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第14話[後編]

「社長。今まで本当にありがとね。人生で最高の6年間だった」

「あぁ。僕もだ」

「僕もって…社長ちょうど6年終わったばっかじゃん」

「そうだな。秘書の言うとおりだ」


 ロケットから目を離せないでいる社長と、そんな社長を見つめる秘書。見ているものは違っていても、この時間が続いてほしいという気持ちは変わらない。


 秘書は新たに抱いてきた社長への秘密を、ここで初めて打ち明けることにした。

 これは片道切符などではなく、「地球周回旅行」であること。


「帰ってきたら聞かせてね、見てきた宇宙の話」


 数秒間、社長は考えた。

 そして気付いたように口を開き、ようやくロケットから目を離した。


「帰ってくるって…ここに、か?」

「うんうん。ゴメンね、黙ってて。やっぱりその時はカジカジで、がいいの」

「そうか、そうだったんだな…」


 社長は再び視線をロケットに向けた。

 7歳になったばかりの男児社長ではあるが、その横顔はどこか大人びている。


 1000人を超える従業員たちがざわざわしている。そろそろ時間のようだ。


「社長。行ってらっしゃい」

「あぁ。行ってくる」


 そうと決まれば惜しむことはない。あとは無事に帰ってくることを祈るのみ。

 従業員たちの視線が集まる中、家主が駆け寄った。手には200人体制で製作したリコーダーが握られている。


「これ、吸っても吐いても音が出るんです。良かったら使ってください!」

「ありがとう。リコーダーは大好きだ」


 そう言って社長はリコーダーを食べはじめた。意図していた結果とは異なるが、すかさず家主はポケットからもう一本を取り出し、それも渡した。こうもあろうかと予備を作っていたのである。

 しかし社長はそれも食べ始めた。味違いにしてしまったのが良くなかったようだ。

 ただ安心してよい。ロケット内部には、予備があと15本ある。


 社長を乗せたロケットは間もなく発射される。

 そのタイミングを数えるのは、もちろんあの声。


『ゴォ』


 天才級の変態イチが、スマホのメモリいっぱいに録音していた「社長の呼び出しカウントアップ」。とうとう趣味の範疇を飛び越え、役に立つ時が来たのである。ただし、今回はカウントダウンアレンジとなる。


『ヨン』


 その場の誰もが願っていたはずだ。

 この時くらいは、着実にその数字を進めてほしい、と。

 筆者もそう思う。


『サン』


 順調だ、イチ。そのまま行ってくれ。

 君なら数の数え方くらい知っているはずだ。

 しかしその期待は裏切られた。

 澄んだ青空のもと、1000人の従業員たちの、一斉なる掛け声が響いたのである。


『ご安全に!』


 なにがご安全にだよ、と言いたくなる気持ちを抑えると、彼ら彼女らの本意が見えてくる。

 やはりいつもどおりが一番なのだろう。

 秘書にとっても従業員たちにとっても、もちろん社長にとっても。


 しかし———あれから30秒が経過。

 ロケットは微動だにしなかった。


「どうした、何かトラブルか?」


 秘書は近くで「簡単! 簡素! モバイル版ロケットモニタリングアプリ」を見つめるナナに尋ねた。このアプリも自作であり、ロケット機内との通信や、制御システムのエラー監視などを可能にしている。もちろん、ただ作っただけではない。工場内での二度にわたる予行演習では、確実に通信できていたはずだ。


 ナナは端末から目を離し、秘書に目を向けた。

 そして右目の眼帯をペロッとめくり、衝撃の言葉を発した。


「エンジンがへそを曲げちょって…点火、できもはん…」


 ここに来て最大のピンチ。ざわつく1000人の従業員たち。

 しかし諦めるわけにはいかない。

 秘書は思考を最大1500RPMで回転させ、その原因と解決策を模索しはじめた。

 設計の致命的な間違い、試験結果の異変、組み立て時の不具合。

 6年間の記憶が、一瞬にしてスキャニングされていく。


「ユキどん、何とかせんといかんど!」


 へそを曲げている…エンジンの予備燃焼が足りなかったか?

 じゅうぶんに温めておいたはずなのだが…。

 何も思い当たる節がなかったのが、秘書にとってもどかしかった。


 その時、ピーッという時計のタイマーのような音が耳をつらぬいた。音量こそ大きくないものの、ずっと遠くからでも聞こえてしまうような音質。

 優先すべき問題に必死な秘書や従業員たちは、その音をただの雑音として処理していた。しかしただ1人、レジェンドだけは、それにピンとくるものがあった。


「あ、やべ」


ドカーンッ‼


 ロケット発射台(元家主ンチ)から突如発生した、10トンTNTの衝撃。

 ついに、仕掛けていた爆弾が爆ぜたのである。

 本当だったら今ごろ「社長、危ない!」と言って助け、命の恩人として社長に好きになってもらうはずだったレジェンド。ツーショットも撮れず、デートもできず、かっこいいところも見せられなかった彼女であるが、たった今レジェンドは「社長・秘書ならびに1000人の従業員の恩人」に成り上がろうとしていた。


 ロケット下部から火が噴き始めたのである。

 爆発の衝撃と高温の爆風により、エンジンに引火したのだ。


「エンジン…ぶち上がったでごわす!」


 ナナの宣言に従業員たちは歓声を上げ、そのうちの6人は体重が軽すぎたのだろう、爆風で吹っ飛んだ。幸いけが人はいなかったが、救急車のサイレンが鳴りひびいた。

 それだけではない。異様な事態に駆けつけてきたのは、従業員に負けないほどの人数の警察官であった。


「そこで何をしている! 全員その場で止まりなさい!」


 いつもレジェンドがお世話になっている警察官は、事態の大きさに気付いて口調を強くした。しかしその声は、あっという間に1000人の従業員に吸収された。反対側から走ってくる警察官は、テレビか何かで見かけたことがある顔———

 鬼島十三男であった。失踪したと思ったら、警察官になっていたのか。


 カジカジ周辺はあっという間に囲まれた。

 そして秘書は焦っていた。せっかく奇跡的にエンジンが点火したのに、事情を何も知らない警察官たちに止められてしまう。今までカジカジで得た利益は、全部はたいてもいい。1000人の従業員たちだって…最悪、署に連れていかれてもいい。でも、このロケットだけは、絶対に宇宙へ送り届けねばならない。


 秘書の思考の回転数は初めて2000RPMを突破した。もはや車のエンジンである。

 うーんと唸る秘書。

 彼女に視線を送るナナ、ウラ001、そして従業員たち。


 止まっていた時間が動きはじめたのは、プシューと空気の抜けるような音が聞こえてきた時だった。はじめは考え過ぎた秘書がオーバーヒートして、エンストを起こしたのかと思われた。しかし、バッタバッタと倒れていく警察官たちの様子から、音の正体が判明した。


 レジェンドが仕掛けていた毒ガスである。

 常識をわきまえている彼女は、致命傷を与える毒を使っておらず、たったいま拡散されているのは、せいぜい6カ月の入院で済む程度のもの。爆発の際に出動した救急車のサイレンは、もうすぐそこまで来ていた。


 レジェンドはまた恩人になった。見事に警察官たちをやっつけた。

 史上最大の危機を、事件で解決したのである。


「エンジン全開、リフトオフ!」


 ナナのナレーションは、急にかっこよくなった。数々の難所を乗り越え、到達した景色があまりに美しかったからか、あるいは、場を包む一体感がそう思わせているだけであろうか。


 そしてロケットは見事、地面からその胴体を浮かせた。

 地面からの束縛に解放されたタケノコは、轟音とともにゆっくりと上昇。それはまるで「僕は立派な竹になる」とでも言うかのように、炎と煙の柱を引きずりながら、その速度を上げていく。


 人生における歴史的な瞬間に立ち会い、従業員の8割は涙をこぼし、秘書と従業員の1割、そして意識を保っていた2割の警察官たちは、清々しく微笑んだ。なお、ここにカウントされていない従業員および警察官たちは、爆風だの熱風だのを受けて、救急のお世話になっている者たちである。


 青くて高く、どこまでも広い空。

 そのど真ん中を貫く、1本のタケノコ。

 秘書は端末の向こうにいる社長へ語りかけた。


『社長、無事に帰ってきてよ』


 あぁ、わかった、という返事を期待していた。

 感情の変化がわかりにくい、いつものトーンで。

 しかし、端末から聞こえてきたのは、歯切れの悪い言葉であった。


『今だから言うが、その…秘密にしていたことがあるのだ』


 すでに手の届かない空へと上昇している、社長を乗せたロケット。

 豪快に噴き出す炎と順調そうなエンジンとは裏腹に、社長の言葉には不吉の予感がした。すぐにでも耳をふさぎたい秘書であるが、それでは秘書としての務めは果たせない。

 すっかり無音になった通信端末から聞こえてきたのは、珍しく感情の変化がわかる社長の声であった。


『僕はここには戻ってこない』


 ざわざわしていた従業員までもが、一斉に沈黙した。救急車のサイレンまでもが中断されたかのように思えた。社長の言葉のその真意を、掴めなかったからである。


 これが片道切符の宇宙葬ではないことは、さっき伝えておいたはずだ。

 社長は宇宙に飛び出し、地球を一周したらここへ戻ってくる。

 着陸した社長の最期を、秘書と従業員の全員で看取る。

 そんな予定にすら、秘書たちの手は届かなくなっていた。


『イチに頼んで、プログラムを変更してもらったのだ。このロケットが安定軌道に乗り、地球を周回し続けるように。ただし彼を責めないでほしい。これは僕が望んだことなのだ』


 社長を乗せたロケットは、空のはるか彼方を目指して消えていった。高く昇りきった太陽が、残された者たちを照らす。それでもなお、秘書をはじめとしたその場の全員が、空から目を離すことはなかった。

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