第506話 廃都を越えて
準備を整えた俺たちは、夜明け前の闇の中を進み始めた。
ゼンが先導し、リャドが後衛を固め、廃墟の中から避難民たち――大人も子どもも混じる、疲れきった人々を慎重に導いていく。
ミアが静かに水の結界を張りながら周囲の音を抑え、キョウラは後方の警戒に目を光らせていた。
夜風は冷たく、荒れた街路に霧が立ち込めている。踏みしめるたび、小さな石や割れたガラスが音を立てそうになるのを、誰もが息をひそめて抑えた。
不意に、前方の建物からわずかな灯りが漏れた。
「止まれ。・・・敵の残りかもしれん」
ゼンの指示に、全員が動きを止める。
俺は前へ出て、霧の中から慎重に視線を走らせた。
だが――
「・・・ただの蝋燭の残り火か。廃屋に誰かがいた形跡だけだな。今はいない」
「ふぅ、ビビらせんなよ」
リャドが軽くため息をつき、歩みを再開する。
避難民の人たちが全てラスタに乗り込んだのを確認し、出発した。
避難している人たちの中には、ラスタに乗るのを嫌がる人もいた。
というのも、ラスタの外見はどう見ても荷車なのだが、荷車を走らせているとすぐ盗賊に襲われるというのだ。
まあ治安の悪い国であるし、当然のことではある。だが、ラスタにはステルス機能があるので問題ない。
時計を見ると、午前2時を回ったところだ。
「これなら、夜明け前にはジンフェに着けるかな」と、ミアが言った。
「ここから3時間くらい歩けば、ジンフェが見えてくるの。でも・・・この馬車は速いから、すぐ着くと思う」
これは馬車じゃないぞ。そう言いたくなったが、言わないでおいた。
向こうへの道中には、町が広がっていた。
ただし建物は大半が破壊され、見るも無残な姿になってしまっている。
まるで、終戦直後の町並みのようだ。
「この辺りにも、以前は町があって、多くの人が住んでいたんだ」
ゼンが、どこか遠くを見ながら言った。
「まるで、紛争の跡ですね・・・」
キョウラが呟いた。彼女も、俺と同じようなことを思ったようだ。
「紛争なら、まだマシだったかもしれない。国が国として、機能してるんだったらな」
彼は、震えながら手を強く握った。
そう言えば、この国は政府がほぼ死んでいるんだった。
となると、この荒れようは・・・?
「すべては、奴らのせいだ。月葬の夜会と、ラフトレンジャー・・・奴らが国を壊し、町を壊し、幸せに暮らしていた人たちの人生を壊したんだ・・・!」
ゼンが怒りに震えるそばで、リャドとミアも同様に震えていた。
このような町並み、そしてあの難民たちを見せられると、彼らに同情せざるを得ない。
「奴らは倒す。絶対に。俺たちは、絶対に諦めない。少なくとも、俺は・・・」
ゼンは、拳を握りしめた。
やがて、街の空気が変わってきた。
濁った空気が、少しだけ湿り気と潮の香りを帯び始める。
「・・・ジンフェが近いな」
ゼンが呟いた。
その言葉に、難民たちの顔は明るくなる。疲れ切った表情の子どもたちも、笑顔を浮かべた。
しばらく進むと、街の端に差し掛かる。瓦礫の山と、壊れた標識。その先に――夜の海が、かすかに揺れていた。
「・・・あれが、ジンフェ港か」
海岸沿いに密集する影――朽ちた船の残骸や、廃墟となった倉庫群。
かつて豊かな港町であっただろうジンフェは、賑わいを失い、半ばゴーストタウンと化していた。
「隠してある船は、あの倉庫の裏にある。目立たないよう帆も畳んであるから、灯りは使わずに行くぞ」
「了解だ。行こう」
俺たちは、眠気に耐えながら闇に沈む港の中へ身を滑り込ませた。
波の音が近づくにつれ、背中にしみ込んでいた緊張がわずかにほぐれる。が、それも束の間のこと。
港の入口近くに差しかかったとき、ミアが小さく声をあげた。
「・・・待って。足跡が、新しい」
見ると、ぬかるんだ地面に、数人分の靴跡が残っていた。大人のもので、深く、重く、最近つけられたばかりだった。
「・・・誰かいる。やっぱり、ジンフェも安全じゃないか」
ゼンの目が鋭くなる。
「急ごう。奴らが戻る前に船を出す。もし見つかったら――」
そのときは、と俺は斧の柄に手を添えた。
「──全力で逃げ切る。それだけだ」
月明かりの中、俺たちは廃れた港町を駆け抜け、運命の島・クレイアへ向けて、静かに船を出す準備を始めた――。




