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銀のライン 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 この駅もずいぶんと様変わりしちゃったなあ。

 ひと昔前なら、小さな屋根にベンチがいくつか。向かいのホームへ渡るための跨線橋があれば、あとは駅内の広告板がちらほら立っているくらいだった。

 それが、こうしてホームドアが設置されると、一気に近代化した感があるね。ホームへの転落などを防ぐ効果は高いけど、費用も相当なものらしいね。補強が必要な駅だと10億円以上の投資が必要なことさえあるとも聞くよ。


 お金が動くと、僕たちはつい気を取られがちだ。自分たちが払う税金が使われているかもしれないとなれば、なおさらのこと。

 この手の工事は目に見える分、不透明な使われ方をされるよりは印象がいいだろうけど……ひょっとしたら、僕たちが思っているより他の理由があるかもしれないよ。

 友達が体験したって話だけど、聞いてみない?



 その日。通勤途中の友達は、とあるホームドアの前で大あくびをしていた。

 週末にある会議ほど、くたびれるものはない。通常の出勤時間より2時間ばかり早く、その2時間があれば、布団の中でまどろむ癒しの度合いが大きく変わってくるんだ。

 ここは乗り換えの地下駅。先ほどまで1時間近く電車に揺られていた。

 どこの駅でどっと人数が入れ替わるかは分かるから、その駅で乗客がちらほら立ったところを、潜り込むようにして座った。


 そこから到着まで20分。

 腕を組んで目をつむり、不足気味の眠りをちょっとでも補充しようとする。寝過ごせないから眠りは浅く、ごくごく短い夢を見たりもした。

 目が覚め、数分もすればあっという間に薄れてしまうような、ささいなもの。その日も乗り換え移動の間に、すっかり印象は薄まってしまったが、何かの遊び相手になる夢だった。

 一方的なものじゃなく、友達も夢の中でそこそこ楽しんだらしく、夢見は良い方でもあったんだ。



 電車の到着まであと2分。眠り足りない友達は、ときどき車両が来る方向を見やりつつも、ぼーっと足元に視線を落としていた。

 その視界の端を、こそこそっと過ぎ去った黒い影がある。「ん?」とわずかに意識を向けると、またするりと視界の内から外へ滑っていく。

 友達が並ぶホームドアの下部。開閉するドアとドアの間の壁の土台あたりを這うそれは、一見ゴキブリの動きにも思えて、友達は身を縮こまらせてしまう。

 

 けど、目を見張った次の瞬間には、ほっと胸をなでおろした。

 よくよく見てみると、土台部分は銀色の金属でできたラインが入っている。そのくすんだ銀色は、自分に向かう位置にあるものをぼやけた輪郭のまま、映しだすんだ。

 こうしている間にも、友達の背後を抜けて横へ向かう人がいるたび、その靴の影がラインに映り込み、動いては消えていくんだ。

 

 ――きっと自分が見たのも、その雑踏のひとつだろう。

 

 おりしも、電車接近を知らせるアナウンス。姿勢を正す友達の前へ、やがて青色をベースに塗られた車両と、いくつもの車窓が姿を見せた。

 待っている位置は、車両の最後部。次々、通り過ぎる車両の混み具合を見ながら、自分の乗るところが空いているよう願う友達だったが、その視界の下。

 あの壁の土台部分で、またしきりに動くものがあった。

 

 今回、待っている人の行儀はいい。すでにめいめいが列に並び、動かずに待っていた。

 背後のホームも同じ状態。ここで動くものは何もないはずなのに、なぜ?

 電車が停まりかける中、うつむき気味の視線へ戻る友達の前で、くすんだ銀色は何度も表面を駆ける、黒い影の姿を見せた。


 加速……加速……加速、加速。


 右から左へ。端から端へ。

 影絵のように現れては消えるたび、どんどん速さを増していく黒い輪郭。

 それが電車の停車を受けて、ホームドアが開いた拍子に、ぴょんと銀のラインから飛び出したんだ。

 

 スキーのジャンプ台のようだった。

 勢いよく飛んだそれは、みるみるうちに友達へ迫ると、ネクタイのあたりにぶつかってきた。

 思わず身を引き、ぱっぱっと手で払いのける友達だけど、その手に、指に、あの黒い影らしき汚れは見当たらない。

 それ以上気にする余裕を、電車から降りる人たちの波が洗い流していく。わきへどいているにも関わらず、小刻みに触れてくる降客たちは、友達を気にする様子はない。


 ――やはり、見間違いだったのかな。


 ごしごしと目をこする友達だったけど、先ほどまでうずくまっていた眠気は、すっかり吹き飛んでいた。



 出勤してからも、友達はそれとなく今朝のことを気にかけていた。

 会議中も業務中も、誰かに指摘されることはなかった。ただトイレで手を洗う時、鏡に写った自分のネクタイピンの上を、ときどきさっと横切る影があったんだ。

 そのたびはっと手をやり、後ろを振り返るも誰もいないし、いたずらをするような仕掛けもない。

 ピンそのものを丁寧に洗ったりもしたけれど、効果のほどは知れないまま。

 ついつい、ネクタイピンに触れてしまいながら、今日の定時を迎えてしまった。



 飲みの誘いもあったが、友達はそれを断って駅へまっしぐら。

 会社の最寄り駅は、地下にあった乗換駅と違い、ホームの3分の1ほどは屋根がなく、空がのぞいている。

 友達が使う地下駅の階段は、屋根なしの乗り場のひとつがドンピシャ。今日もそこへ並んでいた。最前列だった。


 友達は帰りに手鏡を買っている。ひとえに、ネクタイピンの様子を見るためだ。

 買ってからまださほど時間が経っていないピンは、写す角度によって、きらりと光りを放つ。

 目がくらむのを嫌って細めがちになる友達だったが、やはり電車を待つ数分間で、右から左へ。何度か勢いよく横切る黒い影があったんだってさ。

 

 そしてまた、電車の接近を告げるアナウンス。

 この時間帯でこの駅の利用者は少ない。友達の後ろにも近くにも、電車を待つ客の姿はなかった。

 友達はちらりと、入ってくる電車のライトを確かめるも、すぐ手鏡へ顔を向ける。

 鏡のネクタイピンは、今朝の銀色のラインと同じように、その表面を何度も黒い影に駆けさせていた。

 あそこと比べて、ネクタイピンは長さが短い。


 速い……速い……速い、速い!


 瞬時に通り過ぎ、また端から駆け出す黒点の軌跡は、ほどなく黒い線となってしまう。

 切れ目さえ見えない漆黒に、ネクタイピンが染まるころ、警笛を鳴らす電車がホームへと入ってきた。



 次の瞬間。

 今朝見せたのと同じように、黒々としたピンから影が飛んだ。

 行くのは前方。ホームドアを越え、電車にぶつかりかねない軌道だったが、その速さはピッチャーが投げた剛速球のよう。

 線路をはさんで向こう側。いくつもの電光広告の並ぶフレーム部分へぶつかると、影はそのままの勢いで、フレームを一気に駆け上ったんだ。

 その先は空。陽が暮れて、すっかり暗くなってしまった空の中へ、影は飛び込んでいって見えなくなってしまったらしい。

 

 その景色は、瞬く間にホーム入りした車両に塞がれてしまう。

 それからピンを見ても、降りた駅で土台の銀のラインを見ても、あの影らしきものが横切ることはなかったらしいのさ。

 ひょっとしてあのホームドアの銀色部分、あの影のようなものを空へ送り返す、練習場になっていたかもしれないと、友達は話していたよ。

 

 


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