第638話 紫雨に融ける炎
紅蓮の残滓が、瓦礫の上でゆらりと揺らめいた。
焼け焦げた空気の中、倒れ伏した美咲はゆっくりと立ち上がる。
「・・・ちょっとだけ、訂正するわ。あなたたちみんな、面白い」
その声は穏やかだったが、底には氷よりも冷たい静寂があるように感じられた。
次の瞬間、彼女の周囲に紫の花弁が舞い散った。
花弁一つひとつが、毒の魔力の核――空気そのものを侵す。
「まだ、立てる気力があるの・・・?」
吏廻琉が唸り、片膝をつきながらも杖を構える。
「それだけじゃありません・・・魔力が、跳ね上がってます」
キョウラが焦燥の色を浮かべた。
「でも、この戦い・・・勝たなければ!」
苺が両手を胸に当て、再び光を集める。
美咲が静かに右手を掲げると、黒い蝶たちが一斉に飛び立った。
それらは羽音を立てて夜空へ溶け、瞬きの間に――雨となって降り注ぐ。
「『大地を溶かせ』。奥義 [アメジスト・ノクターン]」
美咲がその名を囁いた刹那、俺の紅蓮が揺らいだ。
・・・雨に、炎の熱が吸い取られる。まるで、凍てつくように。
嫌な感覚が脊髄を駆け抜け、俺は叫んだ。
「全員、離れろ!」
そこで、苺が庇うように前へ出る。
「[浄光陣]!」
光の壁を展開し、紫の雨を弾き返す。
吏廻琉はその背後から治癒と補助を重ね、キョウラが地を蹴って美咲へと突進した。
「奥義 [聖皇技・天使の舞]!」
光の刃が閃き、美咲の頬をかすめる。
だがその瞬間、美咲の視線がキョウラを射抜いた。
次の瞬間美咲の掌から迸ったのは、紫と黒が混ざった液体の波動。
それを受けたキョウラは、胸を押さえて地面を転がった。
「キョウラ!」
叫びつつ、俺は美咲のほうを見て再び炎を束ねた。
「あら、何か気に障った?それとも──その子に何か、思い入れでもあるの?」
笑う美咲の周囲を舞う毒の蝶が、まるで意志を持つように軌道を描く。
「・・・吏廻琉、補助を頼む!」
「了解よ!」
吏廻琉の詠唱が重なる。苺の光が俺の炎に混ざり、紅蓮が白炎に変わっていく。
熱と輝きが共鳴し、薄暗い地底の空間が昼のように明るくなった。
美咲の目が一瞬、見開かれる。
「眩しい・・・何その力?」
そんな言葉を無視するように、俺は白炎を放つ。
「「[シャイニングフレア]!」」」」」
轟音が鳴り響き、床が割れ、紫の蝶が燃え落ちる。
美咲は血を吐き、体が後方に押し出される――が、その瞳にはまだ、確かな光が宿っていた。
「ううっ・・・」
胸を押さえ、美咲は俯く。
その間にさらなる追撃をしようとしたが、美咲は結界を張ってそれを防いできた。
そして顔を上げたのだが、その目にはもう疲労が浮かんでいた。
「もう、いい・・・」
ゆっくりと立ち上がり、美咲は結界を解除した。そして、これ以上戦う意志はない旨を伝えてきた。
「認めるわ・・・私の負けを。あなたたちの勝ちよ」
だが、それを聞いてもまだ油断はできない。
少なくともキョウラはそう思ったようで、確認するように尋ねた。
「では、魔人の地上への侵攻は断念する・・・ということですね?」
「ええ・・・それでいい。モリアに書いた通り、地上の支配は諦めるわ」
美咲は周囲の野次馬の魔人たちみんなを見回し、宣言するように叫んだ。
「みんな、聞きなさい!見ての通り、私は地上人に敗れた・・・よって私たちは、地上への侵攻を断念する!」
元より周囲で決闘の様子を見ていた魔人たちは、不満げな顔をしつつも、口先では「仕方ない」「美咲様が負けたんなら・・・」などと、渋々ながらも納得したようだった。
ちなみに、俺たちをこの戦いへ招待した張本人であるローレンは、こんな台詞を吐いていた。
「美咲様が・・・いや、地上人の強さを見誤っていたのか。むしろ俺は、いい連中を連れてきたのかもしれん・・・」
その後改めて、美咲は全ての魔人に自身の敗北と、地上侵攻を断念したことを、自身の居城の玉座で公表した。
その際俺たちは、決闘の会場の前にあったあの奇妙な建物が彼女の居城であったことを知った。
さらにそこから続く形で、美咲は俺たちに対して謝罪してきた。なんでも、彼女は実力を認めた者には心からの敬意を示すらしい。
「それで、その・・・申し訳ないんだけど」
美咲は、気まずそうに続けた。
「あなたたちの実力を見込んで、頼みたいことがあるの」
果たして、何を頼み込んでくるのか。
俺は、小さくない緊張と期待を抱きながら、話を聞いた。




