第590話 険しき下山の道
ラスタはゆっくりと雪山を下っていく。
分厚い氷の壁をすり抜ける風は容赦なく、浮遊する車体を何度も揺らした。
「・・・また来る!」
操縦席にいた輝が声を上げ、すぐさまラスタの出力を調整する。
直後、吹き荒れる烈風が車体を叩き、きしむ音が内部に響いた。
俺は思わず手すりを掴む。
危うく床に投げ出されそうになったが、ラスタはなんとか持ちこたえていた。
「ひゅー・・・高いところも苦手なのよね、あたし」
ソティアが窓の外を見下ろし、肩をすくめて笑った。
断崖絶壁の下には深い谷底、白銀の世界が広がっている。
「そんなこと言って・・・顔、楽しそうだぞ」
アーツがからかうように言うと、ソティアはむっとしてそっぽを向いた。
「べ、別に!少しスリルを感じただけよ!」
その横で、リャドとミアは不安そうに互いの手を握っていた。
「・・・ラスタは、大丈夫なんだよな?」
「ええ、きっと」
不安を打ち消すように、ミアが必死に頷く。
「心配するな。俺たちはこれまで何度も死地を越えてきた。雪山ごときにやられるもんか」
そう言って肩を叩くと、リャドは小さく「そうか・・・そうだよな」と返した。
外では、雪が断続的に降り続けていた。
視界は白く霞み、遠くの稜線はほとんど見えない。
だがその中を、ラスタの淡い魔光が切り裂くように進んでいく。
「この辺りは地形も悪いから、下山は大変だろうな。けど、もう少し山を降りれば、多少は楽になると思う」
俺がそう口にした時、車体が大きく軋み、床がぐらりと傾いた。
いや、正確にはラスタ全体が前方に大きく傾いた。
「な、何だ!?」
「せ・・・雪庇だ!」
輝の叫びが聞こえた。
なんとか操縦室にたどり着き、前方の窓を見て、俺は血の気が引く思いがした。
そこから見えていたのは、高さ30メートルはあるであろう崖の岩肌と、そのはるか下の地面。
しかも、そこはなぜか雪ではなく、ごつごつとした岩が飛び出ている。
「お、おい・・・これ、控えめに言ってかなりヤバい状況だよな・・・!?」
「大丈夫だ!こんな時のために、対策を・・・!」
輝はそう言いつつ、コクピットにあった緑のレバーを前に倒した。
すると、窓から見える崖下の景色が少しずつ遠ざかり始めた・・・つまり、ラスタが後退し、崖の上に戻り始めたのだ。
「おお・・・!いいぞ!その調子だ!」
歯を食いしばりながら、輝はレバーを前に倒し続けた。
するとラスタは、ヘリにロープで引き上げられる救助者のように、ゆっくりと後ろの崖の上に戻っていった。
そして、ついに完全に上に戻ることができた。
「ふう・・・」
輝はため息をつき、「これでもう大丈夫だ」と続けた。
「もう、落ちるなよ?」
「わかってる。早いとこ、こんな危なっかしい地形のところ抜けたいな」
それから数日が経った
あれからもう、ラスタが雪庇を踏んで落ちそうになることはなかった。
地形も少し落ち着いてきて、以前のような崖や雪庇も減ってきた。
だが、今度はその代わりだとばかりに、猛烈な吹雪が襲ってきた。
視界が悪くなるのはもちろん、ただでさえ寒いというのに、余計に寒くしてくれる。
外が寒くなると、それだけラスタ内を暖めるための暖房が必要になる。
その暖房には炎の魔力結晶を使っているが、数には限りがある。
・・・と思ってたが、あおいがいるのでその心配は無用だった。
食料や生活用品に限らず、魔力結晶まで自在に生み出せる彼女の能力は、本当にありがたい。
そんな中、吹雪はピタッと止んだ。
かと思うと、その2時間後にはまた降り出した。
山の天気は変わりやすいと言うが、それはこんな高山でも一緒なのか、と思った。
「この雪景色も、そろそろ見飽きてきたな・・・」
俺はそう呟きつつ、輝に現在地と麓までの推定所要時間を尋ねた。
「今は、標高2300メートル地点・・・最寄りの麓から、道のりにしておよそ120キロの位置にいる。麓につくのは・・・速くても3日後だろうな」
「そんなにかかるのか?」
「まだ地形が悪いところがあるし、何より天気がな・・・急いではいるんだけど、安全に行こうとするとどうしても・・・」
まあ、それについては輝を責めるつもりはない。いかなる場合でも、安全第一で進むのは基本である。
「向こうは、合流の日時を指定してきてはいないんだよね?」
「ああ。場所については・・・首都の近くまで来たら、連絡しろって言ってたな」
「わかった。それさえわかれば、十分だ」
輝は操縦桿を握り、ラスタを引き続き走らせる。
俺はその背中に、「頼むぞ」とだけ言い残して自室に戻った。




