第105.5話 海人の兄妹
ゼアン海の水守人、リト。
今回新たに一行の仲間となった彼女は、長い間陸に上がることを夢見ていた。
それは、陸で暮らす者が海に暮らす者に興味を持つのとよく似ている。
ただ、海人が陸の人を「陸で暮らす海人」と思っている、という点は違うかもしれない。
そんなリトは、拠点にて柳助と会話した。
「あっ、あなたは…」
「柳助だ。…リト、だったな」
「うん。…あの、ありがとう」
「何がだ?」
「最初私が海岸に打ち上げられた時、あなたが私を見ててくれたんでしょ?姜芽さんから聞いたよ」
「ああ、そのことか。…気にするな」
「でも、あなたがいなかったら、私は目覚める前に異形に襲われてたかもしれない…」
「元より何も近づいてはこなかった…魚一匹な」
「でも、その…」
リトは、陸の者と話すのに未だに慣れていない。
何なら、陸を歩くことすらまだ不慣れである。
「…仮に俺がいなくとも、他の誰かが君を見ていたはずだ。だから、俺に礼を言う必要はない」
「そう…かな」
今度は、柳助が尋ねた。
「それより、海人に出会えたら一つ聞きたいと思っていたことがあるのだが」
「え…?」
「海人は、陸の者を『陸にいる海人』と思っている…という話を聞いたことがあるのだが、それは事実なのか?」
リトにとって、それは意表を突く問いだった。
「え…違うの?」
「…本当、なんだな?」
「うん…私たちはみんな、陸人っていうのは陸で暮らしてるだけで、海人と何ら変わらない異人だって思ってるんだけど…」
それは、リトやその知り合いだけが特別なのではない。大半の海人は、陸の者のことを同様の存在と考えている。
しかし、それは明確に違う。
海人は、人間や陸の異人とはまったく異なる存在だ。
「そうか…ならば残念だが、それは違う。俺達は人間から進化した存在であり、君達海人とは根本的にルーツが異なる。君達は、かつて海中に自然発生した生命体から進化したものだと聞く。それが正しいかは知らんが、いずれにせよ陸の者と海の者は別の存在だ」
「そうなんだ…」
リトは、なんだか残念な気持ちになった。
というのも、彼女は長いこと、陸人は水のない空を泳ぎ回ったり、海藻や貝などのない地面に潜ったりできるものだと思っていたからだ。
それらの想像は、ひとえに陸人を海人の仲間だと考えていたからであった。
…もっとも、そのような事ができる異人もいないわけではないのだが。
最後に、柳助はこう言い残した。
「水守人の娘…強く生きろ」
「えっ…?」
リトはこの一件で、柳助を不思議な雰囲気の人だと認識するようになった。
一方のイルは、輝と話していた。
その際、陸人が海人と同一の存在ではないという話を早めに聞いていた。
「…つまり、あなた達陸人は私達の仲間ではない…と」
「そうなんだ。ずっと信じてたんなら、申し訳ないけど…」
「いや、大丈夫だ。考えてみれば、空を泳いでる陸人なんてのは見たことないし。けど、どうして陸人は海に入らないんだ?」
「入らないわけじゃないよ。必要な時は潜る…魚を採る時とかね」
「魚を…そこは私達と一緒なんだな」
「まあ船…海の上を移動できる乗り物とかで移動しながら、まとめて魚や貝を採ることもあるけどね。あ、それと陸人は水中では息ができないぜ」
「それは知ってる。以前聞いた」
「あれ、そうだっけ?とにかく、輝たちは海には基本入らない。魚を採るにしても、釣りをする奴の方が多いし」
すると、イルは顔色を変えた。
「釣り…?やっぱり、やってるのか!」
「え?」
「陸人のあの行動は、できることならやめてもらいたい。私達にとって、あれはトラップもいいところなんだ!」
「トラップ…?」
その時、輝はすべてを理解した。
そう言えば、昔海釣りをしていた時に異人が釣れたことがある。
その時は、その異人は海に返したが、海人は釣り餌の魚にも食いつくのかと驚いた。
つまり…そういうことなのだろう。
「ああそうか、君達も魚を食べるからな…」
「下手に船や陸に近づくと、あれに引っかかることがあるから危ないんだ。かくいう私もかかったことがある…口の中に針が刺さる感触は、初めてだった。すぐに外して逃げられたからよかったけど…もし釣り上げられていたらと思うとゾッとする!」
「ああ…なんか、ごめんな。輝は釣りはほとんどしないんだけど…」
正確には、もうしていないと言うべきだが。
輝は5年ほど前まで、樹などと一緒によく釣りをしていたのだ。
「ならよかった…わかってはいても、あれにかかる海人は後を絶たないんだ。私の同族たる水守人も、何人かかったことか…」
「そ、そうなんだ。ところで、その針の傷って治る…よね?」
ちょっと聞くのが怖いが、聞いてしまった。
「放っておいても大抵は治るし、術を使えばすぐに治る。けど、やっぱり食事のたびに怖い思いをしなきゃないのは嫌だな」
「だろうね…でもさ、そんなに見分けつかないもんなの?」
「明らかにそうだとわかるもののこともあるけど、生きた魚とかだと本当にわからない。よーく見れば糸が見えることもあるけど、大抵はその前に捕まえてしまう。手に取った時にわかればまだいいけど、それでもわからなかったら…」
イルは言葉を切り、震えた。
「私はここ6年くらい釣りにはかかってない。でも、かかったあの時の驚きと痛みは忘れていない。まあ釣り上げてきた奴はすぐに針を外してくれたからよかったが…だとしても腹が立つ。だから、私は海岸に陸人がいる時は近寄らないようにしているんだ」
「そ、そうか…ところで、その釣り上げてきた奴って…」
「よく見てないから詳しくは覚えてないけど、変な緑のものを被った男だったな。…しかし、あの針は痛かった。もし次に会ったら、同じことをしてやりたいくらいだ」
イルは、針が刺さったであろう右の頬をさすった。
「へ、へえ…」
輝は、まさか自分じゃないよな…と思った。
6年前といったら、ちょうど彼がまだ釣りをしていた頃だ。
輝はこのゼアン海でよく釣りをしていたし、緑の帽子を被っていた。
そして、一度だけ海人を釣り上げたことがある。
その海人の姿はよく覚えていないが、そう言えばイルに似ていたような気もする…。
そんな偶然の予感が当たっていないこと、そして、イルがそれを思い出さないことを祈って、輝は場を後にした。




