第502話 消された民、遺された灯
ゼンの後に続いて、俺たちはラスタを降りた。
赤黒く染まった大地に、風が鳴いている。
吹きつけてくる空気は乾いていて、どこか焦げたような匂いがした。
「・・・この先に“集落”がある」
ゼンが短く言う。
集落とはいっても、俺たちが想像するような穏やかな村ではないだろう。リアンナの横顔も険しい。
「かつては検問基地だった場所だ。今は廃墟だが、俺たちがそこを“再利用”してる」
数分歩いたところで、地面に亀裂が走り、瓦礫が山のように崩れた区画が見えてきた。壁にかろうじて残る鉄製の柵や、焼け焦げた警戒標識が、ここが軍属だったことを物語っている。
「・・・もう、こんなに」
キョウラが小さくつぶやいた。
「二年前に焼かれた街だ。住んでいた者たちの痕跡は、ほとんど残っていない」
ゼンがそう言いながら、集落の奥へと進んでいく。やがて、ひとつの建物の前で足を止めた。
外壁には無数の修復痕がある。だが、中からは人の気配がした。子どもの声、小さな話し声、食器が触れ合う音。
「・・・生き残りか?」
「いや、“目覚めた者”たちだ。逃げ場をなくした者、家族に拒絶された者、捕まる寸前で助け出された者・・・いろんな奴がいる」
ゼンは扉に手をかけた。
「彼らは戦えない。俺たちが、守ってやらねばならない。だからこそ、俺たちはここを“砦”と呼んでいる」
扉の中には、確かに「人の営み」があった。
決して裕福でも、快適でもない。けれど、誰もが生きるために手を動かし、支え合っていた。
ミアが、俺の袖を引く。
「・・・これが、“夜明けの牙”の本当の姿」
リアンナが息を呑む。
キョウラもまた、言葉なく、周囲を見渡していた。
「希望って・・・こんな風に、残るんだね」
ミアの声は小さかったが、その震えは消えていた。
まるで、足元に灯る焔を見つけたかのように。
そのとき、奥からひとりの老人が近づいてきた。腰は曲がっているが、瞳は鋭い。
「ゼン、もしやこの者たちが・・・?」
「ああ。話を通しておいてくれ。俺たちは今夜、打ち合わせがある。大事な作戦の話だ」
老人は短く頷き、俺たちに一礼した。
「歓迎する。・・・希望を捨てずに来た者たちを、我らは拒まない」
まるで、試されているような言葉だった。
だが俺は、うなずいた。
これだけの意志が集まっている場所を、初めて見た気がした。
「・・・それで、見せたいものってのは?」
問いかけると、ゼンは無言で階段を指差した。
「地下にある。俺たちがこれまでに集めてきた“証拠”だ。奴らが何をしてきたか、そのすべてが詰まってる」
階段の奥は、闇に沈んでいた。
俺たちは、そこへと足を踏み出した。
過去の罪と、未来の炎を知るために。
地下階段を下りていくにつれ、空気が変わった。
湿り気を帯びた石の匂いに、ほんのわずかな血の鉄臭さが混じる。
リアンナの足が止まる。
キョウラが、ミアの肩を支えた。
俺は息を吐き、先を急ぐゼンの背を追う。
「・・・本来は軍の備蓄庫だった地下だ。今は、記録と証拠、そして――遺されたものたちの眠る場所になっている」
数段の階段を下りきった先、冷たい空気が肌を刺す。
そこには、巨大な空間があった。
金属棚が整然と並び、奥には封印された黒鉄の扉。壁には古びた地図や、記録用の端末が並んでいた。
だが、最初に目を奪われたのは――その中央に安置された、無数の遺骨だった。
人の形が保たれているものもあれば、白く乾いた骨となって積まれているだけのものもある。
傍らには名前を記した石板、破れた制服、ぬいぐるみ、小さな靴。
それらすべてが、かつて「誰か」だったことを証明していた。
「・・・これが、“月葬の夜会”のしたことか」
俺は呟いた。
ゼンは無言のまま、中央にあるひとつのガラスケースを開いた。
中にあったのは、焼け焦げた王国発行の許可証。
職員の身元を示しているらしい、IDチップのような魔法石。
そして、ひとりの子どもが書いたと思しき、震える文字で綴られたメモだった。
『こわい。おかあさんがいない。たすけて。へいしさんがこわい。』
「これは……」
「“夜会”が最初に動き始めたのは、王国上層部の人間の一斉失踪事件だった。同時期、都市部で市民の“消失”が始まった。表向きは災害や暴動の犠牲者として処理されたが――実際は違う」
ゼンの瞳は冷たく、静かだった。
「彼らは“血統の選別”と称して、魔力の低い人間や、遺伝的に“異常”と見なされた者を排除していた。障害を持つ子ども、混血者、孤児、病弱な者、王家に反する思想を持った者・・・それらが数千人単位で消された。この集落の地下に残っているのは、その一部だ」
キョウラが、膝をついた。
白い手が、そっとひとつの遺骨に触れる。
「・・・罪もない子どもまで。どうして・・・どうして、こんな・・・!」
「“月葬の夜会”は国家を乗っ取ったんじゃない。“作り変えた”んだ。自分たちに都合のいい、恐怖と沈黙だけで支配される王国に」
キョウラが歯を噛み締める音が聞こえる。
「こんなこと、許されるものですか・・・!」
ミアは黙って、ひとつのぬいぐるみを抱き上げていた。焼け焦げ、片目が失われたそれを、そっと胸に当てる。
「命の灯火が、こんなに・・・」
ゼンは立ち上がり、奥の扉に向かう。
「まだある。記録だ。音声、映像、文書・・・奴らが自ら残したものもある。民衆に“何が起きたのか”を知らしめるには、証拠が要る。この国を変えるために、過去を突きつけなきゃならない」
奥の扉が、軋むように開いた。
その先にあるのは――闇の記録。
そして、俺たちの心に刻まれる怒りと、誓い。
「・・・絶対に、止める」
俺はそう呟いた。
亡骸の声が、俺たちの背を押していた。
この国を焼いた闇を、俺たちは終わらせなければならない。




