再現されていること自体が、想定外だった。


 メイド長が封を開く。


 主人である葛葉ちはやが床に放り投げた鞄。


 その中に紛れ込んでいた不審な封筒。


 その中身を検める。


 数秒。


 その間に必要な解析は終わっていた。



(汎人類評議会の名義)


(ただし現行プロトコルとは一致しない)


(……旧式)



 問題はそこではない。


 問題は、これが“この時代に存在している”という点だった。



「……なるほど」



 声に出したのは確認のためではない。


 抑制のためだ。


 この場で共有すべきではない。


 そう判断するまでに、時間はかからなかった。


 封筒を閉じる。


 丁寧に、過剰なほど慎重に。


 まるで触れてはいけないものを扱うように。



(これは外部に漏らしていい情報ではない)


(今の状態では、まだ)



 メイド長は立ち上がる。


 そして封筒を元の鞄へ戻す。


 何事もなかったように。


 いや、何事もなかったように“見せる”ように。


 それでも──。



「道理で私が派遣される筈です」



 そのひと言が漏れ出した。


 不満ではない。


 警戒でもない。


 むしろ、その顔は。



「あら、サーニャったらどうしたの?」


「仕事中に無駄口は感心しませんね、エミリア」


「時間を見なさい。今は休憩中よ」



 ……間が悪い。


 そして、相性も良くない。


 人間としての余裕で負けている。



「それで、聞かせてくれるんでしょうね?」


「何をです」


「どうしてそんな嬉しそうな顔をしているのかを、よ」



 そんな顔をしているとは思わなかった。


 

「いえ」



 即答。



「特にどうとは」



 嘘ではない。


 ただ、真実を省いただけだ。



「少し、懐かしい物を見つけただけです」


「ふーん? ところで言伝を預かってるから、伝えるわね」


「ちはやから、ですか?」


「ううん、ぶいけんっの部長さん」


「内容は?」


「今から配信をするから、ちはやにしてはいけないコトを言い聞かせてくれって」


「またですか」


「またよ。それじゃ、確かに伝えたからね」



 興味を失うのが早い。


 それでいい、とメイド長は思う。



(今はまだ、知らない方がいい)



 この“転生”という単語が意味するものを。


 この世界における“例外処理”が何を指すのかを。


 そして何より──



(この件に、私が直接関与してはならない)



 それは命令ではない。


 構造だ。


 彼女の存在理由そのものに刻まれた制約だった。





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