第4話
その頃、カジカジの地下8階では極秘ミッションが進んでいた。
社長にはヒミツの、ロケット開発プロジェクトである。
「従業員、構え!」
1000人近くいる従業員は、クレクレドーム0.04個分ほどの広大な工場に整列。あまりに広すぎて,隣の家の敷地にまで及んでいる。そもそも地下工場への入り口は、この家の一階寝室に位置している。ちなみに、その家の持ち主もまた、従業員のひとりである。
整列する従業員たちと向かい合い、堂々と指揮を執っているのは、黒の革ジャンから作業着へ変身した秘書である。装着しているのはヘルメットではなく作業帽。カジカジの休憩時間に、彼女は技術者として手を動かし、良き指導者としてその日まで突き進むのである。
「敬礼」
親指と人差し指をくっつけてカネの形を作り、左胸にそっと添える。清々しいほどのカネへの執着。昨日より今日、今日より明日の売り上げのために。
あるいは叶えたい夢のために。
「ご安全に」
『ご安全に!』
秘書のあとを復唱する従業員たち。彼らはもちろんカジカジの正社員ではない。
カジカジにその身を捧げると誓った従業員は,ロクを含めて6人である。
では、いまトンカチでトンカンやっている技術者たちはいったい何者か。
その答えは1つ。
社長のお呼び出しに5秒以内に応えられず、クビになった者たちである。秘書は社長に内緒で、彼ら彼女らを雇いなおし、秘密裏に行われているこの一大プロジェクトの歯車として、起用することにしたのであった。
秘書のポリシーは愛情をもって従業員と接すること。
「す、すいません。工具が壊れたので社長室に———」
「取りにいくな馬鹿モンがぁ! 手を使え手をぉ!」
「あ、あのー。喉が渇いたので社長室に———」
「飲みにいくなアホんだらぁ! 唾を飲め唾をぉ!」
今日も順調にそのポリシーを遂行している。ムチを打たれれば打たれるほど、飴は甘く感じるものである。しかしそのムチは、秘書が持てば金棒と化す。その根拠は入口付近の壁に掲げられた看板を見れば明らかだった。
~本プロジェクトにおける重大な規則~
二.就業時間は[5時間、30秒、5時間]を1クールとする。
労働時間10時間に対して、30秒の休憩。ブラックを超えてダークマター。愛でできた金棒のトゲトゲは、今日も従業員へ突き刺さる。
しかしそれも入社1か月の辛抱。彼ら彼女らは、わずか30秒の休憩にも順応する生き物であった。麻雀を1巡で終える者、ギターをチューニングだけ行う者、2時間の映画を240倍速で見る者。
法外な就業時間に対する不満は、やがてこの休憩に賭ける情熱へと変換された。
そんな秘書のやり方にも、優しさだって同じくらい存在している。
入居無料の地下アパートの提供(カジカジの地下1階から7階)、水道代や光熱費無料、3食付き。就業時間以外は、併設のアミューズメント施設で遊び放題。冷たくておいしい地下水の浄水場まで完備しており、あまりの冷たさにお腹を壊すことだってできる。
ここで大きな疑問が浮かぶ。
この極秘プロジェクトにおいて、社長の秘密裏に行われている以上、一切の収入はない。カネが大好きな秘書なのに、なぜここまでカネにならないことをするのか。
その理由はこれに尽きる。
社長へのサプライズ計画のためである。
*
社長はその夜、クレクレ遊園地前店を訪れていた。この街に群集する、大人気のクレープ屋さんである。おやつを食べすぎてお腹があまり減っていなかったことと、イチからもらった「クレクレ15パーセント引きクーポン券」を使用することがその理由であった。
秘書から借りた軽トラを唸らせること15分。ゴンドラが1つになってもなお回り続ける観覧車と、自身の順番をまだかまだかと待ち望む長蛇の列が視界に入った。一部の人間が草の茂みをガサゴソと捜索している姿も見えたが、それが800万ダラーのおこぼれを求めた行動であることを、社長は知らない。
ゴンドラの透明な窓には、たばこの吸い殻やらガムやら、チョコレートのようなものやらが付着しているようだが、社長は特に気にしなかった。この街に生まれて6年、よくある話だ。
軽トラの路駐を決め込み、社長はクレープの屋台の1席に座った。
クレクレ遊園地前店は、全12席の小さな店。それは特別なことではなく、クレクレの経営方針は「小規模大量店舗」。この店を中心とした半径1キロメートル圏内に、28店舗を構えている。ちなみに、観覧車の頂上から見える店舗数は、ベースメニューの数と同じ42個だという豆知識的なウワサがある。
社長はメニューナンバー18を選択した。クッキー&クリーム風味の生地を丸めただけの、具なしクレープである。お値段は400ダラーとお手頃価格であったものの、社長はコスパで選んだわけではない。
社長がクレープを選ぶ時の基準。それは他でもない、メニューナンバーである。
その日いい気分をしてカジカジをあとにした、「客ならざる者」の人数、今日はそれが18人だったのだ。自分がこの店の「客」として、その番号のクレープを食べることで、彼ら彼女らがカジカジの「客」になるようにという、一種の願掛けである。なお、追加でココアを注文したのは、社長の気分であった。
店内を何気なく見渡していると、見覚えのあるアタッシュケースが視界に飛び込んできた。カウンター席に座るのは、1人の少女。走馬灯のようにスローモーションでよみがえるのは、モニター越しに見ていたあの光景、6378倍という忘れもしない数字、そして、天井に吊り下げられたタライを落とす快感。
おそらく、今シーズンで1番の大穴を的中させたあの人物。つまり、目の前で同じくナンバー18のクレープを食べているあの少女は…
レジェンドだ。
賞金の入ったアタッシュケースを足元に堂々と置いて、持参したであろうフライドポテトをクレープ生地に挟んで、呑気に味わっている。粉薬を口に入れた直後のような渋い顔をして、コーヒーと共に流し込む。その慣れた手つきからして、彼女は常連なのかもしれない。
「ん?」
しまった。気付かれた。
社長を見るやいなやレジェンドは立ち上がり、一歩、そしてまた一歩と近づいてきた。
柔道検定8級を所持する社長は、襲われても対処できるように身構える。当然カジカジの社長だとバレてはいないはずだが、確実に目が合っているあたり、何かを狙っているに違いない。
「ここ座っていい いいよね。ありがと」
有無を言わせぬレジェンド。
社長の隣に座り、メニューナンバー42「最強のクレープ」を注文した。
「アンタにおごる。元気だしな」
めまぐるしく変化していく状況。
社長は、自らが意図せずとも、時間というものが一方的に進んでいくことを再認識した。
そして己に問う。元気じゃないのか、と。
その答えはこうだった。
「僕は元気———」
「ところで社長さん、よくここで食べるの?」
「お待たせしましたー。ナンバー18ですー」
アルバイトの男子高校生っぽい店員が、社長の前にクレープを置いた。クリームの甘い香りが嗅覚を柔らかく刺激し、もしかすると具が入っているのではと、期待に似た錯覚をする。そして社長は気付いた。
レジェンドが自分を社長と呼んだことに。
普段から社長室でモニタリングし、セッティングされた様々なツールで店内の環境維持に努める役職。タライもその1つだ。接客などに顔を出すわけではないので、社長であることはもちろん、カジカジの従業員であることすら知られていないはず。それなのに———
「今日初めて行ったけど、面白かったよ、あの勝負。やっぱ賭けはああでなくちゃ」
昔からの知人あるいは常連のような、違和感の無さ。
なにかこの少女と接点があったのかと考えたとき、競合他社との意見交換カンファレンスがその可能性として浮かび上がった。あの勝負をピタリと言い当てるくらいの不思議な力の持ち主だから、年齢に縛られずその類のビジネスをしていてもおかしくはない。
「僕のほうこそ楽しませてもらった。礼を言う」
レジェンドはポケットから胡椒を取り出した。ちょっとかけるとうまいよ、ということらしい。甘い味付けのクレープ生地にか、と疑問を呈したが、この屋台の常連のような彼女がそう言うなら、と社長はふたを開けた。
「社長ってずいぶん若く見えるけど、いくつ?」
「6つだ」
「見た目どおり⁉」
そんな驚くかと思ったが、言われてみればそうかもしれない。街で一番大きなカジノ店の経営者が6歳の男児というのは、フィクションでもほとんど見ない設定だ。
「お待たせしましたー。ナンバー42ですー」
ナンバー42。2800ダラー。
具も生地もゴージャスな、てんこ盛りクレープを期待していたが、その予想は大きく外れていた。
来たのはラーメンだった。
「それ、ちょっとかけるとうまいよ」
胡椒を指さすレジェンド。社長はここで初めて、胡椒はこのためにあったのだと気づいた。同時に、ナンバー18にかけなくてよかったと安堵した。
ズルルッ
クレープの屋台に聞こえるはずのない音。
おごると言ってくれたレジェンドであるが、割りばしを早々に割り、さっさとラーメンをすすり始めた。
「はい、社長もあーん」
「いただこう」
あーんをしてもらったのはこれが初めてだった。他人より何倍もませている社長のことだから、生まれた瞬間から箸を持ち始めたくらいである。そしてラーメンは意外とおいしく、たまになら2800ダラーを払って食べにくる価値はあると、社長は思った。
ここがクレープ屋でなければ、の話であるが。
五分間無言ですすり続けた二人は、お口直しのメニューナンバー1を注文した。
2秒後に店員から渡されたのは、するめジャーキーだった。さっきも食べたな、と思いながらカミカミして、社長は尋ねた。
「なんでレジェ…君はわかったのだ? イチが勝つと」
「直感よ直感。今までの賭けはぜーんぶ直感。びびっと来たら勝負! ってね」
「びびっと来たら、か…」
不思議なことに、いかなる分野においても天才というのは存在するものである。目の前でジャーキーをコーヒーにディップする少女を見て、社長もまた、彼女がその域にいるのだと悟った。
今度はレジェンドのほうから話しかけた。
「あたし来月から半年間、海外行くの。「BET直感講座Ⅱ」っていう大学の授業を請け負っててね。それなりにレベルの高い大学だから気張ってかなくちゃ」
「…それはすごいな。授業まであるのか」
「うん。だから次にカジカジ行けるのはその後かな。またここでクレープ食べよ」
どちらかというと、一緒に食べたのはラーメンとするめジャーキーだったが、社長はそこに突っ込まず、変わらないトーンで言った。
「すまないがそれはできない」
「え、じゃあ空港で一緒に食べよ」
そういう問題ではないことを、レジェンドは気付かなかった。
「三か月後、僕は死ぬのだ」
予想される命日は、今からちょうど3か月後。
七歳の誕生日であった。
「社長…なんでそう思うの?」
咥えていたストローを離し、レジェンドは頬杖を突いて問う。彼女はホットコーヒーをストローで飲む珍しい人物であった。
そんな彼女に対し、社長は淡々と口にした。
「早送り症候群、という病気だ」
「早送り症候群…?」
レジェンドが知らないのも当然、非常にまれな症例である。
肉体の変化こそ時間の流れに従順であるものの、精神的な成長スピードが他人の12倍となる病気。精神と魂は互いに強く結びついており、精神が寿命を迎えることで魂の宿り主の死へ直結するのである。
「僕の中では常人の12倍の速さで時間が流れている。つまり僕は、こう見えても70歳に近いおじいさんなのだ」
「70歳…そ、それって…」
普段は口数が少ないうえに、信頼のおける者とのみコミュニケーションをとるレジェンド。冷静沈着な彼女がここまで動揺するのは、初めてのことだった。
「ち、治療法とかってあるの?」
「ないことはない。高度な技術を駆使して精神と魂を切り離し、精神のみをリブートするのだ。すると僕の身体は意識不明のその先、精神行方不明領域へ遷移する。三途の川のはるか上流には大きな滝つぼがあるが、ちょうどそこにいる状態となる」
「なるほどー…」
理解していそうな返事をしたレジェンドであるが、実は何一つわかっていない。なぜなら彼女の強みは直感力であり、緻密な理論はフィールド外だからである。
社長はココアにミルクを注ぎ、マドラーで表面をつつきはじめた。
レジェンドの似顔絵を描くことにしたのである。
「もしそれがダメなら、新たな治療法が確立されるまで、精神をシャットダウンしておけばよい。タイムリミットは僕の肉体が朽ちる時までだ」
懸命にマドラーの先を動かす社長の横顔を眺めながら、レジェンドは考えていた。
一見すると、何の変哲もない六歳の男児。これから初めての小学校に通い、中学校や高校生活で様々なことを経験し、やがて職を持ち、長い長い人生を歩んでいくはずの小さな子供。もはやそれが当たり前に思えるレールの上を、彼は12倍の速度で駆け抜け、残りわずか3か月でその終点へ到着してしまうのだ。
すると社長は完成した絵を指さし、喜びを隠しきれない表情を浮かべて言った。
「…ほれ、できたぞ。君だ」
レジェンドはその言葉に思わず仰天した。
ココア色の地に白いミルクで描かれた形。
彼女はそれをミジンコの絵だと思っていたのである。
「これが、あたしなんだ…」
誰がメダカの餌だよ、と突っ込みたい気持ちはやまやま。しかし社長の抱える現実を知ってしまった今、その反応が正しいのか、レジェンドにはわからなくなっていた。
「それって…秘書の人とか知ってるの?」
「秘密だ。僕が社長の座を他人に譲ってしまえば、彼女はもう僕の秘書ではなくなるからな」
「…そっか」
誰にも気付かれずに、その灯火を消していくつもりなんだ。でもレジェンドは知っていた。
灯火は燃えている限り、周りを明るく照らすもの。本人が隠れてみたって、どうしても輝いてしまう。影という目印だってできる。
肉体とか精神とかって考えたこともないけど、その治療法はどれくらいの確率で上手くいくのだろう。レジェンドは考えながら、コップの底に残ったコーヒーをズルルッと飲み干し、そのままコップを食べ始めた。




