第2話
少女を見送って妙な達成感を得た秘書は、「カジカジ」と書かれたネオンの看板をくぐり、カネの世界へ戻った。あと数分で2時間の休憩に入り、やがて夜という稼ぎ時がやってくるのである。
11番テーブルでは、眼帯が帰り支度を始めていた。「客」として一流な彼らには、これからも店に足を運んでもらいたい。
「じゃあね、眼帯とモヒカン。また来て———」
「あ、あのな? ユキさん。知ってっか? 俺が眼帯つけてる理由。それはな———」
眼帯が何やらほざき始めた。
もちろん秘書はカネ以外の何物かには興味などないが、まっすぐ目を見て「知りたい聞きたい」アピールをする。これももちろん、「客」に対する彼女の接待である。
すると眼帯の男は鼻を膨らませ、興奮しつつも深刻そうなトーンで言った。
「俺が右目で見た生き物は、1匹残らず全部死んじゃうからなんだぜ」
だから何だよー興味ないよー…。
いや。秘書は少し考えて理解した。
この男が「見たら死」系であることを。
「そこんとこよろしくっ、ユキさん。ほら行くぞモヒカ———」
「俺はもう…終わりだ…」
切り替えの早い眼帯に対して、その髪の毛が床につくほど頭を垂れて嘆くモヒカン。確かさっきの賭けで、200万ファイヤーをBETしていたはず。やっぱりいい「客」だ。
「俺は…これからどうすれば…」
「財布見るねー」
秘書は彼の財布をひったくり、中をのぞき込んだ。そこに入っていたのは「カジカジメンバーズカード」1枚だけ。どうやら彼もオールインだったようだ。「客」じゃなくなった彼に、ずっとここにいてもらっては困る。そこで秘書は、ある提案をした。といっても、「ん」とレジカウンターの壁を指さしただけであるが。
そこにはこう書いてあった。
~ウチの規則~
三.破産した者、宣告書と貢物を持って社長室に来るべし
その場で雇ってやる
モヒカンは目を輝かせ、勢いよくひび割れの自動ドアを飛び出した。おそらく宣告書と貢物を取りにいったのだろう。いずれにしても、「客」じゃなくなった人間を追い出せたわけだ。
そして18時を報せる鐘が聞こえてきた。
定時がやってきたのである。
「ユキ上がりまぁす」
「おつかれした~」
カジカジの従業員の声に眼帯が重ねてきたので、秘書はくすっと笑ってしまった。
カネ以外では笑わないって決めていたのに。
*
「社長、入るよ」
秘書は中から返事がするのを聞いて、社長室の扉を開けた。
そこにいたのは、体に合わない大きさのサッカーボールで懸命にリフティングをする社長。なにを隠そう、彼は六歳男児である。
「いくぞ秘書。よっ」
「急だな、おい」
サッカーボールは山なりに飛んでいき、秘書のもとへ。見事にパスがつながり、ボールは地面につかなかった。ポケットに手を突っ込んだままリフティングを続ける秘書に、社長は話しかけた。
「個人テーブル制はいい案だろ? 秘書」
「だな。回転率もいいしスペースも広くとれるし。おかげで売り上げは前年比20%増。従業員には秘密にしてっけど」
「全部ポッケにインか。相変わらずなこと。僕にも半分くれ」
サッカーボールは2人の間を行ったり来たりしているが、いまだに宙に浮いたまま、ラリーが続いていた。パスを受けた社長は足をぐるりとボールを1周させる技、大車輪を披露し、その流れで頭の上にのせた。ゆらゆらとボールは揺れているが、バランスはとれている。見ていた秘書は少し退屈になり、棚に飾られていた泥団子の半分を社長に投げた。
「いってぇ」
かっぴかぴに乾いていた泥団子は社長のお尻に命中。粉々に砕けてしまった。
「だぁれが泥団子を半分くれって言った。僕が言ったのはカネの半分だ」
「おっおー」
「それに、この泥団子は競合他社との意見交換カンファレンスの際にもらったものだ。その日ももれなく、交換された数は意見より泥団子の方が多かったわけだが…話聞けや秘書」
「ん、わりぃ」
ボールを手に持ち、思い出すように窓の外を見て語っていた社長に構わず、秘書は床に崩れた泥団子の断片をザクザクと踏みつぶしていた。その感覚が気持ち良いのか、次第にその勢いは増していく。
「はぁ、まったく…散らかっていく泥団子は、今の僕の心模様を示しているようだ」
「ならきれいにしなきゃね」
秘書はボロボロに崩れた社長の心を掃除すべく、お掃除ロボットの電源をつけた。ピンポーンという効果音のあと、ただのゴミ箱の側面から、ニョキっと3本の手が伸びる。そして底についている2対の駆動輪により、お掃除ロボット「ゴミット」はお掃除モーションを開始した。
ところが———
「あぁ、違う違う。そっちじゃねぇ」
ウィーンと唸りながら、ゆっくり進んでいくゴミット。秘書の放った言葉までもがゴミとして入っていき、タイミングよくふたが閉まる。それはまるで、光ですら一度入ったら出られない、可動式ブラックホールである。捨てられた言葉にゴミットは耳を貸すこともなく、まっすぐ隣の部屋へと向かった。
「クッソ、使えねぇやつ」
追いかけるのも面倒くさいので、秘書は再び社長のほうに顔を向けた。社長はサッカーボールをほったらかし、両手でけん玉のトリックを連発していたが、秘書に気付いて両方の剣に球を刺した。
「秘書———」「社長———」
お互いを呼ぶ声は同時に発せられた。
直後に訪れる一瞬の沈黙。普通なら気まずそうにうつむき、「先どうぞ」となる状況であるが、カジカジ、ましてやその社長室において、普通が通用するはずもない。我先にとしゃしゃり合うのがこの2人である。
「朝の話の続きだが、僕はやはり月という存在について無生物であると主張———」
「昨夜の話の続きだけど、安定軌道に乗せられる技術は———」
「ウゴケナクナリマシタ。タスケテクダサイ」
「あぁんもう、うっせぇなゴラァ」
2人の「会話ではない何か」をさえぎったのは、圧倒的機械音。思わずキレた秘書が隣の部屋を見にいくと、ゴミットはいくつもの機械部品に行く手をさえぎられ、その場を動けなくなっていた。
「おい、LIDER搭載して3Dセンシングくらいしろよ。クビはねるゾ貴様ァ…ん?」
カジカジの持つ技術力と経済力なら、センシング技術の導入など容易いものではあるが、それよりもやるべきことが部屋の中で見つかった。そしてそれこそが、ゴミットの行く手を阻む、散らかった機械部品なのである。
「社長ー、ヤジウマのパーツ余り過ぎじゃない? なんで頭部1個もないのに足が8本余ってんのさ。付けわすれたんじゃないの? ほら、こっちには大事そうなネジとモーター。これ組み立てたの誰?」
これらの材料だけで、なにかしらのロボットが1台作れそうなほどのパーツの山。
社長は放送対象エリアを「店内」「トイレ」「町内」に設定し、すぐに犯人を呼び出した。
『業務連絡ー、業務連絡ー。イチー、社長室へー』
社長直々の店内アナウンス。呼び出しの対象は、ジャンケン最弱の男である。
この場合、五秒以内に集合しなければ即日クビとなる。
『イィチ』
そして始まる地獄のカウントアップ。
秘書はその瞬間を何度も見てきた。
『ニィ』
カウントの直後に滑り込みを決めるも、無情に退職願を突き付けられる者。
間に合わないと悟り、開き直って帰り支度を始める者。
そして———
『ゴォー…』
5まで数えられない社長を過信し、本当に5秒あると思い込む者。
イチもそのどれかに該当したのだろう。とうとう彼は社長室に姿を現さなかった。
「はぁ…仕方ねぇな。まぁただ、歴代の従業員の中では長く続いたほうだ。私からはあっぱれをやろう」
「僕は喝だ。契約書にはこう書いてあるはずだ。「生涯をかけて我が店の歯車として働くこと」とな。これにサインしてもらった以上、本来であればその責任は———」
「あのー…ボクここにいますがぁ~…」
社長の言葉をさえぎり、デスクの引き出しから人間…のような何かがニュルンと出てきた。ここには社長と秘書しか存在しないものだと思っていた2人は、それはそれは驚いた。
さらにそれがイチであることにまた驚愕し、秘書はひとまずポケットからするめジャーキーを取り出し、食べることにした。
「僕にも1本くれ」
社長には特別にエンペラーの部分が付与された。日頃の感謝が生んだ、小さな特別である。カミカミしているうちに心が穏やかになってきた秘書は、イチに尋ねた。
「なぁんでお前ソコいんだよ」
「しゃ、社長に呼ばれた気がしたものでぇ…」
「でもお前、この扉から入ってきてねぇだろ。私らちゃんと見てたかんな? いつどこから入ったか教えろ」
イチはなぜか顔を赤らめ、信じられないことを口にした。
「20分くらい前に…天井からぁ…」
「な、なに⁉」
驚きと同様を隠せない社長。
イチは変態級に社長を愛していた。それがゆえの狂的な行動であるわけで、イチからすれば、これが当然であり必然である。これからは自身の殻を破り、このような奇行を毎日の日課とすることを検討しているようだ。
「あとこれぇ…社長におみやげ」
饅頭の箱が社長デスクに置かれた。
それがカネ目の物ではないことを確認して、秘書の思考は別の方向へ飛んでいった。
レジェンド。あの少女がした予想は「イチがグー、ダーク・ホースがパー」だったはず。でも実際はイチの予想は当たり、ダーク・ホースの予想は外れていた。確かに彼の頭がパーだったと言えばそれまでだが、レジェンドがそんな回りくどい当て方をするだろうか?
そして次第に思い始める。彼女は真の勝負師ではない、いわば「レジェんでない人間」なのではないかと。




