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第5話

 秘書は秘密を知っていた。

 社長の持病のことも、残された短い命のことも。

 それがロケット開発プロジェクトを進めるきっかけであり、休む間もなく働き続ける理由であった。


 午前2時。今夜も稼ぎ時を終えたカジカジの閉店業務を終え、秘書は地下8階へ来ていた。6年前にプロジェクトが始まって以来、1892回目の30秒休憩の真っ最中であった。


「あなた、それ」

「あ、これっすか? 最近のトレンドっすよね、可食コップ。10種類の味から選べるし、ゴミ出ないし」

「クレクレのでしょ。でも有名じゃない? クレープ生地より破れやすいって」


 この街で盛んな「食べられるコップ」の流行は、生クリームより甘い製品試験を得意とする大企業、クレクレが発端であった。可食コップもその例外でなく、激アマ耐久試験を見事クリアして世に出されたものであり、この企業にダムだけは作らせてはいけないと言われるほどの決壊っぷり。ストローを少しでもコップにぶつければアウト、机に置いた衝撃でもアウト、かといって手に持っても握力でビックバンが起きるほどの代物である。

 クレクレ社長に言わせれば「流行にはリスクがつきもの」とのことだが、リスクの方向性がずれているこの可食コップをうまく扱う術など———


「それが大丈夫なんすよ。こう持てば」


 色付き眼鏡をかけた従業員、ウラ109は、その持ち方を実演してみせた。

 置くのは机ではなく手のひらの上。持つときは掴むのではなく、縁を摘まむように。


「おー。やるわね」

「とんでもねっす。で、あとこうして———」


 ゆっくりとコップを蛇口の真下へ近づける。ここから出てくるのは、隣接した浄水場から直送される地下水であり、そのピュアな味わいと疲れを吹き飛ばす冷たさから、このロケット工場の従事者たちの中では絶大な人気を誇っている。前回の投票では「10連勤後の生ビール」より5票多く獲得し、飲料水部門で堂々の1位をその手に———その蛇口ハンドルに収めたのである。


 クルッと蛇口のハンドルを回したウラ109であったが、すぐにその違和感に気付いた。

 いのちの水が一向にその姿を見せないのである。5時間ぶっ通しで働いたのちの、この仕打ち。蛇口はロケット開発が何たるかを理解していなかった。

 両隣では蛇口から聖水が降臨し、ダイレクトに従業員の口へ落ちていっているというのに。あの幸せそうな顔、お手持ちのトンカチで一発かましてやりたいくらいだ。


 一刻の感情は一生の分岐点となる。嫉妬と怒りのあまり、つい勢いよくハンドルをひねってしまったウラ109は、それを痛感することになった。


 次の瞬間には聖水が姿を現した———そこまでは良かったのだが、その勢いは蛇口のキャパシティを超越していた。風船が割れるときと同等のエネルギーを真下で待ち構えるのは、手のひらにぽつんと置かれた可食コップ。

 そしてたった今、累計82万6914個目のクレクレ製可食コップが、この世界から消失した。ちなみにウラ109はこの出来事を乗り越え、プロジェクトの成功も収めた末、世界に名をとどろかす名クレーマーとなるのであるが、それはずーっと先のお話である。


「くそっ、くそっ…!」


 執拗に残念がるウラ109の背中をさすってなだめた後、秘書は自身の持ち場についた。これから始まる5時間の後半戦、超重要プロセス「ロケット搭乗部の組み立て」を完了させるためである。最大限信用できる技術者ウラ001とウラ002の協力をあおり、就業開始のチャイムに合わせてアーク溶接を開始した。


「なぁユキ、ロケットって打ち捨てる感じになんのか?」


 フェイスガードを上げ、ウラ001は尋ねた。手元の搭乗席部分はおおかた形になっており、技術・従事歴ともに一番という肩書は伊達ではないようだ。


「…いや、言い方わりぃな。もともとは社長に宇宙を見てもらって、いざって時に宇宙葬する計画だったろ? ただ、技術的には帰還もできるんじゃないかと思ってな」


 秘書も同様にフェイスガードを外し、付近で作業するウラ002に配慮して、彼のとなりへ移動した。お互いににじむ汗を笑いながら、タイムテーブルにない休憩時間を少しばかり満喫する。


「そうね。時間が許せばそうしたいわ。これは私のわがままだけど」

「じゃあ、あとでエンジン班とプログラム班にも聞いてみっか」


 フェイスガードのゴム部分をビヨンビヨンと伸縮させながら、ウラ001は言った。おかげで彼のフェイスガードだけ、異様にゴムの傷みが早い。そろそろまた、替え時である。


「えっ」

「…どうかしたか?」

「あっ、いや…」


 秘書は少し戸惑った様子でうつむいた。視線の先にポツンと鎮座する六角ナットは、2年以上前からここにある。秘書が手を伸ばし、ようやくその歴史が変わりそうになったところで、ウラ001は彼女の顔をのぞき込んだ。「大丈夫かー」という表情を至近距離で向けられ、思わず秘書は目を逸らした。

 ウラ001は考えることにした。秘書の「えっ」には驚きのような感情が含まれていたが、その原因は何だったのか。己の言動を思い返そうとしたが、やがて何も思い出せなかった様子で立ち上がった。


「少し顔赤いぞ。暑いんだな。水持ってくっから待ってろ」


 歩き出そうとした彼の作業着の裾を、秘書の右手が捉えた。小さな抵抗に気付き、動きを止めるウラ001。彼の鼓動もまた、高鳴りを覚えていた。


「なんでそんなに協力してくれるの?」

「えっ」


 秘書は顔を上げ、緊張の表情から一転、ウラ001へさっぱりとした笑顔を向けた。そんな質問をしつつも、その答えは秘書にとって、何となく想像ができていた。


「な、なんでかと言われたって、な…というかユキ、なにそんなにニヤついてんだ?」


 赤面する彼であるが、秘書が考えた答えはそれではなかった。もしその感情が今もあるなら、と考えなくはない。秘書だってまだ、ウラ001のことは人として好きである。ところがこの問いにおいては、解雇された身であれど、彼はきっと「社長のため」というのだろう。つまりこの関係は、協力や恋愛ではなく同志となる。


「いやー別に。ただ、同じ反応だったなって」

「…ん? 何の話だ?」

「さ、作業するわよ。その搭乗席、社長が座る大事なとこなんだからね」


 秘書は胸ポケットからゴムバンドを取り出し、ウラ001へ投げわたした。フェイスシールドのゴム交換は、今年に入ってこれで6回目である。それから数分後には、それぞれの場所でアーク溶接の火花が咲いた。


 これは社長の夢をかなえるための、秘密のプロジェクト。

 残された猶予は3か月である。



 社長は秘密を知っていた。

 カジカジの地下に千人規模の人間が住んでいることも、彼ら彼女らが秘書の指導の下でロケット開発を進めていることも。

 もちろん始動当初から知っていたわけではなく、日に日に抱くようになった秘書への違和感から、張り込み調査を始めた成果であった。とはいっても、社長自らが行ったわけではなく、自作したモスキート型ロボットをふんだんに駆使した、モニタリング活動の恩恵である。


 今日も秘書は、どこか疲れた顔をしていた。カジカジの休憩時間にはぱったりと音信不通になるし、「今日は友達ンチに泊まるから帰ってて、軽トラ使っていいから」と言って家に帰らないことも多い。


 実際の宿泊先は友達ンチなどではないことを、社長は知っている。

 工場に泊まり込んでまで、ロケット開発に熱中する秘書。場合によっては本業よりも尽力しているように見える。たしかに、宇宙分野という新しい事業を行うのは、カジカジの大きな成長につながるであろうが———


「疲れているなら今日は休め。従業員も六人となったことだ」

「いやぁ、大丈夫ヨ。今が頑張り時ってものさ」


 秘書は右ポケットから出したグレープキャンディと左ポケットから出したイチゴガムを同時に口に放り、社長室から出ていった。ゴミットに放られたパッケージは、すぐに存在ごと消えるだろう。どうせゴミットにひそむ亜妖怪が、キャンディそのものと間違えて食べてしまうのだから。


「今が頑張り時、か…」


 社長は疑問に思っていた。

 まさか自分の病気のことが知られているはずはないだろうし、かといって近々カジカジの経営に関わる大きなイベントが行われるわけでもない。


 そんな中、なぜそこまでして頑張るのか。

 考えた末にたどり着いた一つの答えはこうだった。


「秘書もまた重い病気にかかっているのだ。名付けて「金欲12倍」といったところか」


 お金に対する欲が他人の12倍になる病気。直接死に関わるわけではないが、お金に対する執着に起因する行動により、危険にさらされることもある…と社長は予想した。


 今まで6年間、ずっと世話になってきた秘書。

 自分の命が果てる前に、彼女の病気を完治させる。

 社長はデスクの引き出しから取り出したルービックキューブを2秒でそろえ、その方法を考え始めた。


 12を1にする方法はいくつかある。

一.12で割る方法。これは知人である国のトップに電話で一本。国内すべての物価を12分の1にしてもらえばよい。ただし、カジカジにおいてのみ、普段どおりの賞与を彼女に与えるものとする。

二.11を引く方法。簡単そうに見えてこれが難しい。蓄えてきた脂肪を燃焼するのが難しいように、積みあげたカネへの執着は簡単には治らない。

三.2を1の肩に乗せる方法。1の2乗は1である。しかしこれは屁理屈にすぎない。


 社長はそのどれでもない、4つ目の方法をとることにした。

 ゼロをかけて1を足す方法である。

 金欲がゼロとはすなわち「お金なんかいらない!」という状況のことであり、秘書にそう思わせるには「じゅうぶんすぎるくらいお金がある」とアピールするのが効果的だろう。

 社長はここに、猶予3か月の一大プロジェクトを開始することを誓った。


 ピッとテレビを点けると、見覚えのある光景が映し出されていた。


「続いてのニュースです。昨日夕方6時ごろ、西部クレクレ遊園地にて、観覧車のゴンドラが落下する事故が起きました。ゴンドラは15メートルほどの高さから落下、2人の乗客は奇跡的に無傷だったということです。事故の原因については現在調査中であり———」


 社長はひどく驚いた。たった2個のゴンドラのうち1個が落下してしまっては、回転率が半減してしまうではないか、と。

 いや、そこではない。15メートルの高さからゴンドラごと落ちて、無事なことあるか。 しかしこの疑問は、次の画面で解決された。


「速報です。2人の乗客について新たな情報が入ってきました。2人は国際大会の競技種目「自由落下(男女混合シンクロの部)」の世界チャンピオンであり、ギネス世界記録「高さ65メートルからの生還」も保持している「フリーフォール夫妻」であったということです。放送時間を二時間延長し、夫妻の記者会見をお届けします。いやー、奇跡には何かしらの理由があるというわけですね、イチカワさん」


 奇跡には理由がある、か。

 社長は今の自分と重ねていた。

 3か月先の未来はまだ想像できないが、存在し得るのだろうか。奇病を克服して、ずっと先の世界を生き続ける自分というのは。実現できればまさに奇跡と呼べるであろうが、それを起こすための確たる方法。少なくとも今の社長には、はっきりとした考えは浮かばなかった。


 死というものは受け入れていたつもりだった。診断を受けたときは驚いたが、その感情もすぐに、日々の生活に埋もれていった。街一番のカジノを運営する、という責務があったからだ。


 それなのに今、社長の中に渦巻いている感情は、隣り合わせの死への恐怖と、生きることが持つ理不尽さに対する不安。夫妻は実力で生を手にし、自身は運で死を握らされる。


 せめてテレビにだけは仲間でいてほしいと、電源ボタンに手を伸ばしたとき、画面には映っているはずのないアイツの姿があった。


「そうですねー。実は私にもその経験がありまして、あれは8年前、街角のケーキ屋さんでモンブランを頼んだんですよ。いつもはムーンケーキなんですけどね。たまたまです。そしたらなんと———」


 ばっちり決まったスーツ姿、髪は七三分け、普段かけていない伊達眼鏡。ただのインテリイケメンと化したイチが、そこには映っていた。

 しかもテロップに表示された職業は「プログラマー」。緻密に計算された、スッと理解できる上にしっかりとオチがあるその話は、ほかのゲストやオーディエンスをわっと沸かせていた。そして不覚にも、社長もふっと笑ってしまった。


 普段の彼からは想像もつかないギャップ。これが世にいう「萌え」である。

 結果的に、社長はテレビを消さなくてよかったわけだ。

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