第614話 鎌が裁くのは
空気が裂けた。
金属の打ち合う音が、火花とともに散る。
アグレスとジェイル、二人の鎌が正面からぶつかり合い、火の粉を散らした。
ジェイルの足が床を滑り、アグレスの腕が震える。互いに、もう何度も致命打を逸している。だが一歩も退かない。
「・・・ほんと、強くなったじゃないか。親父の仇を討つために、そこまで研ぎ澄ませたってのかい?」
アグレスの口調は静かだった。挑発でも、皮肉でもない。
だがジェイルの目が、ますます怒りに燃える。
「うっさいわ・・・口を利くな!」
叫びとともに、鎌が唸りを上げる。
ジェイルの魔力が弾け、蒼い刃が幾重にも分裂してアグレスに襲いかかる。
それをすべて受け流すアグレスの動きは、流れるようでいて、どこか苦しげだった。
アグレスは言っていた――受け止めてやると。
その言葉の通り、彼女は反撃をしなかった。攻める隙があっても、ただ受け止め続けた。
「なんで反撃しないんだ!」とリャドが尋ねると、アグレスは無表情で答えた。
「・・・罪を背負った側が、救いを求めちゃいけない」
一瞬、ジェイルの動きが止まる。
その隙に、アグレスの鎌が彼女の首筋をかすめたが、切ることはなかった。
ただ、風圧だけがジェイルの頬を裂いた。
血が滴り落ちる。それでも、ジェイルは笑った。
歯を食いしばり、涙と怒りが混ざった顔で、吠えた。
「・・・だったら!死んで償え!!」
咆哮と同時に、地面が爆ぜた。
ジェイルの足元から無数の蒼光が立ち上がり、魔力の槍が雨のように降り注ぐ。
アグレスは腕で顔をかばいながら後退――しかし、一筋の槍が肩を貫いた。
「っ・・・!」
血が飛び散り、鎌が床に落ちる。
その瞬間、ジェイルが跳び込んできた。
刃が、真っ直ぐにアグレスの胸を狙う。
だが――アグレスの目は、どこか穏やかだった。
「・・・いいんだ。そうやって、あんたが前に進めるんならね」
その声と同時に、アグレスの魔力が爆ぜた。
落ちていた鎌が宙に舞い上がり、軌道を描いてジェイルの背後から迫る。
彼女が気づいた時には、すでに遅かった。
鎌の刃が、彼女の背中のマントを切り裂き、皮膚を浅く裂いた。
アグレスはすぐに鎌を引き戻し、構え直す。
「・・・あたしを殺したいんだろ?」
アグレスの声は、淡々としていた。
その眼差しには怒りも憐れみもなく、ただ、すべてを受け入れた者の静けさがあった。
「だったら――その覚悟を見せてみろ。命を懸けるってのは、そういうことだ」
アグレスの足元が、赤い光を帯びた。
床の紋様が浮かび上がり、鎌の刃に紅蓮の魔力が迸る。
その光は血のように濃く、罪を焼くように熱い。
「ジェイル・・・あんたの“答え”ってやつを、見せてみな!」
挑発でも命令でもない。
その声には、ただまっすぐな願いがあった――この憎しみの鎖を、自らの手で断ち切れと。
「っ・・・あたしの“答え”は、最初から決まってる!!」
ジェイルが吠え、蒼い魔力が爆発した。
空気が弾け、風が逆巻く。二人の魔力が空間でぶつかり合い、火花を散らした。
彼女の鎌が地を削り、軌跡を描いてアグレスの頭上から振り下ろされる。
アグレスは一歩も退かず、鎌を横に構えた。
「――[紅断・グレイフォール]!」
紅の斬撃が閃いた。
地を割るほどの力で横薙ぎに振るわれ、蒼と紅の光がぶつかり、轟音が空間を裂く。
衝撃が弾け、二人の姿が煙の中に消えた。
そして次の瞬間――蒼光が、消えた。
「・・・な、に・・・?」
ジェイルの動きが止まる。
彼女の鎌は空を切り、肩口から血・・・ではなく、蒼い魔力が噴き出していた。
アグレスの鎌が、正確に彼女の腕の付け根を斬り裂いていたのだ。
ジェイルはよろめき、息を荒くする。
だが、アグレスは追撃しない。ただ、鎌を下ろしたまま言った。
「・・・終わりにしよう、ジェイル。あんたがこれ以上、誰かを憎む前に」
その言葉に、ジェイルの目が大きく揺れた。
怒りでも涙でもなく、ただ――困惑。
まるで、自分が何をしたかったのかを見失ったように。
「なんで・・・なんで止めを刺さないんだよ!」
「刺したさ・・・とっくにね。だから、もう充分だ。憎しみにとらわれて人を殺しても、空っぽの心しか残らない。あたしは、それを知ってる」
アグレスはゆっくりと近づく。
ジェイルは震えながらも、鎌を構えようとしたが――腕が上がらない。
彼女の魔力は尽きかけ、身体も限界だった。
「・・・あんたが、あたしを許さないのは当然だ。けど、あんたが親父の意志を継いで、強くなったのもまた当然だ」
アグレスはそっと手を伸ばし、ジェイルの頭を押さえた。
ジェイルは震える唇を噛みしめ、声にならない嗚咽を漏らす。
「なんでだよ・・・なんで、そんな顔で・・・」
「それが“贖罪”ってやつだよ・・・あたしなりのね」
静寂が落ちた。
血の匂いが薄れ、戦場に冷たい風が吹き抜ける。
アグレスの鎌が地面に突き刺さり、カラン、と乾いた音を響かせた。
「だが、あんたがこれまでしてきたこともあるからね・・・こうしよう」
アグレスが手をかざすと、ジェイルの体は白い光の球に包まれた。
そしてそれが消えると、ジェイルはその場に倒れて動かなくなった。
「これでいい・・・あとは、あの二人だね」




