第596話 地上を目前にして
その後も、いくつか小さな異形が姿を見せた。だが、いずれもさしたる脅威ではなかった。
柳助が岩を叩き割るように粉砕し、樹が水で切り払う。
そして俺も、斧と剣とを変形させながら、炎を放ちつつ切り裂いた。
特に大規模な戦いはなく、道中は拍子抜けするほど順調だった。
山の上で死闘を繰り広げた思えば、これくらいはむしろご褒美なのかもしれない。
やがて気温も高くなり、これまで以上に濃い緑が広がるようになった。
木々の枝や草を揺らす風は冷たさを残しつつも、どこか懐かしい匂いを運んでくる。
湿った土の匂いも香り、ようやく、人の暮らす土地に近い場所に戻ってきたのだと実感した。
「かなりいい感じの雰囲気になってきたな。もう、麓が近いんじゃないか?」
「ああ、もう少しだ。ここは標高600メートル地点、下山完了まであと少しだ」
ただ、今日はこの辺りで停泊する、と輝は言った。
まあ、すでに夕方5時をまわっているし、やむ無しだろう。
「この調子なら、明日には山の麓に降りられそうだな?」
「そうだな。・・・何もなければ、だけど」
フラグを立てるな、と言いたいところだったが、あながちあり得なくもないので笑えない。
無事に下山が終わるまで、何も起きないことを祈るばかりだ。
翌朝、6時きっかりにラスタは出発した。
幸運にも天気は良く、雲はちらほらあれど、雨も雪も降っていない。
そして、特に寒くもない。
ラスタには、内部の気圧だけでなく気温も一定に保つシステムがあるが、これをつけるまでもなく気温は安定していた。
寒くはないが、かといって暑くもないという、ちょうどいい気温であった。
まだ寝起きなのもあり、ぼんやりと廊下の窓から外を眺めていたら、聞き馴染みのある声がした。
「おはようございます」
声の主は、キョウラだった。
修道士特有の白いローブは、汚れもしわもなくきれいに整えられており、整えられた髪は水気を含んでいる。
まあ、キョウラは起きたらまず風呂に入って髪と服を整えるのが日課なようなので、これには特に不思議はなかった。
「もうすぐ、地上なんですよね」
「ああ。たぶん、もうあと数時間もないだろうな」
「地上・・・エルメルの国に、戻るんですよね」
「そうだな。そしてそのまま、首都に向かうんだ」
すると、キョウラはかすかに悲しげな顔をした。
「エルメル・・・今まで見てきた限りでも、とても悲惨なことになっている国でしたが、首都はきっと、もっとひどいことになっているのでしょうね・・・」
「まあ・・・そうだろうな。首都だけマシ、ってことはないだろうし」
エルメルは、200年前の“月葬の夜会”のクーデターによって国家が転覆し、乗っ取られた。
その後、今に至るまで奴らが好き勝手しており、国としてはもはや機能していない状況が続いている。
前に誰かが似たようなことを言っていたが、この国は今や、死んでいるも同然なのだ。
生きているのは夜会の連中と、それと癒着している盗賊たち。それと、わずかにいる難民も同然の人々だけだ。
「この国の人たちは、何も悪くないですよね。なのに、夜会と盗賊たちのせいで・・・」
「そうだな・・・」
キョウラにしてみれば、それはとても辛いことであるのだろう。
彼女でなくとも、無実の人々が、無法地帯も同然の国で、常に怯えながら貧しい生活をしなければならないという状況は、辛いものがある。
「首都には、夜会の本拠地があるんでしたよね。そこを潰し、彼らを壊滅させたとして、この国は、何か変わるのでしょうか・・・」
それは、正直わからない。
だが、俺は彼女にこう答えた。
「変わるさ、きっとな。国を好き勝手してる暗殺組織と、盗賊がいなくなるんだ。少なくとも、今よりはマシになるさ」
「・・・そうだと、いいのですが」
キョウラは呟き、どこか祈るような面持ちで、窓の外を眺めた。
豊かな緑の森林の中に、時折灰色のごつごつした岩が混じる。
それらは、ここがまだ山であることを示す指標のようでもあった。
地上はもうすぐだ。だが、同時に・・・
おそらくこの国で最大の、最強の敵組織との戦いの時も、もうすぐだ。
国を乗っ取った暗殺組織“月葬の夜会”、そして盗賊団“ラフトレンジャー”。
奴らを潰し、この国に平和を取り戻す。
それが、このエルメルでの俺たちの最終目標で間違いないだろう。




