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第7話

 今夜、ロケット工場で行われるのは、メインエンジンの運転試験。時間が限られている中での開発であり、この結果により実現可能性が大きく左右されるものとなる。

 地下8階とはいえ、振動や騒音などを考えると、2か月後の花火大会に重ねたかったところ。しかし時間の関係上、このタイミングに行うほかなかったのである。


 せわしなく設計業務をこなす秘書の元へ駆け寄ってきたのは、リコーダーを持った1人の若い女性であった。


「いかがでしょうユキさん。こちら200人体制で開発した「機内で使えるリコーダー」です」


 彼女の工場での名は家主。従業員であり、工場の真上に位置する一軒家の持ち主でもある。あまりに広大な工場となったため、カジカジ地下だけでは収まらなかった結果だ。彼女に対して秘書は———


「い、いいわね…」


 当然、強く出ることはできない。

 本来であれば、必要と不必要のはざまにいるその開発に、総員の20パーセントを使うことなど許されない。


 しかし、ここは一応、彼女の敷地。

 お気に障って撤退を命じられても、抵抗できないのである。


「そうですよね! じゃあ今日からは、新たに「吸っても吐いても音が出るリコーダー」の開発を———」

「あ、あのね。その…あんまりリコーダーの開発しすぎるとね、社長が嬉しくなりすぎて虫になっちゃうからさ…今日はガス噴射用ノズルの耐久試験をお願いしたいんだけど…」

「虫って何虫ですか?」


 秘書はやがて、目の前にいる人間が本当に人間なのか、わからなくなってきた。

 家主の肩書は「ウラ801~ウラ999のグループ長」ということになっているわけだが、果たしてこの重要な業務をお願いしていいものか、秘書は不安になっていた。いっそのこと自分が虫になってしまえば楽なのでは、と思うことも、今まで幾度もあった。


 しかし、すべては社長のため。

 社長の最期の瞬間を、青い地球を望む宇宙で迎えてもらうため。

 だから秘書は、家主の乱気流に飲まれるわけにはいかなかった。


「組み立ては終わってるの。ノズルは倉庫12にあるから、真空チャンバにセッティングして燃焼試験の準備をお願いね。ホントはエンジンの試験が終わってからやりたいんだけど、今日からもう疑似的に———」

「あのー」


 右手を控えめにスッと上げ、家主は秘書の言葉をさえぎった。

 次に飛び出した言葉に、秘書は悪寒がした。


「任せてください」




 カジカジのシフトを15分後に控えていた秘書は、一度ロケット工場から離れることにした。作業着から黒い革ジャンに着替えるための時間として、普段からきっちり守っている習慣である。


「ウラ001、ウラ002。少しここ離れるわネ。三時間後に戻ってくるから、30秒の休憩でゆっくり休んでネ」

「おつかれー」

「おつかれした!」


 さすがは、秘書が最も信頼している従業員。やはりその返事には確かなものを感じる。2人はわざわざ帽子を取ってまで、特にウラ002は深々とお辞儀をした。秘書は思わず、右ポケットからキャンディを取り出し、礼代わりに手渡した。


 味は「ぶどう風りんご味」と「りんご風ぶどう味」。

 果たして2人はどちらを取るか。そして平和的解決になるのか。


「じゃあオレは」

「うーん、そうだなぁ」


 彼らはまるで最後の晩餐を決めるかのように、5分間みっちり考え込んだ。これにより、秘書のシフトまで残り10分となった。ましてや彼らの30秒休憩など,とうの昔に終わっている.


 待ちくたびれる秘書。

 とうとう、その両方を自身の口に放り込もうとしたその時———


「こっち」

「これ」


 ウラ001とウラ002は同時に指をさした。

 あと1秒遅かったら、それらは「ぶどう風りんご味+秘書」「りんご風ぶどう味+秘書」になっていただろう。2人は安堵しつつも、少しだけ寂しさを感じていた。

 2本の人差し指が向いていたのは、そのどちらでもない「秘書の左胸ポケット」であった。聖なるふくらみに上乗せされた、明らかに歪なふくらみ。彼らはその正体が「クレクレ史上最高の旨味! 絶品たい焼き」であることを知っていたのである。


 いつも秘書はそれを忍ばせているが、二人を除きここにいる誰もが、その姿を目撃したことはない。


 ではなぜ、彼らはその隠された真実を知っていたのか。

 きっかけは更衣室に侵入したことであった。これ以上は述べないが、2人の持つ野生の本能とは、そんなものである。


 そして、心配だったのだ。気持ち悪いと引かれないか、もうその美しい瞳を自分に向けてもらえなくなるのではないか。それと己の欲とを天秤にかけていたのが、あの5分間だったわけで———


「あら、なんで知ってるの? アンタたち」


 秘書が浮かべた怪訝な表情。

 2人の網膜にもしっかりと映し出され、空白の5分間は無事、無に帰したのである。しかし彼らは、ちょっとやそっとでは倒れない。積み上げてきたキャリアは確固たる大黒柱となる。


「いやいや、オレは透視能力があるわけで、昔それでテレビに出たこともあるわけで…」

「僕だって、思考を読む能力が生まれつき備わってるわけで、昔それでテレビが考えてること当てる遊びしてたわけで…」

「意味わかんない」


 秘書は思わず漏らした。ウラ001が言うこともそうだが、ウラ002は彼の言葉に引っ張られ、さすがに無理がある。

 そこで、と秘書はテストをしてみせた。


「じゃあ、いま私の右胸ポケットに入ってるのを当てて? アンタたちなら見えるし読めるでしょ?」

「いいのか? 胸を透視してしまって…」

「全然いい全然いい。サー早く。出来んでしょ? はいごー、よん、さん、…」


 興奮するウラ001と、明らかに動揺を浮かべるウラ002。もう、後には引けない。

 そして時間もない。頼れるのは己の運だけ。

 秘書がゼロを言う直前、2人は滑り込みで回答を述べた。


「恵方巻」「千歳飴」


 工学にも科学にも精通する秘書でさえ、その技術を認めるほどの2人。

 だが彼らに常識はなかった。

 胸ポケットに恵方巻だの千歳飴だのを収めておく人が、どこにいるというのか。少し考えればわかること———


「…正解」


 これは筆者が悪いのか?

 秘書は胸ポケットから「千歳飴味の恵方巻」と「恵方巻味の千歳飴」を取り出した。食品業界まで幅広く手掛ける「クレクレ」の新商品であるが、国内ではまだ3セットしか売れていない。そのうちの1セットが、神聖なる秘書の胸ポケットにあったわけである。


 こうなると気になるのが、どのようにして2人が見事正解を導き出したかである。実は驚くほどシンプルなタネがあったことを、調子に乗ったウラ001が述べた。


「やっぱりそうだよな! だって昨日、ちゃんと見たもん。更衣室にかかってた作業着をこいつと…あ」


 ウラ001ですら頭を抱えるほど、ウラ002はアホであった。

 もちろん透視能力や心読能力など、彼らは持ち合わせていない。

 少なくとも、今の彼らは。


 秘書は「千歳飴味の恵方巻」の真ん中に「恵方巻味の千歳飴」をぶっ刺し、非常識な握力で粉々にした「ぶどう味のりんご」「りんご味のぶどう」キャンディをまぶし、「これでも食ってろ」と言い残して去っていった。


「ったく何なのよアイツら。せっかくお礼しようとしてたのに。変態なの? 気持ち悪いの? 両方なの…」


 階段をのぼりながら、秘書がブツブツとつぶやいている理由。普段はあまり物事を引きずらないタイプの彼女が、ここまで後を引いている理由。

 それは複雑に絡みあう人間関係にあった。


「特にアイツよ。何なの、最近よく頑張ってくれてるから少し見直したってのに。やっぱ変わんないんだわ、人間の根本ってのは」


 アイツというのはウラ001のことを指し、そして彼は、秘書の元カレであった。

 さかのぼること5年前。3度の激熱デートの末、2人はペアリングに成功した。秘書はウラ001の誠実さに、ウラ001は秘書の高スペックな部分に惹かれたのである。そのため、秘書がここに工場を作ることを決めたとき、ウラ001も協力的になり、めでたく従業員第1号として登録されたのであった。


 当初はロケット工場としての稼働ではなかった。秘書の趣味で軽トラ製造工場を建設したが、社長の秘密を知った瞬間、ロケット工場へ強引に改造。秘書がカネに執着しはじめたのはその頃———社長に最高で最大の「宇宙葬」を提供するためであった。


「そうだ、アイツらは別のロケットで飛ばそ」

「なんの話だ秘書よ」

「ひゃっ⁉」


 階段を上りきり、寝室の床からひょこっと顔を出した秘書。

 鉢合わせてしまったのは、社長。それからモヒカンと眼帯であった。


「な、なんでユキさんここにいるっすか⁉」

「おいどんも気になっど!」


 突然の秘書との遭遇に、2人は状況が呑み込めていない。それもそのはず、カジカジのマネージャー兼秘書がなぜか、隣家の床から登場してきたのだから。


「な、なにさその語尾…って社長、なんでここいんのよ!」


 対して社長は冷静だった。秘書の秘密を知っているため、状況をすぐに理解した。

 しかし社長の性格である。少し泳がせることにした。


「それはこちらのセリフだ。ましてや床下から登場なんて」

「わ、私はその…点検よ、点検! あー、やっぱこの家の浄化槽汚かったワ~」


 苦しまぎれの秘書。

 更衣室で着替えてきたばかりの現在の服装は、いつもの黒ジャケットである。


「はぁ…浄化槽は普通、家の外だ。それに、作業着はどうした」

「これが私の作業着~…なんちゃって」

「はっはぁ。ユキどんの作業着、まっこと様になっちょる! おいどん、ほれちょったでごわす!」

「だからなによその語尾…っていうか全部! どこのなによ!」

「くみゅんでごわすよ、薩摩焼酎!」

「薩摩…焼酎って、ねぇ…」


 秘書は発すべき言葉を失った。

 思考は「社長に見つかってしまったときの対処法」から「モヒカンと眼帯がこの場にいる現状理解」を経由し、現在は「眼帯の謎の言葉遣い」をぐるぐる回っている。

比較的爽やかな性格で、何気に面白い印象の彼が、どうしてこのような武士っ気あふれる言動をするようになったのか。もはや左目を隠す黒い眼帯も、そのためのツールにすら見えてくる。

 しかし社長の次の言葉で、秘書の思考回路はショートした。


「地下8階、だよな」

「…!」


 秘書は悟った。甘くみていたことを。

 社長の洞察力と、それから———

 秘密がバレるという、ショックの大きさ。サプライズ計画がサプライズでなくなったとき、「人を思いがけず喜ばせる」という大きな原動力を失い、モチベーションは後退する。


 今まで秘密裏に進めてきたものは、一体何だったのか。

 宇宙が好きという理由だけで、本当に社長が喜んでくれるものなのか。

 この5年間は、果たして無駄なものだったのか。


「秘書、秘書! 大丈夫か、秘書!」

「ユキさん!」「ユキどん!」


 そしてただいまより、秘書の脳内にいるミニ秘書たちが、ショートした思考回路の修復作業に入る。

 予想される作業時間は、24時間。

 第一段階として、秘書はその場で気を失った。

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