山脇京子の波乱万丈人生
8人家族の6人きょうだいの下から2番目で、私が4才の時母が父親からDVを受けて泣き崩れていた。
突然チャイムがなり見知らぬ女性が訪れてたそれは父親の愛人で父親を迎えに来た。
勝手に部屋に上がり込み父親を連れて行こうとしたらまだ、2才の妹が突然泣き出し私はこの女が妹を泣かし悪いと確信し私は、ほうきで女を叩き
泣かせた。
女は帰り父親は、酔っていたから眠りに着いた。その時に窓から白い服を着た人が現れた。
私は、訳分からずにお父さんを連れて逝かれそうになり兄に助けを求めたら「見てはダメ」と言われその場で私は泣き崩れた。
父親は、その日はつれて逝かれる事は無かった。
母親一人で、6人育てる事が出来ない為私と次男の兄と三男の兄と妹は家を出る事になった。
両親が離婚し次男の兄と三男の兄と私と妹で、
一時保護しょに預けられしばらくしてから聖学園に暮らす事になった。
次男の兄と三男の兄は、顔を合わせる度に喧嘩をしていた。
そんな中ある日三男の兄が施設から脱走して行方が分からなくなった。
私が、5才になって夏休みに母親の居る職場であるシャロームに次男の兄と私と妹とお姉ちゃんで寝る事になった。
その時私が、突然発作を起こして病院に運ばれたが専門の先生がいなかった為何故発作が起きたか分からなかった。
発作を起こした私を見た母親は、パニックになり父親を呼び出していた。
その日私は入院する事が無かったけど父親の家に向かった。
その後施設に戻り私は、大きな病院に行き検査を受けて(てんかん)と診断された。
その夜寝ている間に、てんかん発作が小学生5年位まで続いた。
中学生、高校生と成長するにつれて発作は起きる回数も減り病院の回数も減って行った。
高校生の文化祭の時に私は発作を起こして倒れ気付いたら保健室にいた。
施設では、夜更かししないため9時位に就寝していたけど何で私だけと悔しくなり泣いた。
でも、私よりも重い病気や治るか分からない病にかかっている子供も居ると私は思いその日からてんかんの事で泣くのを止めた。
社会人になり私は、施設を出て障がい者のグループホームに移った。
月に一度の病院に行き脳波の検査をして、5年立ち違う病院に移り先生が「安定していますね」と言ったので勇気を出して薬を減らして欲しいと伝えた。
三十路を迎える直前に私は死ぬんだと悟った。
その夜白い服を着た女の子?か分からないが着た右手に鳥なのかくちばしみたいなのが当たり死ぬんだと身体中の空気を出されているのが分かりますます怖くて寝れない日を過ごした。 悟った日から私の人生は未来があるのか解らなくなり気分も、沈み死ぬのが怖くて毎日恐怖に怯えていた。
死ぬのが怖くてご飯すらまともに食べれず泣き崩れた。
その場に居るのが怖い私はグループホームの職員さんに怖くて寝れないから育ての親の家に行くと言った、
育ての親が迎えに来てくれてその日ずっと寝るのが怖くて泣いていた。
「いい加減受け入れなさい」と、言われ私は死ぬ覚悟をした。
多分臨死っていうのか定かじゃあ無いけどそうばとうを見た時はもう助からないと思ったけど何とかまた生き延びる事が出来た。
次の朝になり私は、入院をする事になった。
9月位に退院し2~3ヶ月位自宅で休み落ち着きを取り戻した。
グループホームから徒歩の障がい者施設の作業場に通う事になった。
でも、夜寝るとまた恐怖が私を襲った。
何度も、殺されそうな目にあい誰にも言える事が出来なかった。
そうまた入院する事になるのが、分かったからだ。
気付けば、徘徊してしまっている事もたまにあったなぜなら聞こえないはずが聞こえてきたり今も、通っている精神障害のクリックに行ったら医師から「統合疾患症」と、診断されたのだ。
夜寝ては、自分自身が棺桶の中で燃やされている夢を見たり次の日には足の先を削られたりまた、違う日にはお腹わ開けられていじられる感覚に陥ったり喉を潰されそうになったり髪の毛を切られる夢を見たり顔段から落ちた夢を見たりで誰にも話す事も出来なかった。
いや、誰もその事を話しても信じて貰える事はない。
そう目を閉じた瞬間に色んな事を毎日起こった様な感覚に陥ったりしても夢になる。
退院して間もなくしてから精神科に通いはじめました。
病状は、統合失調症と言われました。
月1に病院へ通いつめ症状も、少しずつ落ち着きはじめている。
そんな日々を過ごして来たけど、36歳に妹と横浜へ行ってとあるサロンへ行ったらキレイなお姉さん妹の知り合いに出会ったのです。