02 余りもののキッシュを召し上がるんですか?
それからの暮らしは、セシリアにとって大変快適なものだった。
アルフォンスは、隣国との間にある自治区の反乱を抑えるために、一年間は、出ずっぱり。
つまり、セシリアはアルフォンスと顔を合わせることすらなかった。
しかしながら、契約期間もあと1か月を切った今日。
予定より少しだけ早く遠征が終わって、屋敷で顔を合わせるのは、まあ、わかる。……わかるが。
なぜ、『白い結婚』をした旦那と食卓を囲んでいるのだろうか。
セシリアは頭を抱えていた。
夜中だったので、食堂ではなく、居間の椅子に腰かけた。丸テーブルにキッシュを置いて、セシリアは一息つく。
「……えーっと、旦那様? もし、お口に合わないようでしたら、無理して食べなくても良いですからね?」
セシリアは、キッシュを切り分けて自分とアルフォンスの分を皿に載せた。
切った瞬間に、少し香ばしい甘い香りが漂ってくる。セシリアの腹の虫はぐうぐうと鳴き続けている。
深夜に料理するのは、セシリアの趣味のようなものであった。なかなか眠れない夜に、料理をすると頭がすっきりすることが多い。それに、出来上がるものは美味しくいただける。
一石二鳥である。
「……いただきます」
「いただき、ます」
セシリアに倣い、少しだけぎこちない『いただきます』が響いた。
アルフォンスは、ナイフとフォークで器用にキッシュを切り分けて、口に入れる。
その瞬間、彼の、人を殺すような目が少しだけ見開かれる。切れ長の目だと思っていたが、それは表情のせいだったのかもしれない、セシリアは思う。
(へえ、二重なんだ。意外とぱっちりした目をお持ちなのね……)
セシリアは思わず自分のフォークを持ったまま、手を止めた。もぐもぐとキッシュを咀嚼する彼を、ついつい見つめてしまう。
綺麗な顔は、まさに芸術品のようだ。
(というか、アルフォンス・グレイブってご飯食べるんだ……)
至極、当たり前のことをセシリアは噛みしめる。
美しすぎる見た目と人間味の無い中身から、アルフォンスが食事をしているイメージが湧いていなかったのだ。霞を食べて生きていると言われても、ギリギリ信じるかもしれない。
「お前は料理ができるのか?」
「うち、コックがいなかったので……」
「伯爵家に、コックが、いない……?」
アルフォンスは信じられない、と言った目でセシリアを見つめた。
この国では、伯爵家と言ってもピンキリなのである。
爵位こそ上位かもしれないが、田舎の小作料に頼りっぱなしだったウィンターズ伯爵家は、領民の減少と共に衰退の一途をたどっていた。
そこらへんの中流家庭の方がよっぽどいい暮らしをしているんじゃないか、とセシリアは思う。
「この料理の名前は?」
「キッシュです」
「…………キッシュというのか」
アルフォンスは、いつの間にか取り分けた分をぺろりと完食していた。
そして、じっと残りのキッシュを見つめ続けている。
食べたいのだろうか、と彼の方を見つめるけれども、その表情からはいまいち感情が読み取れない。
「り、量が足りないですよね。よろしければ、食べますか?」
「いいのか。貰っても」
ぱっ、と顔を上げたアルフォンスの目は、子どものようにきらきらと輝いている。
冷酷無慈悲と呼ばれる騎士団長とは思えない表情だ。彼の横に置かれた、血にまみれた軍服とのミスマッチが凄い。
まあ、美味しく食べてくれるのであれば、セシリアもこれ以上の喜びはないのだが。
「……どうぞ、どうぞ。私は一切れで満足しましたので。遠慮なく召し上がってください!」
「ああ」
アルフォンスは、残ったホールごと自分の前に引き寄せた。
「本当にいいのか。これごと食べても?」
「ええ、もちろん!」
アルフォンスの顔がぱあ、と明るくなる。そして、またもぐもぐと咀嚼していく。特に何か感想を告げるわけでもなく。
もぐもぐと。もぐもぐ。もぐもぐ。
それがリスみたいで、ふ、と笑いがこみ上げる。冷酷無慈悲な公爵家当主、とはいえアルフォンスはセシリアより2個下の17歳の男の子なのである。
(いやいや、私、アルフォンス・グレイブに『可愛い』だなんて不敬もいいところよ!)
アルフォンスは、凄まじい速さでキッシュを口に入れていく。こんなに好評ならばもう少し作っておけば良かったと、セシリアは後悔した。
そうして、彼はかちゃり、とフォークを置いた。ふうと一息つく。
「……俺は、食事なんて栄養を摂るだけの無駄な行為だと思ってきた。あれは暇人のやることであると」
ナフキンで口元を拭いながら、アルフォンスはそう呟いた。あまりに、合理主義的な彼の考えにセシリアは目が点になってしまった。
「最悪、栄養だけ摂れればいいだろう」
驚いたセシリアは、開いた口が塞がらなかった。そういえば、遠征前、アルフォンスは『食事と睡眠の時間は無駄だ』と言っていたことを思い出した。あれは冗談ではなかったらしい。
「まあ。それを言ってしまえば元も子もないですが……」
セシリアの言葉に「だが」と、被せるようにアルフォンスが言った。
「────このキッシュは美味かった。久々に食事も悪くないと思えた」
アルフォンスは、笑みを浮かべた。形のいい唇がきゅっと吊り上がる。彼は笑うと右の方を上げる癖があるらしい。
セシリアは思わずくらりと倒れそうになってしまう。顔が良すぎて。
「他にも作れるのか」
「ええ、キッシュ以外も作れますよ。シチューとか、ポトフとか……まあ、田舎料理ばっかりなので、お口に合うかわかりませんが」
都会のようにおしゃれなものはセシリアには作れない。弟と妹にお腹いっぱいになってもらうための、お腹にたまるレシピしか知らない。
アルフォンスの口になんて合わないだろうと思ったが、余りもので作ったキッシュが気に入ったのならば、他の料理も好きかもしれない。
「明日も……………いや」
アルフォンスは、何か言いかけて口を噤んだ。
その顔には遠慮、というよりも気恥ずかしさが滲んでいるようにみえた。
「……今日は疲れた。もう寝る」
「はい、おやすみなさいませ」
アルフォンスは、血に濡れた上着を掴み上げると、食卓を後にしようとする。
その背中が少しだけ寂しそうに見えて、セシリアは困ってしまった。
(いやあ、絶対、他の料理も食べたそうだったよね。でも、もし違ったら……?)
声をかけて、うっかり怒らせるようなことがあれば大変だ。ウィンターズ伯爵家は、今度こそもう終わりである。
どうせ、あと一か月耐えるだけ。それならば、つつがなく『白い結婚』を終えた方がいいだろう。だが、放っておけないのは長女の性だろうか。
「だ、旦那様!」
「……なんだ?」
「明日は、具材たっぷりのシチューを作ろうと思っているのですが!」
カチカチ、と振り子時計の音だけが居間に響き渡る。二人の間に沈黙が落ちた。
(私、何が言いたいの!? 突然、献立宣言したって何にも伝わらないでしょうが!)
セシリアは心の中で頭を抱えた。
家族に接するように声をかけるわけにはいかない。かりそめの旦那に、なんて声をかけるのが適切なのだろう。セシリアは分からなかった。
下の兄弟と領地復興のために奔走し、恋愛経験どころか、ろくな友人もいない。セシリアの心は、迷子になった子どものように不安でいっぱいだった。
アルフォンスは、足を止め、ゆっくりと振り返って言った。
「ああ、では明日はもう少しだけ早く帰ってこないとな。シチューとやらのために」
そう言って、アルフォンスはふっ、と笑みを浮かべる。エメラルドの目が細められ、セシリアがぎゅっと心臓が痛くなった。
(……うっ、やっぱりカッコいいんだよなぁ)
面食いではないが、彼に微笑まれると心がぐらぐらしてしまう。
セシリアはその心のぐらつきがバレないように、そっと微笑み返す。
(なんだか、アルフォンス・グレイブってさあ……)
いうほど、怖い人間ではないのではないか。
一人取り残された居間で、ぼんやりとセシリアは思った。