第549話 命令と、選択と
焚き火のぱちぱちと弾ける音だけが、静かな空気の中に溶けていた。
ルファリアは木陰で刀を磨き、ミアは火のそばで甘いものをつまんでいる。
俺はといえば、斧を膝に置きながら、ただ夜風に耳を澄ませていた。
――どういう話をしてるんだろうか、あの二人は。
マーディアの主と、ムーランの戦姫。
互いに殺し合ってきた歴史を背負い、それでも、今さら話すことがあるのか。
そんなことを考えていたときだった。
足音が聞こえた。硬い地を踏む、しなやかな音。
それだけで、誰だかすぐにわかった。
リュミエールが、戻ってきた。
俺たちに背を向けるように、ゆっくりと坂を下りてくるその姿は――どこか、違って見えた。
あの気迫はまだ残っているが、それ以上に、なにかを飲み込んだ人間・・・いや、異形特有の静けさが、そこにあった。
「・・・話は終わったのか?」
俺が問いかけると、リュミエールは軽くうなずいた。
「ええ。一応ね」
その声は冷たいでもなく、柔らかすぎるわけでもなかった。ただ、“変わった”のだと、俺にはそれだけで分かった。
「で、あいつはなんて?」
「・・・私たちの在り方を、否定はしないと。敵同士であっても」
リュミエールの言葉に、ルファリアがわずかに眉を動かす。
ミアは菓子を口に入れたまま、じっと彼女を見つめていた。
しばらく沈黙が流れた。
そして、リュミエールは火のそばまで来ると、腰を下ろした。
ついさっきまでのことを思うと、考えられない距離感だ。
「・・・何見てるの?」
「いや、なんとなくな」
「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいでしょう」
「言ってもいいのか?」
少しだけ、からかうような口調になった俺に、リュミエールは肩をすくめて見せる。
「・・・まあ、言われなくても何となくわかるけどね」
彼女は火の揺らめきに目を細めたまま、しばらく何も言わなかった。
その横顔は、戦場で剣を交えたときよりも、よほど疲れて見えた。
「それにしても、今日は派手にやってくれたな」
俺がそう言うと、彼女は眉ひとつ動かさずに答えた。
「任務だったのよ。あの時点では、それ以外の選択肢なんてなかった」
ルファリアの視線が、鋭く火越しに突き刺さる。
「まるで、今は違うみたいな言い方だな」
その声には棘があった。
無理もない。
ルファリアとリュミエール、マーディアとムーランが過去に何度も戦ってきたことは、聞いていた。
たとえ今こうして火を囲んでいようと、積み重ねた因縁が消えるわけじゃない。
だが、リュミエールはその刺すような言葉にも、ただ静かに応じる。
「違うわ。今の私は、“命令”より、“選択”を重く見ている」
「言うだけなら、誰にでもできる」
「信じろなんて言わないわよ。・・・信じられないでしょうし、実際」
それを聞いて、ルファリアはわずかに目を細めると、刀を鞘に収めて立ち上がった。
「まあ、今日のところはこのくらいにしておいてやる。寝る」
「ずいぶん寛大なのね。昔のあなたなら、もう一戦仕掛けてきてもおかしくなかったけれど」
「・・・今は“命令”より、“選択”を重く見ているからな」
ルファリアの返しに、リュミエールがくすりと笑った。
・・・なんだろうな、この感じ。
さっきまで敵だった奴が火を囲んでいて、その隣にいた女が、どこか少しだけ柔らかくなっている。
俺は斧を置き、薪をくべながら言った。
「で、今さらなんだが、あんた――」
「リュミエールよ」
「そうだったな。リュミエール、あんたはこれから、どうするつもりなんだ?」
彼女は俺を一瞥し、そして、少し空を見上げた。
空はまだ夜の深い青。けれど、遠く東の方角には、ほんのわずかに、光の気配がある。
「・・・わからない。でも、今すぐここを離れる理由も、なくなった気がしてる」
「それは、主の言葉に心動かされたってことか?」
「・・・あの人は、ただ“受け入れた”だけ。私のことも、ムーランのことも、過去のことも。許したわけじゃない。でも、切り捨ても、しなかった」
リュミエールはそう言って、ふっと微笑んだ。
「正直、ずるいと思う。・・・ああやって、全部をそのまま見つめて、“あなたはあなたのままでいい”なんて、言えるなんて」
俺は、黙ってその言葉を聞いていた。
リュミエールが口を閉じ、しばしの沈黙。
ミアが、そっと菓子を差し出す。
「これ、食べる?」
思わず吹き出しそうになった。
さすがだな、ミアは。
「・・・甘いのは、ちょっと」
そう言いつつも、リュミエールは菓子を一つ、手に取って口に運ぶ。
しばらくもぐもぐと咀嚼して――
「・・・悪くないわね」
ミアが満足げにうなずいた。
焚き火の明かりが、夜の静寂に包まれて揺れている。
新しい一日が、近づいている気がした。
少なくとも、誰かの選択が何かを変えたのは確かだった。




