第175話 真なる嵐の予感
美羽は、倒れたアジェルを見て呟いた。
「アードル…これで、いいよね。あんたの敵は討った。許してはもらえないだろうけど…これで、この国は…」
その時、アジェルの体が赤く光りながら震えだした。
「なっ…!?」
「く…くく…くくくく…」
奴は、まだ生きていた。
ふわりと浮かび上がり、あざ笑うかのように言った。
「私を殺してご満悦か?だが、私など教団の最底辺に過ぎない!そして、この命も元より私のものではない!」
「…!?」
美羽が薙ぎ払ったが、奴は血を噴き出しつつも浮遊し続ける。
そして、奴は最期に上を向いて、
「我が主よ、この命と躰をあなた様に捧げます…」
とだけ言って墜落し、消えた。
「えっと…倒した…んだよな?」
「と思う。というか、そうでなきゃ気がおさまんないわ」
「同感だな。首を撥ねられなかったのは残念だが…まあ、仕方ない」
奴にとどめを刺したかったのは、龍神だけではあるまい。
彼もまた、すっきりしない顔をしていた。
アジェルがいたところには、鮮血以外何も残っていない。
恐らく倒した…のだろうが、みな素直に喜べずにいた。
「奴の最後の言葉…気になるな」
奴の言っていた「主」とは、やはりレギエル姉妹のことだろうか、それとも…。
暗い空気の中、ラウダスは綿棒のようなものを取り出して地面に残る血を採取していた。本人曰く、異人の血は貴重な研究材料であるらしい。
彼自身も祈祷師なのだから、自分の血を使えば良いような気がするのだが、何かやりたくない理由があるのだろうか。
「ところでさ、城内が暗くなったままなのはなんでだろうね?」
ラウダスが、空気を読まないように言った…いや、わかっててなんだろうが。
「…電気ついてないんじゃないか?」
「いや、今昼間だよ?何もしなくても明るいはず…」
「…」
そう言われると、確かにそうだ。
この部屋には窓もあるし、ある程度明るくなっていなければおかしい。なのに、まだ暗いままだ。
ついでに、背後を守るために出ていたナイアほか数名が戻ってきたのだが、彼らから聞く限り廊下もまだ暗闇のまま。
「何か…変だな」
イーダス王子がつぶやいた。
「兄様」
部屋の入り口から声がした。
「…シアナ」
そこにいたのは、イーダスの妹にしてこの国の王女、ジームリンデだった。
…そう言えば、兄にはシアナと呼ばれてるんだっけ。
「…ジームリンデ様!?どうしてここに!?」
煌汰と美羽が驚きの声を上げた。
「…美羽様。私は…」
ここで、龍神が話しだした。
「王女様。来てくれたのか」
「はい。兄様が心配で飛んできました」
「へえ…このめちゃくちゃになった城の中、よく迷わずにこれたな」
その言葉で、みんながはっとした。
そして、彼に続いてナイアが言った。
「王女様、あなたは…あの祈祷師とはどういう関係なの?」
「私は、彼とはさしたる関係はありません。彼はずっとお父様の傍らにいましたので、私と話す場面はほとんどなく…そもそも、私は彼と話すのも嫌でした」
「…まあ、それはそうだよね」
ナイアは龍神と同様、鋭い目で王女を見た。
「それより、兄様。重大なお話があります」
「どうした?」
「お父様が…生き返りました」
「えっ…!?」
その場にいた全員が驚いた。
「父上が…生き返った…?」
「はい。私、どうしてもこんなことでお父様を失うなんてことを受け入れられなくて…数日前にサンライトから司祭を呼んでいたんです。それで、先ほど到着なさって、お父様に生き返りの魔法を使っていただいて…本当です!私、お父様とお話しましたもの!」
王女は、懇願するように言った。
「お父様は、兄様の顔が見たいと仰っていました。部屋の外で待っておられますので、どうか…」
「…」
イーダスが足を進めようとしたその時、龍神が待ったをかけた。
「王子様、動く前によーく考えないとだめだぜ」
「…!」
イーダスは彼の方を見た。
彼はやる気のない様子で、でも冷徹な目つきで語りを続ける。
「妹の話だからな、脳死で信じたいのはわかる。だが、よく考えてみろ。死んだ者が簡単に蘇生させられるなんてことがあっていいと思うか?苺たちでさえ、死者を生き返らせるのには色々と制限をかけてるのに」
「では、なんだ…彼女が嘘を言っている、と言うのか?」
「うーん、半分正解だな。確かに、騎士王様は蘇っただろう。だが、それはおそらくあんたが知ってる王様じゃあない。あんただけじゃねえ…ここにいるみんなが、知ってる王様じゃなくなってると思うぜ」
「どういうことだ…?」
「ま、要するにだな。騎士王様は、ここまでに出てきた兵士と同じ…アンデッドになってるってわけだ」
それには、美羽や煌汰も驚いた。
「アンデッド…!?」
「でも、そんなことシアナが受け入れるはず…!」
「言ってただろ?どうしてもお父様を失うことを受け入れられなかった、って。王女様にとっちゃあ、『生きて動く』親父がそこにいさえすりゃいいんだろうよ。それがたとえ、生きた異人でなくてもな」
「…龍神!さっきから、王族に失礼だぞ!」
煌汰が我慢できないとばかりに喚いたが、龍神は落ち着いて続けた。
「失礼なものか。真実とか現実ってのは、時に残酷なんだ。それを知らせないほうが、よっぽど失礼だし酷いと思うが?」
そして、彼はイーダス王子の方を向き直った。
「さて、どうする王子様?妹を信じるか、俺の話を信じるかはあんた次第だ。だが、一番の答えは目の前にあるものを問い詰めることだと思うぜ」
イーダスはしばらく黙っていたが、やがて覚悟を決めたように妹に尋ねた。
「…シアナ。父上は、本当に生き返ったのか?あの頃の、僕が知っているロードアの王としての父上は…」
王女は辛そうな顔をし、兄よりも長い時間黙り込んだ後、答えた。
「いいえ。扉の向こうにいるお父様は、兄様が知るお父様ではありません」




