異世界転生しても都合よく言葉は理解できない
まずは目にしていただきありがとうございます。
本小説は特異な性質がある為、前書きを書かせていただきます。
この小説では異世界の文字としてエリュミト語という文字が登場し、それを主人公が解析したりするシーンがあります。
この言葉は作者が作った人工言語です。
本ストーリーは異世界の固有の文化と地球の文化を比べながら考察したり、エリュミト語の歴史などを主人公が解き明かして行く部分がメインになります。民俗学とか言語学とか作者もいまいち理解していないので難しい単語は出てこないと思いますが、万が一難しい表現にならざるおえない場合は、画像をいれて、図や表などで解説が入る場合があります。
後書きには、小説に関係があったりなかったりする雑学トピックが入ります。ただの趣味です。
生まれも育ちも日本人の僕は、死んだら黄泉の川を渡って閻魔様に裁かれて地獄なり浄土なりに行くと思っていた。
もしくは、未練があったから死後なお幽霊として止まってしまうのではないかとも思った。
僕が死ぬ前に、両親や親戚は生きていたので誰かが葬式をしてくれたと思うが、無宗教式でただ死体を火葬場で焼いたのだろうか。
何が起きたかわからないが、あの世に行くこともなく、裁きを受けるでもなく、畜生に生まれ変わるでもなく、人間に近い人型生物として産まれ直した。
人間の顔をし、人間と寸分変わらぬ姿をしながらも、人間に生えていた毛がなく、それの代わりに鳥の羽や羽毛の様なものが生えていた。だからといってそれ以外に鳥の要素はなく、口も足も人間そのもので、翼は生えてはいなかった。
そういえば原始時代の人間達は、歯を抜いて序列や部族を表したり、体に異物を埋め込んで身分を表していたというではないか。
生まれ変わり、すぐの時はわざわざ髪の毛を抜いて鳥の羽を頭に植え付けているのだろうかと、不思議な異文化に興味を持ちつつも、前世の価値観が、自分の髪の毛を抜くのは嫌だと嫌悪感を示していた。
まあ、それは杞憂だったが。
初めに人間に近い生物に生まれ変わったと言ったように、あの鳥の羽は地毛だった。
生まれたてでまだまばらにしか生えていなかった頭頂部は3歳頃にはふさふさに生えてきていた。
よく幼い頃は覚えるのが早いというが、生まれ直しても記憶が残っていた弊害か、僕は全然覚えられなかった。食事や排泄などは多少文化が違えどそう難しくはない。
ところが言語が違う。マジで何を言っているかわからない。
親ともコミュニケーションを取れないし、同い年や兄弟とも話せないからあまり関わらない。かといって本も読めないので、情報を手に入れられない。
やはり人間とは違うなと思ったのは、同年代の子供達が明らかに文字を読んで理解しているように見えるところだ。
しかも、ブレたり描き間違えたりすることなくかなり綺麗に文章を書いていっているのにも驚いた。大人が注意していないので、書き間違いをしていないのだろうと勝手に推測したが、相変わらず読めないので、真相はわからない。
赤ん坊が言葉を覚える時、初めは相手の言葉を猿真似し、次の段階で相手の反応を見て自分の発した言葉が、相手の認識とあっているか判断して覚えて行くという。パパやママと繰り返し口にし、相手が喜んでいるからそれはパパかママなんだなあ、と言葉を覚えて行く訳だ。
一方で大人が母国語以外を習得する時、あらかじめ母国語訳された教材を使って覚えたり、母国語が話せる外国人などに指導して貰うのが一般的だ。
これのどちらもが、現在自分が言葉をおぼえるのには参考にはならないのは明白で、前者は不発に終わり、後者に当たるものはない。
あるとすれば、この言語を覚えた自分が第一の存在になるだろう。
全くわからないし、お互いに言葉が通じない言語を解析する際に使われる方法がある。
一つ目は、解析したい言語の親戚関係にある言語を探し似た文字や音から推測して行く方法。これは話者が居なくなった古代文字や音が違いすぎて意味不明な方言を分析する際にに使われる。
二つ目は、特定のものを指してひたすらこれは何かと問い、その音や文字を記して、猿真似で返して相手の反応から地道に言葉を覚えて行く方法だ。
僕が生まれ直した地域の文字は、ヘブライ語やサンスクリット語に似ているようにも見えるが、言語学者でもないので、ただ似ているなぁとしか思えない。手元に世界の言語とかそういう本があったら良かったが、生まれ直して新たな人生を送っている僕がもっているわけがない。
前世で言語に関する本はまあまあ所有していたが、本の内容ははっきりいって覚えていなかった。基本的にどの本のどのあたりのページにどんな感じの内容が書かれていたかは記憶していた。
義務教育時代に必要なのは事象を丸暗記することだが、大人になって勉強する上で必要なのは知識を整頓し、必要に応じて知識を取り出せることだ。
と僕が好きな著者は本の中で言っていた。
覚えていないものは覚えていないので今更悩んでも仕方がない。
文字を10分割してみた時に、下から七番目の部分に横線が、横線の上2マスの間、もしくは線の上にかぶるように繰り返し登場する記号らしきものがある。
ヘブライ語の場合、文字の下や横に棒や点をつけて母音の発音方法を示す場合がある。
日本語の平仮名にも濁音を表す濁点という記号があるし、そのほかの言語を見ても文字の中に記号に分類されるものが組み合わさることはよくある。
この文字は線より下が画数が多く、線より上が簡素な記号らしきものがついていることから、記号らしきものは母音もしくは濁点、または読み方の順番を示す記号だと推測した。
だからといってそれ以上何もわかっていないので、相変わらず何もわからない。
幸い紙や筆記用具が豊富で自分の分析を書いておけるので、恵まれているとは思う。
ガッツリ日本でかいてしまっているが、変に隠す方が怪しい。
子供が自分で考えた文字や覚え間違えた変な文字を使うことは、そう珍しいことでも無いので、両親を含めた大人たちが人間と同じ感覚なら、コイツ言葉がわからなくて頭が悪いから何か変な文字みたいな落書きを始めたんだなですむ話だ。
コイツは変な文字を書いているな!もしかして前世があったり、違う世界から来たのか?と考える方がおかしい。もしも自分みたいに、前世を持つのが珍しくないなら、逆にこの人たちにとって謎の文字を書いていてもああ、なんだ前世を持っているだけか。
って言う反応になる筈だ。
二つ目の方法は、赤ん坊が言葉を覚える方法を理論的にしたもので、前世を持ち確立した言語感を持つ自分には一番会う方法だ。
一応、日本語ではあるが、ドアや机、食べ物や自分を指差して『これは?』と聞いて帰ってきた音をカタカナにして、メモにして、暇が有ればメモに絵を描いて、『これは?』と尋ねて文字を書いてもらうようにしている。
相変わらず文章も、会話もわからないがなんとか100単語くらいは理解した。
このまま日常会話に使う単語を覚えて、知らない発音や文字を接続詞などと過程して覚えていけば、この言語を習得できる筈だ。
同年代達は、僕らが住む村の近くの洞穴や森に入って遊んでいるようたが、僕は意思疎通が出来ないので大人たちに体を掴まれて行くなと止められてしまう。
子供の頃の人間関係は幼少期で決まりやすい。子供の時からガキ大将なら高校生くらいになってカリスマ性を無くしてもなんだかんだでリーダーとして振る舞って行ける。
逆に仲間はずれになっていれば、大人になっても友達は出来にくい。
本人の勇気や努力、自分を受け入れてくれる人がいる幸運などが有ればそれはどうにでも変えられるものだが、やはり幼い頃から一緒に遊ぶというのは大切だ。
子供同士の仲の良さは親同士の関係にもつながる。人と人が絆を結ぶことによるメリットは大きい。犯人がわからない事件や、原因不明の事態が起きた際、犯人として扱われやすいのはコミュニティから浮いた存在である。
棒は、ただえさえ前世を持ち、恐らく価値観も異なるであろうことに、絶対に浮く。浮きやすいとかでは無い。浮く。
気をつけてこの人たちと同じように生きようとしても、細かなところで違っていたり、お互いの常識に差異が出て話が通じないなんて言うことはある。
前世では言葉が通じる存在は人間しか居なかったし、その人間同士でも国や人種、宗教が違えば常識は違った。同じ日本でも川を挟んだ隣の村とは食文化も使う方言も神様も違うなんてのはよくある。
この世界で生きる僕は現状唯一の日本人的な感覚を持ち、僕の所属するコミュニティは未知の価値観を持つのだ。
孤立してしまわないように、僕は早急に言葉を覚え同年代と交流する必要がある。
あとあまり言葉を覚えるのに時間をかけ過ぎると病気を患っているのではないかと思われそうで嫌だ。
鳥の羽が生えている人間達が住むこの村だが、文明力は意外と高い。
文明力が高いということは、人に野生的な感覚以外にも人間的なことを考えさせる余裕が生まれるわけで、それは道徳や倫理観という考えに繋がる。
野生的な社会では弱者は邪魔なので放置したり殺したりしようという発想になるが、道徳を考え始める人間的な社会では弱者を救済しようという考えになる。
このコミュニティの文明力を見るに、言葉が覚えられない病気を患っていると勘違いされたとしてもどうにもならなそうだが、もしも野蛮な社会であったり、人間的な社会であったとしても奇人は家の恥という考えが有れば家に幽閉される可能性だってある。
1970年代の東北や上越地域では障がいを持つ人を家の奥に閉じ込めて出さないという風習があったという。
そうはならないだろうが、なったら嫌なので、何としても言葉を覚える必要がある。
何度も言葉を覚える必要について理由を語るのは、僕が優柔不断で楽観主義だからだ。
絶対にやる必要があるとわかっていながらも何とかなるだろうと、後回しにしてしまう。
自分でわかっているから、やらなきゃという意志があるうちに、自分に暗示をかけて絶対にやるように仕向ける必要がある。
今はそう思っていた。
読んでいただきありがとうございます。
あらすじにある民俗学者編が始まるまでは相当の時間がかかります。ある意味一つのゴールが主人公が民俗学者になることです。
独学で人工言語の制作を始めて15年くらいになりますが、そこでの試行錯誤で生まれた文字などを登場させる予定です。
この小説は、人工言語の制作日記をファンタジー世界の住民視点で書いた小説になります。
難しくなりすぎず、それなりに面白いものを書けるよう精進していきますので、どうか今後ともよろしくお願いします^ ^




