第527話 亜流奥義・終彗
辺りの空気が冷たい鈍色に染まり変わる。
そして──
「っ・・・!」
龍神が膝をつく。鼻から血を垂らしながら、歯を食いしばった。
「な、なんだ・・・身体が、内側から・・・」
「これは・・・ただ、凍結されているのではありません。魂が、“削がれて”います!」
キョウラが、悲鳴にも似た声で叫んだ。
吏廻琉とリャドが説明してくれたのだが、呪いの霧というものは、肉体ではなく魂そのものに干渉する。
通常の治癒はもちろん、結界の解除も即効性を持たない。
つまり、回復が難しい・・・というか、ほぼできないものなのだという。
ある意味、血の契約よりたちが悪い。
「このままじゃまずい・・・早く、あれを壊さないと・・・!」
ミアが扇を精密に操って炎を起こし、結界の端にある香炉の一つを狙う。
だが、香炉の周囲には盾のように霧が渦を巻いており、風すら通さない。
「・・・これ、ちょっとしたバリアじゃない・・・!」
「ふふ・・・“香の迷宮”。それが、私の術。あなたたちの感覚、動き、言葉・・・すべて、鈍らせるように調整されているわ」
ネレイアが静かに言った。
それは、さながら戦場を支配する者の声だった。
「・・・なかなかね。けど、私は引かない!」
レイヴェリアが、なおも進み出る。
呪いの空間に、たった一人で。
「斬るって、決めたんだから。あんたを・・・」
全身から立ち上がる魔力が、もう一度、剣を包み込む。
傷つきながらも、その瞳は決して折れていない。
「・・・その瞳。やっぱり美しいわ。失わせるには、惜しい」
ネレイアが囁いた。
「だから、壊してから香にする」
言葉と共に、香炉の鎖が再び動いた。
今度は六方向から、まるで蜘蛛の巣のようにレイヴェリアを包囲していく。
「・・・来なさいよ。私の誇りが、あんたの呪いより強いって、教えてやる」
その瞬間――
「[疾封・風輪陣]!」
猶の風術が、結界の縁に突破口を作った。
反応したのは、龍神とリャド。
「よっしゃ、今だ!」
「ああ!」
二人は風の通路を利用し、香炉の一つに一斉に襲いかかった。
「[雷刃・双閃]!」
「[影裂・瞬斬]!」
斬撃と雷撃が香炉の防御を突き破り、ついに一つを破壊する。
鈍い金属音と共に香炉が砕け散り、結界の一部が明確に弱まった。
「・・・やったか!?」
「いいえ。まだ“五つ”あるわ」
ネレイアが香炉を掲げ直す。
「でも、あなたたちの足掻きは悪くない。だからこそ、ここで終わらせてあげる」
香炉から放たれた黒煙が、中央に集まり、女の顔の形をとる。
「[死香憑現・骸顕]」
亡者の面を持つ、霧の精のようなものが召喚された。
「・・・なんだ、召喚霊までいるのか!」
リャドが叫ぶ。
「へえ・・・亡霊か。なら、これでどう?」
レイヴェリアが微笑んだ。
彼女は、大剣を逆手に構え直す。
「“呪い”の中で研がれた剣は、“神すら断つ”・・・ってね」
こちらを見、レイヴェリアはまた笑った。
「もう一つ、奥があるのよ。私の、切り札と呼べるやつが・・・!」
霧の中で、大剣が淡く輝き始めた。
その光は魔力というより、彼女の“血”に由来するものだった。
「・・・奥義ってのは、あなたたちヒトだけのもんじゃないのよ」
レイヴェリアの髪がふわりと浮かぶ。赤金に近い光を帯び、「妖精」という種としての本性が滲み出る。
「これは・・・模倣?いえ、違うわね。賢い異形がたまにやる・・・異人の文化の再解釈、ってところかしら」
ネレイアが目を細める。
警戒の色が、その声に滲んでいた。
「ええ、これは元々、あなたたちの“真似事”・・・でもね、ただの猿真似じゃない」
レイヴェリアの足元に、魔法陣とも結界ともつかない光輪が現れる。
「異人と呼ばれるヒトは、必殺技を奥義と呼ぶ。私たち・・・高位の異形はそれにならって、大技を考え、命名した──“亜流奥義”とね」
「名付けて――」
レイヴェリアの声が低く響く。
「[星殻断嵐・終彗]」
その瞬間、空間が凍ったように静止した。
風も、香の煙も、一瞬だけその場に縫い止められたように――。
刹那、彼女の姿が消えた。
ネレイアが言葉を発する前に、重く、鈍い音が辺りに鳴り響いた。
まるで、星が地に墜ちる音のような。
次の瞬間、六つの香炉のうち、二つが──一刀の下に砕け散っていた。
「・・・な、に・・・?」
ネレイアが口を開く。
その表情に、初めて“焦り”が混ざった。
レイヴェリアは、彼女の目前にいた。
巨大な大剣を逆手に構え、だがその刃には一切の霧が絡みつかない。
「その結界は、あんたの命の代わりにはならないわよ」
「・・・っ、そう。ならば!」
ネレイアが香炉を掲げるが、レイヴェリアの剣が閃くほうが早かった。
「亜流奥義の真骨頂、見せてあげる。[星殻断嵐・終彗]――[斬星・追撃刃]!」
その一言と共に、斬った後に残った軌跡が、さらにもう一つの香炉を切り裂いた。
遅れて爆ぜるように、第三の香炉が粉砕される。
「一振りで、三つ・・・!?ばかな!あれは、そう簡単には!」
ネレイアが後退する。
だが、レイヴェリアも大きく息を吐いた。
額には、大量の汗が浮かんでいる。
異人の扱う奥義を模倣した、というだけはあり、威力は凄かった。
だが、その反動も決して軽くはなかったようだ。
「はっ・・・はは・・・模倣でも、これくらいはやれるのよ。マーディアの、誇りにかけてね」
香炉は、残り三つ。
結界の強度は目に見えて低下していた。
霧も、今までのように濃密ではなく、ところどころに裂け目が見える。
そして、仲間たちもそれを見逃さなかった。
「いける・・・!レイヴェリアが開いた隙に、こっちも!」
リャドが再び影から飛び出し、残る香炉の一つへと走る。
「“模倣”を侮ったな、ネレイア!」




