01 あまりに好条件すぎる提案では?
その日、彼の暗闇に満ちた世界は一気に明るくなった。
例えるならば、ありきたりだが、そう────太陽のような女の子だった。
◇
深夜2時。がちゃりと屋敷の扉が開き、大きな人影が入ってくる。
真っ黒な軍服だから、汚れは目立たない。
だが、纏う雰囲気だけで、全身が血まみれであることがわかる。白い頬にも真っ赤な血が付いているが、それは彼のものではない。
────すべて、返り血である。
その姿を見てしまったセシリアは、思わず硬直した。
(こっわ。こわこわ。絶対話しかけないでおこ……まあ、話すこともないんだけど……)
セシリアは、先ほど焼き上げたキッシュを自分の部屋に運んでいるところだった。
掃除の行き届いた広い屋敷に文句を一つ付けるとしたら、台所から自室に行くために玄関を経由しなければならない、この構造だろう。
「おかえりなさいませ。旦那様。それでは、おやすみなさい」
手にキッシュを持ったまま、セシリアは礼をした。
特に会話をすることもなく、彼女は上機嫌で自室へ戻る。どうせ旦那様はセシリアがどんな行動をとろうと気にも留めないのである。
彼にとってセシリアは、道端を歩いているアリと同じなのだ。
セシリアの足取りは軽い。
(にしても、今日はよく焼けたんだよなぁ……)
「おい」
(気難しいコック長に今日のあまりの野菜分けてもらって、本当に良かったわぁ。おかげで具材たっぷりだし)
「なぁ」
(いい香りぃ……深夜に食べるこの背徳感が堪らないんだよね……!)
「おい!」
「はいぃ!?」
唐突な大声に、セシリアの肩はビクンと跳ねる。
ぎぎぎ、と壊れた機械人形のように首を回せば、怖い顔をした男が目に入った。
いつ見ても驚くほど綺麗な顔であるが、人を殺しそうな表情のせいで台無しである。
「だ、旦那様。私などにどういったご用でしょうか」
「それは何だ」
男は、セシリアの手にあるキッシュを指さした。まさか、勝手に台所を使ったことを怒られるのかとセシリアは身構えた。
「それは何だ、と聞いているんだ」
「……焼きたてのキッシュです」
「…………」
(ついに殺される、首を刎ねられる……おかしいと思ったんだもの、こんなうまい話があるわけないって!)
せめて殺すならば、この上出来のキッシュを食べてからにしてほしい。あ、それと田舎の領地で帰りを待っている両親に遺書も残したい。あ、それとそれと、どうせ死ぬなら婚約破棄をしてきた男爵家の次男に一筆恨み言を書きたい。
……果たして、そんな時間あるんだろうか。
結構図太いことを考えながら、セシリアは男が剣を抜くのを待った。
しかし、一向に待ってもセシリアの首が飛ぶことはなく、代わりにこんな言葉が降ってきた。
「……腹が、減った」
「えっ」
この男、とても血が通っているようには見えないのに、腹が減るのか。
セシリアは首をすくめた。
だがしかし、人を殺しそうな表情は、よく見れば空腹時に不機嫌になる下の兄弟に似ている気もする。
屋敷の台所の前で、『ねぇ、姉ちゃん晩ご飯まだぁ?』と駄々をこねる下の子たちの姿が思い浮かんで、セシリアは頬が緩む。
当然ながら彼も人間である。体を動かした後に何も食べないというのは辛いだろう。
「えーっと、食べますか?」
思わず、セシリアは、手に持ったキッシュを差し出してしまった。
ああ、白い結婚に、こんな善意は必要ないだろうに。
セシリアは自分が長女であることを恨んだ。
◇
白い結婚。
わが国では、夜の関係を持たなかったことを理由に、教会に結婚の破棄を申し立てることができる。まあ、つまり、愛の無い結婚は無効にできる。
それを契約として持ちかけられたのは、とある夜会でのことだった。年に一度開催される、王国中の貴族が参加必須ものだ。
貴族たちがワインを片手に、上機嫌に談笑している。だが、そんな煌びやかな会場の中、セシリアはホールの端で絶体絶命のピンチを迎えていた。
『セシリア・ウィンターズ伯爵令嬢、お前との婚約を破棄する!』
『……えっ。えぇーっ!』
そう告げてきたのは、セシリアの婚約者であったユリウス・フォーンである。
男爵家の次男である彼とは、一年前に婚約し、結婚の手続きを進めているところだった。
セシリアは驚きのあまり、はしたなくも大声を上げてしまった。そのせいで、周囲の貴族からの視線が痛い。
『俺は、アリア・ロンチェスター子爵令嬢と真実の愛を育むことにした……っ!』
ユリウスの横には、ぴったりと腕を組む女性が一人いた。
緩く巻いた髪は今っぽくアレンジされており、ドレスも最近王都で流行っている型だった。腰元のリボンが編み上げになっており可愛らしい。
一方、セシリアの着ているドレスは母のおさがりである。ドレープが美しいドレスではあるが、時代遅れ感は否めない。髪も自分でまとめ上げただけである。
『というわけだ。セシリア、婚約破棄を────』
『ま、待ってください!』
セシリアは叫んだ。
ユリウスという男には、愛情なんてこれっぽちもない。だが、この婚約、もとい結婚は、セシリアにとって死活問題なのである。
『持参金は!?』
『は? 持参金? なんで、お前の家に婿に入るわけでもないのに、金なんて払わなきゃならないんだ』
『……ああ、ど、どうしようぉおお』
フォーン男爵家とウィンターズ伯爵家は、本来家柄としては釣り合っていない。
この婚姻は家の格を上げたいフォーン男爵家と貧乏で没落寸前のウィンターズ伯爵家の利害の一致から生まれたものである。
フォーン家の持参金が無いと、ウィンターズ伯爵家は没落する。間違いなく。
おいそれと、『真実の愛』ごときで婚約破棄してもらったら困る。
『私はお飾りの妻になっても構いません。ですから、どうか婚約破棄だけは……!』
『アリアは子爵令嬢だ。多少家の格もあげられる。両親も納得してくれたよ』
『いやいや、待って。そんな……!』
クスクスと周囲の笑い声が聞こえる。この調子ならば、この会場のどこかにいる両親の耳に入るのも時間の問題だろう。
『終わった。私の人生……終わった、ウィンターズ伯爵家。ごめんね、領民のみんな……ごめんねお父様、お母様……』
去っていくユリウスとアリアの背中を見つめながら、セシリアは、ぼんやりとこれからのことを考えていた。
領地を売って没落貴族になったとして、労働の一つもしてこなかったセシリアを雇ってくれる場所なんてない。
一家離散。借金地獄。
そんな単語が脳裏にちらついた。
セシリアは、ふらふらとバルコニーに出る。人目の少ないそこは、傷心中のセシリアの心を落ち着けるにはちょうど良かった。
ふと、見上げれば、燦然と星が輝いている。
『真実の愛、ねえ……』
昔は、愛のある結婚に憧れたこともあった。けれど、セシリアも19歳。
世の中がそんなに甘くないことは、なんとかユリウスとの婚約に漕ぎ付けたのにも関わらず、あっさりと婚約破棄をされた、セシリア自身が一番良く知っていた。
と、その時だった。セシリアの横から低い声が聞こえた。
『お前、ウィンターズ伯爵令嬢だな』
ふと声の方を見たセシリアは、返事をする前に全身が固まってしまった。
サラサラした艶やかな金色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。
星空と月夜を背景に立つ彼は、神がありとある英知を集合させて作ったと言われてれも、信じてしまいそうな美形である。
彼は、セシリアよりも2歳下の17歳であるというのにも関わらず、堂々とした佇まいで、こちらを向いている。
『ご、ご機嫌麗しゅう、アルフォンス・グレイブ公爵閣下……!』
目の前の男は、頭を下げるセシリアを冷たい目で見下ろした。
アルフォンス・グレイブは、グレイブ公爵家の若き当主である。
その眉目秀麗な見た目もまた、彼が有名人たる理由であるが、一番はその『強さ』にある。
グレイブ公爵家は、代々騎士団長を務める家系であった。騎士団長、と言っても基本的にはお飾りの肩書である。当然、戦場に出るなどあるはずもなかった。
……彼が、騎士団長に就任するまでは。
三年前に当主が亡くなってから、アルフォンスはわずか14歳にして、後見人も立てずに公爵家当主と騎士団長の座を継いだ。
(そうして、各地に自ら乗り込んでいき、剣を振るい、反乱を平定していった……と)
彼は、たった一人で敵国の小軍隊を壊滅させたこともあるという。敵国からは『戦場の悪魔』だと呼ばれているらしい。
(……いやいや、待って。そんなアルフォンス・グレイブが、婚約破棄されたばっかりのド田舎の伯爵令嬢に何の用なんですか!)
セシリアは、額から吹き出す汗が止まらなかった。うっかりすれば、気絶してしまいそうである。
彼を目の前にしただけで、威圧感で押されて足がすくんで動かなくなる。獅子に睨まれた小動物の気持ちだった。
人違いであることを祈ったが、ばっちり『ウィンターズ伯爵令嬢』と呼ばれている。
セシリアは唇を噛んだ。
『まどろっこしいのは嫌いだから、結論から言おう。俺と白い結婚をしてほしい。金は出す』
『……金、ですか!』
セシリアは、パッと顔を上げた。
確認したいことも山ほどあるし、ツッコミどころも沢山ある。
だが、セシリアは『金』という単語に目を光らせた。
なんで突然?とか、白い結婚云々よりも、そちらに先に意識がいってしまうのは仕方のないことだと言える。
ウィンターズ伯爵家は、先ほどの婚約破棄により没落寸前なのである。
『お金って、ど、どれくらい……?』
『俺が言うのもなんだが、お前、もっと先に聞くべきことがあるだろ……』
そう言いながら、彼が指で提示したのは、ウィンターズ家が持ち直すレベルの金額だった。セシリアはさらに目を輝かせた。
フォーン男爵家の持参金よりも、ずっと条件が良い。
『ええ、もちろん、ええ結婚いたしますとも!』
『気が早い。ちゃんと最後まで聞け』
契約を急ぐ商人のようにそう言えば、提案を持ち掛けてきた男は少し呆れた様子で続けた。
『これは、愛のない結婚だ』
『はい、存じております』
『結婚する理由は、あまりに周囲が煩わしすぎるからだ。具体的に言えば、生活に支障がでるくらい。この前はどこかの令嬢に不法侵入された。あの時は……大変だった……』
『あー……』
アルフォンスのあまりに整った顔面を見て、セシリアは納得した。
顔が良すぎるというのも考え物である。
『一度結婚してしまえば、再婚のハードルも高くなる。そこで、お前と一度結婚し、別れようという算段だ』
セシリアは頷く。
我が国では、白い結婚を理由にしたとて、一度パートナーと離縁した人間は、結婚はおろか恋人を作ることさえ難しくなる。
通常それはデメリットだが、彼にとってはメリットになるという訳だ。
話を進めていけば、セシリアは王都の屋敷に住むだけで良いという。
屋敷の管理も、貴族との交流も、全く必要が無いらしい。日中は好きに過ごしてもらっていいとのことだった。
しかも、アルフォンスは数日後から長期の遠征に出かけるという。旦那のいない屋敷でごろごろ、のびのび。
(あまりに好条件すぎない……!?)
さすがのセシリアも好条件過ぎて怖くなってくるレベルである。
デメリットとしては、婚歴に傷がつき、再婚が難しくなることくらいだろうが、いずれ田舎の領地に帰るセシリアにはどうでもいいことだった。
『でも、なぜ私……?』
『さきほど、婚約破棄をされていたのを見た』
『……お恥ずかしいところをお見せしました』
アルフォンスは続ける。
『お前は、泣いたりわめいたりせず、真っ先に持参金の心配をしていただろう。金というわかりやすい契約に乗ってくれる人間の方が好都合なんだ。……絶対に、コイツしかいない、と思った』
『あ、ありがとうございます?』
微妙に褒められていない気もしたが、礼は言っておいた。
確かに、こんなとんでもない美形と結婚すれば別れたくないと思う令嬢の方が大半だろう。その点、セシリアは没落回避のことしか頭に無い。
『ちなみに、期間はどれくらいにいたしましょう?』
『1年間だ』
『ええ、いちねん!?』
セシリアは思わず両手で口を覆った。提示された金額的に、せめて3年くらいかと思っていたのだ。
『はぁ、なんだ。お前もずっと結婚しろとかいうクチか?』
『いえ、たった一年で、そんな額が稼げるなんて、日割りしたら凄い金額になるなと思いまして……いやぁ、コスパ……いい……!』
『……そうか』
ホッとしたような顔のアルフォンスは、ずいぶんと恋愛のトラウマが多いのだろう。
安心させるために、セシリアは言った。
『もし、私が────』
セシリアは、彼の左腰に下がっている剣を指さした。
『────貴方に恋をしてしまった時は、その腰の剣で殺してもらってもいいですよ』
その言葉に、アルフォンスは目を見開いて、愉快そうに口角を上げたのだった。
全7部(※随時更新)で完結予定の中編です。
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