第386.5話 明るい氷と暗い雷
ある日のこと。
僧侶シェミルこと亜李華は、龍神に声をかけられた。
「・・・君は」
「はい?」
「ちょくちょく思ってたんだが、なんか顔色悪いよな、ずっと」
龍神は普段、他人の事など気にも止めないが、この軍のメンバーが増えてきてからは、一部の者に注目するようになった。
そして、亜李華はそのうちの1人だった。
「あ・・・その。実は私、精神の病を持っていまして」
「僧侶なのにか?・・・いや、悪い。むしろ僧侶だからこそか。
人の悩みを聞いたり、辛い奴を助けたりするもんだしな。影響されてもしゃあない」
「いえ、そういうわけでは。でもとにかく、昔に比べればよくなってきているのです。
他者を救うべき存在であるはずの僧侶が、こんなことになるなんて。情けない限りです」
「そんなことはない。何だったら、それを治そうと躍起になるほうが毒だ」
「ありがとうございます」
亜李華は幼少期のある経験から、心に傷を負った。
その傷は病と化し、今も彼女の心を蝕んでいるのである。
「えっと、君の名前は・・・」
「亜李華です。本名はシェミルといいます」
「亜李華か。俺は・・・」
「存じ上げております。殺人鬼龍神・・・この大陸では有名な、高位の殺人者でしょう?」
「・・・そうだ」
数日後。
亜李華は、また龍神と話していた。
「亜李華。多少顔色が良くなったな。例の病気は・・・良くなったか?」
「はい。心做しか、先日龍神さんのお話を伺ってから調子がいい気がします」
「それなら良かった。だが、そもそもその病気の原因は何かわかるか?」
「はい。実は・・・私はかつて、孤児でした。
父が亡くなり、母も私を置いて出ていったきり行方不明になり、訳あって修道院にも入れず、8歳で孤児に。
それからレナスに拾われるまでの数年間は、何かと辛いことも多くて・・・」
「そうか。そういや、そんなこと言ってたっけか。あれ、親父はなんで死んだんだ?」
特に、深い意味はなかった。
ただ、彼の父親は『親』というガワを被った獣のような、最低の人間であった。
それ故、最後には他ならぬ息子によって殺された。
だが、彼とて本当はそんなことはしたくなかった。
故に龍神は、父親というもののありがたみや優しさ、あるべき姿を知らないのだ。
「私が5つの時までは、父も生きていました。しかし・・・家に賊が押し入ったのです。
父は修道士でありながら、とても強い人でした。でも、その賊の方が圧倒的に強くて。
私の目の前で、父は首を撥ねられました。
今も時折思い出します・・・その賊の目を。
暗く光の映らない、真っ黒な不気味な目を・・・」
光の映らない目というのは、目の前の景色が映り込まない特徴的な瞳、及びそれを持つ物を指す。
そしてそれは、殺人者・・・ことに高位の殺人者の特徴だ。
正確な理由は不明だが、一説には彼らが心の奥底に抱える悲しみ、怒り、恨みといった、その身を殺人者にならしめた感情が目に出ているという。
「私に残されたのは、1本の欠けた刀身だけでした。・・・それがこれです」
亜李華は、小さな半円形の刃を取り出した。
「賊が父を殺した時、持っていた刀の一部です。父の首が切られる時、刃が欠けて、私の方に飛んできたんです。
皮肉にも、これの他に父の形見と言えそうなものはありません・・・
?龍神さん?」
彼女は、突如龍神の顔色が急激に悪くなっているのに気づいた。
「い、いや、何でもない。・・・失礼する」
彼は、妙に足早に去っていった。
さらに数日後。
「龍神さん・・・」
亜李華は、三度龍神に声をかけた。
「亜李華か」
「あの・・・先日は、私に何か粗相がありましたか?
もしそうなのであれば、本当に・・・申し訳・・・」
亜李華は、そこで口と目を閉じた。
「亜李華!?・・・しっかりしろ!」
彼女の体を抱きかかえ、龍神は焦った。
「・・・だ、大丈夫・・・です・・・」
「例の、心の病気か・・・すまない・・・」
「なぜ、龍神さんが謝るのです?」
「喋るな。ゆっくり休め」
「・・・」
亜李華は彼に寄りかかり、再び目を閉じた。
「・・・寝たか。・・・・・ 」
彼女を抱きかかえたまま、龍神はつぶやいた。
「・・・すまなかった。俺も、生きるために必死だったんだ。
真っ当な生き方ができず、普通の暮らしができず、死ぬ勇気もなく・・・他人を傷つけてでも、生きようとした。
許せ・・・許してくれ・・・」
人の世で生きられず、かといって自足する能力もなく、自ら死ぬ勇気もなかった彼は、他人から奪う他に生きる術がわからなかった。
しかし、かつてその「仕事」の一環で襲った家の家族の生き残りが、こんなになっていようとは。
決して薄情な訳ではなく、何より自身も元は人間であった龍神は、心から過去の行いを悔い、彼女に謝罪した。
「・・・いいのです」
「!!」
亜李華は目を開け、龍神は酷く驚いた。
「私は、あなたを許します・・・」
「・・・君は何も知らない。俺は、俺は・・・理由はどうあれ、君の親父を・・・」
「それでも私は、あなたの苦しみを知った。あなたもまた、苦しみの中を生きてきた人だと知った・・・」
「・・・」
亜李華は龍神を見つめたが、その目は決して軽蔑や憎悪のものではなく、同情や哀傷の入り混じった、複雑ながらも優しい目だった。




