氷菓子、時々、花火
氷菓子、時々、花火
「ねえ、アイスの当たりって出たことある?」
「いや、ないけど〜」
「そっかあ、いや、私もなんだよね〜」
「別に出なくていいだろ、あんなもので運を使いたくない」
「かあ〜、冷めてるねえ、君はこのアイスのように冷たいよ」
「そんなに冷たかったらこうしてお前に付き合って一緒に帰ってねえよ」
「あ、そう言うこと言うんだ」
「ああ、だってそうだろ」
「そこはさあ、俺も一緒に帰りたかったから、とか言うもんでしょ?相変わらず女心がちっともわかってないんだから」
「ヘイヘイ、悪かったですねえ」
「まったく」
大きな積乱雲が青い空に広がっている。夏の雲は止まっているように見えるのは私だけだろうか、それとも、そう見えるのは、私たちの時間が止まっているように感じるからだろうか。いずれにせよ、
「暑いねえ」
「そうだな」
「ところでお前さあ」
「何?」
「なんでせっかく2人用のアイス買ったのに1人で食べてんの?」
「え?何が?」
「何が?じゃないだろ2人で歩いて帰ってるんだからパキッと割って一つは俺にくれてもいいんじゃないのってことだよ、お前こそ、男心わかってねえじゃん」
「それは男心とかじゃなくて単にあんたが食い意地張ってるだけでしょ、それにせっかくあんたに買ってもらったんだから、全部私が食べなきゃ損でしょ」
「はあ、なんなんだろうねぇ、この女」
「あ〜、女子に向かって女とか言ったらいけないんだよ〜」
「事実だろ」
「そう言うこと言ってるんじゃないの、モラルの問題だよ、セクシュアルモラル、セクモラだよ」
「なんだよそれ、モラル、でいいだろ」
「あ、もうなくなっちゃった」
「聞いてねえし・・・」
大きな積乱雲が青い空に広がっている。夏の空は雲が縦に伸びて見えるせいか、近くに感じるような気がする。でも、俺たちの距離は一定で、それ以上近づくことはない。これからも、そうなのだろうか。いずれにせよ
「暑ぃなあ」
「やめてよ、さらに暑くなっちゃうでしょ」
「お前もさっきまで言ってたじゃねえか・・・」
それは、夏休み前の、終業式の日だった。2人が次にあったのは8月に入って最初の日曜日。
「ちゃんと時間通りに来るなんて、珍しいね」
「そんなことねえだろ、俺は基本的には時間は守るほうだ」
「え〜、そんなことないよ、前回だってさあ、私が終礼後に下駄箱集合って言ったのに10分くらい遅れてきたじゃん」
「前回って・・・いつの話してんだよ。しばらく会ってなかっただろ俺たち」
「あ〜、そうだね。なんでだろ、しばらく会ってなかったのにこうして会うと、まるで昨日もあってたみたいな感覚になる」
「病院行ったほうがいいぞ、何科を受診すればいいのかはわからんが」
「もう!なんでそうやってすぐくだらない話でお茶を濁すの!」
「そういう性分なもんで、知ってると思ってた」
「知ってる!めちゃくちゃ知ってる!嫌と言うほど知ってる!もううんざりするほど知ってる!」
「そこまで言わんでも」
「もう、行こ、早く」
「おう・・・てか、浴衣、久しぶりにみたけど、やっぱりいいもんだな」
「そう?似合ってる?」
「あぁ、馬子にも」
「衣装とは言わせないよ!」
「っふ、冗談だよ、似合ってんじゃん、珍しく」
「そ、そう?ありがと・・・って、珍しいがなければ言うことなしなのになぁ」
「じゃあ、何か言って欲しいんだよ、きっと」
「え・・・?」
「ほら、行こうぜ」
「あ、うん」
陽が傾き始めた夏の空は、言うまでもなく赤く染まり始めていて、こんな気持ちになるなら青空のままが良かったなんて、私はどこまでも照れ屋で、単純な女なんだと痛感してしまう。
「あ、ねえねえ、かき氷食べようよ!」
「え〜、嫌だよ、冷たいじゃん。頭痛くなる」
「真夏にかき氷食べずにいつ食べんのよ!」
「別に食べなくてもいいだろ、所詮シロップがかかった氷なんだから」
「あぁ、出たよ、そんなこと言ってたら風情もへったくれもないなじゃない」
「風情なんて感じなくても夏は暑い、それだけで十分だろ」
「それじゃ夏の”な”の字も感じられないじゃん!風鈴とか扇風機とか、海とか花火とか、かき氷とか!」
「そんなに言うなら買ってこいよ、俺はアイスでいい」
「え!アイスあんの?どこどこ?」
「かき氷売ってる屋台、氷菓子もあるって書いてあんぞ」
「うわお、じゃあ私もアイスにしちゃおうかな。大体、アイスも冷たいし、氷菓子なら尚更、かき氷と変わらないじゃない!」
「俺の中では夏といえばアイスなんだよ、それも氷菓子限定な」
「何そのこだわり・・・まあいいや、じゃあ買いにいこ、ほらほら、早く〜」
「おい、ちょ、待てって・・・やれやれ」
赤く染まり始めた空に浮かんでいる雲は昼間の姿とはまったく別のものに見えて、この場にいるから綿菓子に見えてきて、なんてくだらないことを考えていないと、うっかり見惚れてしまいそうになる自分がいるんだ。俺はどこまでも天の邪鬼で自分に素直になれない女々しい男なんだと痛感してしまう。
「ん〜、冷たい!でも美味しい!やっぱり夏といえばこれだよね!」
「年がら年中食ってんだろ」
「そんなこと!あるけど・・・でもなんかさ、こうやって2人で夏祭りに来て、神社の境内に座って食べるアイスは、なんか特別な感じがしない?」
「んぁ?まあ、そうだな、普段こんな人の多い場所でアイス食べないし、神社でアイス食べるとなんか罰当たりそうだしな。こういう日くらいだろ」
「私が言いたいのはそう言うことじゃないんだけど・・・まあいいか、それでこそあんたって感じするし。でもちょっとくらい」
「ん?ちょっとくらい?なんだ?」
「もーらいっ!」
「あ、おいこら、俺の大事なアイスちゃんを!」
「大事ならもっとちゃんと守らなきゃ、無防備すぎるのよ!」
「ほ〜う、それじゃ遠慮なく、お返し!」
「あ!もう、私のレモンちゃん・・・」
「レ、レモンちゃん・・・?」
「そ、私のアイス、レモン味だから、レモンちゃん」
「なんて安直な・・・そのまんまじゃねえか」
「だって、食べたらすぐお別れなんだよ、短い時間にいかにわかりやすい名前で呼んであげるかに私とこの子の関係はかかってるんだから」
「へえ〜、ほうか、へも、もうほへがたへちゃったけほな(へえ〜、そうか、でも、もう俺が食べちゃったけどな)」
「あ〜!私のレモンちゃん!」
「どんまい、またいい出会いがあるさ」
「じゃああんたのも全部食べてやるんだから」
「もう溶けて全部落ちてんぞ」
「ええ〜、まだ二口しか食べてないのに〜」
「どんだけ食うつもりだったんだよ。一応人のだぞ、それ」
なんてことをしていると、いつのまにか太陽はすっかり沈み、あたりは真っ暗になっていた。いつもそうだ。彼といると、時間が経つのなんて一瞬で、他のことなんて何も頭にはない。だからこの時も、この祭りの一大イベントが始まる時間を忘れてしまっていたんだ。
「おいおい、もうそんな時間かよ、早く行こうぜ」
「私としたことが・・・こんな、氷菓子程度で・・・」
「さっきまで溺愛してたじゃねえか、レモンちゃん」
「ほら、早くいくよ!」
「おい、それ俺のセリフ・・・って聞いてねえし」
暗くなってきているのにはもちろん気付いていたし、なんとなくそろそろ打ち上がる頃だろうなってのはわかってた。でも、この時間に埋没してしまっている自分を浮かび上がらせるほどの原動力が何も湧いてこなかった。このままでよかったんだと思う。俺にとってこの時間は、そういう時間だった。
手を引いているはずだったのに、いつの間にか私の手は一人ぼっちになっており、気づけば彼の姿はなくなっていた。
「ねえ、どこ行ったのよ・・・せっかく2人で来たのに、これじゃあ意味ないじゃん・・・」
「いてっ、どこ見てんだよ!」
「あ、すみません・・・」
気づけば人通りがまばらになってきていた。構わず歩き続ける人もいれば、参道の隅の方で立ち止まり、見上げている人もいる。私もすこし立ち止まって見上げてみる。私たちが逸れていることなどお構いなしに打ち上がり続ける花火。煙のせいで若干空が霞んで見えて、いや、これは違う、涙が、溢れてきていたのだ。
「1人でみる花火って・・・こんなに寂しんだ。でも、いつ見ても花火って大きいなぁ。なんか、あいつみたいでムカつく。」
引いてくれていた手がいつの間にかいなくなり、気付いた頃には人混みに溶けていった彼女に声をかけたときにはもう遅かった。
「くそ、どこまでいったんだよあいつ・・・」
「きゃっ、ちょっと、足踏んだわよ!」
「あぁ、すみません・・・」
しばらく彼女のことだけを追っていたせいで周りの人の動きに気付いていなかった。人の往来はそこそこに、皆空に打ち上がる大輪を見上げていた。俺たちのことなんて興味ないよと言っているかのように、大きな花を咲かせていた。そして、大きな花火を見上げたその瞬間、俺は走り出した。
「あいつ1人にしてしまって、こんなもん見てる場合じゃねえ、早く見つけ出してやらねえと、っち、それにしても花火っていつ見てもきれいだよな・・・はぁ、
はぁ、なんか、どっかの馬鹿みたいでムカつく。」
皮肉にも、2人が再開するきっかけをくれたのは打ち上がり続ける花火だった。1番最後に咲いた特大のそれは、じゃがバター屋の隣でしゃがみ込んでいる彼女を彼に発見させるのには十分な灯りだった。
「はぁ、はぁ、ったく、世話かけやがって」
「もう・・・遅すぎる・・・花火終わっちゃったじゃん」
彼女はそう言い彼の胸に頭を預けた。
「悪い、でも、その最後の花火が、見つけさせてくれたから・・・」
「そっか・・・じゃあ、花火のおかげだね」
「なんか、花火とお前、似てるよな」
「え・・・?」
「俺が何してようとどんな感情だろうとお構いなしで俺の前に現れて、俺をあっちこっちへ振り回す・・・まったく、お前そっくりだよ」
「何それ!それじゃ私がじゃじゃ馬みたいじゃっ!」
「でも・・・綺麗だ」
「へ?」
「でも大きくて綺麗で・・・ちょっと儚くて、ほっとけねぇんだよ、お前は」
「そ、それって、どう言うつもりで言ってるの?」
「あぁ?どう言うつもりでって、思ったこと言っただけだろ」
「私も、寂しくて切なくて潰されそうだったけど、花火見たら、あんたのこと思い出した・・・と言うかあんたみたいだなって思った」
「そ、そうか」
「私がどこにいても私の前に来てくれて、いつもは気だるそうで覇気の無い感じだけど、私を大きく照らしてくれる、大きな存在で、なんだかんだ頼りになるの、あんたは」
「お前こそ・・・どう言うつもりで言ってんだよ」
「別に!思ったことを言っただけです〜」
「あ、おいこら、もう走るなって、また迷子になるぞ!」
2人で花火は見られなかったけど、きっと2人で見てるだけじゃ知らなかった感情を知ることができたから、結果オーライかな。それにしても私、そんなに振り回してるかなぁ。
はあ、やれやれ、やっぱり世話が焼けるな、こいつといると。でも、離れて改めて思ったな、それに気づかせてくれたのは思いもよらないやつだったけど。てか、俺ってそんなに気だるそうか・・・。
「はあ、楽しかった〜」
「お前、さっきまで泣いてたこと忘れてんだろ」
「え?なんのことですかぁ〜?」
「はあ、都合の良いやつ」
「あ、ねえねえ、コンビニ寄ってアイス買おうよ」
「ん?あぁ、そうだな」
「やっぱり夏といえばアイスよねえ」
「さっきも食べたろ、お前」
「聞こえませ〜ん」
「ったく・・・」
「はい!」
「え?あ、くれんのか?」
「うん」
「このパキッと割って2人で食べることに意味があるんだよ、このアイスは」
「いつか1人で全部食べてたじゃねえか、てか正確には氷菓子だけどな」
「またそう言う細かいことを言う・・・まあでも、今日は・・・2人で食べたかった」
「そうか、じゃ、ありがたくいただくよ」
「うん!」
ソーダ味のパキッとアイス。私はいつだってこれを彼とシェアしたかったんだ。でも、彼はいつもアイスを買わないし、いらないのかなって勝手に詮索したりして、あげても断られるのが怖くて、勇気が出なかった。こんなことじゃ、もっと大切なことを伝えるのはいつになるのかしら、わからないわ。でも、アイスを受け取ってくれたとき、ものすごく嬉しかった。やっぱり私は照れ屋で、単純な女のようだ。
ソーダ味のパキッとアイス。俺はいつだってこれを彼女がくれるのを待っていたんだ。だから自分のアイスを買ってこなかったし。でも彼女はいつだってそれを1人で平らげてしまう。だから片方くれよなんて本気でいえなくて・・・いつだって彼女が食べているそれをみることしか出来なかった。こんなことじゃ、本当に伝えたいことはいつ言えるのだろうか、わからないな。でもアイスをくれたとき、嬉しかったと同時に情けなくなった。やっぱり俺は天の邪鬼で素直になれない女々しい男なんだ。
「ねえ、私もう食べ終わっちゃった。ちょっとちょうだい」
「なんでだよ、てか食べるの早過ぎだろ!」
「え〜、早く食べないと溶けちゃうよ〜」
「うるせえな、俺は味わって食べてるんだよ。滅多にくれないからな、誰かさんが」
「なっ、そんなこと言うんだ〜、もう絶対あげないから!」
でも、それでも、今はこの溶け始めている氷菓子のように時に身を任せてみるのも悪く無いのかもしれない。少しずつ、ゆっくり、君の気持ちを溶かせていけたらいいな。