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05 揚げたポテトと上がる花火と


「王都制定記念日の祭り?」

「そうですよね、奥様は初めてですもんね」


 メイドのマリーが言うには、王都では、王都制定の日を記念して毎年祭りが開かれているという。


 特に貴族が集まる、と言った話も無かったため、セシリアはほっと一息ついたのだった。

 社交パーティーだけは、もうこりごりである。あまりにトラウマが多すぎる。


「お祭りは、夜も開催されるんですよ! 花火が打ちあがって綺麗なんです!」

「へぇ、私、花火なんて見たことないから楽しみだわ」

「公爵邸の二階から見られますよ!」


 近年、王都では式典や祭りの際に、火薬を用いた花火なるものを打ち上げるらしい、と聞いたことがある。ド田舎の領地に帰る前に、貴重なものが見られそうで良かった。


 王都を挙げての祭りとなるならば、騎士団長の彼は当然忙しいだろう。今日は夜食もいらないか。そう思っていたのは、セシリアが甘かったのだと、夜になって知ることになる。





 黒い軍服に相変わらず誰かの血を付けてアルフォンスが帰ってきたのは、セシリアが夕食を食べ終えた直後だった。


「間に合った……」


 そう言ったアルフォンスは、息切れしていた。走って帰ってきたらしい。


「おかえりなさいませ? 早かった……ですね?」

「暇をとった」


 暇をとった、と言った。あのアルフォンス・グレイブが。

 風邪の時も仕事をしようとする、あのアルフォンス・グレイブが。


(……花火じゃなくて、槍が降るんじゃないかしら)


「お前、失礼なことを考えているだろ」

「…………」


 セシリアはアルフォンスから目を逸らした。


 そしてふと、今日の夜食が無いことに気が付く。


「……そうだ、この前のイモを揚げましょう!」


 ウィンターズ領の小さな祭りで売っているのを見たことがある。揚げたポテトである。

 なにせ、この前も店主にからかわれたセシリアは、また大量にイモを買い込んでしまったのである。




 細く切ったポテトを揚げたものは、なかなか美味しそうに出来上がった。花火を見ながらつまむにはちょうどいいだろう。


「旦那様、はじまりますよ!」

「待て。慌てるな」


 セシリアは、揚げたて熱々ポテトを持って階段を駆け上がる。

 二人が並んだのは二階のバルコニーだった。


「……と、よいしょっと」

「お前、何しようとしている」


 セシリアはバルコニーの柵に片足をかけたまま、固まった。


「こういうのは、屋根の上に登って見るんじゃないんですか。ほら、流星群を見るときとか」

「どこに流星群を見るためだけに、屋根に上がる令嬢がいるんだ。バルコニーからも見える」

「いえいえ、こういう時は屋根の上って相場が決まってるんです」

「おい!」


 アルフォンスの制止も聞かず、セシリアはバルコニーから体を乗り出すと、屋根の端に右手をかけた。そして左手で屋根のへこみを掴むと、ぐっと力を入れる。

 木登りの要領である。


「……このお転婆が!」


 そう言いつつも、アルフォンスだって、スッと屋根に上ってくる。身長は高いのに、身のこなしは軽いらしい。片手にはポテトまで持ってきてくれている。


「びっくりさせるなよ、全く」

「やっぱり、こっちの方が景色が良いじゃないですか」


 セシリアは、辺りを見渡す。

 屋根の上からは、意外に遠くまで見渡すことができた。王城に、騎士団本部、いつも通っている市場も夜だというのに明かりが灯っている。

 人が多く行き交う街を見下ろし、彼女は満足げに頷いた。


「ね、やっぱり屋根に登って正解だったでしょう?」


 ふと、アルフォンスの方を見れば、首元に血が付いていた。


「旦那様、また血が付いてますよ」

「ああ、すまない。着替えた時に気が付かなかった」

「いつも血まみれなんですから。一体何したらこうなるんですか」


 セシリアは少々呆れたように口にした。

 すると、アルフォンスは息を吐きながら言った。


「……事故処理だ。馬車の」


 思いもよらない答えが返ってきたセシリアはぱちぱちと瞬きした。


「本来、騎士団の管轄と少しずれているんだが、救護を心得ているものがいないからな。俺が団長になってからは、引き受けている」

「そう、だったんですか……」


 てっきり、罪人を切り殺しでもしているのか、と思っていたセシリアは深く反省した。

 だが、これでセシリアの中にあった疑問も解けていく。


「お、おかしいと思ったんです。遠征帰りも血まみれでしたけど、さすがに、遠征先から着替えてこなかったのかって」

「あれは、仲間の応急手当で汚れたんだ」


 だが、彼はそれを自慢するわけでもなく、淡々と話す。


「本当は、救護活動をするための専門組織を作りたいんだが……。もうちょっと政治的基盤を築いてからじゃないと無理そうだ。公爵としては、まだまだだな。俺も」


 ああ、なんだ。

 やっぱり、彼が怖いなんて、嘘じゃないか。彼はずっと、人のために、こんなに頑張っていたというのに。

 セシリアは、まだ全然彼のことを知らなかったのだと、実感した。



「やっぱり、旦那様は───」



 ───優しくて素敵だ、という言葉は花火によって打ち消された。


 打ちあがった花火はドン、と音を立てて花開く。赤かと思えば、黄色に変わってパラパラと散っていく。『夜空に咲く花のよう』だとは聞いたことがあったけれど、こんなに綺麗だったとは。

 一瞬で咲き、すぐに散っていくのが、少し切ない。


「……綺麗ですね」

「ああ、綺麗だな」


 こちらを見て、そう言うものだから、自分に向けられた言葉のように感じてしまう。

 セシリアは、慌てて花火の方を向いた。


「……お前は、王都を離れた後、どうするんだ」

「伯爵領で畑の手伝いでもしますかね。旦那様に十分な報酬はいただきましたので、のんびりスローライフでも送ろうかと」

「お前は大学に進学する気はないのか」

「いやぁ、私って、別に高等教育も受けていないですし、駄目な令嬢なので」


 以前、彼から言われた『学校に行かないのか』という言葉を思い出す。

 ああいった場所は、多少の要領も求められる。婚約破棄されたことからも分かるように、セシリアの要領は悪かった。


 だが、そんなセシリアの言葉を打ち消したのはアルフォンスだった。


「そんなこと言うな、君は駄目なんかじゃない!」


 ドン、という花火の音とともに、彼の瞳が揺れる。

 花火にかき消されないくらいの大声で彼は言った。



「君は……、君は、頭が良くて、優しい素敵な女の子だろ!」



 先日のお返しだ、と言わんばかりの大声だった。

 真っすぐとセシリアを見つめたアルフォンスの顔が少しだけ赤く見えるのは、花火の光のせいかもしれない。


(……先を、越されてしまった)


 先に自分が言おうとしていたことなのに。


 セシリアは赤くなる頬を押さえる。

 アルフォンスは顔が良い。だから、いきなり褒められたら、照れてしまう。


(それって、本当に旦那様の顔が良いから?……それとも)


 セシリアの思考は夜に溶けていく。もうこれ以上は考えたところで仕方がない。


「田舎に帰っても暇人ってことなら……」


 少し間があってアルフォンスは言う。


「それなら───」


 ドン、と。


 彼の言葉をかき消すように、一段と大きい花火が打ちあがった。


 視界いっぱいに広がるそれは、セシリアが見てきたどんなものよりもずっと綺麗だった。セシリアの中の綺麗なものランキングの堂々の一位に刻まれるくらいには、素晴らしかった。

 セシリアは、はしゃいでアルフォンスの肩を叩く。


「わ、今の、今の、見ました?」


 だが、アルフォンスは、ぼーっとセシリアの方を眺めている。

 手を振ってみても反応がない。


「旦那様?」


 何度か呼び掛けてみるが、心ここにあらず、といった様子で、一向に返事が返ってこない。

 だから。


「アルフォンス様!」


 そう、呼んでみた。


 彼の瞳が見開かれ、そこに花火が映る。

 エメラルドのような瞳だと思っていたが、その瞳は本物のエメラルドなんかよりもずっと美しかった。

 セシリアの綺麗なものランキングは、先ほどの『大きな花火』から『アルフォンスの瞳』にいとも簡単に書き換えられてしまった。


「……久々にその名前を呼ばれた気がする」


 アルフォンスは口角を上げる。やっぱり、右の口角の方を吊り上げて。


「家族しか、名前を呼んでくれる人間がいなかったから」

「今は私も家族ですから」


 冗談っぽくセシリアが笑えば、アルフォンスもまた笑った。しかしながら、彼の声色は心なしか元気がない。

 彼は、セシリアから目線を逸らし、花火を見ながら言った。


「でも、お前は領地に帰るんだろう。領地にはお前の家族がいる」


 セシリアは戸惑った。アルフォンスの言葉ではなく、自分の心に、である。


 ずっと早く一年が過ぎないか、と思っていた。

 けれど、いつからだろう。彼と夜食を食べるのが日常になったのは。会話をするのが楽しいと思うようになったのは。


 領地に帰りたくない、と思ってしまうようになったのは。


(どうして、こんな気持ちになるんだろう)


 横顔を見つめる。

 どうしてだろう、アルフォンスはこんなに綺麗なのに、ずっと見ていたいと思うのに、目を背けたくなってしまうのは。


(ああ、眩しいんだ。旦那様が)


 花火に照らされた横顔が、あまりに眩しくて、ずっと見つめられない。

 きっと、自分と住む世界の違う人間なのだと、彼を見ていたら思った。


「旦那様」


 セシリアは、まっすぐに前を見たまま言った。花火が上がる。


「あの日、夜会で声をかけてくださってありがとうございました」

「ああ、俺も自分の選択は間違ってなかったと思っている」


 二人の声と花火の音だけが響く。

 この世界中で、たった二人だけが引き離された感覚さえしてくる。


 フィナーレの花火が上がった。

 何発も競い合うように打ち上がったそれは、まるで、すべて夢だったかのように夜空から消え去った。


「……私、旦那様に声をかけてもらって救われたんです。あの夜会の日は、本当に、絶望の底にいましたから」


 だから、とセシリアは続ける。


「ありがとうございました」


 そう言って、アルフォンスを見れば、彼はいつの間にかセシリアの顔をじっと見つめていた。そして、「ああ、やっぱり」と口にする。


「ああ、やっぱり……眩しいな」

「……? 花火、止みましたけど」

「そうだな」


 意味が分からず首を傾げたが、アルフォンスは答えてくれなかった。


 その後に二人は、すっかり食べるのを忘れていたしっとりとした冷めたポテトを食べることになった。



 セシリアとアルフォンスの結婚契約期間満了は、あと三日に迫っていた。




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