第435話 裏切りの糸
エレンは、喋りはしなかった。
代わりに、頭の中に直接語りかけてきた。
「妾ノ真の姿ヲ見たノハ、貴様ラのみ・・・
だが、この事ヲ誰にも言ワズ・・・黙ってイルノなら、見逃してヤロウ・・・
それで、よいナ?」
俺はエレン——いや、ツチグモの言葉に僅かに息を飲んだ。
しかし、すぐに冷静さを取り戻し、仲間たちに視線を送る。
煌汰は盾を構え、ナイアは大剣を握りしめ、リアンナはすでに弓を引いている。亜李華は小さく呟きながら魔力を溜めていた。
もちろん俺も、斧に手をかけている。
この場の誰もが、迷うことなく戦う覚悟を固めていた。
俺はゆっくりと口を開いた。
「あいにくだが、見逃す気はない」
沈黙が落ちる。
エレンの瞳が細く歪んだ。いや、もう"エレン"ではない。
「フフ・・・そうか・・・ソウカ・・・」
屋敷に仕える修道士が、困惑した表情でエレンを見つめた。
「エレン様・・・?」
その瞬間、異変が起きた。
エレンの身体が黒い靄に包まれ、皮膚が変質し始める。人間の姿が崩れ、無数の脚が生え、体は肥大化し、異形の影が現れる。
すぐ隣にいた修道士が悲鳴を上げた。
さらに、騒ぎを聞きつけてやってきたらしい他の屋敷の者たちも、同様に悲鳴を上げた。
ようやく、エレンの正体が白日の元にさらされた。
だが、俺たちにはまだこいつを倒すという大仕事がある。
さっき戦ったツチグモよりも、はるかに大きく、そして禍々しい。
俺が斧を抜くと、他の仲間もそれぞれ構えを取る。
「妾ヲ討ツツモリカ・・・ヨカロウ。
ココデ、貴様ラ喰ラッテヤロウ!」
ツチグモは、その体躯からは想像もつかないほどの速度で壁を駆け上がり、天井から鋭い糸を吐き出す。
「またこの糸か!」
リアンナが矢を放ち、糸を切り裂くが、ツチグモはすでに動き出していた。
「ナイア、頼む!」
「任せて!」
ナイアが大剣を振り上げて一閃を放ち、ツチグモの脚を弾き飛ばす。
「亜李華!」
「はい!」
亜李華が杖を振るい、技を繰り出す。
「杖技 [雷霆の槍]!」
杖の先から3本の雷の槍を撃ち出した。
それらはツチグモの体を貫き、落雷による追撃を発生させる。
その様は、さながら龍神の術のようだ。
「ギィイイッ!!」
ツチグモは、口から鋭い牙を吐き出した。
それは煌汰の盾をも貫通せんばかりの勢いで迫ってきた。
煌汰は盾を前に出して防いだが、牙の一部がわずかに盾をかすめ、彼の腕に傷を負わせた。
「煌汰!」
ナイアが叫んだが、煌汰はそのまま耐え続ける。だが、顔色は明らかに青ざめている。
「大丈夫か!?」
「・・・問題ない。けど、このままだとキツイかもな」
その隙に、ツチグモが再度脚を振り上げて糸を放つ。糸が空気を切り裂きながら飛んできた。
「来たぞ!」
俺はすぐに声を上げ、リアンナと共に糸を切ろうとするが、ツチグモはすばやく動き、今度は糸を広範囲に撒き散らしながら攻撃を続ける。
「・・・糸が多すぎるな!」
リアンナが弓を引き絞ったが、糸が矢を受け止め、何本も矢が切られてしまう。
「ちくしょう!」
その瞬間、ツチグモが一気に飛びかかってきた。
亜李華が杖を振るい、「雷霆の槍」を繰り出した。しかしその瞬間、ツチグモが脚を素早く動かし、技をかわして彼女に迫った。
奴の一撃は恐ろしく速かった。
亜李華の体に衝撃が走り、血が迸る。
「・・・っ!」
亜李華が倒れると同時に、糸が彼女の体に絡みつき、動きを封じられる。
「亜李華!」
「無理しないで!」
ナイアが必死で駆け寄るが、その足元にも糸が飛んできた。
「っ!こんのっ・・・動け!」
ナイアは大剣を振り上げて糸を切り裂くが、糸の鋭さに腕に切り傷を負う。
「痛っ・・・!」
だが、ナイアはそれをものともせず、剣を振るってさらにツチグモの脚を攻撃する。
「やっぱりこいつ、糸だけでもすごい威力だね」
リアンナが矢を放ちつつ、糸を回避しながら言う。
「ああ、この糸が一番厄介だ」
ツチグモの糸は、ただの攻撃手段にとどまらず、足止めや追撃を狙ってくる。全員がその特性を理解しつつ戦うが、相手の攻撃速度にはどうしても後手に回ってしまう。
「[ガードフレイム]!」
盾で攻撃を防ぎつつ、炎で反撃を見舞う。
こちらから攻撃ができなくとも、カウンターはできる。
そして、これらの攻撃は確実に効いている。だが、ツチグモは怯むことなく、天井を蹴って一気に距離を詰めてきた。
俺は逃げることなく、その場で斧を剣に切り替えた。
「『燃え滾る刃!』 奥義 [火剣の舞い]!」
炎の刃がツチグモの脚を斬り裂く。しかし、ツチグモは即座に別の脚で払おうとする。
「[アイスシールド]!」
煌汰が展開した氷のシールドが攻撃を受け止め、俺はすんでのところで回避できた。
「まだ、終わらないぜ!」
俺は剣を振り上げ、洞窟での戦いの時と同様、金色の目を狙う。
「リアンナ!」
「わかってる![貫き射法]!」
リアンナの矢が目に突き刺さり、ツチグモは激しくのたうち回る。
そこをついて、俺は渾身の一撃を繰り出す。
「剣技 [ファイアークラッシュ]!」
燃え盛る斬撃がツチグモの体を引き裂き、目を焼く。
そして同時に、炎への耐性を下げる。
「ギィイイイッ!!」
ツチグモが苦悶の声を上げ、壁を蹴って距離を取る。だが、俺たちは逃がさない。
「煌汰!」
「ああ、任せろ!」
煌汰が盾を突き出し、[氷縛鎖] という術を唱える。そしてツチグモの脚に鎖を巻き付かせ、その動きを鈍らせる。
そこで、ナイアが大剣に強烈な風を纏わせる。
「[嵐裂の一閃]!」
彼女の一撃がツチグモの腹を切り裂く。
同時に風の刃が四方に広がり、天井から降り注ぐ糸を吹き飛ばした。
リアンナの方を見ると、すでに狙いを定め、弓を引き絞っていた。
「『爆散せよ!』奥義 [爆炎射法・双牙]!」
炎を纏った二本の矢が放たれ、ツチグモの目と胸部に突き刺さる。そしてその矢は爆発を起こし、ツチグモの体が揺らぐ。
「まだ倒れないか・・・!」
俺は剣を構え直し、さらに強力な技を打ち込む準備をする。
「煌汰!このまま、足止めを続けてくれ!」
「ああ!」
煌汰が盾を構え直し、ツチグモの反撃を受け止める。その隙に、俺は大きく息を吸い、魔力とともに剣を燃え上がらせた。
そうして、たった今閃いた技を繰り出す。
「剣技 [紅蓮の終撃]!」
炎の波動を纏った剣を振り下ろし、ツチグモの中心へと叩き込む。
爆炎が巻き起こり、ツチグモの体を飲み込んだ。
さらに、そこへ続けて奥義を打ち込む。
「『この火で焼き切る!』奥義 [炎剣ストーカー]!」
ツチグモの目を突き、炎を伝わらせる。
そして斬り下ろし、一度納刀してから抜刀術のように剣閃を放つ。
炎とともに血が飛び散り、その目と頭は無残なまでにズタズタになった。
「グ・・・アアアアア!!!」
ツチグモは咆哮のような唸り声を響き渡らせ、血を流してへたれこんだ。
「おのれェ・・・よくも、よくも妾を・・・!」
もはや事切れる直前のツチグモに、亜李華が尋ねた。
「あなたが、里の人たちに生贄を捧げさせていたと聞いた。なぜ、そんなことを!」
だが、それに異形が答えることはなかった。
しばらくの沈黙の後、異形は崩れ落ち、完全に動かなくなった。
俺は息を整えながら、剣を収める。
「・・・終わった、か?」
亜李華たちも慎重にツチグモを見つめていたが、もう動く気配はない。
「やったな」
煌汰が安堵の声を漏らす。
リアンナが弓を収め、ナイアもほっと一息ついて頷く。
「亜李華さん、大丈夫?」
「ええ・・・でも、回復は必要です」
亜李華が杖を構え、仲間たちの傷を癒やす。光属性の魔法がツチグモには効かなくても、俺たちにはしっかり作用する。
戦いが終わると、隠れていた屋敷の者たちが出てきた。
「・・・ツチグモが、エレン様になりすましていたとは・・・」
人々はざわめき、驚いていた。
みんな、エレンとツチグモの正体を知ったようだ。
こうして、イズモの里の事件は解決した。




